第27話 雲上の戦いⅢ

 「めずらしいじゃん。あんたが素直に他人を褒めるなんて」

 「俺、別に天邪鬼とか、ツンデレではないんだけど?」


 明日は槍でも降るのかな、と古めかしい言い回しをする朱燈を黙らせ、千景は眼下で活躍するクリスティナの勇姿に目を向けた。


 過去、何度か重機関銃を左右に持って戦う影槍保持者を見たことはあったが、クリスティナの腕は彼らより数段勝る。やたら集弾性の低い重機関銃をきちんと当てる射撃の腕はもちろん、いざとなれば動ける度胸もある。


 技術という点で言えば彼女よりも上位の人間は多くいる。しかし重機関銃を拳銃でも扱うかのように軽々と振り回す豪胆さがあるかはわからない。


 「それでもやっぱり無理だな、数が多すぎる」


 群がるハルピーの群れは40を超えていた。クリスティナがどれだけ腕に覚えがあろうとそのすべてを一度に相手することはできない。


 「仕方ない。各員、銃構え」

 『お、動くの?』


 真っ先に返したのは竟だ。マイク越しに彼女が愛用している軽機関銃をジャキジャキと動かす音が聞こえた。


 「主翼に近づくハルピーを撃墜しろ。間違ってもエンジンに当てるんじゃないぞ?」


 『あいさ了解。それはそうと、作戦目的は支援でOK?』


 竟の問いにわずかばかり千景は思案する。そして「ああ」と返した。肯定する千景の言を得て、嬉しそうに竟は「あいあいさー」と返した。


 「聞いた通りだ。命綱をつけたら、全員ヘリ側面の扉に並べ。銃撃支援だ」


 「それは構わないが、いいんだな、それで?」


 イヤーキャップ越しではなく、生の肉音で冬馬が聞く。怒鳴るような声で確認を取る彼に千景は無言で首肯した。それを見て、わかったよ、とため息混じりに冬馬は準備を始めた。


 朱燈以外の全員が命綱を付けると千景もまた軽機関銃を手にヘリの扉前に並んだ。操縦席と後部客席の間にある何もないスペース。通常は乗り降りを円滑にすすめるためだけの空間だが、今回はわかりやすく千景達が銃を撃つための足場になっていた。


 前列に千景と冬馬が、後列に嘉鈴とクーミンが立ち、その銃口を正面へと向ける直列二列。唯一、遠距離攻撃の手段を持たない朱燈は退屈そうに席に座って、頬を膨らませていた。


 「じゃぁ、扉を開けてください。ヘリはなるべく水平に保ったまま、輸送機に合わせるように飛んでください!」


 千景の注文に応えるように操縦士はサムズアップで返す。よし、と彼らが銃を構える中、ヘリの扉のロックが外れる音が静かに響いた。


 ヒュオーという音と共に横開きのドアが開いて行き、その瞬間から凄まじい強風が彼らの顔に拭きかかった。耳の中に竜巻が飼われているのではと錯覚するような風音の中、ぶくぶくと風を含んだジャケットがなびいた。


 扉が完全に開くと同時にそれまでは遮光ガラスのせいで黒みがかっていた景色に白が宿る。払暁の空から一気に昼時まで時が進んだかのような眩い天空の情景、しかしそれを楽しむまもなく千景達の目線は群がるハルピーに釘付けになった。


 「総員、放て!!」


 千景の号令と共に二機のヘリが銃撃を開始する。各々の銃器が待ってましたとばかりに橙色の火を吹き、その爆音に紛れてチャラチャラと排出された金色の薬莢がヘリのスキッドにぶつかり、はるか眼下へと落ちていった。


 突然の上空からの強襲にハルピー達は恐れ慄き混乱した。それまで意気揚々と捕食者の立場で輸送機を襲っていた彼らは途端に統率をなくし、バラバラになって飛び始めた。


 乱反射する彼らの眼窩からは鈍い光がいくつも点滅し、その都度別の個体が同じように眼窩に光を点滅させる。光信号のような手法で意思疎通を図る彼らを無慈悲に天空から放たれた鋼の弾雨は停止した個体から狙いすましたように撃ち殺していった。


 ハルピーの頭部は髑髏に似ている。無論、そういう仮面なのだが、眼窩に当たる部位に彼らの目はなく、あるのは粘性の薄い膜とその中で大量に繁殖している発光能力が菌類だ。それらはハルピーの髪の毛にできるシラミやアカを食って繁殖しており、夜闇の中を照らすライト代わりにもなれば、ハルピー同士が意思疎通をするための重要な手段にもなる。統率に欠かせない大事なツールなのだ。


 「なるべく、光信号を出しているやつから優先的に叩け。そいつは他よりも頭が回る。リーダーかもしれない」


 オーガフェイスであれば多様な咆哮と身振り手振り。ネメアであればその強さ。群れをなす生物は強いリーダーシップを持つ生物によって統率され、結果的にはそれは人類にとってこの上なく厄介な敵となる。


 だから狙うならばまずは頭目あたま。それを念頭に置き、千景は引き金を引き続けた。


 胴体部に戻ったクリスティナを見れば、なぜだかこちらを睨んでいる気配があった。余計なおせっかいを、とでも思っているのか険しい表情を彼女は浮かべていた。


 そう睨まれてもな、と千景は肩をすくめる。そも、一人で40匹以上はいるハルピーを倒そうなど土台不可能なのだ。なぜ、そうなんでもかんでも一人でやろうとするのかね、としみじみ疑問に思いながら、ふと彼が輸送機の胴体下部を見るとハルピーの一体が張り付き、装甲板を剥がそうとしていた。


 「ちぃ。クー狙えるか?」

 「えーっと、うーん。輸送機に穴を開けていいなら?」


 「却下だ。俺が始末書書くことになんだぞ」


 身を乗り出し、狙撃銃を構えるクーミンのとんでもない提案を却下し、千景はどうすっかな、と思考をめぐらせる。しかし彼が結論を出すよりも早く、通信に割り込んできた人物がいた。


 『こちらで対処します。そっちはそっちの仕事をやってください』


 つんとした張りのある声だ。それがクリスティナのものだと千景が気づいたのは彼が輸送機の側面を走る彼女の後ろ姿を見た時だった。


 ハーネスを付け、クリスティナはほぼ垂直になって側面を走る。銃器を抱えたまま、その健脚で。


 ジャンプ。跳躍と同時に彼女は下部に取りついたハルピー目掛けてフルオートの銃撃を喰らわした。舞い落ちるハルピーを尻目に宙ぶらりんになった彼女めがけて別のハルピーが迫る。直後、クリスティナの腎部から黒い結晶に包まれた尾が飛び出した。


 影槍。先端が穂先状だからプレーン型か、と千景は脳裏でつぶやいた。


 影槍にもいくつかバリエーションがある。たとえば千景やクリスティナが使うタイプはプレーン型と呼ばれる。ほどほどの耐久性とリーチが特徴的で、良くも悪くも短所がない。反面長所もない。


 クリスティナの腰部から伸びた影槍は全長3メートルほど。甘く見積もれば3メートル半ぐらいだろうか。プレーン型として見れば長い方だし、太さもある。しかしその分、消費も大きい。


 ブンと影槍を振るいハルピーを捨てる影槍の穂先はすでに崩壊が始まっていた。風前の粉雪がごとく、チリチリと舞っていく黒結晶。長ければ必然、持久力は下がる。まして散々飛んだり跳ねたりを繰り返した後であればそも影槍を出せること自体がおかしかった。


 「まずいな、そろそろあいつの体力が尽きる」


 どれだけの長時間、クリスティナが戦っていたのかを千景は知らない。一時間かもしれないし、30分かもしれない。しかし慣れない雲上の戦いは確実に彼女の体力を奪っていた。


 持久力に定評のあるプレーン型が長く維持できないのがいい証拠だ。戦闘目的でも20分は持続するそれがわずか数秒足らずで自己崩壊を始めるなど、とても常識ではありえない。


 「とにかく、あいつにハルピーを」


 再度、軽機関銃に取り付けられたスコープを覗き見る千景は、そこで言葉を止めた。喉に魚の小骨が詰まった鴨に似た声でうめき、はっとなってスコープから千景は視線を外し、眉間に皺を寄せた。


 直後、崩壊しかかっていたクリスティナの影槍が再度結合を始めた。しかしその先端に出来上がったのは槍の穂先に似たプレーンタイプのものではない。どことなくフォークを思わせる奇怪な形状へと変形し、輸送機の下部を掴み、彼女自身を持ち上げた。


 中空に放りだされたクリスティナは素早くワイヤーを自身から切り離し、腎部から伸びる影槍をさらに延長する。狙いは上空を飛ぶ一体のハルピー。突然、頭上から繰り出された影槍の刺突によってバランスを崩し、ゆっくりと主翼に落下するハルピー目掛けて彼女もまた飛び降りた。


 一連の出来事はわずか十数秒の間の出来事だった。しかし脳裏に刻み、感じ入るのに十分な時間だ。


 「第三世代。完成してたのか」


 朱燈や冬馬をはじめとした第二世代、その次代である第三世代の影槍保持者。クリスティナが行った影槍の形状変化はそうでもなければ説明がつかない。


 長さを変えることはできても大胆な形状変化できないのが常識だった影槍。その常識が打ち破られ、自在に形状を変えられるとなればなるほど彼女の自信にも合点がいった。


 両脇に抱えられた二丁の重機関銃と特異な影槍。それが扱えるという傲慢にも似た自負あればこそ、援護がいらないなどと大言を吐けたのだろう。


 真実、千景達の援護ありきとはいえ、ハルピーはもう数えるほどまでに減少していた。残り8匹かそこらだろうか。


 『室井!お前から見て2時の方向!ハルピーの行動に異常!』


 声の主は苑秋だ。切羽詰まった様子の彼の報告に、千景は一も二もなく言われた方角へ銃口を向けた。


 「つ」


 眼前の光景に一瞬だが、千景は目を奪われた。徒食というありふれた行為、しかし振るわれる対象が違えば目を見張りたくもなる。


 大顎を食べ盛りのやや子のように大きく広げ、ともがらの肉を喰らう。褐色の翼がパラパラと古びた樹皮のごとく空へと散り、混じって赤みがかった肉が粘性の膜を帯びてひとつ、またひとつと落ちていった。


 共食い。


 おおよそそれ以上にその行為を端的に表す言葉もないだろう。同種の肉を食う、本来は忌避すべき行為。旧来の自然界でも一部の類人猿を除けばほとんどお目にかからない行為だ。まして鳥同士など。


 通常は、有事の補給手段。それも最後の補給手段だ。しかしことフォールンが共食いをするとなればその意味合いはまた大きく異なる。


 せっつく餓鬼のごとく背後から仲間に組み付き、抵抗の暇も与えず食っていく悪羅の姿を見て、すぐさま千景の銃は火を吹いた。


 捕食の途中だというのに、ハルピーは機敏にそれをかわす。元より風が強い天空での戦い、点による攻撃など対物ライフルでもなければ当たりっこない。


 あのハルピーを狙えと指示を出すか否か、彼が迷う中不意にハルピーの頭部が隆起した。ぼこぼこと鍋の中で泡立つ水面がごとく、不自然にふくらむハルピーの頸部。それを見た瞬間、好機とばかりに残る弾丸をすべて吐き出すつもりで千景は引き金を引いた。


 雲上の戦いでは本来すべきではない弾丸の無駄撃ちとも言える集中砲火フルオート。珍しく視線を血走らせる千景を見て、冬馬がその列に加わった。二人が頭上へ視線を移す中、彼ら以外のメンツは眼下のハルピーを見やった。


 するとあろうことか、そのハルピー達はことごとく高度を上げていく。視線で追った先に滞空するハルピーがいると知った時にはもう手遅れだった。


 残る数体のハルピーは猛然と上空へ飛び、銃弾と対空するハルピーの間に割って入った。盾となって放たれる銃弾から、滞空するハルピーを守護したのだ。それが生物的な行動なのか、はたまた何かに誘導されたのかは誰にもわからなかった。


 兎にも角にもハルピーが盾となった仲間を守った。それは事実だ。


 ハラハラと落ちていくハルピーの中、不気味な一対の光がぼんやりと光る。それが目ではなく、発光器官であると知っていても、どことなく目に見えてしまうのはシミュラクラ現象だろう。


 顔を覗かせる怪鳥。それは頸部に体毛に比して明るい赤褐色の喉袋を有していた。体躯はハルピーとさほど変わらない。しかし首が延長した分、やや大ぶりに見えた。


 ヘルン。人類はその怪鳥をそう呼ぶ。北欧神話においてオーズを探すフレイヤが名乗った偽名にあやかり名付けられた異端の怪鳥は、その名前が示す通りに輩を呼ぶ。


 「HRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!!!!!!!!」


 甲高い大音響が周囲一円にこだました。おおよそ、ソプラノ歌手が聞けば喉から手が出るほど欲しい美声。これさえあれば女王のアリアだって歌えるのに、と歯軋りする嬌声。


 しかし案の定、化け物の美声など元来ろくでもないものだ。その声は旅人を魅了し、船乗りをぼやけさせ、匹夫を狂わせる。


 人が聞けば単なる美声だが、同種が聞けばその声はいわば求愛行為だ。美声に導かれるように数多の貴公子が押し寄せてもおかしくはない。


 美声が鳴り止まぬ中、無数の金切り声が輸送機の後方から聞こえてきた。同時にセンサーの警報音が鳴る。汗ばんだ声でヘリの操縦士が千景に状況を知らせた。


 「ちっ。マジかよ」


 立ち上がり、ヘリの前方を千景は見る。つい先程まで白かった雲塊の中、黒い塊が近づいてくるのが見えた。


 「だーくそ。はー。もういや!」


 雲中から矢のように飛び出す、ではなく、ホラー映画さながらに顔を覗かせるのは無数の怪鳥。ハルピーの群れだ。異常なほどの数だ。


 「何体くらいです?」

 「百は超えていますね」


 操縦士の忌憚のない意見を聞いて、はぁ、と盛大なため息を千景は吐いた。


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