第26話 雲上の戦いⅡ

 ——初めて見た時、無数の幽鬼に思えたんだ。


 目撃当初、ある兵士は自身の見た敵の姿をそう表現したという。


 焦げた両足はしかして白い。親指に相当する部位だけが欠け、それ以外は黄色を帯びている。広げられた両の手のひらはどこまでも透き通り、触れるものの首を折る。


 羽ばたく褐色の大翼。おおよそ、飛ぶ機能があるようには思えない形状の胴体をはるか上空1万メートルの高みへと持ち上げる馬力がある。


 頭は人の腹ほど大きく、あんぐりと大顎を開いて吠える、吠える。黄ばんだ髪が空の息吹に任せていなないているその姿はなるほど幽鬼に見えた。


 「ハルピー……」


 現生下位飛翔群衛種、ハルピー。屍喰らいの骸骨鳥とあだ名される飛行型フォールンは千景達の目的である輸送便サモルート676便に群がり、空賊さながらにそのすべてを奪わんとしていた。


 「クソ。マジかよ!」

 「どーしたの千景。F.Dがどうのって」


 千景の慌てぶりを不審に思ったのか、後部座席で地蔵になっていた朱燈が身を乗り出した。こちらの気持ちなどまるで考えていない無法ぶりに若干イラッときたが、ため息混じりに千景は付けているゴーグルを指差した。


 ゴーグルを指差す、つまりは遠くのものを見ているというジェスチャーのつもりだったが、あいにくと朱燈は可愛らしい紅玉の瞳をまんまるくして、きょとんと首を傾げた。思い通りにならず、歯軋りをする千景を他所にがやがやと後ろの方から大人数が近づいてくる気配があった。


 こうも集まってはもう見て確認させるより、言ってしまった方が早い。ジャケットの襟を手繰り寄せ、そこに仕込んであるマイクに千景は話しかけた。


 「全員、傾聴」


 交信先は千景の部隊にとどまらない。ついの率いる第二特務分室第一小隊の面々にも彼の通信は届いた。


 突然の通信に動揺の声が漏れる。言わずもがな、第二特務分室の面々からだ。なんだいきなり、とか、あぁ、とか、色々とわめくが、しかし苑秋えんしゅうに一喝されておとなしなくなった。


 「前方、7キロ先。例の輸送便を発見した。あいにくとハルピーの護衛付きだけどな」


 出発前とは打って変わった雑な口調。それだけ状況が逼迫しているということを感じ取ったのか、追従するように竟が割り込んできた。


 『数は?』


 「目視できる範囲だと30から50。かなりの大所帯……ん?」


 『どったん?』


 不意に言葉を途切れさせた千景を疑問に思い、竟は重ねて状況を確認する。一方、千景はと言えば副操縦席から身を乗り出し、ジェスチャーで操縦士に少しだけ上昇するようにうながした。


 千景の意思を汲み、操縦士はヘリコプターをわずかに上昇させる。突然並列隊形を解いたことに僚機からは疑問の声が飛ぶが、千景が気せず、ハルピーの死骸を目で追った。


 やがて輸送機の背面部が一望できる高さにまで上昇すると、ようやく千景が感じた違和感は氷解した。


 小さいが、輸送機の胴体部を走る人影がいる。両手に大口径の重機関銃を携えた厳翼の徒。烈風吹き荒ぶ戦場を直走る彼女は舞うようにハルピーに銃撃を加え、その命脈を経っていく。


 強風をものともしない健脚。走りながらでも弾丸を当てる高い照準能力。その華奢な体躯からは想像もできない加速と失速を幾度となく繰り返し、所狭しと戦場を縦横無尽に飛翔するその姿はさながら戦乙女のそれだった。


 ひらひらとはためく紫銀の長髪が翼のように見えたのは彼女がツインテールにしているからだ。なにより、顔女が着ている防寒ジャケットは千景達が着ている東京サンクチュアリ支部のものではなく、薄い灰色がかった異色のジャケットだった。


 瞳の色は蒼。黒いショートパンツの内側から覗かせるホットタイツ越しに見る艶かしい健脚は扇状的で、ある種の芸術の領域にあっただろう。


 彼女、クリスティナ・アールシュレッツェは縦横無尽に戦場を駆け回る。それが己に課せられた使命、至上命題と言わんばかりの傲慢さで。その姿は北欧の戦乙女を彷彿とさせた。


 戦場で暴れ回るその姿をはるか上空から傍観する千景は、しかしただ見ているだけではなくどうにかしてクリスティナとの間に回線をつなげないか躍起になっていた。


 彼の背後ではガチャガチャとヘリのローター音をものともしないやかましさで隊員達が自身の銃器を点検していた。特に補給が難しい天空の戦いではちゃんと武器が動くかどうかは死活問題だ。


 千景には見えないが、朱燈は自身の帯熱刀を鞘から覗かせ、動作確認をしていた。彼女が帯熱刀を起動させた瞬間、わずかに耳鳴りが起き、周囲の温度が上昇したが、気付いたものはほとんどいなかった。


 天空での戦い、銃撃戦が主体となる戦場には似つかわしくはないが、それでも朱燈が帯熱刀を持ち込んだのには理由がある。万が一の近接戦を想定してのことだ。半ばゴリ押しで千景に持ち込ませたのはいい思い出だ、と記憶を美化して朱燈はほくそ笑んだ。


 冬馬と嘉鈴はそれぞれの軽機関銃、SISi-70の薬莢排出装置がちゃんと動作するかを確認する。マガジンを入れずに引き金を引きっぱなしにするとカスカスと銃口から空気が漏れ、同じ勢いで銃の右側面部からカスカスと空気が漏れた。


 旧時代以前から銃というのはさほど進化していない。無論、弾薬の威力や銃内の各種機構は簡易化されたり、強度が増したりと色々と進化しているが、単発銃が連発銃に、先ごめ式が後ごめ式に、のっぺらぼうからライフリング付きになったような、銃の根幹にかかわるようなブレイクスルーというものはあまり起こっていない。


 必然、自動小銃、軽機関銃などは銃弾がきちんと弾倉に入らず弾詰まりを起こすケースが何度かあるし、使い過ぎれば銃身が破裂する。レーザー銃でもあれば話は変わるのだろうが、23世紀も残り30年もない中にあって、しかし人類は未だに火薬兵器を使い続けていて、弾詰まりが起こるとコッキングレバーをガチャガチャとさせていた。


 銃に加えて冬馬はさらにキャビン裏にある格納庫から一枚の盾を持ち出した。その表面や裏面にへこみがないかを確認し、冬馬はよし、とにんまり笑顔を浮かべた。


 対フォールン用特殊防楯。ヴォルフラム合金製の高密度耐熱防楯であるそれは下位のフォールン程度の爪になんなく耐え、時には中位種の一撃を受けても曲がらない頑強さを持つ。それでも盾を持つのはあくまで人間だ。


 屈強な体格の冬馬であっても、スカリビの衝突などを受けては五臓六腑すべてがスクランブルエッグ状態になる。だから、冬馬の役回りは主として壁役ではあるが、その実、彼が相手の攻撃を受け止めるということは少ない。どちらかと言えば受け流すのが主体だ。


 何を思ってか、銃撃戦に盾を持ち出す冬馬を他所にクーミンもまた格納庫から自身の獲物を取り出した。持ち出されたのは彼女の身長を超える大型のケース。それを開くと、中から無骨な長ものが姿を現した。


 ApSG-34A。18ミリ弾の使用を前提に開発されたドイツは「A×E」社製対物ライフルである。長い銃身、引き締まった先台、コンパクトな銃床を持つヴィーザル正式採用の重狙撃ライフルはちょうどクーミンの方ほどの高さがあり、彼女はそれを抱える時、少しだけよろけた。


 鈍重にして質実剛健なその外観は否応なしに秘めたる威力を想像させ、幼い少女が手に持つ時、一際無骨さが滲み出る。隠しようのない破壊の象徴を彼女は持ち上げ、カシャンと引き金を引く。ボルトアクションではない自動装填装置を搭載したそれは弾数も多く、ヴィーザルに属する狙撃手の多くが愛用している。命中精度の高さも一因だろう。


 それぞれがそれぞれ、臨戦体勢を整えていく中、千景はあいかわらず通信を試みていた。そしてもう何度目かもわからない交信のための周波数がようやく合った頃、彼らを載せたヘリは輸送機の間近まで迫っていた。


 間近で見ると、ハルピーの群れというのは圧巻だ。遠くからでは小蝿にしかみえなかったものがだんだんと輪郭をなしていき、人間の子供台の大きさの怪鳥であると知った時、否応なしに嫌悪感を覚えさせた。


 体長1.5から1.7メートル。翼長は裕に3メートルにまで迫る。汚い泥土色の翼毛をはためかせ、けたたましく雲上を飛翔するその姿は黙示録のごとくであった。


 ヘリを輸送機から離れた位置に固定させ、千景は再度通信を試みる。直後、やや面倒くさそうな反骨精神たっぷりのクソ生意気な声が彼の耳元でささやいた。


 『なん、ですか?』


 初めて聞く声。それがクリスティナの声だと認識した千景は矢継ぎ早に自身の所属を彼女に伝えた。


 彼女はそれを聞き、不機嫌そうに「それで?」と返した。


 「状況は逼迫している。今後、どれだけハルピーが増えるかもわからない。今からロープを下ろすからそれにつかまってヘリに」


 『いりません』


 「なんだって?」

 『救助の心配はいりません。私一人でどうにかします』


 ちょっと待て、という暇もなく通信は一方的に切られた。そして直後に彼女は左右の重機関銃を抱えたまま、尾翼めがけて走り出した。


 左右に抱える20キロ近くもある重マシンガンを彼女は連射する。セミオートからフルオートへ移行したことでそれまでは断続的だった銃撃が間断なく撒き散らした。


 腰からぶら下がるベルトリンクは彼女が飛んだり、跳ねたりするごとにひらひらと舞い、黒線を引く。左右腰部から垂れ下がった大型マガジンに収まったそれは非常に重く、銃器も込みならば重量は軽く20キロを超える。


 それを自在に、軽々と扱えるのはクリスティナが筋肉質だからだとか、低重力がなどということは関係ない。そも、クーミンが身の丈に合わない鈍重な銃器を扱えている時点で、個々人の筋力や環境というのはあまり関係ない。


 影槍を埋め込まれた人間は大概、あれくらいはできる。それだけの話だ。


 体内の老廃物を硬質化させ、第3の腕のごとく振るう生態機械、影槍。正式名称を「Under-Javelin」というそれはただ人体に埋め込んですぐ使えるという代物ではない。


 埋め込み施術に先んじて、投薬や人工筋肉の追加による肉体改造はもとより、後天的なゲノム編集などが行われ、三半規管の強化したり、ホルモンバランス、一部栄養物質の強制的な偏りを設けたりする。必然、一般的な人間に比べて頑強、しかし内臓のバランスが著しく崩れた人間が生まれる。


 そんな施術を成長期を終えた成人にできるわけもなく、もっぱら対象となるのは発育期まっさかりの少年、少女達ということになる。特務分室にいる面々が20代になるかならないかのメンツである理由だ。


 つまりは全員が全員、その腎部に影槍を内臓した強化人間。もっとも、ホルモンバランスの乱れや栄養物質の偏りと言ってもそう致命的なものではなく、朱燈をはじめとした第二世代の影槍保持者であればせいぜいカロリー消費が激しかったり、貧血や心不全を起こしやすい程度だ。


 そんな超人的な肉体を有していても、多勢に無勢であることは否めない。


 ハルピーは雲中から湧き出てはクリスティナを無視して輸送機の翼に食らいつき、あるいは細腕で装甲板をひっぺ返そうとした。その都度、クリスティナは左右の銃器を向けるが、エンジン付近では如何せん誘爆の危険性があるため、狙いはブレる。


 遠目からでもわかるほど表情が曇り、銃口がブレる。精密射撃は苦手なのか、なかなか撃とうとしなかった。


 やがて、彼女は飛行機の胴体から飛び降り、翼へと移った。至近距離で相手を仕留めるつもりだ。


 疾走その最中、エンジン付近に食らいついたハルピー目掛けて銃火を放つ。フルオートの15ミリ弾が側面からハルピーの体に食い込み、仮面ごとその体を破壊していった。


 「すごいな」


 思わず見惚れながら、ぽろりと千景はそうつぶやいた。

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