7日目、来世ってあるのかな

 ダイチとソラの最終日。賢太とソラは、出会った日に訪れたカフェにいた。時刻は午後2時。2人は出会った日と同じようにモンブランを味わった。ちなみに、モンブランの今年の提供は今日で最後らしい。

「今日で最後だね」

「そうだね」

 ソラは紅茶を、賢太はコーヒーを一口飲んだ。賢太は何を話せばいいのかわからなかった。だって最後だから。最終日だからこそいつも通りのほうがいいとは思うのだが、賢太はそう上手くふるまえない。どうしても、別れが迫っているという事実がよぎって、言葉が出ない。

「ダイチ、ひとつ、話してもいい?」

 そう切り出したソラは緊張した面持ちだった。声もいつもよりも固い。

「いいよ」

「あのね……」

 ソラが話しだしたのは、彼女の高校2年生から3年生の時の友人の女の子の話だった。彼女はその子のことをA子と表した。

 ソラとA子は高校2年生のとき同じクラスだった。休日に遊びに出かけたことはないものの、学校で顔を合わせれば会話が弾む仲だったらしい。3年生になってクラスが変わってからは、たまに廊下ですれ違えばちょこっと言葉を交わしたそうだ。独特な距離感の友達だったA子とソラの関係は、ゴールデンウィークを境に白紙に戻ってしまった。A子は誰かと目を合わせることを拒絶した様子で床を見つめて早足で廊下を歩くようになり、声をかけづらくなってしまったのだ。一回だけ、A子と目が合ったが、すぐに目をそらされてしまった。明確な拒絶だった。

 受験シーズンだからなにかあったのかもしれない。そっとしておいてあげたほうがいいのかもしれないと思ってソラはA子に声をかけなかった。

 でも、その対応が間違いだったと、夏休み明け、ソラは知ることになった。A子は夏休み中、自室のドアノブに紐を括り付けて首を吊って死んだ。原因はいじめ。理由はわからないが、壮絶ないじめにあい、それを苦に命を絶ったらしい。

「私が声をかけてれば、何か変わったかもしれない」

 ソラは強い後悔と怒りを滲ませ、今にも泣きそうな表情で唇をかんでうつむいた。助けられなかった後悔と、助けられなかった自分への怒り。鈍感な人間でもわかるほどに、ソラは自分のことを責めている。

 賢太は、ソラは悪くない、と思ったが、口には出せなかった。ソラがA子に声をかけても何も変わらなかったかもしれないことはソラ自身にもわかっているはずだ。それでも、あのとき声をかけていれば、と考えずにはいられない。一度考え始めたら、一度自分のことを責め始めたら止まらないのだ。

 ソラは賢太に顔を隠したまま、ふたたび話を始めた。

「君に話しかけたのは、あの子と同じ表情をしてたから。ここで動かなきゃ後悔する。ここで動けば、過去の後悔を消せるかもしれない。そう思ったから。ただの自己満足で、自分勝手でまったく君のためじゃなかった。私は、自分のために、君に声をかけた。利用して、ごめん」

 ソラは弱々しく頭をさげた。

「何で謝るんだよ。そんなこと、どうでもいい」

 心底どうでもよさそうに吐き捨てた賢太に、ソラは顔を上げて、罪悪感の滲む表情で反論した。

「そんなことって。君を自分のために利用したのに?」

「ああ、そんなことはどうでもいい。興味ねえよ」

 賢太はバッサリと言い捨てた。

「いいか、過程なんてどうでもいい。大事なのは結果だけ。ソラが僕の心を救ったっていう結果だけ。君がどう考えてようが、関係ねえよ。でも」

 ソラの目を見て、賢太は優しく微笑んだ。少しでも罪悪感を和らげたかった。

「高校の時の重すぎる出来事、1人で抱えるには大きすぎるやつ、話してくれてありがとう。謝罪は聞かないけど、その話だけならいくらでも聞くよ。僕も、ソラにいろいろ話して心が軽くなったから、君も好きなだけ話していいんだよ」

「許してくれる?」

「許すもなにも、まったく気にならない。心の中でどう思ってようと、僕らが友達なのは変わらないから」

「ありがと」

 震える声。潤んだ瞳。ソラは必死に涙をこらえている。きっとずっと悩んでいたのだろう。罪悪感をずっと抱えていたのだろう。

 ソラが落ち着くまで賢太は、ぼんやりと窓の外を見ていた。行きかう人々。行きかう車。冷たい都会。忙しなく動く社会。ガラスを隔てた向こう側には、向き合わなければいけない現実が広がっている。息苦しさは感じるものの、ソラと出会う前と比べたらどうってことない。ソラとの現実逃避は残り数時間。今はこの時間を楽しまなければならない。

 賢太はガラスの向こう側の世界から目をそらして、コーヒーを含んだ。


「取り乱してごめんね」

 ソラは机の上の紅茶入りのカップを両手で握りながら、恥ずかしそうにペコッと謝った。

「気にしないでいいよ。抱えてるものは吐き出しちゃえばいいんだから」

「あー、優しいね、ほんと。来世はダイチと期間限定じゃない、普通の友達になりたいよ」

「来世があったらな」

「あ、来世ないって思ってる? それともあったほうがいい?」

「悪魔の証明ってやつだな。ないともいいきれないし、あるともいいきれない」

 ソラは口を尖らせた。物凄く不満そうだった。どこに不満を感じたのかがわからず、賢太は首をひねった。

「そういうことじゃなくて、賢太自身はどう思ってんの?」

「さっき言ったじゃん」

「そうじゃなくて。聞き方が悪かったかも。来世ってあってほしい?」

「ソラはどう思ってんの?」

 あってほしい、とソラは即答した。

「ダイチと出会って友達になって、親友作って、恋人も作って、声優になって。今回の人生でできなかったことをやりたいから。で、ダイチは?」

「僕は、いらない。人間って面倒だし。嫌な思いたくさんしらから。でも、ソラがあってほしいって願うなら、友達になって欲しいって願うなら、来世もアリかな」

 ソラは嬉しそうに微笑んだ。

「そんなに嬉しい?」

「もちろん。来世は普通の友達になろう! 約束ね!」

「わかった。約束な」

 はじけるような笑顔のソラにつられて賢太も笑った。来世の約束という訪れるかどうかわからない未来の約束。鬼は腹がよじれるほど笑うことだろう。

 自分だったら思いつかない行動を取るソラを賢太は気に入っていた。自分の世界が広がるようで一緒にいるのが楽しい。特別な友達。

「あ、そうだ。ダイチに渡したいものがあるんだった」

 そう言って、ソラはカバンを漁って、小さなメモを四つ折りにした小さな四角い物体を取り出して、賢太に差し出した。『3/1』と小さな四角いスペースいっぱいに書いてあった。

「なにこれ」

「手紙。3月1日に開けてね。それ以前に開けちゃだめだよ」

「わかったけど、せめて、もっとおっきな紙にしてほしかった。なくしてもおかしくない大きさだよこれ」

 ソラはスーッと目をそらした。

「それは、まあ、ダイチならなくさないって言う信頼だよ信頼」

 早口で言い切るソラに賢太は訝し気な視線を向けた。

「突然の思い付きで、近くにあったメモに書いて中身が見えないように4つに折ったら、思ったよりちっさくなっちゃった。でも、まあ、いっか。って感じだな」

 ソラは驚いたように目を見開いた。

「すご、なんでわかるの」

「楽勝」

 賢太は財布を取り出して、その中に小さな手紙を入れた。

「ここならなくさないな。安心しろ、3月1日まで絶対に見ないから」

「ありがとね」

 ソラはふにゃっと笑った。

「でも、せめて、もっと大きな紙にしてほしかったかな」

「それは、ごめん。でも、読めるから大丈夫」

「確かに読めれば問題はないね」

「私、字汚くないから大丈夫」

「なら安心だな」

 賢太はコーヒーを飲もうとカップを持ち上げたが、すっかり空になってしまっていた。ソラのほうに視線を向けると、どうやら、彼女のカップも空になってしまっているようだった。

「これからどうする?」

「行きたいところがあるんだけど、」

 ソラはスマホの画面を確認した。

「まだ時間が早くて」

 賢太はソラが行きたい場所がどこなのかは知らない。暖かい恰好をしてきて、とだけ伝えられているから、おそらく彼女が行きたい場所は外なのだろう。その時になればわかることなので、賢太は目的地に関する質問はしなかった。

「ほかに行きたいところある?」

「あの本屋さんに行きたい。本屋さんならずっといられるし、どうかな?」

「いいんじゃないか」

 次に行く場所はあっさりと決まった。飲み物ももう残っていない。だが、どちらにも動く気配はない。立ち上がって、会計を済ませて、店を出て、本屋へ向かう。これからの行動はすべて決まっているのに、ソラも賢太も動かなかった。いや、動けなかった。2人とも椅子に縫い付けられたように動けなかったのだ。

 このカフェから出てしまったら終わりに一歩近づいてしまう。あと数時間で心地よい関係は終わる。名残惜しくて寂しくて動けない。ずっと座っているわけにもいかないのに、どうしても立ち上がりたくなかった。でも、動かないわけにはいかない。時間は進んでいるのだから。

 目が合うと、2人は目を細めて緩く笑った。

「僕たち、似た者同士だな」

「そうみたいだね」

 賢太は覚悟を決めて口を開いた。これ以上この場所に居たら笑顔を作ることができなくなってしまいそうだったから。本当に動けなくなってしまいそうだったから。

「……行くか」

「……そうだね。じゃあ、せーので立とうよ」

「わかった」

「「せーの」」

 2人はようやく立ち上がると会計を済ませ、後ろ髪を引かながらカフェの扉をくぐった。

 



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