景斗との電話、友達の定義とは

 ほぼ毎日恒例の賢太と景斗の電話。時刻は午後11時半過ぎ。賢太はベッドで寝る体制を整えて、枕の隣にスマホをスピーカーにして置いている。

『お前がゲームセンター行くなんてな。苦手だっただろ』

 そう。景斗の言う通り、賢太はゲームセンターという場所が苦手だった。景斗に連れられて何度か行ったことがあるが、どうも好きになれなかった。無秩序にピカピカガヤガヤしている、無意味にテンションの高い世界観が苦手だった。自分もテンションを挙げなければならないような気がするから。

「苦手だけど、今日は色々あって、テンション低いままでも大丈夫だったから」

『えっと、大丈夫だったか?』

「うん。大丈夫。ちゃんと楽しかったよ」

『……ならいい』

 景斗の言葉に妙な間を賢太は感じたが、理由がわからなかったからスルーした。電話越しだと表情が見えない上に、声から感情も読み取りづらい。顔を見て話した方が何倍も話しやすい。気を使わなくてもいい景斗が相手だから、賢太は毎日電話してもストレスにならないのだ。

 そこで賢太はふと疑問を感じた。そもそも友達ってなんなのだろうか。賢太にとって、景斗は気の置けない友人だ。幼馴染で親友で唯一無二。対して、ソラは特別な友人。一緒にいる時間は短いけれど話しやすい友人。2人は賢太にとって友達だけど、一緒にいるときの感覚は違う。賢太はその感覚の違いに適切な言葉をあてはめようとしたが出来なかった。言葉では言い表すのが難しい。

 小説家を生業にしたいと考えている賢太は、言葉で言い表し難い感覚の正体を掴まなければならないという使命感に駆られた。単純に昔から気になっていたというのもあって、生まれてから今まで答えの出ていない問いを、幼馴染にぶつけてみることにした。

「なあ、友達と親友と恋人の違いってなに?」

『これはまた、面倒な問題を出してきたねえ』

 口では文句を言いつつも、ちょっと楽しそうに聞こえるのは賢太の気のせいだろうか。気のせいであってほしいが、明らかに浮かれている声だった。次に景斗が言うであろう言葉が容易に想像できて、賢太は小さくため息をついた。

『なに、恋でもした?』

 想像通りに茶化す景斗に、賢太は「ちげーよ」と即答した。電話越しでも鮮明にわかるほど、テンションの下がった声が電話から聞こえた。何度おなじやり取りをしているのだろう。賢太は、今度は景斗にしっかりと聞こえるように大きく息を吐いた。絶対に聞こえたはずなのに、景斗は聞こえなかったかのように呆れた声を出した。

『まあ、そうだよな。お前が恋とか、ありえないよな』

「おい、失礼だぞ」

『でも本当のことじゃん』

「それはそう。何度聞いても同じだぞ」

『わかんねえだろ。ある日突然、賢太が恋に目覚めるとか……なさそうだな」

「わかってんなら聞くな」

『恋を知らない人にそれを説明すんのって難しいだろ。感覚的なやつでしょ、あれって』

「小説の文章からなら感じ取れるぞ」

『ならそれでいいじゃん』

「あれは、文脈から読み取ってるだけで、本当に理解しているわけじゃない気がすんだよな。だから、経験者の声を大切にしないといけねえなって思うわけだ」

 文章から読み取ってる感情が正しいとは限らない。所詮、読み手が勝手に想像しているだけだ。実際に経験したことがある人の意見を聞きたい、と賢太は思っている。

『まあ、とりあえず、そうだなあ。そもそもお前がその3つのことをどう考えてるんだ?』

 質問を返された賢太は、考えたところでいい言葉が出てこないのはわかっているので、パッとたった今思い浮かんだ言葉を端的に伝えることにした。

「友達は一緒に遊ぶ人で、親友は一緒にいたい人で、恋人はドキドキする人」

『それでいいんじゃねえの?』

 景斗は今の賢太の言葉で十分だというが、賢太自身は自分の言葉に納得できなかった。自分の言葉に対して浮かんだ疑問を、賢太は思い浮かんだ言葉のまま景斗にぶつけた。

「でも、友達は友達でも、全然違う。そもそもどこから友達なのかわからない。それに、ドキドキするって何」

『1つ目の質問に関しては、お前が友達だって思う人は友達でいい。2つ目は、言葉の通り、ドキドキするんだよ』

「ジェットコースター?」

『吊り橋効果が効果あるのか俺は知らねえな』

「ドキドキのほかは?」

 そうだなあ、と景斗はしばし考え込んでから、「胸が苦しくなるとかいうよな」と思い出したように言ったあと、「俺にはわかんないけど」と付け加えた。

「わかんないの?」

『ああ。感情なんて個人差だろ』

 賢太は「胸が苦しくなる」と呟いて、言葉をかみ砕く。そして、自分の経験を思い返す。記憶をたどると、ひとつ、胸が苦しくなる出来事に思い当たった。

「会社のこと思い出すと胸が苦しくなって息苦しくなる」

『それはちげえよ』

 賢太の言葉は呆れたように一蹴された。電話越しにため息が聞こえる。肩をすくめる景斗の映像が賢太の頭に浮かんだ。

『どう考えてもそれは違うだろ。あと、それは無理に思い出すな。体調崩すぞ』

「確かに。でも、ちょっと体が震えるくらいだったから大丈夫だよ」

『いいか、賢太』

 子どもを諭すような口調。

『それを大丈夫とは言わねえの』

「生きてるから大丈夫」

 本日一番大きなため息が電話から聞こえてきた。賢太は、大変そうだなあ、と他人事のように感じた。ため息の原因を賢太はわかっているのだが、それを直そうとしても治らないのだ。考え方の根っこを変化させるのは容易ではない。

 生きてるから大丈夫。倒れてないから大丈夫。動けるから大丈夫。これらの賢太の考え方を景斗は気に入らないらしい。もっと自分を大切にしろ、と彼はよく言う。彼の言いたいことはわかる。賢太の大丈夫の基準はおかしい。賢太自身もわかっている。でも、そのくらいに考えていないと何もできない。昔から体調を崩しやすい賢太は、多少無理をしないと何もできなくなってしまう。ちょっと具合が悪いくらいで休むなんてできないと賢太は考えており、そして、その『ちょっと』の加減が幾分かおかしいのだ。

『……まあいい。ちょっとでも違和感感じたら、すぐお前の部屋に突撃するって決めてるから覚悟しとけよ』

「初耳」

『前から考えてたが、今、固く決意したんだよ。ぜってえお前またひとりで無理するだろ』

 賢太は音をたてないように、スマホがない方に体を向けた。何も言えなかった。

 沈黙を肯定と受け取った景斗はため息をつくだけで、何も言わなかった。いや、何も言えなかったのかもしれない。きっと彼の心労はいつまでも絶えないのだろうと賢太は他人事のように考えた。

「……で、恋って何?」

 強引すぎる話題の変更だったが、景斗は何も突っ込まなかった。

『……小説で読み取るだけでも十分だと思うけど』

「そう?」

『そう』

「あんまり読まないのにわかんの?」

『うるさい。俺は小説苦手なんだ。お前の演技見ると、ちゃんとそのキャラの感情を感じるから、ちゃんと読み取れてる、正しく読み取れてるってことでいいんだよ』

 “ちゃんと”を“正しく”に言い換えるあたり、賢太の性格を景斗はちゃんと理解している。正解がない問題が苦手で、正解を求める賢太に対して“正しい”という言葉を使うと納得させやすい。賢太が絶対的に信頼している景斗のみが使える技だ。

「じゃあ、そういうことにしとく」

『おう。そういうことにしとけ』

 ひとつ問題が解決したことになったのだが、もうひとつ賢太の頭には疑問があった。

「僕は、恋をしたことがないって言いきってるけど、そもそもその感情がわからないのだから、恋をしたことがないと言い切れるのかな?」

『知らねえよ』

「だよなあ。ほんと、自分でも自分が面倒だよ」

『俺だったら絶対に考えないことを考えるよな』

「芋づる式に疑問が沸き上がってくるから」

 賢太の問いには終わりはない。次から次へと細かすぎる疑問があふれてくる。自分でも面倒な性質だと考えているが、生まれながらの性質は直そうにも直せない。いつもは細かすぎる疑問は頭から振り払うのだが、話し相手が景斗だったため、遠慮なくぶつけてしまった。

『しょうがねえな。そのお前の面倒な質問を一発で解消してやるよ』

 自信満々な声が耳に入ってきたから、賢太は景斗の答えを急かした。

『俺の質問にひとつ答えるだけでいい』

「わかった」

『お前は俺にドキドキしたことあるか?』

「ない」

『つまり、お前は恋をしたことがない』

 思わず賢太は「は?」と間抜けな声を出した。彼の質問の意図もわからなければ、回答を導き出す理屈も理解不能だ。景斗の思考回路は不思議だ。賢太には思いもよらないような突拍子もない解決策を編み出す。

「説明」

『まず、お前は他人に興味がない』

「ああ」

『一目惚れとかありえないだろ。そもそも他人が印象に残らない』

「関りがないとそもそも記憶に残らねえな」

『つながりなくなると秒で忘れるもんな』

「覚えてたって仕方ねえだろ」

『友だちと連絡取れなくなっても焦らない』

「そうだな」

『でも、俺と連絡つかないと困る』

「……たぶんな」

『つまり、お前が興味を持っている人間は、家族を除けば、俺だけだ』

 賢太は肯定も否定もせず、景斗の話の続きを促した。

『つまり、恋、という感情を抱く可能性がある対象は俺だけということになる。で、お前は俺にドキドキしない』

「するわけねえだろ」と賢太がきっぱり言い切った。

『それはそれで、どうなの?』

 ちょっと寂しそうな声色に、賢太は鼻で笑った。

「お前も俺にしねえだろ」

『お前がどっかで倒れてないかな、ちゃんと生きてるかなってドキドキすることはあるな』

「それはちげえだろ」

 景斗は笑った。

『まあ、冗談はさておき。お前は恋をしたことがない。これが正しい結論である。ってことでどうだ?』

「そういうことにしとく」

『万が一、恋したら報告してね~』

「なんでだよ」

『単なる興味』

「そんな日来ると思うか?」

『思わねえな』

「だろ? お前はすぐまた恋人作りそうだな」

『作らねえよ。街中で出会うわけにもいかねえし、かといって同業者も嫌だから、仕事に専念するの。だから、一緒に住も』

「はいはい」

『……え、いいの!』

 少し間があった後で、景斗の嬉しそうな大きな声が聞こえた。おそらく景斗はまた断られると考えていたのだろう。

「うるさいから少し黙れ。取り消すぞ」

 景斗はピタリと静かになった。単純で扱いやすくてありがたい。

『で、本当にいいの?』

「いいよ。一緒に住んであげる。部屋とかは勝手に決めてていいから。家具も全部勝手に決めていいよ」

『わかった。すぐ準備する!』

「4月までにやればいいんだろ。ゆっくりでいいよゆっくりで。急ぐな」

『はーい』

「あと、眠い」

『えー』

 賢太は強い睡魔に襲われていた。景斗に文句を言われようがどうでもいい。とりあえず、すごく眠い。眠気には抗えないのだ。明日起きられなくても困るし。

「おやすみ」

『……おやすみ。また明日な』

「早い時間で頼む」

『……おやすみ』

 プツリと電話が切れた。絶対明日も同じくらいの時間に電話がかかってくる。拒否すればいいのだろうが、賢太にそれはできないのだ。なぜなら、毎日の電話は賢太のせいだからだ。

 会社でダメージを受けた賢太は、電話の電源を切って、外部との接触を断ってしまった。電源を切った翌日、生まれてからずっと一緒にいる賢太ですら初めて見るような表情の景斗が部屋に入ってきた。賢太が反応を返すと、景斗はその場に崩れ落ちた。

 その出来事があってから、景斗は毎日電話をかけてくるようになった。連絡が取れなくなったのがトラウマになったようで、電話の電源を切らないようにと賢太に何度も言い聞かせた。

 それからずっと毎日の電話が続いている。だから、自分には電話を拒否する権利はないと賢太は感じている。眠気に襲われることが嫌なだけで、話すこと自体は嫌ではないから、毎日の電話をやめたいとも思わない。

 明日も電話の音に起こされるんだろうな、と思いながら賢太は眠りに落ちた。

 




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