4日目、ファミレスでちょっとした告白
ファミレスにて。賢太とソラは向かい合って座っている。賢太が壁側でソラが通路側。前は微妙な時間帯で人がほぼいなかったが、今日は昼の終わりかけの時間でまだ人がいる。賢太の前を歩いていたソラが通路側の席を選んだのは人が苦手な賢太への配慮だろう。何も言わずに自然な流れで気を使った行動ができる彼女を賢太はカッコいいと感じた。
金曜日に顔を合わせてから、土日をはさんでしまったせいか、賢太は変な緊張を感じていた。3日間連続で、出会った日を入れると4日間連続で顔を合わせていたからか妙に久しぶりな気がしている。賢太は不審に思われない程度にソラを観察していたが、彼女はいたって普通だった。気にしているのは賢太だけらしい。今彼女は何を頼もうかと、テーブルに広げたメニューを眺めている。ページをめくる速さから、一品一品しっかりと確認していることが容易にわかる。賢太はメニューを覗き込むようなそぶりは見せずに、ぼんやりと文字を目で追っていた。
なぜなら賢太の頼むメニューは決まっているからである。ハンバーグとオレンジジュース。ハンバーグはデミグラスソースで、上にチーズや目玉焼きなどの付属物はのせない。ファミレスでご飯を食べるとき、決まってそれらを頼む。賢太が特別ハンバーグを好んでいるかと問われると、答えはノーだ。オレンジジュースについても同じで、別にその食べ物や飲み物が好物というわけではない。好きではないが、ファミレスでは必ずそれを頼むのは、ただの昔からの習慣である。それ以上でも以下でもなく、ファミレスに来たらシンプルなハンバーグとオレンジジュースを頼むとプログラムされているだけだ。
対してソラは悩まし気にメニューを眺めている。ようやく頼みたい品物を絞り込んたようだが、そこから決めかねているらしく、2つのページの行ったり来たりを繰り返している。賢太は、次に来た時に食べればいいのではないか、と思わなくもないが、待つことは嫌いではないので、食事ひとつに悩むソラを珍しいものを見るようにぼんやりと眺めていた。
どれくらい待っただろうか。とはいっても、十分はかかっていないはずだ。ソラがようやく顔を上げた。彼女はちょっと申し訳なさそうにしている。
「決めた。ごめん、待たせちゃって」
「気にしないで。待ちくたびれたとか無いから気にする必要ないよ」
ソラは顔をふにゃっとさせて、ありがと、と言った。
「ダイチは注文決まった?」
「俺は、ハンバーグとオレンジジュースで」
「ハンバーグいろいろあるけど、どのハンバーグ?」
「一番シンプルなやつ」
「オッケー。注文しちゃってもいい?」
「お願い」
ソラはパパッとタブレットで注文した。心なしか、自分が悩んでいた時間を取り返すかのような素早い指さばきだった。気にしなくていいのにと賢太は思った。
注文したものは10分と待たずに運ばれてきた。有能なロボットによって。彼は相変わらず完璧な配膳をしてくれた。さすがの安定感と正確さ。人間が上に乗せるものをミスしないかぎりは彼は完璧だ。
感心しながら賢太は料理を受け取った。ちなみに、ソラが頼んだのは、トマトとチーズのパスタだ。緑の物体、たぶんパセリがちょこんと飾ってある。
2人は冷めないうちにすべてを食した。普通においしかった。食べている最中、賢太はちらりとソラに目を向けた。見てることがばれたらいささか気まずいので、不自然にならないように、気づかれないように気をつけながら。彼女は美味しそうにパスタを頬張っていた。感情を隠すことを知らない子どものようだった。それがどこか幼馴染を感じさせて、ちょっと可笑しかった。どうやら自分が心を許せるのは、子どもっぽさを持つ人間らしい。
そういえば、賢太は思う。ソラはナポリタンが好きと言っていた。今日はトマトのパスタ。彼女はナポリタンだけではなく、パスタも好きなのだろうか。たまには自分から声を出してみるのもいいのではないか。ちょうどいい話題を見つけたので、賢太はさっそく口に出してみた。
「ソラはナポリタンとかパスタとか、麺類が好きなの?」
紙ナプキンで口を拭っていたソラは、それを丸めながら口を開いた。
「麺類がなんでもってわけじゃなくて、洋風かつトマトの麺類が好きなんだ」
「そうなんだ」
はい。会話終了。賢太は納得した声を出すだけで、それ以上の意味がある文章を発声することはできなかった。ここからどう会話を広げるべきかわからなかったから。自分から話題を提供した手前、どうにか会話を続けなければ。幼馴染以外で、自分から話すのが久々すぎて賢太は変に気負ってしまい、脳みそが普段の10分の1も働かなかった。
だが、気まずい沈黙は訪れなかった。なぜなら、会話の相手が、賢太とは比べ物にならない会話スキルを持ったソラだからだ。
「ダイチは、ハンバーグ好きなの? メニュー見ないで決めてたじゃん」
「いや、好きではないよ。嫌いでもないけど。普通かな」
「じゃあ、なんでそんな悩まないの? 私、ファミレス来ると何頼もうか悩んじゃうんだよね」
「この前は悩んでなかったよね」
映画終わりにファミレスによったとき、ソラはあまり時間をかけずに頼むものを決めていた。出会ってからの行動を思い返してみても、優柔不断という印象はまったくない。
ソラは紅茶を一口飲んでから話し始めた。
「あのときは、メニューを見てすぐに、ティラミス食べたいって思ったから。でも、普段はそんなすぐに決まらないよ。特にファミレスだとね。小さい時からたまに親にファミレスに連れて来てもらって」
ソラは懐かしむように目を細めた。声色もいつもに増して柔らかい。
「小さい時のわたしにとっては、ファミレスって遊園地みたいな感じで、わくわくするところだったんだ。毎日毎日来れるところじゃないから、これがいいかな、あれがいいかなって、いっつも考えてた。その考えるのが楽しくて、食べるのが嬉しくて、でも食べ終わるのは悲しくて。ひとつしか頼めないから、後悔しないようにしっかりと選んでて、その癖が今も抜けないんだ。大人なのにね」
ソラは笑いながら紅茶を口に含んだ。その笑みに自嘲が見て取れて、賢太は思わず声を出した。
「大人でも悩んでいいでしょ。日常、楽しいのが一番。誰にも迷惑かけてないから、自由でいいんだよ。少なくとも僕は、待ち時間、全然苦じゃなかったから。そこまで長くないし。大人になったからって、童心を忘れる必要はなくて、むしろ忘れないでその感情を大事にしてほしい。僕なんて、昔から冷めきった子どもだったから、ソラみたいなわくわくとかがあんまなくて、だから、それは大事に持っててほしい」
ソラは目をぱちくりさせていた。我に返った賢太はバッと下を向き、ごめん、と一言こぼして、カップに残ったコーヒーをグイッと飲み干した。しゃべりすぎた。鬱陶しく思われなければいいけど。賢太は落ち着かなかった。しゃべるのは嫌いではないけれど、人に意見するのは避けてきた。幼馴染は例外だが。自分が不要なことを言ってしまう可能性があるから。
いつまでも下を向いているわけにはいかない。恐る恐る顔を上げると、ソラは嬉しそうに口角を上げていた。賢太はほっとした。どうやら気分を害してはいないらしい。変なことを口走ってしまったが、人間関係に悪影響を与えるような変な言葉ではなかったらしい。
「ごめん、変なこと言っちゃったかも」
ソラはブンブンと首を横に振った。
「変じゃないよ。むしろありがたい。ダイチの言葉、全部嬉しかったから」
「ほんと?」
「もちろんほんと。年を重ねて、子どものときは気にならないけど、いつの間にか成人って言われる年になって、それを自覚した瞬間の変な焦りがあって。ある日を境に急に大人って言われて。大人になんなきゃって思うけど、大人って何かわからないし、自分はずっと子供っぽいし。まったく大人っぽくならないし」
「突然大人になんて誰もなれないよ」
「でも、まわりの人たちはしっかりしてて、ダイチだってしっかりしてるように見える」
「そうか?」
賢太は驚いていた。まさか自分がしっかりしてるように見えていたとは微塵も思わなかった。自分がしっかりしてるなんて思ったことは一度もない。変なミスしたり、人間関係下手だったり、環境に馴染めなかったり。ダメなところばっかりだ。自分はしっかりなんてしていないとソラに伝えると「そんなことないよ」と返ってきた。
「最初は死にそうだなって思ったけど、ちょっとずつ生きてる人間だなって安心できるようになってきて。日々成長してる、って上から目線かもだけど、そう感じて。落ち着きも感じるし」
「僕、そんな高評価でいいのか? ソラにしたことって言えば、重めの相談くらいだぞ」
「それでも高評価なの。賢太みたいな落ち着いた人になりたいな」
「僕はソラみたいな感情豊かな人間がうらやましいよ」
「これって、ないものねだりってやつかな?」
「ああ、そうだな。ないものねだりだよ」
2人は目を合わせて噴き出した。お互いにお互いのことを羨ましいと感じていたらしい。ないものねだりはしてもどうにもならないけど、ついついしてしまう。自分にはないものを持つ相手に憧れを持ってしまう。こればっかりはどうしようもない。感情の発散は制御できても、感情の発生は制御できない。
ひとしきり笑ったら、空気が温かくなったと賢太は感じた。決して冷たかったわけではないが、賢太は変な緊張を感じていた。それが一気にほぐれたから、きっとそう感じたのかもしれない。それに、心の距離がグッと縮まった気がする。これはきっと賢太の気のせいではないだろう。
賢太は数十秒考えて、ソラにならあれを言ってもいいのかもしれない。絶対に笑わないで真剣に聞いてくれる。きっと、絶対に大丈夫だ。賢太は静かに大きく息を吐いた。
「ひとつ、相談したいことがあるんだけど、聞いてくれる?」
もちろん、とソラは柔らかく微笑んだ。
「実は、最近、というか高校生の時からなんだけど、本がほとんど読めくなっちゃったんだ」
「最近は全然読んでないってこと?」
賢太は横に首を振った。
「読んだことには読んだけど、それは全部幼馴染に読めって言われた本。景斗が出てる作品の原作だけ」
ここで賢太は一呼吸おいた。
「……変な感覚なんだけど、この日までに読めってほぼ命令? みたいに言われたら、読める。読まなきゃ読まなきゃって思うと読める。でも、読みたいって思っても読めないんだ。どうしても、本を読むってことに罪悪感みたいなのを覚えちゃって」
「罪悪感?」
ソラは頭にハテナを浮かべた。それはそうだろう。だって賢太にすら意味が分かっていないのだから。当事者にわからないのに理解してもらうのは難しいことだ。
「僕自身にもこの感情が理解できないんだけど、高校生の頃から徐々に酷くなってって、最近は部屋に読んでない本が大量に積まれてるんだ」
「そうなんだ。本のほかに、ゲームとか何か娯楽的なのはしてる?」
「ゲームは興味なくてしない。音楽は沈黙が耐えられない時にかけて、アニメは幼馴染に言われたやつだけ見てる」
「そっか。……なんか、罪悪感的なものが生まれないことってなに?」
「勉強してるときだけ」
賢太は即答した。賢太がぐちゃぐちゃで苦しい感情から完全に解放されるのは、勉強している間だけ。勉強している間は目の前の問題にだけ集中すればいい。賢太を悩ませる重くどんよりした感情は、勉強している間のみスッキリと消え失せる。
「勉強してると、それ以外がどうでもよくなって、スッキリすんだよね」
「勉強してないとイライラする?」
「どうだろ……。でも、今はもうそこまで必要ないのに、勉強しなきゃって思うことは多々ある」
「そっか。きっと、ダイチの最優先事項が勉強なんだね」
「最優先事項?」
「そう。ダイチの中でこれは絶対にやらなきゃいけないっていうこと。それが強すぎて他のことができなくなっちゃってるんだよ」
柔らかい口調に反して、ソラの言葉には説得力があった。彼女自身も自分の言葉に自信を持っているようだ。
「私もね、ダイチほど重症じゃないけど、そういう経験あるんだ」
あっさりと告げられた言葉に賢太は驚きと共に安心感を覚えた。自分だけではない。理解してくれる人がいる。賢太は唇をかみしめた。ひとりじゃないという事実が心のおもりをひとつ減らした。
ソラは懐かしむように口を開いた。
「声優になりたくて、毎日練習してたの。一日も欠かさずにね。体力つけて、活舌鍛えて、絶対に夢をかなえたくて。高校生の時からかな。いつの間にかそれが習慣になって、やらないと落ち着かないって感じになって。勉強に追われる日も、必ず練習はした。自分で決めた一日のノルマをしっかりと終わらせないと、気持ち悪くて気持ち悪くて仕方なかった。今日は休もうかなって思っても、少し経つと、やらなきゃって気持ちに急かされてやらざるを得なくなる。体調悪くても、何がなんでもやってた。たまには休養も大事だと思うんだけど、上手くできてなかったかな。今でも、毎日やってる。やめられなくなっちゃったんだ」
ソラはダイチのほうをしっかりと見た。
「ダイチは、どうしてだかわかんないけど、私にとっての練習みたいに、勉強がやめられなくなっちゃたんだね。残念ながら解決方法はわからない。ときが経てば解決するかもしれないし、しないかもしれない。勉強に対する感情を別の何かに移動させられればいいんだけどね」
「本当に、そうだよなあ。そろそろ勉強以外もしたいんだけどなあ」
「やっぱり本たくさん読みたい?」
賢太は深々と頷いた。
「たくさんたまってるからね。読めないのに、気になる本をたくさん買っちゃうんだよね」
「わかる。気になると買っちゃうよねえ。これ以上買ったら読むの大変だぞって思っても買っちゃう。置くとこなくなっちゃうって思っても買っちゃうし、手元に置いておきたい本だらけだから、捨てるとか売るとかできないんだよ」
ソラは言葉を切ると、突如考え込むようなそぶりを見せた。数秒黙り込むと、「今、いいこと思いついたんだけど」と嬉しそうに賢太をまっすぐ見つめた。ソラは話したそうにうずうずしている。よくわかんないけれど、とりあえず賢太は話の続きを促した。
「あのさ、小説家になりたいって言ってたじゃん」
「言ったね」
「なら、小説を読むための勉強ってことで、小説の書き方が知れる本を何冊か買って読んでみればいいんじゃない?」
「確かに」
賢太は目から鱗だった。
「でも、うまくいくかな」
「将来のための勉強ってことでいけるでしょ。あとは、これは勉強だって自分に言い聞かせることじゃない?」
「なるほど」
賢太はしばし考え込んだ。ソラが提案してくれたことを実行してみる価値はある。勉強しかできないなら勉強をすればいい。その勉強が学校の勉強である必要はない。机に向かって手を動かさなければならないのならば、小説の書き方を学べるワーク的なものを試してみればいい。暗闇から抜け出す光が見えてきた。
「ありがとうソラ。どうして今まで思いつかなかったんだろう」
「見方を変えるって難しいことだよ。さて、そうと決まれば、本屋さんに買いに行こう!」
「売ってるかな?」
「もし売ってなかったらネットで買おう。とりあえず探しに行こう」
言うや否やソラは元気よく立ち上がった。伝票を持ってレジのほうへ歩き出したので、賢太はおいて行かれないように慌てて立ち上がった。小さな背中を追いかける賢太の足取りは軽かった。
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