女王のスイーツはままならない
「まったく、どうかしてるんじゃないの。フルーツなんかのためにそんなふうに走り回って、いきなり人の家に押しかけて」
「ご、ごめんなさい…」「ふん!」
マチルダは突然の訪問者にいらいらしながら、赤いソファの上でその華奢な足を組み替える。机上のキャンドルの炎が身悶えするように揺らめいた。
よりによってこの時間の無い時に!それも目の前でひっきりなしに目を泳がせているこの金髪の少年は、思い出したくもない小学校時代の同級生だった。ぷいと目を逸らすと、その横に腰掛けている変な柄のコートを着た男と視線がかち合う。
「それで?どのくらい残ってるんだ、フルーツは」
「まだ譲るともなんとも言ってないでしょ」
「売ってもらわなきゃ困る。どうせ大した使い道もないくせに、そんなに抱え込んでも無駄にするだけだぞ」
無礼な物言いにかっとなって男を睨みつける。あんたに何がわかるの、とヒステリックに叫びそうになって、それでもあまりに子供っぽいその衝動をぐっと堪えた。きっと彼女ならそんな風に振舞ったりはしないから。
「つ…使い道なんて知らないくせに、他人にそんなこと言われる筋合いない!」
「おおかた自分でクリスマスケーキでも作るつもりなんだろう」
びっくりして目を見開くと、隣の金髪も驚いた様子で男を見つめていた。誰だってそう思う、と男は来客用のティーカップに口をつけながら言う。
「子供がクリスマスの前日に、マルシェでフルーツやら卵やらを買い込んで、と聞けばそう考えるのが妥当だろう」
「そ、そう。残念でした、あいにくその通りだから。もうとっくにフルーツは残ってないの」
「学校じゃケーキの分量は教わらないのか?昨日の今日で何キロもあるドライフルーツを使い切る訳がないだろう」
「ぱ、パーティーで出すんだから、たくさん作るに決まってるでしょ!」
「パーティーで出すものをずぶの素人に作らせるのかこの家は」
「誰がずぶの素人ですって!?」
「違うのか、失礼したな。ずいぶんと苦戦の跡が見えるものだから」
言われて見れば、エプロンは外していたものの、ワンピースの袖口は小麦粉やクリームで白くなっていた。おまけにタックの寄ったスカートの裾には粉ばかりでなく卵のカラなんかくっ付いていて、慌てて取ってさっと後ろに隠す。けれど今更取り繕いようもなかった。
「鼻の頭にも粉がついてるぞ」
「ちょっとノーラ!なんで教えてくれなかったの!」
「申し訳ありませんお嬢様、気がつきませんで…」
ノーラは無表情のまま眼鏡の奥からこちらを伺っている。よく見ると彼女のメイド服にも白っぽいまだら模様ができていた。眼鏡もほんの少し白くなっていて、粉でレンズが曇っているのかもしれなかった。ノーラは2人の客のほうを向いて続ける。
「このような格好で失礼いたしました。お嬢様はお友達のためにこの通り躍起になっておられまして」
「ちょっと!勝手に何言ってんのよ!」
「お、お友達の…?」
「お嬢様はお友達に贈るケーキをご自分の手で作ろうとされているのでございます」
マチルダは耳を疑った。この新米メイドときたら、いつも何を考えているのかさっぱりわからない。そんなこと、こいつらに言うつもりじゃなかったのに!ちらと金髪の様子を窺うと、彼は下がり眉をより一層悲しげに下げてノーラの話を聞いている。
「しかしなかなか思う通りのものが完成せず。我々メイドもお手伝いしているのですが、なにぶん完成形がわからないものでして」
「なんだそれは。ブッシュドノエルか何かを作ってるわけじゃないのか」
そういう定番のものだったらまだマシだったのだが。マチルダは何だかくたびれてしまって、大きくため息をついた。誰かに話してしまえば少しは気も楽になるかもしれない。
「…本物はあたしも食べたことない。外国のケーキらしいんだけど。友達の好物なの」
「どんなケーキなんだ」
「…わかんない」「なんだと?」
「わかんないからこうやって色々買ってきて試行錯誤してるんじゃない!しょうがないでしょ約束したんだから!」
金髪が怒鳴り声にびくっとしたのがわかったけれど、そんな事に構っている余裕は無い。マチルダは一旦落ち着くためにソファに座り直すと、冷めたミルクティーを一気に飲み干して乱暴にソーサーに戻した。
「…もうすぐいなくなっちゃうから」「え?」
「あたしのお友達。その国に帰っちゃうの。だからその前に、少しくらい…」
初めてできた大切な親友。なのになんにも伝えられないままさよならなんて。せめて何か、彼女に喜んで貰えるようなことをしたかった。
ぎゅっと手を握り締めて、涙がこぼれそうになるのを我慢した。ガーランドで飾られた応接室を気まずい沈黙が流れる。
やがて沈黙を破ったのは、意外にもソファの上でひたすら震えていた印象の金髪だった。
「あ、あの…僕になにか、手伝えることって、ないかな…」
「はああ?何であんたなんかに手を出されなくちゃいけないわけ!」
「お嬢様。せっかくの申し出になんて言い草」
「うるさい!ノーラは黙ってて」
「マチルダと言ったな。友人を喜ばせたいんだろう?」
突然名前を呼ばれて、たったひとつの願いを声に出されて、言葉に詰まった。マチルダはすこし躊躇って、小さく頷く。
「ならばこんな狭苦しい屋敷に閉じこもっていないで、外に出て専門家の力を借りるべきだな。そうだろう?」
「せ、専門家?でもメイドたちがいるし」
「残念ながら当家のメイドはお菓子作りに関しては専門とは申し上げられません。料理はコックの担当ですから」
そうかもしれないけど。だからといって気軽にほいほい手を貸してくれそうな専門家なんて、どこにいるものだろうか?マチルダは訝しげに男を睨む。男は平然と腕を組んで笑った。
「着いてこい。俺はレシピ再現のプロについて、2人の人間を知っている。1人は俺自身だ」
「はあ?あんたみたいななんか薄汚れたおっさんになにができるっていうの」
「お嬢様。言葉が汚いですよ」「うるさいってば!」
「知りたければついてこい。そして成功した暁にはおまえの持っているドライフルーツを譲ってもらうぞ」
「…ほんとにできるんでしょうね」
「さあな、確約はできんが」「はあ!?」
「ただし今の停滞した状況を打破できることは約束しよう」
画家の男は得意そうに立ち上がって、つられるように金髪も腰を上げる。マチルダは少しの間、疑り深くその場に座り込んでいた。しかし変わらず無表情に自分を見つめてくるノーラにせっつかれるようにして渋々ソファを立つと、ひとまず自分の白くなっているスカートを二、三度はたいた。
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