続7日目、思い出の本屋と最後の別れ
ソラと賢太はすべてが始まった書店にいた。2人で歩む一歩一歩、2人で交わす一言一言がとても感慨深い。ただの本屋でしかなかったこの場所は、今では2人にとっての特別な空間となっている。
鬱屈した日々を過ごす賢太が、背伸びをする女性に声をかけたことからダイチとソラの関係は始まった。あのとき賢太が抑えきれないほどの希死を胸に抱えていたから、彼女が心の奥まで根を張った重苦しい後悔を抱えていたから、ダイチとソラの特別な友人関係は生まれた。
今までの人生で起きた不幸への対価なのではないかとすら思える幸運な出会いだった。少なくとも賢太は、ソラとの出会いを幸運だったと感じている。ソラに出会っていなくても、賢太の心は回復していただろう。信頼できる家族や幼馴染がいるから、ゆっくりと、時間はかかるが確実に前に進んでいたはずだ。でも、ソラと出会わなければ、自分の夢に向き合おうとせず、内に秘めた本心を消し去っていたに違いない。たった1週間だけの友達だが、賢太にとってソラはかけがえのない存在となった。
きっと違うシチュエーションで出会っていたら、ここまで仲良くはならなかっただろう。ここまで心を開かなかっただろう。ここまで居心地のいい空間は生まれなかっただろう。
賢太の中で様々な思いが巡る。絶対に口の出してはいけない言葉。『普通の友だちになって欲しい』という言葉が喉に詰まっている。たまに会って穏やかな時間を共有する親しい友達。それをソラはそれを望まないことはわかっている。どうして期間限定とソラが条件を付けたのか、賢太は気が付いていた。それを口に出したらソラとダイチが消えてしまうこともわかっていた。
だから、特別で儚い関係を大事にしたいから、賢太は胸に湧き上がる感情たちを抑え込んで、いつも通りを装うことに決めている。別れのその時まで、平静を装うことを決めているのだ。
ソラに気づかれないように、賢太は静かに大きく呼吸をした。
そして、ハードカバーを手に取って買おうかどうしようか悩むソラの背中に賢太はいつも通りに声をかけた。
「買わないの?」
「買いたいんだけど、ハードカバーが苦手で。寝っ転がりながら本を開いてるとき、顔面に落とすと痛くて痛くて」
「それは、痛いな」
「でも、文庫本になるの待つのはできないし」
「じゃあ、買うしかないでしょ」
「どうすれば顔に落とさないでいられるだろう」
「座って読めばいい」
「確かに。それもそっか。文庫本より値段はするし場所も取るけど、それはしょうがない。決めた。買う」
「今日はカゴいらない?」
「いらない。今日は買い過ぎないって決めてるから」
そう言ってソラは本を片手に、他の本をじっくりと眺め始めた。
ゆっくりと進んで、ライトノベルのコーナーに来たとき、ソラはポロっと夢を見るように言葉をこぼした。
「ここにダイチの本が並ぶのかなあ」
「気が早いよ」
口ではそう言いつつも、賢太は自分の本が書店に並ぶ光景を夢想していた。見覚えがあるタイトルの中に、自分が考えた本のタイトルが混ざっている光景。そんな夢のようなことが現実になったら嬉しいと賢太は思った。
そういえば、とソラは思い出したように口を開いた。
「タイトルとかキャラクターの名前決め手ないよね。設定を考えるのに夢中になって大事なこと決めてないことに今気づいた」
「あ」
一番難しい作業が残っていることを指摘されて賢太は固まった。忘れていた。どうしてこんなに大切なことを忘れるのか自分でも不思議だったが、すっかり頭から抜け落ちていた。内容を考えるのが楽しすぎて、次から次へとアイデアが湧いてきて、『魔女』とか『友人1』とか『友人2』とか『母』とか絶対に使えない適当すぎる名前で話を進めていた。これでは物語を完成させることができない。せめてタイトルと主人公の名前くらいは決めなければ。
「ダイチとソラの話は、タイトルを決めなきゃいけないな。どうしよう。ソラ、なんかない?」
丸投げされた空は、悩まし気に下を向いたあと、あまり時間を空けずに、顔を上げた。
「安直だけど、『一週間の友達』でどうかな」
「よし、それでいこう」
即決した賢太に、ソラは慌てた。まさか即採用されるとは思っていなかったようだ。本当にいいの、と確認をするソラに、賢太は一切迷うことなく即答した。
「ソラの物語だから、ソラが考えたタイトルでいいんだよ」
「なんか賞とか取れなくても、私のせいにはならないよね」
「大丈夫。そんなに悪いタイトルじゃない、はず。それに、内容頑張るから。安心して任せて」
賢太は胸を張って言い切った。根拠のない自信だが、ソラの期待を裏切らない自信はあった。
「それで、もうひとつの魔女のほうなんだけど、そっちは主人公の名前すら決まってないんだよな。どうしよう」
「……『天才魔女の悠々自適な生活』でいいんじゃない」
「採用」
「だから、早いってば」
採用する速さに突っ込みを入れられつつ、賢太は即行スマホにメモをした。
「ねえ、本当にいいの?」
「いいのいいの。タイトルで内容がわかるからいいでしょ」
「そういうもの?」
「さあ」
「適当だよね」
「悪くないからいいと思う。たぶん、変に考えすぎるよりは、迷わないでちゃっちゃと決めちゃった方がいいと思う。あと、僕が考えるよりもいいタイトルだと思う」
「ダイチもなんか考えてたの?」
「さ、次は主人公の名前考えなきゃ」
賢太は白々しくそっぽを向いて、別の本棚に向かって歩き始めた。後ろからソラの声が聞こえてくるが、賢太は聞こえないふりをして本を物色した。だってパッと思いついたタイトルが『明るい魔女とゆかいな仲間たち』とか『明るいソラと暗いダイチの楽しい7日間』とかセンスがなさ過ぎて、恥ずかしくてソラに言えるわけがないだろう。
聞こえないふりをしばらく続けていると、ソラは静かになった。
「そんなに言いたくないなら、いいけどさ。そんなに変なタイトル考えてたの?」
「ノーコメント」
仏頂面の賢太にソラは噴き出した。
「まだ何も言ってないだろ」
「かたくなすぎて面白いんだって。これから小説家になろうとしてる人が、タイトル考えられなくてどうすんの」
「今、シンプルイズベストってことを学んだから大丈夫」
「最近のラノベ並みに長いタイトルでも考えてたの?」
「そこまでじゃない、と思う。そんなことより、主人公の名前だって。考えないと」
「そこはダイチが考えてよ。ダイチに考えてほしいな」
ソラのお願いに賢太は黙り込んだ。本当はソラのための物語だから、ソラに考えてほしかった。彼女がいいと思ったタイトルで、彼女がいいと思った名前で物語を作りたかった。それが最善だと思ったから。でも、彼女の望みが、ダイチが主人公の名前を考えることなら、それを賢太は叶えなければならない。
「本当に僕でいいの?」
「もちろん」
「ひねった名前とかは考えられないよ」
「それでもいいよ」
「わかった」
賢太は本を見つめながら口を開いた。
「……あの魔女は、まっすぐで強くて日々を楽しんでる。自分だけ寿命が長すぎることを悩むけれど、それでも、寿命が違う仲間たちとの交流を拒まずに、仲良く日々を過ごしている。別れがあっても、前を向いて、明るい未来を見つめている。だから、彼女の名前は、ミライ、で、どうかな」
自信なさげに提案した賢太。緊張しながらソラの反応を待つが、いくら待っても反応がない。不安に思って、賢太はソラの表情を見た。
ソラは溢れる涙を袖で拭っていた。悲しくて涙を流しているというよりは、嬉しくて涙を流しているという方がしっくりくる表情だった。
訳が分からずあたふたする賢太。目の前で人が泣いたときはどうすればいいのだろうか。対処法がわからない。人と深い付き合いをしてこなかったので、目の前で幼馴染以外が見るのは初めてといっても過言ではない。
「ごめん、なんでもないんだ。ほら、もう涙止まった」
ソラは笑顔を見せた。無理をしている笑顔ではないようで、賢太はほっとした。
「気にしないで、って言っても無理か」
「そんなに名前、嫌だった?」
賢太の質問があまりにも的外れすぎたのだろう。ソラは声を押さえながら笑った。バカにしているわけではなく、純粋に面白いという様子だ。
賢太はきょとんとした。わけがわからなかったが、完全に泣き止んでくれたようでほっとした。泣いている人間よりも、原因不明だけど爆笑している人間のほうが幾分もましだった。
「ごめん。笑っちゃった」
「いや、笑うのはいいんだけど。泣かれるよりは笑ってくれた方がいいけど。えっと、名前は、ミライ、でいいんだよね」
「いいよ。その名前、気に入ったから。嬉しい。ありがとう。私が考えるよりもずっといい名前になったよ」
「そうかな?」
「そうだよ。タイトルのセンスはなくても、登場人物の名前を考えるセンスはあるみたいだから、安心して小説家になれそうだね」
いたずらっぽくソラは笑った。
「いや、心配すぎるだろ」
「いやいや、目について読みたくなるかもよ」
「そうだといいなあ」
ソラと賢太はそれぞれ本を数冊買って、本屋を後にした。時刻は午後5時過ぎ。外はすっかり暗くなっていた。最後の目的地を知らない賢太は、ソラの後ろをついて歩いた。
しばらくすると、遠くがキラキラ輝いているのが賢太の目に映った。近づくと、シャンパンゴールドに光り輝く街路樹たちがはっきりと認識できた。ただの道路が幻想的な光に包まれている。カップルらしき人々。会社帰りらしき人。きらめく光景にカメラを向ける人。主張が激しい光にまったく興味を示さない人。日常と非日常が交じる空間を賢太とソラは並んで歩いた。
目を輝かせたソラは「キレイだね」とそれはもう嬉しそうに呟いた。
「イルミネーション見るから、あったかい恰好で来てっ言ったんだね」
「そうだよ。サプライズ成功?」
「大成功だよ。イルミネーション見に来るの初めてなんだ」
「私も。初めてだよ。いいね、こういう空間。ドキドキわくわくして楽しい」
「そうだね。実際に来てみないとわからない感覚ってやっぱりあるもんだな。自分でも意外なんだけど、胸の底からブワッと感情が沸き上がってくる感覚がしたんだ」
「楽しんでくれてるみたいでよかったよ。本当に」
しばらく2人は眩い光の中を無言で歩いた。気まずさはない。ただただこの時間が長く続いて欲しかった。時間が止まってしまえばいいのに。まだ家には帰りたくないと賢太は思った。
だけど、無情にも時は進んでしまうもので。時の流れに抗う術はこの世には存在していない。刻一刻と別れの時間は迫っている。
「あのね、最後は明るくしたいなって思って、物理的に明るいところにしたんだ」
「そっか」
「キラキラ輝く思い出にしたかったんだよね。明るい思い出にしたいの。ダイチ、楽しかった?」
「楽しかったよ。ソラは?」
「楽しかったよ。ありがとうね」
そう言ってソラは足を止めた。賢太もつられて足を止める。
2人は顔を見合わせた。光に照らされたソラは本当に現実の存在なのか疑ってしまうほど儚げだった。
賢太とソラの間には別れの気配が漂っている。それでも、いつも通りの様子のソラに合わせて、賢太も努めていつも通りの表情を作った。涙はこの場には必要ない。
「ダイチ、じゃあね」
「ソラ、じゃあね」
寂しさを微塵も感じさせない、いつも通りの表情で2人は別れを口にした。今生の別れであることを感じさせないほどあっさりと。
そして、軽く手を振って、賢太は期間限定の友人に背を向け、一度も振り返えらず、いつも通り家まで帰った。
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