第28話 誤解と決心

 雲塊から現れたハルピーの群れはその数を増していき、輸送機に近づいていた。元より速度を落としていた輸送機に追いつくなど、ハルピーには容易い。瞬く間に距離を詰める彼らを苦々しく思いながら、千景は輸送機を一瞥した。


 戦闘時はさして気にも止めなかったが、輸送機の速度はだいぶ落ちている。原因は明白、本来ならば四機積んであるはずのエンジンが一機欠けている。おそらくはハルピーの攻撃を受けて壊れたのだろう。


 エンジンが一機欠けてもドリフトダウンを起こさず、高度を維持できているのは欠けたのが尾翼の小型エンジンだからだ。主推進機である主翼のエンジンと違い、胴体を安定させるための補助的なエンジンの喪失だからまだ耐えられている。


 とはいえ、補助でも重要なパーツであることに変わりはない。輸送機本体を安定させるエンジンが欠けたということは残る三つのエンジンでその機能を分担しないといけない。そうなると必然的に速度が落ちる、という話だ。


 原因は他にもある。補助エンジンからの漏電とか、ハルピーの攻撃で装甲板が歪んでいたりとか。とかく繊細な飛行機という文明の産物の鼻先でドンパチをした影響か、主翼から垂れ落ちた血肉がエンジンに巻き込まれ、血霧を発生させていた。


 「バードストライクもあるか。文字通り」


 ハルピーは胴体が大きいからエンジンのフィン内に入ってしまうことは万が一にも起きないが、血肉となれば話は別だ。万が一にもエンジンルームへ入ってしまった血肉が動作不良の遠因にもなりかねない。


 「あとはあの、ヘルンか」


 千景達の頭上を飛んでいたハルピーの上位個体、ヘルンはすでに後方から近づくハルピーの群れの中へ帰ろうとしていた。ライフルで狙うこともできるが、1匹落としたところで感はいなめない。


 何より、ヘルンの登場は予想通りではあった。


 オーガフェイス、ブラッド、そしてハルピー。これら以外にも下位のフォールンは体内のF因子が一定量まで溜まると、「進化」する。より学術的な用語を使えば「成長」あるいは「転化」といったところだろう。一般には字面の良さから「進化」と呼ばれている。


 下位種に限らず、フォールンは体内のF因子が一定量まで溜まると、その姿を変える。同種であれ、他種であれ、とにかく喰らって進化することで仮面は変化し、肉体もまた大きく形を変える。突き詰めれば、それはフォールン化の延長線上でしかないが、危機に瀕した下位種はよく仲間を食らって姿を変える。


 有体に言えばF因子とは彼らにとって経験値だ。それも用法容量を間違えれば肉体が崩壊する類の激毒である。先ほどのように同族を食らったとて、進化せずにただただ自滅するケースも十分に考えられる。要は賭けだ。


 つまり、あのハルピーは賭けに勝ち、上位個体であるヘルンになった。勝負師がすぎる。例え目の前のヘルンを撃ち落としても、迫るハルピーの中から同じことをする奴がいないとも考えられない。


 熟慮の末、千景は扉から顔を出しクリスティナに呼びかけた。最後通告、これを聞き届けない場合は穏便ではない方法を取るしかない。


 ちらりと朱燈に目配せをすると彼女は待ってましたとばかりに立ち上がり、武器類一式をぶら下げたバックパックを背負った。むふふ、と不敵に鼻を鳴らすを彼女を他所に千景が通信がつながるのを待っていると、ピピという電子音と共に不機嫌そうな女性の声が聞こえた。


 『何か?』


 「悪いが駄々っ子の時間は終わりだ。後ろを見てみろ」


 千景に言われてクリスティナは尾翼の方へ視線を向けた。数秒の沈黙、その間に何を思ったのか彼女は息を吐いた。


 「これ以上は部隊の隊長として看過できない。悪いが、来てもらうぞ」


 クリスティナが輸送機に固執する理由は見当がつく。おそらく、それ以上に人がボロクズの廃船に止まり続ける理由もない。


 それがわかった上での千景の退避勧告はしかし、無慈悲に切り捨てられた。一方的に通信は切られ、ツーツーという昔懐かしい電子音だけが彼の耳元に残った。


 「ちっ。朱燈、頼む」


 振り向くと、すでに彼女は降下の準備を始めていた。装備はシンプルに三式帯熱刀と護身用の拳銃一丁だけ。それ以外に彼女は目立った装備を持ってはいなかった。


 「回収は?」


 そんな装備で大丈夫か、と問う千景を他所に自分達のヘリへの回収方法を彼女は聞いてくる。


 「エクストラクションロープで引き上げる。その間、無防備になるだろうけど、制空権は確保する、これでいいか?」


 千景の回答にぶい、と朱燈は無表情のまま返す。


 ヘリは依然として輸送機との水平飛行を保っている。本当ならば輸送機の直上に移動したいところだが、その時間はない。


 助走もそこそこに朱燈はヘリから飛び出した。高度一万メートルからのダイブ、スカイダイビングの高度が大体地上4,000メートル付近であることを考えれば倍以上の高度からのダイブということになる。


 姿勢を保ったまま、重心移動を繰り返して朱燈は輸送機へと近づいていく。ものの数秒足らずの短いダイブ、輸送機に近づくやいなや彼女は腎部から影槍を突き出し、その切先を輸送機に突き刺した。


 自身を引き寄せ輸送機に着陸した朱燈は即座に周囲を見まわした。彼女が降り立ったのは輸送機の主翼で、つるりとすべる滑らかな質感に驚くもすぐに両足に力を入れて踏ん張った。


 視線の先、尾翼の方向へ目を向ければ赤茶けた雲が近づいてきていた。ものの20分と経たずにあれらは輸送機を覆い尽くし、墜落させるだろう。


 急げ、という千景の司令がやかましく聞こえた気がして、感傷も冷めやらぬまま、輸送機の胴体を目指した。整備用に設けてある側面のタラップを上ると、同じように輸送機の後背を睨む少女の後ろ姿が見えた。


 紫白のツインテール、なめらかなうなじ、艶めかしい後ろ姿に比して無骨で物騒な左右の形状が異なる重機関銃を構える彼女は放心しているのか、それとも死地に赴くための決心を固めているのか。


 とにかく棒立ちのままで背後に立つ朱燈に気づこうともしない。こころなしか彼女の重機関銃からぶら下がるガンベルトはだらしなく輸送機の背面部にこぼれていた。


 「あんた、えっと。名前、名前。まぁいいや。とにかくさ、もういいでしょ。もう十分やったじゃん。誰も恨まないって。そ、誰も」


 恨むなんて言葉、どうして言ったんだろうか、と発言してから朱燈はふと首を傾げた。なんとなしに言った言葉で、意図があったわけではない。


 しかし彼女の言動にクリスティナが少なからず動揺を見せたのは確かだった。


 「今、なんて?」


 失望した、そんな表情を彼女は浮かべた。

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