3日目、初めて聞く歌声と夢
3日目、駅で待ち合わせて2人でカラオケに向かった。受付で案内された番号の部屋は2人だけでは持て余してしまうほど広い部屋で、賢太は一瞬入るのを躊躇った。ソラのほうはというと、立ち止まった賢太の横から部屋をひょこっと覗いて、その部屋の広さに目を輝かせながら躊躇なく軽い足取りで中に入った。賢太はさすがに広すぎるのでは……と思いつつも広すぎて困ることはないので、ソラの後に続いて足を踏み入れた。
ソラはマイク2本と曲を入れるタブレットを手にルンルンでソファに座った。賢太がどこに座るべきか悩んでいると、こっちこっちとソラが手招きをしてくれた。
だだっ広い部屋に2人並んで座る。なんだか落ち着かない。人がいっぱいになっていたらいたで別の意味で落ち着かないのだが。もし次に来るとしたらその時は小さな部屋がいいと賢太は思った。左に視線を向けると、ソラは部屋の広さを気にする様子なく楽しそうに曲を選んでいた。
視線に気が付いたのか、ソラが賢太にタブレットの画面を向けた。
「なんか歌う?」
「いや、先に歌っていいよ。歌いたいでしょ」
「ありがと」
「ずっと歌っててもいいよ」
「え~、ダイチの歌も聞いてみたい」
「下手だよ?」
「うまい下手はどうでもよくて、一緒に楽しみたいだけ。まあ、歌うの嫌いなら無理強いはしないから」
言葉とは裏腹に、『ダイチの歌声が聞いてみたい』という強い願望が隠しきれていない。ソラの顔からしっかりと伝わってくる。隠そうとしていることも感じ取れる。
「嫌いではないから歌ってもいいけど、本当に上手くないよ」
念押し。
「あと、歌聞いても気使ってうまいとか言わないでね。むしろはっきり言ってほしい」
「わかった!」
きっとソラはお世辞を言わないだろう。賢太はそう確信出来てほっとした。これで気兼ねなく歌える。賢太は歌うことが嫌いではない。だが、上手くも無いしヘタクソでもなくて微妙だから、幼馴染の前以外で歌うのを躊躇う。気にしなくてもいいのかもしれないが、気を使わせてしまう気がしてどうも気が乗らない。
「じゃあ、私から歌うね」
そう言うとソラはマイクを持って立ち上がり、空いている空間に移動した。堂々とした立ち姿。きっと2人だけだから緊張もないのだろう。賢太は興味をともした眼差しで彼女を見つめた。
歌声を聞いた瞬間、賢太は目を見開いた。上手い。まず声の出し方から普通ではない。アーティストのような声の響きで、もちろん音程も取れている。聞き取りやすい声、聞き取りやすい発音。賢太の記憶が正しければ、今ソラが歌っている曲はボカロ。しかもテンポが速い曲だ。それをキレイに聞き取りやすく、音程もあわせて歌えるなんて。賢太はソラの歌声に聞き入った。
あっという間に一曲終わった。一瞬だ。賢太はパチパチと拍手をした。
「すごいな。うますぎる」
ソラは頬を触りながら視線をそらした。
「ありがと。久々に人前で歌って緊張した」
「全然そんな風には見えなかったよ。堂々としててよかった」
そこで賢太はふと思う。立ち振る舞いが素人のそれではなかった。歌声に気を取られていて立ち姿なんて気にしている場合ではなかったが、思い返してみると、ステージに立ち慣れた人の動きだった。カラオケだからか動きは控えめだったが、確実に舞台に縁がある人間であろう。
「もしかして、ステージに立ち慣れてる?」
「慣れてるといえば、慣れてるかな。でも、演劇と、あとは昔、中高の6年間、歌習ってて、その発表会で年に何度かライブやってたくらいだよ」
「すごいな」
「そんなにすごくないよ」
ソラは賢太の隣に腰を下ろして、マイクを差し出す。
「はい、次は歌って」
賢太はさっとマイクを受け取った。
「何歌おう……」
「どんな曲普段聞いてる?」
「……ボカロとかアニソンとか流行りの曲とか適当に流してる。特に好みはないんだよね」
無音の空間に耐えられなくなったとき、賢太は音楽を流す。『音』を求めているだけだから、曲自体はどうでもいい。ただ無音状態から脱したいだけ。すっからかんの空間を満たすためだけの音。だから好みはない。好みはないけど、音楽を流すには何かしら検索しなければならないので、『ボカロ』とか『アニソン』とか『流行りの曲』など思いついた文字を入れている。
「そっかあ。いつも何歌うの?」
「いつもは幼馴染に勝手に入れられて歌わされてる」
「なるほど。それなら……」
ソラはパパッとタブレットを操作して、その画面を賢太に向けた。表示されているのはアニソン。
「これ、歌える?」
「歌ったことはないけど、このアニメ見てて何回も聞いてるから歌えると思う」
「フル大丈夫そう?」
「フルも何度も聞いてるから大丈夫」
「じゃあ決定! 私がさっき歌ってた場所で歌ってよ」
「えぇ。いいんだけど、下手なのに?」
「下手でも何でもいいよ。全力パフォーマンスよろしく!」
「勢いで何でもやってくれると思ってる?」
「ダイチならできるよ」
「いつも座ってなんとなく歌ってるだけだから……」
「物は試し。ミュージシャンの役のつもりで」
「無茶ぶりだなあ。役って言われても、何を参考にすれば……」
「めっちゃ堂々歌ってる人にしよう」
「ざっくりだなあ。いいけどさ……」
ソラが選んだ曲はカッコいい曲。途中にセリフもある。演劇をやっていたと賢太が言ったからこの曲を選んだのだろう。やるなら中途半端はない。全力でやらなきゃ恥ずかしいことになる。
「準備できた?」
「やってみるけど笑うなよ」
「それは絶対ないから安心して。……はい、いれたから、気が変わらないうちにステージへ行った行った」
賢太は追い出される形で、歌うために空いている空間へ。曲が流れ始める。聞きなじみはある。音を思い出す。背筋を伸ばして立つ。堂々と。前を向いて。自信を持って。自分はプロ。自分はプロだ。人前に立つのは慣れていて、幼馴染のような魅せるパフォーマンスができる。賢太は設定を自分に言い聞かせる。
息を吸う。
歌い出しのタイミング成功。音程は微妙。修正は可能。後は流れに身を任せる。体を動かすことを意識する。表情も管理。セリフは完璧。
体の隅々まで意識を巡らせながら、賢太はなんとか最後まで歌い切った。横目で採点を確認する。結果は78点。うん。微妙。でも、ぱちぱちと拍手が聞こえてくる。
「……はあ、疲れた」
のろのろとさっきまで座っていた場所に戻る。
「すっごいよかった」
ソラの声からは心の底からの称賛が感じられる。
「歌、確かに上手くはないけど、下手でもないじゃん」
「微妙でしょ」
「聞けるから大丈夫!」
「まあ、ソラがいいならいい」
「あのさあのさ、本当にセリフ上手かった。なんか、生きてるって感じがした。ぶわあって鳥肌立った。演技が舞台じゃなくて、声優って感じがしたんだけど、もしかして養成所的なとこ行ってた?」
「行ってないよ」
「ほんと?」
「ほんと」
「独学?」
「ほとんど独学」
ソラは言葉を失ったようで、驚きの表情のまま止まっている。
そこまで驚かれるとは賢太は思わなかった。賢太の演技はほとんど独学である。ひたすら演技を見て学ぶ。ドラマ、アニメ、映画の演技を観察する。声色、口調、表情、息遣い、体の動き、間の取り方まで細かく観察する。観察をしたら真似をする。キャラクターの背景を考えながら演じる。その繰り返し。幼馴染のレッスンの感想から学ぶこともたまにある。
賢太は演劇を高2の3月でやめた。そのあとは舞台に立ってはいない。だが、演技の実力は衰えることはなかった。なぜなら、幼馴染の練習に付き合っているから。現在進行形で。だから、実力は衰えるどころか右肩上がりだ。必要ないのにメキメキと演技力が向上している。幼馴染には羨ましがられて尊敬されて助言を求められ続けている。彼曰く『賢太は演技の師匠』らしい。もっと身の回りにすごい人がいるのではと思わなくもないが、賢太がそう言っても無意味なので諦めている。
そして、幼馴染と同じような視線を現在進行形でソラに向けられている。そのキラキラした瞳に抗う術を賢太は知らない。
「独学でできるもんなの?」
「なんか、できた」
「やっぱ才能の差か……。羨ましい。声優を目指してた身としてはちょっと、いや、すごく嫉妬する」
「そう言われましても……」
「まあ、しょうがないよね。今からでも声優とかやろうと思わないの?」
「思わないかな」
「幼馴染くんと同じ演技をする人にはなりたくない?」
「……そうかな。今の距離感を崩したくない。そう簡単に崩れないと信じてるけど、怖い。それに、僕はその世界のストレスには耐えられない気がする」
「そっか。そういうのもあるか。なんか、他にやりたいこととかあるの?」
「小説書きたいかな」
賢太は驚いた。なぜかスルッと小説家になりたいことを言ってしまった。幼馴染にすら高校のとき一回だけしか伝えたことないのに。不思議と何の抵抗もなくスルッと言葉にできてしまう。
「いいじゃん。書きなよ」
「僕にできるかな」
「できるよ。きっと」
「根拠がない」
「なんとなくそう思ったから。私の直感を信じてみるのはどう?」
「気が向いたらな」
「題材思いつかなかったら、私のこと小説にしてもいいからね」
ソラは冗談めかしてそう言った。
「検討しておくよ」
「さて、次何歌おうかな」
「僕は当分パス」
「歌ってはくれる? さっきのすっごくよかったからまた聞きたい」
「30分に一回なら……」
「じゃあ、私が6曲歌ったら次ダイチね」
「一曲5分もないだろ……」
「細かいことは気にしないの!」
「はいはい。いいよ。曲はソラが選んでね」
「わかった! 全力でプロデュースするから」
2人は顔を見合わせて笑った。
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