一つの体を共有するということ
SNSで俺たちの毎日を発信していると、友人などから「楽しそうだね」と言われることがある。俺と他人格のやり取りが面白いらしい。俺が大変さをあまり出さないせいもあると思う。
だが、俺にとって他人格と一つの体を共有することは、楽しいことではない。他人に自分の体を乗っ取られて、好き勝手やられるわけである。
俺にとって大事な友人に、勝手に嫌いと伝えていたり、絶縁されていたことがあった。節約しているのに勝手にアイドルグッズを買われていたり、アクセサリーが増えていたりもする。知り合いらしい人から声をかけられても誰か分からなくて、気まずい思いをしたりする。
何より思考の同一性がなく、記憶も曖昧な為、良好な人間関係を築くのが難しい。
基本人格には20年来の友達がいるが、俺からすれば初めましてに近いところもあり、相手に病気を隠しているため、「この人は誰だろう」と不思議に思いながら会話をしてたりする。
この間は俺の友人に、別人格が「あなたは誰?」と言ってしまい、友人を傷つけてしまった。申し訳ないことをした。
病気を知らない他人からすれば、一貫性のない気まぐれが過ぎる人間に感じられるらしい。ニコニコしてたと思えば怒り出すのだ。近寄りたくない相手だろう。
また、他人格と一つの体を共有するということは、自分がした覚えのないことに対しても責任が伴うということである。
昔、破壊人格が表に出てきていた時、特に理由もないのに「なんとなくイラついたから」で新車を車庫にぶつけられたことがある。
仲のいい執筆仲間に「地獄に落ちろ」と勝手に言われたこともある。執筆仲間たちは許してくれたが、しばらく怖がられた。
俺は穏やかに生きていきたいだけなのに、知らないところで勝手に動かれる。まわりから見れば一人の人間なので、破壊人格がやった事を俺が謝り倒すことも少なくない。
感覚としては他人が起こした揉め事の後始末を、毎回やらされる感じだ。いつか犯罪者になるのではないかと恐れてもいる。だからこそ、主治医からも破壊人格が出てきたら入院措置をすすめられているのだ。人を傷つけたくはないのだ。
もしこの体が俺一人のものであったなら、と考える。
それがこの病気じゃない人にとっての普通なのだとして、俺には想像することしかできない。
勝手に物や人間関係を壊されることも、死のうとされることもない。人生設計をめちゃくちゃにされたり、他人に暴言を吐いたり、金を使われることもない。
だが、もしこの体に一人の人格だけが残るとしても、それは俺ではないのだ。この体の持ち主は基本人格であり、俺は統合される身なのだ。
たまに、誰か助けてくれないかと思う時があるよ。
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