日曜日、幼馴染からの思わぬ誘い
賢太の部屋にて。
「あ、そうだった、一緒に住まないか?」
「は?」
景斗からの突然の提案に賢太は普通に驚いた。軽い調子で言われた言葉に耳を疑った。きっと誰でも戸惑うことだろう。近況報告的な他愛のない雑談の合間に紛れ込んだ、二つ返事をするわけにもいかない誘い。そんな思い出したように、ちょっとそこまでいかね? みたいに言う言葉では断じてない。少なくとも賢太はそう思った。どうやら景斗は違うらしいが。
それに確か景斗には彼女がいたはずだ。今もいるならば、賢太の存在は彼らの邪魔になるだろう。確認が必要だ。
「お前、彼女いなかったか?」
今をときめく若手イケメン俳優の景斗には、賢太が知る限り、2か月前まで同業者の彼女がいた。美男美女カップルで誰もがお似合いだと言うだろう。祝福されるかは別として。もちろん週刊誌には取られていない。じゃあなぜ賢太が知っているのかと言うと、もちろん景斗がベラベラと喋ったからだ。
「ああ、あれね。別れたけど」
「早いな。せっかく1年ぶりに彼女出来たのに、3カ月くらいで別れたのか?」
「いや、好きだったよ。好きだったけど、お互い忙しすぎてまったく会えなくて自然消滅!」
スパッと言い切った景斗からは未練が一切感じ取れなかった。これは昔からなのだが、付き合う前と付き合ってるときは大好き全開の癖に、別れた瞬間スッパリと、恋心が幻だったかのように、彼女に対する気持ちをきれいさっぱり忘れている。恋愛経験がゼロの賢太にはわからないが、さすがに切り替えが早すぎるのではなかろうか。
「じゃあ、どっちがふったとか無いのか?」
「一応、俺から、『まったく会えないから別れよう』とは言ったよ。お互い同じ気持ちだったらしい。だって、3カ月の間で、会えたの2回だけだぞ。付き合う前のほうが顔見てたよ」
「うわ……、そりゃあ大変だな。見事なすれ違い生活」
お互いに多忙すぎて、すれ違うときはとことんすれ違ってしまうらしい。仕組まれているのかと思うほどスケジュールが合わなかったようだ。さすがに可哀そうだなと賢太は感じた。
「だから、これからはもう仕事しかしないって決めた!」
勢いよく宣言する景斗を、賢太はどうでもよさそうに頬杖をついて眺めている。
「それはご自由に」
「というわけで、一緒に住も!」
「どういうわけだよ」
「実は、4月から両親が母さんの実家に住むことになって、それで今住んでる部屋を引き払うことになって。これは知ってるだろ?」
賢太は首を縦に振った。景斗の両親が仕事をやめて田舎に引っ越すことは、賢太は2か月前に彼から聞いた。景斗の母親の母親、つまり景斗の祖母が一人暮らしになってしまい、それが心配で景斗の母親は実家に戻ることを決めたらしい。最初は母親のみが実家に戻ることになっていたらしいが、何があったかは賢太は知らないが、最終的に景斗の父親もついていくことになったらしい。それで、今住んでいる部屋は景斗ひとりで暮らすには部屋が多いから引っ越すことになった。
「で、引っ越し先探してるんだけど、一人暮らしはなんか嫌で、一緒に住まない?」
「えぇ」
「いいじゃん。お前が大学生で1年間だけ一人暮らししたとき、仕事が少なくて暇だった俺が週に5日くらい行って、家事全部してやったんだから、その時の借りを返すつもりでさあ」
「『気にするな』とか言ってたくせに」
「使えるものはすべて使うべきだと俺は思う」
「大学行ってたときのことを持ち出されたらなんも言い返せねえんだけど」
大学の1年生の賢太は景斗に感謝してもしきれないほどの恩がある。
賢太は大学を選ぶとき、実家から通える距離にあるかどうか選んだ。実家から通学可能な大学でなければ4年間通学して学修に励むのは厳しいと感じたからだ。
すぐに賢太の条件にほとんど合う大学は見つかった。他にも大学を調べてみた結果、そこ以外ないという結論に至った。だが、ひとつ問題があった。それは、1年生のあいだだけは1人暮らしせざるを得ないということだ。大学には複数のキャンパスがあり、それぞれの距離は離れている。2年生からは実家の近くのキャンパスでいいのだが、1年生のあいだだけは必ず実家から離れた場所のキャンパスに通わなければならなかった。それでも、そこ以上に賢太の条件を満たす大学は見つからなかったので、1年だけ頑張ればいいと思って、最終的にはそこに決めた。
だが、賢太が脳内でシミュレーションした通りにはいかなかった。2か月足らずで賢太は挫折した。一人暮らしに。最初はうまくいっていた。賢太の考えた通りに家事をこなし学修をこなした。しかし、4月が終わる頃には、慣れない環境への疲れが出たのか、家事が思い通りにはいかなくなり妥協せざるを得なくなった。ゴールデンウィークで実家に戻り少しは回復したものの長くは続かず、5月が終わる頃には精神的にも参ってしまっていた。
その時に賢太を助けてくれたのが景斗だ。当時は仕事がほとんどなく、暇だったため、多いときは週5で家に来て家事をやってくれた。いつの間にか景斗用の布団が置かれていたのには驚いたが、家に人がいて話を聞いてくれたことで賢太の心は軽くなった。景斗のおかげで約1年間の一人暮らしを乗り越えられたと言っても過言ではない。暇な幼馴染がいなかったら、大学を途中で諦めていた可能性もある。
だから、大学の1年生のときのことを持ち出されたら賢太は何も言えなくなってしまうのである。
「ま、それは冗談だけど、1人暮らしって絶対に寂しいからさ、ほら今は同じマンションだけど引っ越したら今まで通り会えなくなるし、だから一緒に住んでくれない?」
景斗は軽い調子で言ったが、きっと寂しくて不安なのだろうと賢太は思った。自分も一人暮らしを少し経験したから景斗の気持ちはよくわかった。今までずっと近くにいた人たちと離れるのは想像以上に堪える。景斗の仕事のストレスと彼の性格を加味すると、仕事に支障が出る可能性も否めない。
そこまで考えても賢太は首を縦に振ることができなかった。いっしょに住むこと自体は別にいいのだが、どうしても気が乗らない理由があった。
「一緒に住まなくても、たまに行ってやるよ」
「それなら一緒に住むでいいじゃん」
「僕、働いてないし……」
「家賃光熱費諸々、生活費は俺が出す」
「そうしてもらう価値は僕にない」
「ある!」
景斗は怒ったように強く断言した。
「お前はいつもいつも自分を卑下するようなことばっか言うけどさ、それ俺がムカつくからやめろっていつも言ってんだろ」
「……悪かった。けど、それでも、お前にメリットあるか?」
「たくさんあるぞ。一人暮らしじゃなくなることが一番。知ってるだろ、俺が一人苦手なの」
それはもちろん。賢太は肯定した。景斗のことなら何でも知っている。寂しいのが嫌だから彼女を作っていることも知っている。
「彼女を連れ込めなくなるぞ」
「言っただろ、仕事に専念するって」
「あれ本心なんだ」
「当たり前じゃん。隠しながら付き合うの疲れるし、それに、ちょっとやべぇ女に引っかかりそうになったから」
「なにそれ」
「最近なんだけど、女の子に声かけられて、好みの子だったんだけど、言葉の端々から、なんというか、ヤバそうな気配を感じて逃げた。誘惑に負けてたら、絶対に週刊誌に売られてた」
「ダサ」
「引っかかってねーよ。というわけで、もう二度と彼女作らねえ。仕事に専念して、すっごいやつになる」
声高らかに宣言する彼に賢太は呆れたような視線を向けた。極端すぎる。でも、景斗にとってスキャンダルは致命傷だから、そうなっても仕方ないのかもしれない。仕事に少なからず支障が出ることからはできるだけ距離を置きたいと考えるのは自然なことだろう。
「もし、お金のこととか気になるって言うなら、家事全部やってくれたらチャラでどうだ?」
「人並みにしかできないぞ」
「いいよそれで。忙しいとどうしてもさぼっちゃうだろうから、やってくれる人がいるとありがたい。そんで、たまに料理してくれるとありがたい」
「したことねえぞ」
「それでもいいよ。俺だって、料理まったくしたことないのに賢太に料理作ってたんだから、お前もやればできる。レシピ見て作ればなんとかなるでしょ」
「そう?」
「そう」
「まあ、考えとくよ」
「……うん」
オッケーしてくれないんだ、と言いたげな微妙な間があった気がするが賢太はスルーした。飲み込んだであろう言葉をわざわざ吐き出させる必要はない。
「絶対に忘れんなよ」
「はいはいわかったよ」
「ならよし。そんで、新しくできた期間限定の友達とはどう?」
「普通だよ」
「普通とは?」
「普通だよ」
「わかった。普通なんだね。でも、表情とか前より回復しててよかったよ」
「え?」
「全体的に闇のオーラが薄くなってきて、いつもの賢太に戻りつつある」
賢太は思わず「そうなんだ」と他人事のように驚いてしまった。景斗が言うならば回復しているのだろう。思い返してみると、寝る前の憂鬱と寝起きの憂鬱が弱くなってきている。相変わらず自分のことを責めてしまうのだが、期間限定の友達ができる前と比べると、明らかに刃が鈍っている。いい傾向だ、とやはり賢太は他人事のように思った。
賢太が他人事のように自分の現状を見つめていると、バシバシと右肩を叩かれた。いや、ぺしぺし、かもしれないとどうでもいいことを考えながら、隣の幼馴染を止めるべく賢太は声を出した。
「どうしたのか知らねえけど、とりあえずやめなさい。言葉にしろ、言葉に」
攻撃がピタリとやんだ。今回は物分かりがいい。そこまで重要なことではないのかもしれない。賢太は内心ほっとした。
「だって、いきなり現れた期間限定の友達とやらのおかげで賢太が元に戻りつつあるのが悔しい」
「悔しいってなんだよ」
「俺が賢太と一番仲がいい友達、いや、親友なわけでしょ。それなのに、出会ったばっかの人のほうが、助けになってるのが悔しい」
賢太には景斗の感情がよくわからなかった。本気で悔しがっているのはわかる。でも、その原因がいまいちよくわからない。彼が小説の登場人物だったなら理解する術はあるのだが、現実世界の人間相手では賢太の読解力は働かない。
わからなくても、とりあえずなにか言葉を返そう。そう思って、賢太は自分の感情を探り、それらしい言葉を選んで景斗に伝えることにした。
「それは、知りすぎてる人より、まったく知らない人のほうがいいこともあるっぽいな。それに、あの子は期間限定だから、余計に話しやすいんだよな」
「わかるようなわからないようなって感じだけど、悔しい。でも、一番の友達は、俺だよな」
「はいはいそうだよ」
「ほんと?」
「うるさ。僕に友達出来たくらいで……」
「そういうことじゃないんだよな」
わかってないと言わんばかりに肩をすくめる景斗。賢太は首を傾げた。
「一番仲いいと思ってたのに、自分じゃ駄目だったっていうのがちょっとヤなだけ」
「わからない」
「だろうな」
景斗は諦めたように笑った。昔からなのだが、ちょくちょくお互いに分かり合えない部分がある。根本的に物事の見方が違うのだろうと賢太は感じている。物事をプラスに考える景斗とマイナスに考えてしまう賢太。理解しあえない部分があることを理解して付き合っているので、意地になって自分の感情を理解させようとはしない。ただ知ってもらえていればそれでいいのだ。
「まあ、期間限定だし、よくわかんないけど、安心しろ」
「うん。わかってないね」
ここでこの話は終わり、話題は景斗の仕事に関することに移り、時間が許すかぎり昔と変わらない時間を過ごした。
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