黒眼の悪魔

西澤杏奈

ようこそ、地獄へ!

第1話 初めまして!

「ここが……地下都市……」


 一人の少年が少し時間のかかったエレベーターでの移動の後に、踏み入れたその世界はやはり人々の噂通り醜く汚れていた。


 少年の名は赤羽あかば弘人ひろと。年齢は15歳。弟が一人、妹が二人いて、父親はいない。ここに来たのは自分の意志からではなく、追放されたから。理由は……。


「おやおやおや、新人かあ~?」


 まだ数分しか歩いていないのに、もう住人に絡まれた。酔っぱらってるのか、それともラリってるのかはわからないが、本人の足取りはふらふらとしていておぼつかない。だが、彼の伸ばしてくる腕は、筋肉がついた強そうなものだった。

 こうなることはわかっていたので、少年はまだなにもされていないうちに、全力で走って逃げた。住人は追いかけようとしたが、途中で転んでしまった。


 弘人は近くにあった店に、すぐに入った。

 どうやらあいつはもう追いかけてこないようだ。安心した弘人はほっとため息をついた。


 だが、店を見回したときに、彼は自分が「良くないところに来てしまった」ということに気が付いた。


そこは酒場だった。カウンター席では大柄な男たちが座っていて、黙って酒を飲んでいる。もしあの人たちが暴れたら、自分は虫のように潰されてしまうだろう


 気が付かれないうちにそっと逃げ出したほうがいいなと判断した弘人は、ふたたび店のドアを開けようとした。

 しかし、不幸なことに小さな少年の姿を、ホストが見つけてしまった。


「いらっしゃいませー」


 彼の声で、ちらりと客たちの目線が少年に移った。普通の大人の人間だったら、これ以上彼らはなにも言わなかっただろう。だが、もし相手がまだ少年で、しかもそこそこ綺麗な服と鞄を持っていれば話は別だ。さっそく客の中で一番大きいと思われる人物が立ち上がり、自分の新たな獲物へと近づいた。


「よぉ、坊や。ここに来たのは最近かい?」


 わざわざしゃがんで弘人の目線と合わせながら、大男は尋ねた。弘人は恐怖で声がでなくなった。まるでのどの奥でなにかがつっかえているようだった。いつまでたっても答えない相手にイライラしたのか、大男は突然弘人のそばの壁を殴った。


 グシャッ!


 壁は木材でできていたが、それは粉々に砕けてしまった。


「答えろっつってんだろ、ガキ! 舐めてんのかぁ?!」


 大男の眼球は黒く変色した。まずい、症状がでている。


「俺はもうすでに第四段階まできてるんだよ! ほら見ろ!」


 男はそう言って、左手を見せてきた。それは動物のような長い黒い毛におおわれ、爪は長くなっている。


「だからなあ、お前みたいな碌に返事もしない失礼なやつがいるとなあ、殺っちまいたくなるんだよ。わかるかぁ?」


 少年は震えながら小さく頷いた。


「よぉし。殴られたくなかったら、鞄の中の物を大人しく渡すんだなぁ。はよしろ」


 弘人は唇をかみしめた。だが、どうしようもない。自分の安全のほうが大事だ。ここで死んだらもう二度と帰れなくなってしまう。弘人は、大人しく鞄をおろして、ファスナーを開けようとした。しかし、そのとき、頭に激痛が走った。


「うっ!」


 弘人は思わず鞄を落とし、頭を抑えた。耳鳴りもする。まずい、発作だ。あの病の症状の一つだ……!


「これだな、ガキ。もらっていくぞ」


 大男は苦しんでいる少年に目もくれず、荷物に手を伸ばした。しかし、そこでその腕は少年の手によって抑えられる。なぜか巨大な手を、小柄な弘人ががっしり掴んで離さないようにしている。


「なんだ、てめえ」


 大男は低い声で唸った。


「それはこっちのセリフだよ」


 弘人は大男を睨んだ。片方の眼球のみ黒く、瞳孔は縦長に細くなっていた。


「人の物を勝手に奪おうとするなんて、何様だお前は!!」


「ああ?!」


 大男も米神をピキッといわせて、少年の胸ぐらをつかんだ。


「こんのクソガキが......! 警告したからな。殺るぞ!」


 男が拳を握って少年を殴ろうとした、そのとき____


 グシャア!


 グロテスクな音が店内に響きわたり、大男の背中から血が噴き出した。


「あ?」


 後ろを見ると短剣が、深く突き刺さっていた。刺さったときに短剣は数センチ下に下がったらしく、背中の上半分がぱっくり割れていた。致命傷じゃなくとも、大量出血で死ぬくらいのダメージだ。男は痛みに呻いて、少年を離した。


「あっはははは」


 愉快な笑い声が店の奥から聞こえ、全員がそちらを向く。そこには黒いトレンチコートを着た茶髪の男がいた。彼は、日本人にもヨーロッパ人にも見える不思議な顔立ちをしていた。眼球は少年や大男と同じように黒く、目の下から首にかけて不気味な黒い模様が浮かんでいる。


「てめぇ……」


 痛くて話すのが苦しいのか、男はやっとのことで口を動かす。


「そんなに睨まないでくれよ。弱い者いじめは楽しかったかい? 俺もいじめは好きだけどねえ、さすがに子供は許容できないんだわ」


 トレンチコートの青年はにこにこしながら、自分の顔に浮かんでいる黒い模様を指さした。


「これをみればわかるけれど俺は今第三段階でね、趣味が合わない人に対してはすぐ手がでてしまうのさ。だから君にはこれから死んでもらおうと思う」


 にっこりとした表情を崩さないまま、青年はナイフを大男に向ける。他の客たちは巻き込まれたくなかったのか、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。


「クソッ!」


 大男はなんとか立ち上がって、青年に突進した。だが、勝敗は最初から決まっていた。青年はナイフを相手の足に投げ、動きを止める。慣れた様子だ。

 最後に仕上げでもするかのように、くるりとナイフを一度手のひらで回したあと、敵の頭にグシャッと突き刺した。血が周りを濡らした。


 少年の目はすでに黒ではなくなっていた。彼はこの残酷な惨状を見ると、耐えきれずにその場に吐いてしまった。青年は少年のところへ行き、ハンカチを渡した。


「大丈夫かい、少年? 見苦しいところをお見せしてしまったね。ほら、鞄だ」


「あ、ありがとうございます……」


 せき込みながらも、弘人はお礼を言った。青年の目は黒から白に戻っていた。薄い茶色の目だった。


「ここにきたばっかりだね? この世界は危ないから気を付けるんだよ。もっと奥地へ行くといい。『コウフ』とかなかなかいいぞ。まだ治安がそこまで悪くないからね」


 青年はアドバイスをすると、立ち上がって店を出た。弘人はしばらく座っていたが、この悲惨な現場を出て外へ出て、先ほどの青年の姿を探した。時間はそんなに必要ではなかった。黒いトレンチコートを着た人はそこまでいなかったし、それに彼を避けるようにして人々が通っていたからである。

 少年は彼のあとをついていった。


 この世界の建物の色は黒か赤茶の二色しかなく、戦後の跡地のようにどれもボロボロになっていた。青年はしばらく歩いていたが、やがて建物の中でもひときわ細長い建物の中に入った。

 そこで弘人は青年のコートを引っ張った。振り向いた彼は少年の姿にひどく驚いた。


「おやおや! 先ほどの少年じゃないか。ここで何しているんだい? もしかして跡をつけていたのかい? 俺が気が付かないなんて才能あるね! で何の用だい?」


 少年は唾を呑み込んでから、大きな声で言った。


「俺を弟子にしてください!」


 青年はますます驚いて、目を丸くした。だがすぐににやけた表情に戻り、弘人の頼みを一蹴した。


「何言ってんの、君。君みたいなちっちゃな坊ちゃんが俺なんかについていけるわけがないじゃん。それに俺三段階目だからね。いつ君を殺してしまうかわからないよ」


 笑いながら彼は言った。しかし弘人は表情を変えなかった。


「でもあなたは強いじゃないですか。俺はあなたのもとで学んで強くなりたいんです」


「ふん!」


 青年は鼻を鳴らして嘲笑した。


「強くなってどうする? 誰かと戦うのか? この世界を支配しようとしているのか? それとも自分は正義側にいると信じているのか?」


「違う!」


 弘人は訂正しようと怒鳴った。


「生き残って家族を助けるためです! 俺にはまだ幼い弟と妹たちがいます。死ぬわけにはいかないんです!」


「は、無駄さ。あきらめろ、少年。君は黒目病くろめびょうにかかってしまったんだ。わかるだろう、倫理観が狂う病だ。俺たちはもう地上へは戻れない。ささいなことで人を殺してしまうかもしれないからだ。治療法はない。一度かかったらもう終わりだ」


「別に戻ろうなんて考えていません!」


 弘人は力強く否定した。


「俺がしたいのは金稼ぎのみです。ここでは賞金首稼ぎというのがあるのでしょう? そこで金を稼いで、家族に送りたいんです!」


 青年は少しの間黙ったが、低い笑い声を立てた。


「あっはははは、呑気だねえ。たかがちびっこの君がどう賞金首を殺そうというんだい? だが兄弟のために生き残るという意志は気に入った! いいぞ、俺の弟子にしてやる。死なないよう頑張ってついてきてね!」


 にっこりと笑った男は、グッドサインを示した。二人は細い建物の細い階段を上がっていく。


「そういえば少年、君の名前は?」


「赤羽弘人です」


「そうか、弘人だね?」


 そこで青年は、古ぼけて汚れた黒い扉のドアノブを回して開けた。


「あ、ちなみに俺の名前は____」


 青年が言い終わる前に、ナイフが飛んできた。彼は綺麗にそれを避けた。


「来たな、悪魔!」


 5人の人間がナイフや剣を持って、中から飛び出してきた。


「あれ、俺客を呼んだ覚えはないんだけどな」


 相変わらずにやけた表情を崩さないまま、青年はナイフを懐から取り出した。彼が武器を持ったとき、それは相手の死を意味する。


 青年の名はマティアス。黒目病患者が追放される場所であるこの地下都市で、一番狂っていると言われている最恐の男だった。


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