第29話 誤解と決心Ⅱ

 なぜそんな表情をするのか、朱燈にはわからなかった。もともと、他人の感情の機微を気にする人間でもなかったが。


 一歩前に踏み出し、朱燈は真正面からクリスティナと対峙する。朱燈が近づく素振りを見せると、クリスティナも左右の重機関銃をわずかに持ち上げ、臨戦体制の構えを取った。


 寒風吹き荒ぶ輸送機の背の上で銀髪赤目の剣士と紫銀碧眼の銃士が対峙する。片や正面、片や背面から迫るフォールンのことすら忘れ、彼女達は睨み合った。


 一触即発の雰囲気をヘリコプターから覗き見る千景は感じ取り、わざとらしくはぁ、と誰にでも聞こえる大きなため息をついた。誰にでも、とは文字通り誰にでもだ。イヤーキャップ越しに届いた千景のため息は無論、朱燈とクリスティナの耳にも届いていた。それを水面に沈む石つぶてのごとき合図とでも捉えたのか、朱燈と対峙していたクリスティナは背面へ飛ぶと共に踵を返して輸送機の後方へ向かって走り出した。


 『「なぁ!?」』


 『朱燈!追え!』


 「うっさい、わかってる!」


 さすがの千景もクリスティナが何も言わずに輸送機の後方へ走っていくとは思わなかったかのか、イヤーキャップ越しに聞こえる彼の声はどこかうわずっていた。


 無論、朱燈にしてもあまりに唐突な行動すぎて反応が遅れてしまった。タッチ・アンド・ゴーで出遅れたのは初めての体験で、鳩が豆鉄砲を喰らったかのように思考が一時停止してしまったからだ。


 同僚の予想外の行動に面食らうも、それでも気を取り直して朱燈はクリスティナの背を追う。わずか1秒のロス。それだけに先に走り出したクリスティナはそれほど遠くまでは行っていなかった。


 二人の距離は5メートルもない。まして重武装のクリスティナと比べて朱燈の装備は刀と拳銃、それから万が一の小型パラシュートパック一式だけだ。たとえ、先に走り出したのがクリスティナでもすぐに追いつける、そう高を括っていたが、両者の間の距離はなかなか縮まることはなかった。


 ヘリの甲板から愛らしい二人の狂戦士の追いかけっこを見つめる千景にはなんとなくだがその理由がわかった。単純に環境への慣れが原因だろう、と。


 小さな呼吸器一つで高度一万メートル以上の高高度帯での活動ができると言っても、朱燈やクリスティナのベースはやはり人間だ。初めて環境に即座に順応できるほど適応力があるわけもない。


 朱燈とクリスティナでは体力に差こそあるだろうが、より早く高高度での戦いを開始したのはクリスティナで、彼女の方が高高度での呼吸の仕方、筋肉の動かし方を熟知している。必然、平地の感覚で息を吸ったり吐いたり、足を動かす朱燈はとろくなる。


 そんなどうでもいい考察をするくらいには暇だった千景は操縦士に現在の輸送機の速度やヘリとの相対速度を聞くため、再び操縦席へと近づいていった。千景が操縦士と話し合う傍ら、それ以外のメンツはそそくさとマガジンを取り替えたり、貨物室へ入ったりと束の間の休憩時間を謳歌する。


 休憩時間の最中もチラチラと彼らはヘリ前方の窓ガラスを、あるいは甲板から顔を出して迫り来るハルピーの群れを一瞥も二瞥もした。近づくにつれ、それまでは漠然としたモヤにも似た群盲は小粒程度から明細なシルエットになっていった。


 それは尾翼方向に近づく朱燈にはより克明に写り、視覚以外にも様々な情報が入ってきた。


 一つ一つのパーツが鮮明に見え始めると、さっきまでは風に流れて聞こえなかったものが聞こえ始めた。蒼穹を埋め尽くさんばかりの悪羅は、やかましく喚き、酔客に似た焦点の合わない両目を朱燈へ向けた。


 鼻腔に似た眼窩は既存のどの鳥類にも見られない特徴で、一説にはハルピーは実は鳥がモデルになったフォールンではないとまで言われている。そんな与太話が、具体的には冬馬が話していたくだらない話が脳裏を掠めるくらい、ハルピーが近づくにつれて、緊張が高まり、意図せず朱燈は生唾を飲んだ。


 「って、あれ?」


 意識を頭上へ集中したばかりにふと視線を前方へ戻してみると、さっきまで追っていたはずの白い背中はどこにもいなかった。まさか落ちたのかとも思ったが、それならはるか上空に待機している千景達が教えるはずだ。


 ということは、と尾翼から身を乗り出し、朱燈は輸送機の後部へ視線を向けた。


 見ると、機体の後部には物資搬送用の巨大なハッチとその上部に人が出入りするための機外通路があった。その機外通路のドアが開いていた。


 なるほど、とひゅるりと空中で一回転して朱燈は通路に降り立った。滅多に抜かない拳銃を構え、恐る恐る彼女はドアの中へと入っていく。


 機内に入ると、闇が視界を遮った。輸送機の中は薄暗く、かろうじて非常灯のおかげで足元だけがぼんやりと浮かび上がった。


 眼下を望めば、いくつもの床に固定されたコンテナや木箱が見える。おかげで今自分がいる場所が格納庫のギャラリーであることが朱燈にもわかった。


 「つっても、だからなんだって話だけど」


 ライトなど持ってきていない身だ。目が慣れるのを待つしかないか、とため息を吐きそれでも周囲に目を向ける。


 見渡す限りのコンテナ類。どうしてそんなものが、と一瞬疑問に感じたが、考えてみれば輸送機なのだから、貨物をたくさん積んでいてもおかしくない、とすぐに思い至り、納得して彼女はギャラリーから飛び降り、近くのコンテナの上に着地した。


 「つか、なんでこんなにコンテナ。物資護送任務かなんか?」


 思い返せば、朱燈自身はこの輸送機がなんのための輸送機であるか、聞かされていない。聞きそびれたとかではなく、単純に興味がなかったからでもあるが、それにしても不自然なほど輸送機のことが話題になることはなかった。任務の概要を説明する千景の口からはただクリスティナのことばかり聞かされた。


 千景が自分に何かを隠している。朱燈の脳内にふとそんな疑問が湧いたのはきっと偶然ではない。考え込む朱燈、しかし直後、背後から走ってくる足音を彼女は聞き漏らさなかった。


 反射的に朱燈は背を低くし、しゃがみ込んだ。半歩遅れてさっきまで朱燈の首があった場所を勢いよく太ましい太ももが通りすぎた。ビュッという風を切る音が鳴り、朱燈は慌ててコンテナの端へと逃げ去った。


 「ちぃ」


 舌打ちを襲撃者はこぼす。襲撃者、もといクリスティナは歯軋りと共に軍用サバイバルナイフを逆手で構えたまま、ジリジリと朱燈に迫った。


 「うっそ!」


 たまらず朱燈は拳銃を投げ捨て腰の刀を抜く。投げつけられた拳銃をクリスティナが弾くと同時に抜いた刀で彼女に切り掛かる。


 片手大上段からの切り落とし。それをクリスティナはナイフで受ける。直後、刀身が反動で跳ね、間髪入れずに朱燈は両手で刀の柄を握りしめて再びクリスティナめがけて振り下ろした。


 熱を帯びていないとはいえ、刀は刀だ。それもフォールンと切り結べるほど鋭利で頑強な。ただの軍用サバイバルナイフが何度も耐えられるわけもなく、続く一撃はクリスティナのナイフを粉々に砕いた。


 しかし彼女はそれには動じない。壊れたナイフの柄を未練なく捨て、朱燈との距離を詰めた。原始的なショルダータックルと共にコンテナの上から自分諸共朱燈を叩き落とそうとした。重機関銃を軽々と扱う膂力に対して朱燈は抗えず、されるがまま、甲板に落下する。


 両者は頭から甲板に落下し、受け身を取ることはなかった。どちらも頑強でたかだか数メートルの落下でアザを作ることはあっても、骨が折れることはない。


 着地した朱燈は瞳をたぎらせ、刀のスイッチを入れる。瞬間、それまで鋼色だった刀身に熱が走り、オレンジ色の輝きを発した。


 「ぶった斬ってやる」


 獣を思わせる獰猛な笑みを浮かべ、朱燈は突貫する。同じく体勢を整えたクリスティナは振り下ろされる朱燈の手首を掴むと、その体を持ち上げ、近くのコンテナに向かって叩きつけた。


 途端、朱燈は嗚咽を吐く。背中に伝わる激痛、体感したことのない感覚に彼女は表情を歪ませる。


 「——いーじゃんか!」


 刹那、クリスティナは悪寒を感じ朱燈から手を話した。その直後、彼女の手があった場所を左手に持ち替えた刃が通り過ぎた。


 さっきまでとはまるで違う。本気で殺すための一撃。刀の軌道上にあったコンテナを一瞬で切り裂き、無理やりに刀を引き抜いたとき、コンテナの一部がべろりとバナナの皮のように折れ曲がった。


 「さーて。第二ラウンドといこーじゃない?こっちはまだまだ体があったまってないんだから」


 もはや回収任務など忘れて純粋な斬り合いを望む快楽通り魔がそこにいた。透き通った冷たい笑顔を浮かべる彼女は刀を強く握りしめクリスティナめがけて歩き出した。


 迫る通り魔を前にクリスティナが構える。抵抗の意思を示す彼女を前に嬉々として刀を振り上げる朱燈はしかし、直後真横からドサンと倒れてきた何かによって押し倒された。


 「うぎゃ」


 ビターンと甲板に胸から打ち付けられた朱燈、そして彼女の手からは刀が放り投げられ、そのままそれは正面のコンテナに突き刺さった。


 なにが、と朱燈は起きあがろうとして自分を押し倒したものを睨んだ。


 朱燈を押し倒したもの、それは包装用の気泡シートをによって幾重にも巻かれた段ボール箱だった。一つではなくいくつもの段ボール箱が重ねられ、それは崩れないようにシートで固定されていた。


 かなりの重量があるからか、朱燈でも用意には抜け出せない。そんな彼女を尻目にクリスティナはコンテナに刺さった刀を引き抜くとそのスイッチを切り、朱燈に投げてよこした。眼前に刀が突き刺さり、朱燈は冷や汗を流した。


 「それ、返します」


 そう言ってクリスティナは格納室の奥へと消えていった。


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