第30話 誤解と決心Ⅲ

 どうにかしてダンボールの中から抜け出した朱燈は即座に刀を甲板から抜き、腰の鞘に収めた。そして改めて自分を押し倒した段ボール箱を一瞥した。


 段ボール箱に書かれている言語に朱燈は心当たりはない。多分ロシア語だろう、と段ボール箱の件には一旦のケリをつけ、それ以外に何かないか、めくれたコンテナの中に目を向けた。


 やはり中には彼女を押し倒したものと同じタイプの段ボール箱が重ねられており、それは10や20では収まらない量だった。やはり言語はロシア語で、それ以上のことはわからなかったが。


 ——まじでどういうこと?


 疑問が募ればそれは疑念になる。心の中を蝕むもやもやは朱燈を苛立たせ、彼女の足を自然と格納庫の奥へと誘った。


 しばらく歩くと周りからコンテナもなくなり、だだっ広い空間が顔を出した。それを奥へ奥へ進むと開けっぱなしになっている鉄の扉を見つけた。中は真っ暗ということもなく、足元を照らすオレンジ色の誘導灯によって照らされていて、横長の通路の左手側を見れば、上階につながっていると思しき階段があった。


 その階段を登った先に彼女はいた。薄暗い廊下、同色の扉の前に彼女は立ち、朱燈を軽蔑する眼差しで睨んでいた。


 「ねぇ」

 「一つ、聞きます」

 「なによ」


 改まってクリスティナは朱燈を睥睨する。それに気圧される朱燈ではないが、ただならぬ雰囲気に緊張からか唾を飲み込んだ。


 「あなた方の回収対象は私だけ、なんですね」

 「そうだけど?それがなに」


 ぶっきらぼうに朱燈は返す。即答だった。


 そうですか、と残念そうにこぼしたクリスティナが背後の扉を開くと廊下以上に中は暗かったが、かすかに人の気配がした。同時に嗅ぎ慣れたむせかえるような血潮の匂いが漂ってきた。


 生唾を飲み、朱燈はクリスティナの後を歩く形で中へと入っていく。


 ライトに照らされて目に入るのは左右にそれぞれ三席ずつ、真ん中に四席のごくごく普通のキャビン。人二人が並んで歩けるほど広いウォークスペースが一本ずつ左右に走っていて、ちょうどキャビンの中間部分にトイレボックスが置かれていた。


 キャビンが薄暗い、というか足元の非常用ライト以外に光量を発していないのは照明を落としているからというのもあるが、窓の遮光パーセンテージをほぼ100パーセントにしているからだ。おかげ外からは中の様子がわからない。反面、中も真っ暗になる。


 暗いせいでよく見えないが、歩いている通路の左右に怪我人がいることがわかる。大半がうめき声で、どこを怪我しているのかはわからないが、座席に横になっていることはわかる。


 クリスティナがライトで照らすと眩しそうに両手を前に突き出す人もいれば、フードで顔を覆う人もいた。血の匂いがすることから、何人かは出血もしていた。


 キャビンの中間地点、ちょうどレストルームの前でクリスティナは朱燈の方へ振り返り、前後のカーテンを閉めた。クリスティナがレストルームのドアを開けると、勝手に光が点き、気まずそうな朱燈と真剣な眼差しのクリスティナの表情が綺麗に浮かび上がった。


 朱燈が気まずい雰囲気を漂わせているのは無論、今さっき目にした負傷者のことだ。どう考えても2、3人という雰囲気ではない。キャビンの半分だけで30人はいた。もう半分も加味すれば実質60人。しかも暗がりの中では痛がる怪我人のことを慰める人もいたから、総数は80人を超える。


 ちらりとライトで照らした座席の背面にあるパンフレットネットには日本語と英語、そしてロシア語で何かが書かれたパンフレットが入っていた。日本語部分には「新しいサンクチュアリへ」と書かれていた。


 「えーっと。つまり」


 ここまでお膳立てされれば朱燈でもこの輸送機が何かはわかる。なるほど輸送機の格納庫にやたら大事そうに梱包された段ボール箱がいくつもつまれたコンテナが所狭しと置かれているわけだ。


 「これってひょっとして難民輸送機?」

 「正確にはロシア難民の輸送機です」


 だからロシア語か、と朱燈は得心がいった。


 ロシア、もとい東欧はフォールン大戦の最前線だ。近い場所にヴィーザルの本部があるストックホルム・サンクチュアリがあることから、その重要度は窺い知れる。日夜、フォールンとの果てなき闘争に身を投じ、しのぎを削っている場所だ。いや、正確にはしのぎを削っている場所だった。


 ロシア最大のサンクチュアリであるモスクワ・サンクチュアリが陥落して以降、対東欧戦線は後退の一途をたどっている。現在、ロシアの主だったサンクチュアリはオムスク・サンクチュアリとはるか東のウラジオストク・サンクチュアリだけだ。


 サンクチュアリとは大量の人類を養い、育む場だ。それができるだけの物資があり、設備がある。規模は大中小と分けられ、陥落したロシアのサンクチュアリはいずれも大、ないし中規模のものだ。


 必然、陥落したとなれば大量の難民を生む。生き残ったロシアのサンクチュアリではすべての人間を受け入れることはできず、発生したロシア難民は多くが同じユーラシアの各サンクチュアリへと流れる形になった。朱燈の同僚であるクーミンもロシア難民である。もっとも、彼女の場合はロシアで暮らしていた時間よりも日本にいる時間の方が長いため、ほぼなんちゃって状態だが。


 しかし今朱燈の目の前にいるクリスティナをはじめとしたロシア難民はなんちゃってではない。苛烈なフォールンの脅威から逃れるため、はるかインド洋、太平洋と渡って極東までたどり着いた紛うことなきロシア難民だ。


 「彼ら、彼女らは貴方達の救助者リストにありましたか?」


 なかった。それだけは断言できる。懐の端末で任務内容を再確認するまでもなく。


 理由は不明だが、輸送機は最初から捨て駒、あるいは捨て石だったのだ。ただクリスティナ一人だけを確保できればいい、それだけのための布石にすぎなかった。


 サンクチュアリで育った朱燈にはそれがどういう意味か、難民とはなんであるかはわからない、字の意味はわかっても、それがどういう体験をしてきたのかなんて想像できない。


 「彼らは救いを求めて、ここまで来ました。故郷を悪きフォールンに奪われ、それでも生きようと極東の東京サンクチュアリに来るため、己の財産を投げ打って」


 梱包された段ボールはせめてもの、最低限の財産なのだろう。思い返せば、コンテナなどは搬送用ハッチの周辺にしか置かれていなかった。それもきっと、いざとなれば輸送機の重量を減らす作業をしやすくするための措置だったのかもしれない。


 朱燈自身、劣悪な環境で育ち、ほぼ身売りに近い形でヴィーザルに入社したが、それでも10代に満たない頃からフォールンを間近で見てきたわけではない。彼女が初めて実物のフォールンを見たのは三年前、ヴィーザルの養成所で行われた最初の壁外試験の時だ。その時は14歳。比較的成熟していた時期だ。


 ロシア難民は朱燈でも知っているくらい、国際問題となっている課題の一つだ。大規模サンクチュアリであるモスクワ、サンクトペテルブルクの両サンクチュアリが陥落し、放り出された万を超える難民は周辺のサンクチュアリすら巻き込んで、世界各地へと広がった。


 必然、各サンクチュアリも感情的には彼らを受け入れたい。数少ない人類ということを考えればそう考えるのが自然だ。しかしそうはならなかった。


 各サンクチュアリでロシア難民の扱いに誤差はあるが、概ね排他的な扱いを受けている。場合によってはサンクチュアリへの入場を断られる場合もある。


 居心地のいい温室を追い出され、挙句フォールンに怯える毎日、たどり着いた近くのサンクチュアリからは追い出され、はるか遠くの東京サンクチュアリまで来て、ようやくというところでまた見捨てられる。それはむごいことだ。


 「それはむごいこととは思いませんか!?」


 話し始めた頃はトーンを抑えていたクリスティナの語気が強まり、次第に大きな声になっていった。怒気を孕んだ純粋な憤激。帯びてしかるべき、発露してしかるべき感情だった。


 一応、朱燈もサンクチュアリ防衛軍に雇用されている手前、その存在を知ってしまえば、守る義務が発生する。言い換えれば彼女が何も見ていないと言えば、そこに難民はいない。


 だが朱燈は見たものを見てないと言えるほど鉄面皮ではなかった。少なくとも、ああも迫る碧眼の少女の前では。


 イヤーキャップに手を伸ばし、彼女は千景につなぐ。数秒後、接続と同時に嫌そうなトーンで千景が、なに、と返した。


 「あのさ、千景。今あたし機内にいるんだけどさ」

 『うん』


 「めっちゃ怪我人いるっぽい」

 『あーうん。だろうね』


 どこか諦観めいた声音で、千景は返す。予期していた、予感していた、予想していたとはっきり明言する彼に少なからず不快感を覚えたが、今はそれを口論している場じゃない、と気を取り直して朱燈は彼にどうにかできないか、と聞いた。


 推敲するような間があった。部隊の責任者である手前、色々と計算を巡らせなくてはいけない、というのは朱燈も理解している。しかし理解までだ。感情は納得していなかった。


 「あのさ、千景。怪我してる人らん中には子供もいるみたい」

 『うん』


 「あたしらがさ、見捨てたらその子らってどうなる?」

 『死ぬかな、ほぼ100で』


 超スーパークリティカルなダイス目で落ちた輸送機から逃れた奴が海流に流されて海岸に漂着して、偶然たまたま居合わせた心優しい人間に引き上げられるっていうパターンもあるけど、と千景は冗談めかして付け加える。無論、そんな0を何百回と繰り返した果ての1パーセントはもはや確率とは呼ばない。幸運、ミラクル、神のいたずらを通り越した、もうなんかよくわからない必然だ。


 つまりそんな必然を除けば、朱燈とクリスティナが輸送機を離れた時点でもう彼、彼女らの命運は尽きるのだ。それを良しとできるほど朱燈は非情ではなく、また機械人間にもなれない。


 「千景。あのさ。無理を承知で頼みたいんだけど、いいかな」

 『うん』


 「助けたい。この人ら全員」


 本心から、朱燈はそう告げた。


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