未来への行動、託された手紙
ソラと別れて家に帰った賢太は、使っていないノートを取り出して、ソラとの出会いから別れまで事細かに書きだした。記憶が新鮮なうちに、時間が経って記憶が歪んでしまわないうちに、細かく書き出しておきたかった。ソラの行動や表情、言葉だけでなく、その時の賢太の心情まで丁寧に文字に起こした。心情や風景を的確な言葉で表現するのは難しかったが、文字を読めばその時のことが鮮明に思い出せるように、表現に工夫をしながら、ノートに書き連ねた。
翌日から賢太は日課として運動を始めた。体力を元に戻すために。そして、ダンスの動画をちょこちょこ見るようになった。ダンスというものに未練がまだあることが判ったから、景斗に誘われなくてもひとりでもダンスを練習するようになった。
また、運動に加えて、本を読むようになった。小説を書く勉強のために、今まで積んでいた本を片っ端から読み始めた。12月の上旬は、運動や家事以外の時間はすべて溜まっている本の消費に費やした。大量にあったが、みるみるうちに未読の本は減っていった。ライトノベルから文豪の作品、景斗が送り付けてくる雑誌まで様々な文章を賢太は吸収した。
12月の下旬になると、賢太は『一週間の友達』の設計図を書き始めた。いわゆるプロットというものだ。もちろん初めてだから、どんな風に書けばいいのか分からず、悩みながらも12月のうちに、なんとか物語の最後までの流れを書き上げた。物語の流れだけでなく、『ダイチ』のキャラ設定も同時に考えた。賢太自身と近すぎず遠すぎないキャラを考えるのは難しかった。悩みに悩んだ結果、幼馴染の賢太のルックスで鬱屈とした日々を送る希死念慮を抱える青年、という設定にした。ソラのキャラクターはもちろんそのままだ。
1月になると、賢太は小説の文章を書き始めた。毎日の運動と読書は欠かさず、残りの時間をすべて執筆活動に当てた。パソコンを開いて小説投稿サイトに登録して、下書きで小説を最後まで書いた。1月下旬にはとりあえず最後まで書き上げることができた。最初は何度も見直しをしていたのだが、それではまったく進まないことに気が付いて、ほとんど見直しなしで最後まで書いた。その完成(仮)した小説を自分で読み直してみたら、目を当てられないほど酷くはないが、ところどころ頭にハテナを浮かべてしまうところがあった。でも、初めてにしては悪くなかったのではなかと賢太は感じた。1月の最後の数日は、違和感を感じた箇所の修正に努めた。どうしてもいい文章が浮かばない箇所は、どんなことを書きたいのかだけをメモした。
2月は小説を清書した。1日1話完成させることを目標に書いた。類語辞典などを用いて、文章の精度の上昇に努めた。もちろん日課の運動と読書は忘れなかった。段々と体力が戻ってきて、動くのが苦じゃなくなってきた。体を動かすことは気分転換にもなり、賢太の欠かせない習慣のひとつになった。ダンスの技術も、完全にとは言えないが、昔並みに戻ってきていた。家族との食事も苦じゃなくなり、日々充実した時間を過ごした。
『
2月中に小説を完結させた賢太は、『天才魔女の悠々自適な生活』の制作に取り掛かった。この小説は登場する予定の人物が多く、しばらくは世界観と途上人物の設定を考えることに時間を費やすことになった。小説の本文に取り掛かるには時間がかかりそうで、小説を書かない時間ができるのが嫌だったから、短編小説を週に1本は書くことに決めた。
夢に向かって邁進していると、あっという間に3月1日になった。
賢太はソラからの手紙を財布から取り出して、ベッドに腰掛けながら、それを開いた。初めて見るソラの字は丸っこくて子どものようだった。
ダイチへ
この手紙を読んでいる頃には私はもうこの世にたぶんまだいます。
でも、2か月後には確実にいなくなってます。
このちっこい紙にはあまり長い文章は書けないから簡潔に。
夢叶えてね。モデルと俳優と小説家に絶対になって。
もし出来なかったらすごく呪うからね!!
天から監視するソラより
思わず賢太は「こわ」と笑いながらこぼした。
『呪うからね!!』という文字だけピンク色で可愛らしく書かれていた。内容は可愛く無さ過ぎるが。きっと彼女なりの応援なのだろうと賢太は思うことにした。
最初の2行については、薄々気が付いていたから、対して驚かなかった。驚かなかったけど、はっきりと文字で直接伝えられてしまうと、やっぱりこみ上げてくるものがあった。2度とソラに会えないのは、しょうがないと割り切れた。寂しさはあったが、受け入れることができた。
でも、この世から彼女が消えてしまうのは、どうにも耐えられなかった。一生会えなくてもいい。でも、この世界のどこかで生きていてほしかった。大切な友人の命が尽きる悲しみを賢太は痛感した。
手紙を開いた日の夜。賢太は泣いた。ソラと会えなくなってから初めて涙を流した。誰にもばれたくなくて声を押さえながら泣いた。そして、夢をかなえるという決意を強くした。夢をかなえなければならない理由が出来てしまったから。夢を諦められない理由が出来てしまったから。
手紙を読んだ翌日、1年半くらい前に貰った名刺の電話番号に電話をした。景斗の幼馴染の賢太ですと伝えると、驚くほど話がトントン拍子に進んだ。1年以上時間が空いたにもかかわらず、社長は賢太のことを覚えていた。遅すぎて忘れられているかもしれないという賢太の懸念は一瞬で吹き飛んだ。軽く言葉を交わしたのち、1週間後の昼、景斗の事務所で社長と会う約束をした。服装は自由らしいが、自分で選ぶと不安なので、ちょうど明後日休みの景斗に手伝ってもらうことに決めた。
事の経緯を説明すると、景斗は面白いほどに驚いた。そして「一緒に仕事できるな」と嬉しそうにはにかんだ。うまくいくかわからない、と伝えると、景斗は自信満々に「お前ならできるに決まってる」と胸を張った。根拠のない自信だけど、それが今は心強かった。
社長との面接のようなものは、これまた驚くほどすんなりと話が進んだ。賢太が小説を書くことに時間を使いたいことを話しても、嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。社長は非常に話しやすい人で、賢太が不安に思っていることを真剣に聞いてくれた。小さい事務所だから何でも話して、と朗らかに笑ってくれた。いろんな話をした後、契約やこれからのことを話しあって、社長との面談は終わった。
社長との面接的なものを無事に終えて帰宅した賢太は最後の力を振り絞って部屋着に着替えてからベッドに倒れこんだ。自室に入った瞬間、どっと疲れが押し寄せてきたのだ。もう指一本も動かしたくない。
思い返せば、ソラと別れてから賢太は休まずに動き続けていた。社長との会話というこの上なく緊張する予定から解放されて脱力したのと同時に、知らぬ間に蓄積された疲れが一気に押し寄せてきたのだろう。
ここ数カ月で賢太の生活は大きく変化した。そしてこれからも目まぐるしく変化していく。実家を離れて景斗と一緒に暮らし始めたり、人々の注目を集める仕事を始めたり。もちろん未来は予測できない。でも、いい方向に進むだろうと賢太は根拠もなく思った。思うことができた。
もちろん恐怖はある。未知の世界に飛び込むのは怖い。物事がうまく進めば、人目にさらされる機会が増える。夢が叶えば、読者の期待を裏切るような文章を書くわけにはいかない。重くのしかかってくるであろう期待が怖い。怖くて怖くて逃げだしたいと感じることもある。
それでも、賢太は歩み続けることをやめようとは思わなかった。逃げたらまた鬱屈とした日々に逆戻りだから。逃げたらソラに呪われちゃうから。逃げたら今度こそ本当に自分のことを許せないから。
だけど、今日くらいは休みたい。たまには休んでもいいだろう。休むことも必要だと自分を納得させた賢太は日課も家事も忘れて、襲ってくる睡魔に身を預けた。
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