▼便宜上・第一階層:ファハンの新しい杖
壁に描かれていたジェイス氏の地図は正しかった。
まず扉に耳を当てておかしな音がしないか確認した後、俺はそっと扉を押し開ける。扉の向こうはただ闇が続いていたが、松明をかざすとまっすぐな通路であることがわかる。通路の幅は概ね2マス(3メートル程度)で、天井までは3マスといったところ。
地図の通りだ。この先で道はT字路になって分かれていて、左に進むとまた別の部屋、そしてその先いくつかの分かれ道の後、マルのついた、推定上がり階段に向かう。
逆に、右手に進むと通路の後でバツのついた部分があった。
「左に行こう」と、俺は地図を読むボグルの肩に手を置いて、松明を掲げた。この中で真に松明が必要なのは俺だけだ。エルフのファハンも、ドワーフのボグルも、暗闇で一定の視力を持っている。彼らは故郷を妖精の世界と同じくしている。全く似ていないが、闇を見通す視力は、その名残りだという。
ボグルは頷いて、ぺたぺたと素足の足音を立てながら俺と並んで歩いたが、20マスほど歩いて実際にT字路までついたところで、ファハンが主張した。
「右を見るべきだと思う」
「なんで」
俺はエルフに聞いた。
「このジェイスの地図によれば、だ、正解の道は左だろう」
「そうかもしれない。だがそうじゃないかもしれない」エルフは続ける。「我々はこの地図に記された記号や意味をまるで知らない。そうではないか?」
それはそうだ。
マルが階段、バツは危険、なんてのも、なんとなくの想像に過ぎない。通路の長さも正確ではなさそうだ。さっきの部屋の大きさは概ね5マス四方だったが、地図に描かれた通路の長さは部屋を示す四角の二倍程度だ。
俺たちはここまでだいたい20マスを歩いてこのT字路まで来ている。ならば、ということで、俺たちは左の道を少し進んでみると、地図の道の長さとは食い違いがあった。
この地図は方向は示しているが、正確ではない。
「なら」
と、ファハンはT字路まで戻って言う。
「このバツが何のしるしなのかを確認して明らかにすべきだろう」
「フムン」
確かに一理ある。
今の俺たちの頼りは、この先輩であろうジェイス氏の地図だけなのだ。できるだけその示すところはわかっておきたい。
予想通りバツが危険だったり、あるいは通行不可能な部分をつぶしてあるだけだったりするなら、以後そこを避ければいいだけだ。
ただ、このバツが本当に致命的な危険だったなら、俺たちの一つしかない命が、この検証のために失われるかもしれない。
「左でよかろう」
と、ボグルは地図を見ながら言った。
「危険は避けたい」
「バカだな。考えてみたまえよ。この地図にバツは何か所ある? 一つや二つではない。この地図が複数人で描かれたか? いいや違う」
「なるほど」
「わかったか? ジェイスとかいう男は……女かもしれないが……そいつは、何度もこのバツの部分を見に行って、そして生きて次の道を進んでいるんだ」
ファハンは知識階級だけに、できるだけわからないことをつぶしておきたいのだろう。早くも迷宮の呪いに引っかかったりして脱出を遅延させようとしているのではないことを祈るが、言っていることは理解できる。
「よし」
俺は少しだけ慎重に歩くべく腰を落とし、右の通路を照らした。
「バツの正体を見ておこう」
◇◆◇
完全に情報のない探索や偵察は、傭兵やってれば珍しくもない。きちんと情報をくれる依頼主の方が珍しいくらいだ。
ましてこの暗闇。
か細い光とはいえ、骨の松明をともして歩く俺は、夜目の聞く連中からすればいい的だろう。
俺は腰をかがめて、慎重に通路を進んだ。
すこしでも身を小さくすれば、前から矢が飛んできたときに当たる確率が減る。もちろん重甲冑や大盾があればベストだが、ないならこれが次善の策ってやつだ。
その俺の後ろをのほほんと歩くファハンに、俺は舌打ちをして身をかがめるよう合図した。しんがりはボグルだ。先陣を切りたがるかと思っていたが、ボグルは素直にしんがりを引き受けた。
幅2マスほどの通路をおおよそ15マスほど進んだところで、道がまたぞろ二手に分かれる。
何の手がかりもない俺たちには、どっちに行っても大差はない。
俺たちは右の通路に進んだ。
じゃり、っと、道に小石が混じる。
今までも別にきれいに掃除されていたわけではなかったが、とがった石の破片が足の裏に刺さって、俺はそれを蹴飛ばした。拍子に上を見る。
天井が高くなっていて、通路の幅も広くなっている。
幅は4マスほど。天井も同じく6マスほどもあるだろうか。
今までの通路の天井は無味乾燥な石の板だったが、ここは違う。
石を切り出したアーチが、天井を支えていて、アーチからは柱が降りていた。構造上、何かを支えているというわけではないだろうから、これは装飾用だろう。
その雰囲気は、まるで古い教会のようだった。
「気をつけろ」
後ろで注文を付けるファハンに渋面を見せる。お前が一番危なっかしいんだよ。
部屋……ではなく通路だろう。その目新しい通路の壁は、あちこちにアルコーヴが穿たれており、小さな石の椅子などがしつらえられていた。
「見ろ」
「何を」
「向こうに人影が」
「馬鹿!」
俺はファハンを突き飛ばして、手近なアルコーヴに飛び込んだ。ぽかんとしているボグルの長いひげを掴んで引きずり込む。狭いアルコーヴは三人の裸の男でぎゅうぎゅうだ。
「エルフの視力か。どんなやつだった?」
「ちらっとだからしっかりは見れていない」
俺は松明をできるだけアルコーヴの奥に遠ざける。耳を澄ますが、これといって声や足音は聞こえない。
「ボグル、そこから見えるか?」
「なんでやつがれに言わないんだ」
「お前は余計なことをしそうだからだよ」
ボグルがそーっとアルコーヴから顔を出し、それの上からファハンが向こうを覗き込んだ。
「良く見えない」
「エルフとドワーフが揃いも揃ってか」
「お前は我ら妖精の視力が万能だとでも思っているのか。多少は光がいるんだ。もし闇の中でも昼と同じに見えるなら、我らは星の瞬きを楽しむこともできんだろうが」
「そうだそうだ」
「うるっせぇなぁ」
人をなじるときだけ結託しやがって。
とにかく、人影とやらは動いていないし、音も聞こえない。俺は松明から別の骨片に火を移して、それを奥に放り投げた。
「おい、どうだ、これで見えるか」
「あぁ……ははは!」
のぞき込んでいたファハンが笑いだし、ボグルも緊張を解いてため息をついた。
「石の像だよ」
「はぁ?」
「人影ではあるが、危険はない。石像があるだけだ」
と、笑いながら、ファハンはアルコーヴから軽やかな足取りで通路に出た。そして先に立って歩き、俺が投げたまだ小さく火をともした骨片を拾い上げる。
「待てよ」
俺はそれに続いて通路を進み、松明を掲げた。
なるほど確かに。
5マスほど向こうに、人影が見える。しかしその人影はピクリとも動かず、長い棒のようなものをささげるようにこちらに差し出している石像だった。俺は松明をかかげたままその石像に近づいた。石像は魔法使いをかたどったものだろうか。ぼさぼさの髪に、寝巻のような長い衣。その衣には無数の目玉の彫刻が入っている。
この迷宮の魔法使いだろうか?
その石像が捧げ持っているのは、どうやら杖のようだった。
石でできてはいない。金属とも木とも骨ともつかない色合いの均質な棒で、片方の先端はトカゲのような手が彫り上げられていて、その手は(暗くて色は定かではないが)松明の明かりを半ば透過し半ば反射する美しく磨かれた宝玉を握っていた。
「杖がどうとか言ってたよな。杖があれば魔法が使えるのか?」
俺は振り返ってファハンに尋ねる。
「それは……もちろん杖があれば……魔法は使えるさ」
と、ファハンは歯切れが悪い。
「どっちなんだよ」
「あー……品質。品質によるんだ。よい杖があれば魔法使いは強力な魔法が使える。そう。魔法使いが迷宮を作るのとおなじことだ。魔法使いはよりよい杖を求めるものなのだ」
「ふぅん」
この杖がいいものなのかどうなのか、そもそもこれがファハンの言う魔法の使える杖なのかわからないが、俺はまだその杖に触れずに観察した。
「来いよ。こいつはどう……」
言い終わるよりも早く、ボグルが警告の声を上げる。
「待て」
「なんだよ」
「この壁、へんじゃあないか?」
「どの壁……」
ボグルが指したのは、通路の中ほどの壁だ。アルコーヴに挟まれた形になっていて、俺には他の壁と違いは分からない。ファハンも同じらしく、首をひねっている。
「明かりを持ってきてくれ。浮いている感じがする」
ボグルがそう言うので、俺は杖を調べることを一旦やめて、松明を掲げてきた道を戻ろうとした。その時だ。
◇◆◇
ばあん! と激しい音がして、ボグルが見ていた扉がこちら側に、観音開きに跳ね開けられた。隠し部屋があったのだ。激しい衝撃に、天井の石のアーチがいくつか割れて、とがった石が落ちる。
「うぶぅ」
壁をよく見ようと近づいていたファハンは壁に木の葉のように跳ね飛ばされ、通路の向こう側、着たほうに転がる。ちょうどボグルを挟んで俺とファハンがそれぞれ4マスくらいに離れているタイミングだ。
「うわぁ!」
ボグルが悲鳴を上げて後ずさった。
「なんだ……うわっ……」
ボグルの悲鳴の原因はすぐに分かった。
暗がりからぬっと現れたのは、馬ほどもある大きなけだものだったのだ。
ただのけだものではない。
胴体は大型肉食獣のようなしなやかな姿で、前足には鱗と鋭いかぎ爪を持っている。しゅうしゅうと音を立てているのは、しっぽだ。しっぽがそんな音を立てるか? 立てる。なぜならそのしっぽは牙から毒を滴らせた蛇だからだ。
背中にはコウモリのような羽が生えている。コウモリよりもずっと力強い。
ふるっているのはその頭だ。なんと三つも頭がある。ひとつは肉食獣。鋭い牙と鬣を持っている。ひとつは黒山羊。俺の村でも山羊は飼っていたが、なかなかかわいい動物だった。ところがこいつは邪悪な知恵でも持っているかのように嫌らしく笑っているではないか。とどめの最後は、吟遊詩人の歌と教会の壁画なんかでしか見たことがない、ドラゴンだ。でかいトカゲのような頭だが、これまた鋭い牙が生えていて、さらに喉奥からはちらちらと炎が揺らめいている。
「キ、キマイラだぁ!」
とファハンが叫んだ。
「知ってるのか?」
「邪悪な魔法で生み出される合成獣だ! ドラゴンと山羊、それから獅子に蛇」
「あれ獅子の頭なのか」
「獅子見たことないのか?」
「ないよ。悪いか」
「悪くはないが」
そんな言い合いをかき消すように、三つの頭が並んで吠えた。
「ボグル!」
ボグルは震えあがってきょろきょろと逃走経路を探す。片方には俺、もう片方はファハン。俺のほうは行き止まりだから、逃げるならファハンのほうしかない。だがそうされたら、俺は取り残されてキマイラから逃げられずに一巻の終わりだ。
ボグルはその場から動かなかった。腹を決めたのだろうか。さすが屈強頑健なドワーフだ。
キマイラはそのボグルに突進し、ドラゴンの口がかっと開いて炎を噴き出した。幸い裸だったボグルは、炎にさらされても何とか踏みとどまる。もし上半身にぴらぴらした衣類なんぞを身に着けていたら、ぱっと燃え上がってしまったことだろう。とさかにした髪の毛のてっぺんがチリチリと焦げている。
ボグルは突進してくるキマイラの山羊の頭から生えた二本の角をその両腕でがっしと受け止めた。
こいつは罠だ。
俺はぞっとした。
この杖はきっとそれなりの品物だろう。俺にはわからないが、ここに来るような勇者英雄のたぐいなら価値がわかるにちがいない。
それを見つけてのこのこやってきたやつの背後から、このキマイラが飛び出して牙と角と炎と、あと毒でいっちょ上がりというわけだ。迷宮についてのファハンの説明のとおりなら、それであわれ迷宮の主の魔法使いがどこかにエネルギーとしてため込んで終わり。
キマイラは大きく身体を振って、ボグルをこちらに投げ飛ばした。たまらずドワーフの身体が転がる。魔獣はこちらを向いて、ファハンに背を向けた。
キマイラが吠える。
三つの首でがなり立てる大音声はびりびりと迷宮を震わせて、天井からぱらぱらと石くれが落ちるほどだ。
俺は松明を手にしたままキマイラに突進した。とにかく転んでいるボグルが立ち上がってくれないとどうにもならない。
最高の展開は、もちろん全員生存してこのキマイラから逃げるか倒すか……とにかく生き延びることだ。俺だけでも逃げられれば、とも思うが、それは難しそう。ファハンが一人だけ逃げる方がまだ目がある。近くに味方か……なにか乾坤一擲この状況を覆せるものがあってそれを目当てにファハンを逃がすならいいが、あいにく俺たちはあのどんづまりの部屋を出たばかりで、何も当てがない。
「くそっ」
俺は松明を短剣のように振るってこのわけのわからない猛獣の気を引いた。普通の獣なら火を恐れるが、そもそも火を吐くドラゴンの頭があるこいつが火を恐れるわけもない。
獅子の頭のかみつきを、俺はのけぞってかろうじてよけた。がちがちと歯を鳴らす頭が三つ、こちらを弄ぶように見つめる。獅子は猫の仲間って聞いたことがあるが、なるほど追い詰められたネズミはこんな気分かもしれない。
「立てよドワーフ! 立てないのか?!」
俺はキマイラから視線をそらさずにボグルに叫んだ。ドワーフは呻いて何とか立ち上がるが、荒く息をついている。
キマイラの向こうで、ファハンが逃げるかとどまるか迷うようなそぶりを見せて震えている。あいつとんだお坊ちゃんだ。俺ならとっくに逃げている。だがそれに望みをかけるしかないかもしれない。俺はロビン・スターヴリング。できる手を打って今まで生き延びてきたんだ。
「おい、エルフ!」
「な、なんだ!」
「杖があれば、本当に魔法が出るんだろうな?」
「だからモノによると……」
俺はようよう立ち上がったボグルに目くばせをして……回れ右して駆けだした。キマイラはもちろんその隙を逃さない。鋭いかぎ爪のついた前足を振るうが、ボグルはその前足にしがみついた。
「んむぅうう!」
ドワーフの筋肉が盛り上がったのを、俺は見ていなかった。
俺はまっすぐ奥に走って、妙な魔法使いの石像が持っていた杖に手を伸ばす。
これも罠なら運の尽きだ。
ひやりとした感覚があって、杖は素直に俺の手に握られた。
俺はそれを槍投げよろしく持ち替えると、キマイラの向こうのファハンめがけて投げる。
「杖だ!」
あとはファハンは口ばっかりの三流手品師じゃないことを祈るだけだ。キマイラはボグルを振り払って、俺のほうに突っ込んでくる。
俺の視界いっぱいに、三つの頭が広がった。
「ウォウアリフ……イェーター……ヌーンエインシーン……フェーイシーン……。ウォウアリフ……フェーエイン……フェーイシーン……フェーイシーン……!」
明らかに声に焦りがあったが、エルフの唱える呪文が朗々と響いた。
いい声だな。
俺はその歌うような呪文の詠唱を、心底うらやましく思った。
呪文が完成してぱっと輝く爆発が生まれて……そして俺は気を失った。
◇◆◇
「ダメだね」
という声が聞こえた。
かなり昔に聞いたきりの声だ。スターヴリング村の、俺より三つ年上のガキ大将の女の子の声だ。
よく覚えてるもんだな。と、俺はおぼろな頭で思う。
「無理に決まってる。あんたはこの村で羊を飼って暮らしたほうがいいって。それが一番いい」
俺はそうは思わなかった。俺にはやりたいことがあったし、なりたいものがあった。
「絶対無理だって。才能ないよ、あんた」
思えばあいつは本当のことを言っていたし、奴なりに心配していたのかもしれない。
だが俺は、お祭りの時に村に来ていた吟遊詩人にあこがれたのだ。無数の冒険を、無数の恋を、無数の不思議を歌い上げる、そして俺みたいな何も知らない小僧にこう教えてくれる。世界は広い。お前の最高を目指せ、って。
俺はそんな風になりたくて、世界のことをたまに伝え聞く歌だけで知った気になって、そして最高の人生を夢見て、生まれた村を飛び出したのだったっけ。
「だから言ったじゃない」
声は言う。あぁその通りだ。
なぜって……。
「あんた音痴じゃん」
むぅ。
◇◆◇
「気付いたか」
さっきまでの薄暗い、心もとない骨を燃やした松明とは違う、昼間のような明るさの、だが青白い光が周囲を照らしている。
俺は跳ね起きた。
「キマイラは? あいつは?!」
「んっふっふ」
俺の顔を覗き込んでいたファハンとボグルが、息ぴったりに顔を見合わせて笑う。
「どうしたんだよ」
「はっはぁ。お前が魔法の輝きに目をやられてぶったおれるような軟弱者でなければ、やつがれの偉大で深遠な魔法をみることができたろうになぁ!」
「いや、たしかにすごかったぞ」
ファハンは胸をそらし、ボグルも頷いた。えらく仲良くなったもんだな。
見ればファハンは右手に先ほどの杖を握っている。明るい光は、その杖の先端にはめられた宝玉からのものだった。
「おい、杖……」
「あぁ」
ファハンは自慢げに杖を掲げてささやいた。
「クラシ」
すると輝いていた光が急に小さくなり、周囲に闇が訪れる。
「シラク」
次の呪文で、杖の先が再び明るく輝いた。
「驚いた。魔法か!」
「こんなもんじゃあないぞ。やつがれの知っている呪文はな! 先ほど使ったのは、分解光線の魔法だ。当たったものを光に分解して消滅させてしまう」
「じゃあそれで」
「そう。あのキマイラを消し去って見せたというわけだ!」
「物騒な魔法だ」
「だがおかげで助かった。そうだろう?」
「それもこれも、この男が危険を顧みず走って杖を投げたからだ」
「いいやドワーフ。この男がそれができたのも、お前がキマイラに飛びつくと信じてのことだ」
「そうだな」
俺は立ち上がって、ファハンの手の中で輝く杖をしげしげと眺める。
使い手の手の中にある魔法の杖は、どこか妖しい光沢を放っていた。こいつほんとうに魔法使いだったんだ。
そう思って見れば、ボグルは筋骨隆々。不屈のまさにドワーフといった風情。俺はあの時、たしかにこいつがキマイラを抑えてくれると信じていた。まぁ、他に手がなかったからそうするしかなかったのはそれはそうなのだが……。
「信じてたぜ」
と、俺は言って、ボグルは照れくさそうに頭をかいた。
さて、俺が気絶していたのはそう長い時間じゃあなかった。およそ1ターン(1ターンはだいたい10分程度)くらいだったが、その間にファハンとボグルは興味深いものをいくつか見つけていた。
キマイラの潜んでいた隠し部屋の奥だ。
そこには真鍮でできた長櫃がいくつか隠されていて、さらにその奥には、下に降りる階段があった。
これは性格が悪い。
下に降りる道を探す勇者は、用心深くこのキマイラを避けるかもしれない。しかしそうすると下に降りる階段を見つけることができない、というわけだ。
俺はさっきの杖を持っていた魔法使いの石像を思った。たしかにろくでもない顔をしていた。あいつがこの迷宮の主に違いない。
長櫃の中にあったのは、目もくらむような財宝だった。
コインの山はこの際置いておくとしても、絹のような見たこともない繊維で織られた衣類は、このぼろ布を着替えるにうってつけ。
俺たちはあれこれ言いながら財宝を漁り役に立ちそうな品物を身に着けた。
俺は黄金の飾りのついた長剣をひと振り、拾ったばかりのベルトにたばさんだ。つるぎの刀身は冷え冷えとした白っぽい金属で出来ていて、握ると不安になるほど軽いが、その切れ味たるや、石がバターのように切れるのだ。
見る角度で色を変える衣服は俺には少し優雅すぎたから、袖や裾を縛って工夫して動きやすくする。それに、黒っぽい革でできた胸当てと手甲を身に着けた。どちらも精緻な紋様が打たれていて、ファハン曰く、明らかにエルフの手になる名剣、衣装の類だという。
ボグルが見つけたのは、きらきらした鎖帷子だ。ボグルにはちょうどいい衣服がなかったので、身体にぼろ布を巻いた上からそれを着ると、えらくちぐはぐに見えた。そのうえ、豊かな体毛を鎖帷子が巻き込んでしまい、ボグルはそれを不快がった。しかしそのちぐはぐさ、不快感を上回るほど、その鎖帷子は見事な出来栄えだった。動いてもほとんど音がせず、着ているボグルが言うにはまるで羽のように軽いという。
ボグルはそれに、大きな角のついた銀色の兜をかぶった。武器は見るからに重そうなハンマー。このハンマーは持ってみると確かに重いは重いが、しかし振り下ろすとそれ以上に、まるで丸太を打ち下ろしたかのように地面に響いた。持ち手に軽く、敵には重い。魔法のハンマーだ、と、ファハンは受け合った。
そのファハンは、俺と同じようなキラキラした衣装を身にまとった。エルフらしい優雅な着こなしは、舞台に上がったら相当に映えるだろう。しかし他の財宝よりも、やはり杖が気に入っているようで、ファハンはこの杖を決して手放そうとしなかった。
ぼろ布で袋を作り、俺はほかの役立ちそうな雑多な品物をそこに収めて、ベルトに手挟んだ。
「衣装が台無しだな」と、俺の着こなしを見たファハンが笑ったが、気にならなかった。
今俺たちが抱えているのは、とんでもない価値のある財宝なのだ。
この黄金づくりの剣は、市場に流すか王様の所にでも持っていけば、一生食うには困らないくらいの金貨が手に入るだろう。
「俺たち、結構やれるんじゃあないか?」
そんな気がしてくる。
俺の剣、不屈のボグル、そしてファハンの魔法があれば、地上に脱出するくらいどうってこともなく感じさえする。
それは二人も同じようで、さっきまでの不安な気持ちはどこへやら、まるで大胆不敵な戦士のような顔になっていた。
「さて」と、ファハンは言った。「これからだ」
俺たちが見つけたものはもう一つで、これの対応は意見が別れた。
「階段を降りてみるべきだ」と、ファハン。
「だめだ」
俺は首を振った。
ファハンは杖や装備を手に入れて自信を得ているらしい。自信を得たといえば聞こえはいいが、気が大きくなっている、有り体に言えば調子こいている。
気分がいいのは俺たち全員だが、その気分のまま下に降りるのは考えものに思えた。
「迷宮の最下層には必ず、主である魔法使いの居室がある。そして地上への近道があるものだ。そうじゃないと、魔法使いは外出できないからな」
「だけどここが今迷宮の何階にいるのかもわからないんだぞ。下にさらに何階層もあるかもしれない。いいやそれどころか、件の俺たちを召喚したとかって言う、けったくそのわるい魔法使いその人に出くわすかもしれない」
「いいじゃないか。仕返しの一つもしてやろう。なぁ、ドワーフ。復讐の必要を、お前はわかっているよな?」
「それはそうだが……」
「だーめーだ! そりゃあ一番いいのはここが最下層の一個上くらいで、下に降りたら最下層、魔法使いもたまたま留守で、俺たちは首尾よく魔法使い本人用の近道で地上に脱出……そんなプランだろうが」
「なにがおかしい」
「そんなうまくいくわけ無いだろ」
「挑戦しよう! 我々ならできる! さっきのキマイラも倒せただろう。やつがれにはこの杖がある。この杖はいざとなればへし折ることで爆発的な魔力を放出できる。魔法逸らしの障壁を張ることもできる。もし魔法使いに出会ったとて、それで倒せるはずだ」
「相手もそれを持っているかもしれないぞ。そうしたら死ぬのはこっちだろう。それにそんなものなくたって、こんな迷宮をこしらえるほどの魔法使いだ。かなう相手じゃない」
「やりもしないで諦めるのか」
「やらんでもわかることだってあるさ。俺は今までそうやって生き延びてきた」
「つまらん生き方だ」
ファハンにそう断ぜられて、俺は憮然と黙った。別に反論できないわけではないが、俺の生き方に満足しているわけではない。
そんなことより、俺はファハンの様子が気になった。
こいつ、さっき自分で言ってた迷宮の呪いとやらにあっさりかかってるんじゃあないだろうな。あの、迷宮を出たくなくなる、とかいうやつ。
俺やドワーフは魔法の素養がないから呪いを受けづらい、なんてこともあるのかもしれない。少なくとも俺は、速やかに地上を目指すべきだと今も考えることができている。
「お前、迷宮の呪いにかかっちゃいまいな」
と、俺の心を見透かしたようにファハンが言った。
「俺が? こっちのセリフだ!」
「下に降りるのが脱出の一番の早道なのに、お前はまるで迷宮から出たくないかのようだぞ」
「フーム!」
俺は怒るよりもむしろ感心した。
なるほどそういう考え方もあるか。これはまともに意見を戦わせても平行線だ。俺はさっきからあまり積極的に議論に参加しないボグルに水を向けることにした。
「おい、ボグル。お前はどうだ?」
「どちらも一理あるように感じるが……」と、ドワーフは腕を組んだ。「こうしたらどうだろう。せっかく地図もあることだし、この地図に書き足しながら地上に向かうんだ。そして地上に出れればよし、難しそうだったりしたらここまで戻ってきて地下に降りてみよう。せっかくある先輩のちずだ、使わない手はないんじゃないか」
ドワーフの意見はもっともなものに思えた。
なかなかどうして、俺はドワーフへの偏見を改めた。まぁ、俺の偏見を形作っているのは物語に登場するいわゆる典型的ドワーフと、生身のやつは傭兵のドワーフただ一人だったので、そもそものサンプル数が少ないのだけれど……。
どうやらファハンも同じ感想を抱いたらしく、顎に指を当てて考える仕草をしてみせた。
決まりだ。
俺たちは一旦、ジョイスの地図を頼りに地上を目指すことにしたのだった。
案外、俺たちはいいチームになりそうな気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます