6日目、小説は希望を創造する

 賢太とソラはカラオケの個室でソファに並んで座っていた。前回とは違い、広すぎないちょうどいい大きさの個室。ソラはちょっと残念そうにしていたが、賢太はほっとしていた。大きい部屋は落ち着かない。

 カラオケに来たにもかかわらず、マイクも用意せずに2人は座っている。モニターでは様々なアーティストがしゃべっている映像が流れている。

 ソラは一口、紅茶を飲むと、少し体を動かして左にいる賢太のほうを見た。

「あのさ」

 ソラはおずおずと口を開いた。

「ひとつ、頼みたいことあるんだけど」

 緊張した面持ちを不思議に感じつつも、賢太は「なに?」と優しく聞き返した。

 ソラは視線をさまよわせて、迷いを滲ませながらも、意を決したように口を動かした。賢太の目をしっかりと見つめながら。

「私のこと、小説にしてよ」

 ソラの目は本気だった。真剣で真面目で冗談ではないことがひしひしと伝わる。強い光をともした彼女の瞳のなかに、最後の淡い希望にすがるような弱々しい揺れる感情が見て取れた。

 ソラの言葉に含まれる力強さに気圧されながらも、賢太は彼女の強いまなざしから目をそらさなかった。真正面から彼女の感情を受け止めたい。受け止めなければいけないと感じた。

 いいよ、というのは簡単だ。でも、無責任に安請け合いすることを賢太はしたくなかった。本気の彼女に中途半端な言葉を返したくなかった。軽く流すようなことはしたくなかった。真剣にソラの感情に向き合いたい。

 彼女の決意に見合うような言葉を、必死に脳を働かせて賢太は探した。長く続く沈黙は不安を増幅させることを知っている賢太は、急いで、でも真剣に彼女の願いとの向き合い方を探した。

「いいよ、って言いたいところだけど、僕、まったく小説書いたことないよ。それでもいいのか?」

「ダイチがいいの。経験なんて求めてないから」

 一切の迷いを感じさせない言葉に、賢太は息をのんだ。

「君だから頼みたいんだ」

「僕にできると思う?」

「もちろん。ダイチなら絶対にいいものを作ってくれる」

「実績ないのに?」

「私はダイチならできるって確信してる」

 重すぎる期待と信頼。不安など一切なく、まっすぐに賢太のことを信頼している。知り合って1週間程度だとは思えないほどの厚すぎる信頼。

 賢太はこぶしを握り締めた。

 がっかりさせてしまったらどうしよう。ソラが望むことを表現できなかったらどうしよう。ソラを喜ばせられなかったらどうしよう。ネガティブな想像が次から次へと発生して、不安が心の中を占領し始めた。

 逃げたい。賢太は逃げたくなった。今すぐにこの場所を立ち去りたくなった。今の状況にふさわしくないテンションのアーティストの声が無性に腹立たしかった。大きくて純粋な信頼を裏切りたくないから逃げたい。

 一言、無理だと断れば終わる話だ。一度拒否をすればソラはきっと引き下がってくれるだろう。賢太が拒絶の意志を示せば、それ以上何も言ってこないだろう。安と恐怖に支配されそうになる。

 だが、本当にそれでいいのだろうか。簡単に断ってしまっていいのだろうか。楽な方に逃げてしまっていいのだろうか。賢太は冷静さを少し取り戻した。ソラと向き合おうと決めたじゃないか。彼女の願いと真剣に向き合おうと決めた。

 賢太はゆっくり息を吐いた。一度瞼を下ろす。ここで一歩踏み出さなければならない。ソラが勇気を振り絞って自分の願いを伝えたのだから。

 賢太はゆっくりと目を開けて、ソラの目を見つめた。彼女の目は不安で揺れていた。

「ソラの頼み、受けてもいいよ」

「ありがとう」

 ソラは気が抜けたように微笑んだ。

「よかったあ」

 ソラは安心したようにソファの背もたれに体を預けた。

「どうして、って理由聞いてもいい?」

 ソラは曖昧に微笑んで、体を起こすと、テーブルに置いてある紅茶を一口飲んだ。そうだなあ、とソラは顔を上げて、どこか遠くを見つめた。

「存在の証明、かな」

「『存在の証明』?」

 賢太は首を傾げた。

「そう。私がこの世に存在していたことの証明だよ。この世からいなくなっても、誰かの心の中では生きてるってやつ」

 ソラは微笑んだ。

「生を終えても、誰かが作った、別世界の自分が生きてるなら、その世界の自分が幸せならいいなって」

 ソラは賢太の顔を見て、「ごめん、わかりづらいよね」と申し訳なさそうに笑った。

 賢太は首を横に振った。

「そんな申し訳なさそうにしなくていいよ。ソラが言いたいのは、小説の中に自分の分身を作って、その子を幸せにしたいってことだよね?」

「そうそう。そういうこと!」

 ソラは嬉しそうに笑った。自分の言いたいことが的確に伝わると嬉しい。その気持ちが賢太にはよくわかった。だから賢太は人の言いたいことを出来るだけ正確にくみ取ろうと意識している。

「ソラの説明は悪くなかったよ。ちゃんと言いたいことつたわってきたから大丈夫」

「うまくできてた?」

「うん。出来てた」

 賢太は力強く肯定を示した。ほっとしたようにソラは表情を緩ませた。

「小説を書くのはいいんだけど、どんな話を書けばいいの?」

「2つ、頼みたいのがあって。ソラとダイチの話と、もうひとつはまったく別の話。実は、私、幼い時からの夢があって。笑わないで聞いて欲しいんだけど」

「笑わないよ」

「ちっちゃいときにね、魔女になりたいって思ったの。魔法使えてカッコよくて楽しそうだから」

「確かに魔法はカッコいいよな」

「だよね! ほんとにカッコいいんだ。強くてかわいくてカッコいい魔女になりたいって思ってた。もちろん、現実には無理だってわかってるけど、今でも魔女への憧れはあるんだ。だから、声優になりたいって思った」

 ソラは目をキラキラ輝かせた。純粋無垢な表情を浮かべた。

「声優なら、非現実的なキャラクターにでもなれるでしょ。実写でもいろんなことはできるけど、限界がある。でも、アニメのキャラクターなら、年齢も性別も現実的でも非現実的でも、どんなものにでもなれる。でも、それも無理になっちゃったんだけどね」

 ソラは声色が暗くなってしまったのを誤魔化すように笑顔を作って、紅茶をすすった。賢太は何も言わずにただ隣で彼女の言葉を待った。

「だからね、ダイチが小説家になりたいっていうのを聞いて閃いたんだ。小説の中に分身を作りだして、その子を、自分の代わりに幸せにしてもらおうって」

「それは、責任重大だな、僕」

「責任重大だよ、ダイチ」

 冗談ぽくソラは口角を上げた。

「わかった。頑張る。自分ができるだけのことをする。僕に今あるのは、大量の読書経験と知識だけ。それを執筆に活用して、ソラが望むような物語を書き上げる」

 賢太は力強く宣言した。それはソラへの誓いであって、自分への誓いでもあった。ここで言いきることで、逃げ道を塞ぐという意味もあった。期待だけさせて逃げるなんて、そんなことは絶対にしたくない。ソラが望む小説を完成させる道しか賢太には残されていない。

「じゃあ、さっそくなんだけど」

 賢太はスマホを取りだして、メモのアプリを開いた。

「どんな物語を作って欲しいのか教えて。まずはソラとダイチの話から」

 ソラは頷いた。

「私たちの7日間の話をもとにした物語を作って欲しい。でも、ダイチはノンフィクション好きじゃないでしょ。だから、7日間の期間限定の友達であるっていうところと、本名を知らないダイチとソラってところと、私、ソラが明るい女の子、っていう設定だけは変えないで、他は好きなように作って欲しい」

「了解。僕たちの現実をもとにした創作。面白そうだな。2人の関係性、不思議な友達っていうところは絶対に変えない。でも、僕の設定は変えてもいいんだよね」

「それは自由にしていいよ。私が出した3つの条件だけ守ってくれれば」

「よかった。さすがにそのままは恥ずかしいからな」

 自分自身のことを小説に書くのは、賢太には恥ずかしすぎて無理だった。小説に登場する『ダイチ』という男の設定は絶対に変更しようと決めた。変更とはいっても、自分と遠すぎる人間にすると、物語が成り立たなくなるので難しいところだ。家に帰ってじっくり考えよう。

「ソラってキャラクターだけど、僕から見たソラを作ればいいんだよね」

「そうだよ」

「でも、ソラのための物語、ソラの存在を証明するための物語なら、考え方とか本人に寄せたい」

 賢太が持つ印象だけでソラという人物を作り上げることはできる。でも、それはソラであってソラではない。ただの偽物だ。独りよがりの妄想にならないために、彼女が創造してほしい『ソラ』という人間を知りたいのだ。

「だから、答えられる範囲で僕の質問に答えてくれない?」

「もちろんいいよ。私にできることなら何でもするよ。私の話だしね」

「ありがと。じゃあ、さっそく。友達は多い?」

「多い、多かったよ」

 ソラは過去形に言い直した。

「じゃあ次ね。人に対して興味ある?」

 どうだろう、とソラは首を傾げた。

「あるといえばあるんじゃないかな……? どう答えるのが正解?」

 ソラは戸惑ったように賢太を見た。

「ごめん、難しい質問だったかも。えっと、たとえば、僕は、人に興味がない、と思う。僕の場合、人間は2つ、好きな人と興味ない人に分類されてる。好きな人は、家族と幼馴染とソラ。興味ない人はその他の人間すべて。友達もクラスメイトもすれ違った他人も同列に興味ない人。ソラは、どんな感じ?」

 ソラは考え込むそぶりを見せてから、口を開いた。

「私は、家族も友達も全員大事。クラスメイトは大事な仲間だよ。さすがにすれ違った他人は他人でしかないけど。ダイチよりは他人に興味あるって言っていいかな」

「なるほど。次は、精神的な支えってある? 僕の場合は、幼馴染、だと思うんだよね。趣味がないから、他になくて。ひとつの存在に頼るって良くないから、他に、何か夢中になれること欲しいって考えてる。例えば、小説書くこととか」

「いいじゃん。小説書くの。私は、友達と家族の存在が大きいかな。みんながいるから、毎日頑張れてると思う。友達みんな手放しちゃったら、寂しくて悲しくなったから。あと、アニメを見ることが息抜きになるかな」

「アニメか、それもいいな」

「おすすめだよ。現実逃避には最適だから」

「現実逃避か。勉強じゃなくてそのためにアニメ見るのもありだな」

「もしかして、アニメ見るとき、いつも演技のこと考えてたの?」

 賢太が肯定すると、ソラは目をぱちくりさせた。

「それは、ちょっと、真面目過ぎるというか。なんというか。そこまで熱心に勉強してるんだから、役者になったら?」

 冗談めかした言葉に、賢太は少し考えたあと、最近考えていることをソラに話してみることにした。

「実は、それ、少し考えてるんだ。実は、事務所からスカウト受けたことがあって、まだ幼馴染にも話してないんだけど、それが幼馴染のいる事務所で。いつでも連絡してきなさいって、社長さんに言われてて。でも、自分にできるかわからないし、小説家になりたいから、どうしようか迷ってて」

 1年ほど前、ソラの所属している事務所の社長と顔を合わせる機会があって、そのときに名刺を渡されたのだ。このことはまだ誰にも話していない。ソラに話すのが初めてだった。

「いいんじゃん! 事務所にスカウトされてるんだ。いいなあ。役者になれって言われてるわけじゃないなら、モデル、とかもありじゃない? あ、でも、テレビに出て演技するダイチも見て見たいな」

「なんでそんなに楽しそうなの」

「だって想像するだけで楽しそうなんだもん。ダイチは真面目だから、どこでもやっていけそうだし。ちょっとでもやりたいと思うなら考えてみれば?」

「考えてみる。って、話それちゃったな。話題戻すけど、もう一つの小説はどうする?」

「私をモデルにした魔女の話を作って。ファンタジーで、悠々自適にのんびり暮らす魔女の話」

「了解。じゃあ……」

 カラオケにもかかわらず、2人は歌うことを忘れて、小説の設定を考えることに熱中した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る