ビスクドールとシナモンティー

「あの!すいません、おじさん、パン屋さんの、画家さん…ですよね…?」


ひっくり返った声に振り向いた画家は、カラスがくるみ割り人形を見るような、怪訝な表情で声の主であるレオを見ていた。

どうしよう。緊張して変な声が出た。レオは自分の発言に自分で半ば呆れていた。それに言うに事欠いてなんなんだ、パン屋さんの画家さんって、それってどんな職業だろうか。恥ずかしさにみるみる顔が熱くなっていくのがわかる。口ごもっておどおどしているレオに痺れを切らしたか、画家はいっとき止めた足を再び動かし始めたので、レオは慌てて彼の後を追いかけた。


「あ…あの…すみません…」

「たしかに俺は画家だが、パン屋ではないぞ」

「わ、わかってます、その…パン屋さんの、お隣さんの、って意味で…」


こんなことを説明するのにすら手間取る自分にさらに情けない気分になる。画家は急いでいるのか、要件はなんだ、とぶっきらぼうに言いながら、きょろきょろと辺りを見回している。

つられて顔を上げれば、いつの間にか町の中央に位置するマルシェまでやって来ていた。引っ込み思案なレオはどう話しかければよいものか、頭を悩ませながらこそこそと画家の背後をつけて来たせいで、まったくどこを歩いているんだか認識していなかったのだった。ともかく話し始めることには成功したと踏んだレオは、思い切ってある『依頼』について切り出す。


「え、絵を描いて欲しいんです!ビスクドールの」

「悪いが今日は休業日だ。また明日にでもアトリエに来てくれ」


すかさず返されたにべもないセリフに愕然として、しかしここで引き下がる訳にもいかない。レオは噂よりよっぽど偏屈そうな画家の、積もる雪のような冷たさにもめげずに無理くり話を続けた。


「お、お願いします!どうしても明日までに欲しくって」

「人の話を聞け!今日は休みだと、」

「祖母へのプレゼントなんです、いつも面倒見てもらってるからなにか少しでも返したくて…」

「くどいなお前は!しかも明日までと言ったか!」

「あ、明日、クリスマスが祖母の誕生日でもあって…」

「まったく、孝行な孫もいたもんだな」「ど、どうも…?」

「こちらとしては迷惑千万だが」「す、すみません…」


冷たい態度とは裏腹に、何だかんだ言いつつも話を聞いてくれる意思はあるみたいだ。目線は相変わらず周囲を彷徨わせながらも、レオのしどろもどろな説明にも耳だけは傾けてくれている。レオは大急ぎで依頼の内容を語った。


「か、描いて欲しいのは、うちにあった人形…なんですけど」

「うちにあった、だと?」

「ばあちゃ…祖母が大事にしてたビスクドールが壊れちゃって、修理もできないくらいで…僕が思い出せる限り詳しく説明するので、その人形を描いて欲しいんです」


それは聞けばかなり古いもので、けれど丁寧な手入れのおかげでとっても綺麗な陶器製の人形だった。祖母はティータイムになると決まって、居間のロッキングチェアに腰掛けてシナモンティーを飲みながら、懐かしむようにその人形を見つめている。レオが学校から帰ると、そこで一緒にお茶を飲んだり、2人で他愛もない話をしたり。そうした祖母と過ごす時間を、レオは特別なものだと思っていなかった。

しかし先週、祖母はうっかりその人形を手入れの最中に割ってしまったのだという。よほど悲しかったのだろう、ここ数日の祖母が無理に明るく振る舞っていることは明らかで、一人の時にはため息をついたり、遠くを見てぼんやりとしていることが増えた。今は埃を被ったガラスケースだけがぽつんと飾られていて、それを眺める祖母を見る度に、心に穴が空いたような気分になった。


「本当は同じ人形を買ってあげられたらいいんだけど、古いものだったからもうどこにも売ってなくて…だからって似たようなのを買うのもなんだか違う気がするし、写真なんかも残ってないし…」

「それで絵か。ふん、なかなか目の付け所が良いじゃないか」


それまでよりも少しだけ柔らかい声色だった。レオがぱっと顔を上げると、ようやく歩くのを止めた画家と初めてきちんと目が合った。


「じゃ、じゃあ!」

「引き受けても良い。そういう案件こそ絵画が本領を発揮する分野だろう。ただしこっちの任務が終わってからだ!」

「に、任務って?」「あれだ」


画家はマルシェの隅にある一軒の店を指した。ナッツやスパイスの類を売っている店らしく、シナモンの甘い香りがここからでも漂ってくる。彼は話している間もずっと急いでいる様子だったので、テントの下で暇そうにあくびなんかしている店主とのギャップに困惑した。ぽかんとしているレオを置き去りに画家はさっさと店のほうへ行ってしまって、レオはまたしても慌ただしく画家の後を着いていく。


「いらっしゃい」

「ドライフルーツをあるだけ欲しいんだが」

「悪いね旦那、あいにく売り切れだ」

「なんだと!?」「い、一体どうしたんです?」


店主によれば、つい昨日、店のドライフルーツをほとんどすべて買い占めていったお客がいたという。画家の任務とはどうもおつかいのことだったらしく、彼は火にかけたケトルみたいに白い蒸気を吹いて憤慨していた。


「それは一体どこのどいつだ、ふんじばって取り返してやる」

「一応売ったんだから盗賊みたいなことしちゃいかんよ旦那。しかしありゃあまだほんの子供だったね、ずいぶんいい身なりしてたし、いいとこのお嬢ちゃんじゃないかしらね」


煮立った紅茶の如き様相の画家にはお構い無しに、乾物屋の店主は、そう言えばどっかで見たことある顔だったねえ、なんてのんびり口調だ。


「くそ!この際そんなことはどうだっていい、他にドライフルーツを売る店はないのか」

「それがそのお嬢様だけどね、あちこちの店で果物やミルクや卵やなんか、いろいろ買い占めて行ってるみたいなんだよね」

「なんだその奇行は!飢えたジャングルの猿かそいつは」

「知らんがね、だから少なくともここいらの店は全滅じゃないかと思うね。メイドなんか連れて荷車引いて、ちょっとしたパレードみたいになってたしねえ」


このマルシェを除くと、ほかの乾物屋も青果店も、数時間は歩かなきゃ辿り着くことはできない。急を要する任務らしいから、ここで手に入らなかったのはかなり痛いだろう。画家は毛を逆立たせて威嚇する猫みたいに背中を膨らませていたが、やがて力なくがっくりと肩を落とした。

寂しげで痛ましい後ろ姿はクリスマスの陽気な雰囲気には似つかわしくなくて、けれどどうやって慰めたらいいかも、任務達成のための代替案だって、レオには上手く思い浮かばなかった。なんと声をかけようか悩んでいると、ああ、と乾物屋の店主がぽんと手を打つ。


「そうだ、思い出した、ありゃ町の外れにあるお屋敷の娘さんだよ。間違いなく金持ちのお嬢様だ」

「あ、それって、パストールさんちのマチルダですか」

「そうそう。たしか坊ちゃんと同じくらいの年頃じゃなかったかね」


マチルダと言ったら、この町の子供たちならみんな知ってる有名人だ。町でもひときわ目立つ大きなお屋敷に暮らす彼女は、中学に上がる前は僕と同じ学校に通っていて、彼女の噂はその頃から耳にタコができるほど聞いたものだった。なんでもひと睨みで上級生を泣かせたとか、小さな子のおもちゃを奪って壊したとか、おやつ代わりに猫を食べるとか…。

わけのわからないのもあるけれど、とにかく冷徹で、いつだってアイスブルーの瞳を光らせて誰かを睨んでいる、恐ろしい女の子として皆に怖がられていた。笑ったところなんか誰も見たことがなくって、氷の女王、とか呼ばれることさえあるくらい。

中学からは隣町の女学院に通い出して、しばらく姿を見ることもなかったが、こんな形で彼女の話題が出てくるなんて。


「あの子…マルシェで買い物したりするんだ」

「あの子?知り合いなのか?」

「あ、ええと、知り合いってほどじゃ…ただ昔クラスが同じだったことが…」

「知り合いなんだな!であれば話が早い、今からそいつの家に行ってドライフルーツを買い戻すぞ!」

「ああ、それがいいかもね」「ええ!?」


そんなこといきなり頼んで、彼女がはいどうぞとフルーツ入りの麻袋を渡してくれるだろうか?限りなく可能性はゼロに近い、というのがレオの所感だった。しかし画家も店主も何故だか乗り気で、レオはどうも嫌な予感がし始めていた。


「おい坊主…まだ名前を聞いていなかったな」

「あ、れ、レオです」

「よしレオ、行くぞ、おまえが頼みの綱だ。上手く交渉してくれよ、クラスメイトの頼みということなら快く売ってくれるかもしれん」

「ええ!?む、無理ですよ、そんなの、」

「いいねえ、頑張ってね坊ちゃん、子供同士の方が話もスムーズに進むよきっと」

「ちょっと待って!ちゃんと話したことだってないのに、」

「いいから来い!邪魔したな店主!」


画家はレオの首に巻いているマフラーをむんずと掴むと、ひらひら手を振る店主に背を向けて歩き出した。向かう先はもちろん氷の女王の暮らす屋敷だ。

こんなはずじゃなかったのに!ずるずると引きずられていくレオは予想外の展開に冷や汗を流しながらも、祖母の淋しげな姿を思うと、ともかく画家の任務遂行に付き合う以外端から選択肢はなかったのである。

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