第9話 雲上の戦い

 雲中、千景達を乗せたヘリコプターは順調に、北東方向へ向かって進んでいた。


 寒空、しかし夏場の湿気によって発生した雲が幾重にも覆い被さり、白喪のカーテンを形成していた。連日の陽光がまるで嘘のように蒼穹を閉ざし、見えるものは右を向いても左を向いても白一色の無感動な景色ばかりだ。


 並走しているはずの僚機の姿は見えず、かろうじて赤外線通信を通じてちゃんと隣を並走していることがわかる。雲中の中ということもあり気流は乱れ、時にはみぞれが殴りつけるように降り注ぐこともあった。


 冷気に晒されて窓には氷が貼り、キャビンの中で冬馬は仕切りに窓を叩いて、それを剥がしていた。普段の低空飛行とは違う景色に皆、浮かれ立ちそわそわとしていた。だからか、冬馬以外にも朱燈は借りてきた猫のように体育座りで座席に座り、微動だにしなかったし、嘉鈴はうわごとのようにキャビンの天井部分を見つめながら、トランプを擦っていた。


 多くが浮つく中、千景とクーミンはいたって冷静に雲中に目を光らせていた。常日頃から小隊の索敵をしているせいか、慣れない状況であっても染み込んだ狙撃手として叩き込まれた教訓やら戦訓やらがうまい具合に作用した結果だ。


 視線の先、3メートル先すらも見えないまま、時折手元のマルチウォッチを起動し、千景は周囲のF.Dレベルを計測する。無論、彼がやらずともヘリの計器やレーダーでもそれは測れる。あくまで念の為だ。


 現在は高度1万メートル以上、飛行機ならばいざ知らず、ヘリに乗っていれば呼吸器を必要とする高さだ。ヘリの操縦士も大きめのマスクを付け、耐衝撃緩和装置内臓のアーマーを装着し、その体はがっちりと操縦席に固定されていた。ヘリから離脱する場合はアーマーがパワードスーツ代わりになって、コックピットを跳ね除けるという仕組みになっている。惚れ惚れするガチガチの重装仕様だ。


 他方、千景達はと言えば離床の際に首につけたチョーカータイプの呼吸器だけだ。酸素供給用のボンベもなければマスクもない。代わりに彼らがつけている呼吸器の後部には体内の酸素を圧迫、循環させるマイクロマシンが搭載されており、影槍を背部に仕込む人間に限定して、高高度での呼吸を可能としていた。


 22世紀以前より、ヘリコプターをより高高度で運用できないか、という試行錯誤は続けられてきた。機敏かつ鋭敏に目標を殲滅できる兵器をより自由に使えれば、そんな思惑からパワードスーツや小型の呼吸器が作られた経緯がある。


 片や中世の騎士や武士を彷彿とさせ、片や近代から現代にいたるまでの軽量兵装として生まれたのは人類の進化の歴史を物語っていた。大型化と小型化、この二つは堂々巡りの関係にあり、小型化が行き詰まれば必然、大型化が台頭してくる。技術が成熟すればその逆が起きる。


 雲中を飛翔するヘリコプターもまたその一つだ。静音性の高い特殊ブレード、大型のキャビンを抱えて飛ばせる高馬力のエンジン、オートメーション化され従来は自動操作が難しかった固定火器をパネルひとつで動かせる高度なOS。それらは小型化と大型化のよい塩梅で組み上がり、天空を颯爽と翔ける。


 やがて二機のヘリは雲の中から脱出し、白が消え、天上の陽光がパッとキャビンの中にまで差し込んできた。窓側にいた冬馬はわっと驚きの声を上げ、陽光がトランプに当たった嘉鈴はハッとなって顔をあげた。そして相変わらず朱燈は石像のように固まっていた。


 暗いキャビンが一気に明るくなり、視界が開ける。


 広がるのは白衣の峡谷。ブカブカとしたポケットの中を除けば青白い蛇が幾多も下界へ向かって走り、腹を鳴らしていた。


 谷は幾重にも枝分かれし、時には雲塊がヘリの真横を通り過ぎた。さながら雲上にある八哥鳥の巣のごとく。懐いているつもりなのか、とかく近い。雲が近づくたびに操縦士が操縦桿を右へ、あるいは左へと向け、それを回避していた。


 あるいは巣ではなく、迫り来る雲塊は巨岩かもしれない。巨岩が大河を流れ落ちるがごとく、それは絶え間なく押し寄せては消え、押し寄せては消えを繰り返す。いくつもの積乱雲が渦巻く魔境を二機のヘリは時に並走し、時に列を成して進み続けた。


 「なんていうか。大分順調、だな」


 それまで一言も発してこなくて、実は二重人格なんじゃないか、と千景が彼を疑い始めた頃、不意に冬馬が口を開いた。チャンネルを彼らの小隊専用のものにセットして、話しているせいで、前の操縦士には聞こえない。耳元でおしゃべりを始めた先輩に振り向き、呆れた目を向けた。


 中々どうして順調なフライトじゃないか、と言っているのかもしれないが、あいにくと空こそもっとも警戒しなくてはいけない。地上と比べ、空と海では人とフォールンの間に力量差がありすぎる。


 「このまま目的の輸送機にまでたどり着けそうだな、て?」

 「そうそう。なぁ、千景!」


 「——いや、そんなわけないでしょ、冬馬先輩」


 嘉鈴が頷いて、声を上擦らせる冬馬を千景は正面からばさりと切り捨てる。なんでだよぉ、と冬馬は口を尖らせる。嘆息し、千景はその理由を言った。


 「空でフォールンと戦うのは基本的に分が悪い。向こうが三次元で動けるのに、こっちは二次元でしか的を撃てないんだから」


 「あたしは三次元できるけどね!」


 「5分、10分で敵が死ぬならねっておい!」


 調子を取り戻し、自慢げに朱燈が胸を張る。しかし即座に千景が皮肉をこぼしたせいで、また立腹モードになってしまい、その際の制裁を千景は受けた。座席目掛けてのダイレクトなキックであった。


 2人の茶番を無視して、なるほどね、と冬馬はこぼす。同時にブルルと彼は寒気でも覚えたのか両腕をさすった。


 「冬馬、風邪?」

 「いや、なんか悪寒が」


 「冬馬のママがなんだって?」

 「オカンじゃねーよ」


 今日日きょうび、オカンなんて表現も聞かないが。


 珍しく噛み付く冬馬をからからと嘉鈴は笑う。しんと静まり返っていたキャビンの中が賑やかになり、自然と場の空気が和らいだ。


 歓談が生む魔力的な賑やかさはガスのようにヘリ内に充満し、それまで緊張し切っていた彼らの口元を緩ませる。どうということはない普段通りの会話がだらだらと続く中、ふと彼らの会話に割り込んでくる通信があった。


 「前方、F.Dレベル上昇!」

 「種別は?」


 「固有パターン計測……。ハルピーです!」


 操縦士の報告に千景は舌打ちをする。空席になっている副操縦士席に移動し、ゴーグルのスコープ機能をオンにした。


 操縦士が付けているマスクに付いているものと同様の機能。最大望遠でならば10キロ以上離れたものであろうと、高解像度で把握可能な超小型AIによる補助付きだ。しかもサーモ、赤外線、暗視機能まで付いている。


 起動と同時にいくつもの雲塊を越え、千景の目は空を翔る。そしてその超高性能ゴーグルをして、厄介な絵が視界に飛び込んできた。同様に同じ光景を目にしてしまったからか、操縦士もまた千景同様に「ぃい!?」と喉を締め上げられたような声を上げた。


 眼前、群がるのは汚い茶色の軍勢だ。骸骨頭の波打つ悪羅あくら。聞こえないはずの奇声すら聞こえそうなほど群がっている。


 焦げた両足はしかして白い。親指に相当する部位だけが欠け、それ以外は黄色を帯びている。広げられた両の手のひらはどこまでも透き通り、触れるものの首を折る。


 羽ばたく褐色の大翼。おおよそ、飛ぶ機能があるようには思えない形状の胴体をはるか上空1万メートルの高みへと持ち上げる馬力がある。


 「ハルピー」


 現生下位第三飛翔群衛種、ハルピー。屍喰らいの骸骨鳥とあだ名される飛行型フォールンは千景達の目的である輸送便サモルート676便に群がり、空賊さながらにそのすべてを奪わんとしていた。


 「クソ。マジかよ!」

 「どーしたの千景。F.Dがどうのって」


 千景の慌てぶりを不審に思ったのか、後部座席で地蔵になっていた朱燈が身を乗り出した。こちらの気持ちなどまるで考えていない無法ぶりに若干イラッときたが、ため息混じりに千景は付けているゴーグルを指差した。


 ゴーグルを指差す、つまりは遠くのものを見ているというジェスチャーのつもりだったが、あいにくと朱燈は可愛らしい紅玉の瞳をまんまるくして、きょとんと首を傾げた。思い通りにならず、歯軋りをする千景を他所にがやがやと後ろの方から大人数が近づいてくる気配があった。


 こうも集まってはもう見て確認させるより、言ってしまった方が早い。ジャケットの襟を手繰り寄せ、そこに仕込んであるマイクに千景は話しかけた。


 「全員、傾聴」


 交信先は千景の部隊にとどまらない。ついの率いる第二特務分室第一小隊の面々にも彼の通信は届いた。


 突然の通信に動揺の声が漏れる。言わずもがな、第二特務分室の面々からだ。なんだいきなり、とか、あぁ、とか、色々とわめくが、しかし苑秋えんしゅうに一喝されておとなしなくなった。


 「前方、7キロ先。例の輸送便を発見した。あいにくとハルピーの護衛付きだけどな」


 出発前とは打って変わった雑な口調。それだけ状況が逼迫しているということを感じ取ったのか、追従するように竟が割り込んできた。


 『数は?』


 「目視できる範囲だと30から50。かなりの大所帯……ん?」


 『どったん?』


 不意に言葉を途切れさせた千景を疑問に思い、竟は重ねて状況を確認する。一方、千景はと言えば副操縦席から身を乗り出し、ジェスチャーで操縦士に少しだけ上昇するよううながした。


 千景の意思を汲み、操縦士はヘリコプターをわずかに上昇させる。突然並列隊形を解いたことに僚機からは疑問の声が飛ぶが、千景が気にすることはなかった。


 やがて輸送機の背面部が一望できる高さにまで上昇すると、ようやく千景が感じた違和感が氷解した。


 輸送機の胴体部を走る人影がいる。両手に大口径マシンガンを装備した厳翼の徒。烈風吹き荒ぶ戦場を直走る彼女は舞うようにハルピーに銃撃を加え、その命脈を経っていく。


 強風をものともしない健脚。走りながらでも弾丸を当てる高い照準能力。その華奢な体躯からは想像もできない加速と失速を幾度となく繰り返し、所狭しと戦場を縦横無尽に飛翔するその姿はさながら戦乙女のそれだった。


 ひらひらとはためく紫銀の長髪が翼のように見えたのは彼女がツインテールにしているからだ。なにより、顔女が着ている防寒ジャケットは千景達が着ている東京サンクチュアリ支部のものではなく、薄い灰色がかった異色のジャケットだった。輸送機の上を疾走する彼女は二次元的、平面的に見れば、まさしく翼はばたかせる戦乙女であったことは自明と言える。


 瞳の色は蒼。黒いショートパンツの内側から覗かせるホットタイツ越しに見る艶かしい健脚は扇状的で、ある種の芸術の領域にあっただろう。


 彼女、クリスティナ・アールシュレッツェは縦横無尽に戦場を駆け回る。それが己に課せられた使命、至上命題と言わんばかりの傲慢さで。


 それをはるか上空から傍観する千景は、しかしただ見ているだけではなくどうにかしてクリスティナとの間に回線をつなげないか躍起になっていた。


 彼の背後ではガチャガチャとヘリのローター音をものともしないやかましさで隊員達が自身の銃器を点検していた。特に補給が難しい天空の戦いではちゃんと武器が動くかどうかは死活問題だ。


 千景には見えないが、朱燈は自身の帯熱刀を鞘から覗かせ、動作確認をしていた。彼女が帯熱刀を起動させた瞬間、わずかに耳鳴りが起き、周囲の温度が上昇したが、気付いたものはほとんどいなかった。


 天空での戦い、銃撃戦が主体となる戦場には似つかわしくはないが、それでも朱燈が帯熱刀を持ち込んだのには理由がある。万が一の近接戦を想定してのことだ。半ばゴリ押しで千景に持ち込ませたのはいい思い出だ、と記憶を美化して朱燈はほくそ笑んだ。


 冬馬と嘉鈴はそれぞれの軽機関銃、SISi-70の薬莢排出装置がちゃんと動作するかを確認する。マガジンを入れずに引き金を引きっぱなしにするとカスカスと銃口から空気が漏れ、同じ勢いで銃の右側面部からカスカスと空気が漏れた。


 旧時代以前から銃というのはさほど進化していない。無論、弾薬の威力や銃内の各種機構は簡易化されたり、強度が増したりと色々と進化しているが、単発銃が連発銃に、先ごめ式が後ごめ式に、のっぺらぼうからライフリング付きになったような、銃の根幹にかかわるようなブレイクスルーというものはあまり起こっていない。


 必然、自動小銃、軽機関銃などは銃弾がきちんと弾倉に入らず弾詰まりを起こすケースが何度かあるし、使い過ぎれば銃身が破裂する。レーザー銃でもあれば話は変わるのだろうが、23世紀も残り30年もない中にあって、しかし人類は未だに火薬兵器を使い続けていて、弾詰まりが起こるとコッキングレバーをガチャガチャとさせていた。


 銃に加えて冬馬はさらにキャビン裏にある格納庫から一枚の盾を持ち出した。その表面や裏面にへこみがないかを確認し、冬馬は微笑をこぼした。


 対フォールン用特殊防楯。ヴォルフラム合金製の高密度耐熱防楯であるそれは下位のフォールン程度の爪になんなく耐え、時には中位種の一撃を受けても曲がらない頑強さを持つ。もっとも、盾がどれだけ頑丈だろうと、持つ人間が貧弱ではあまり意味はないが。


 屈強な体格の冬馬であっても、スカリビの衝突などを受けては五臓六腑すべてがスクランブルエッグ状態になる。だから、冬馬の役回りは主として壁役ではあるが、その実、彼が相手の攻撃を受け止めるということは少ない。どちらかと言えば受け流すのが主体だ。


 何を思ってか、銃撃戦に盾を持ち出す冬馬を他所にクーミンもまた格納庫から自身の獲物を取り出した。持ち出されたのは彼女の身長を超える大型のケース。それを開くと、中から無骨な長ものが姿を現した。


 ApSG-34A。14.5ミリ弾の使用を前提に開発されたドイツは「A×E」社製対物ライフルである。長い銃身、引き締まった先台、コンパクトな銃床を持つヴィーザル正式採用の重狙撃ライフルはちょうどクーミンの方ほどの高さがあり、彼女はそれを抱える時、少しだけよろけた。


 鈍重にして質実剛健なその外観は否応なしに秘めたる威力を想像させ、幼い少女が手に持つ時、一際無骨さが滲み出る。隠しようのない破壊の象徴を彼女は持ち上げ、カシャンと引き金を引く。ボルトアクションではない自動装填装置を搭載したそれは弾数も多く、ヴィーザルに属する狙撃手の多くが愛用している。命中精度の高さも一因だろう。


 それぞれがそれぞれ、臨戦体勢を整えていく中、千景はあいかわらず通信を試みていた。そしてもう何度目かもわからない交信のための周波数がようやく合った頃、彼らを載せたヘリは輸送機の間近まで迫っていた。


 間近で見ると、ハルピーの群れというのは圧巻だ。遠くからでは小蝿にしかみえなかったものがだんだんと輪郭をなしていき、人間の子供台の大きさの怪鳥であると知った時、否応なしに嫌悪感を覚えさせた。


 体長1.5から1.7メートル。翼長は裕に3メートルにまで迫る。汚い泥土色の翼毛をはためかせ、けたたましく雲上を飛行するその姿は黙示録のごとくであった。


 ヘリを輸送機から離れた位置に固定させ、千景は再度通信を試みる。直後、やや面倒くさそうな反骨精神たっぷりのクソ生意気な声が彼の耳元でささやいた。


 『なん、ですか?』


 初めて聞く声。それがクリスティナの声だと認識した千景は矢継ぎ早に自身の所属を彼女に伝えた。


 「状況は逼迫している。今後、どれだけハルピーが増えるかもわからない。今からロープを下ろすからそれにつかまってヘリに」


 『いりません』


 「なんだって?」

 『救助の心配はいりません。私一人で殲滅します』


 ちょっと待て、という暇もなく通信は一方的に切られた。そして直後に彼女は左右の重機関銃を抱えたまま、尾翼めがけて走り出した。


 左右に抱える20キロ近くもある重マシンガンを彼女は連射する。セミオートからフルオートへ移行したことでそれまでは断続的だった銃撃が間断なく撒き散らした。


 腰からぶら下がるベルトリンクは彼女が飛んだり、跳ねたりするごとにひらひらとひらひらと舞い、黒線を引く。左右腰部から垂れ下がった大型マガジンに収まったそれは非常に重く、銃器も込みならば重量は軽く20キロを超える。


 それを自在に、軽々と扱えるのはクリスティナが筋肉質だからだとか、低重力がなどということは関係ない。そも、クーミンが身の丈に合わない鈍重な銃器を扱えている時点で、個々人の筋力や環境というのはあまり関係ない。


 影槍を埋め込まれた人間は大概、あれくらいはできる。それだけの話だ。


 体内の老廃物を硬質化させ、第3の腕のごとく振るう生態機械、影槍。正式名称を「Under-Javelin」というそれはただ人体に埋め込んですぐ使えるという代物ではない。


 埋め込み施術に先んじて、投薬や人工筋肉の追加による肉体改造はもとより、後天的なゲノム編集などが行われ、三半規管の強化したり、ホルモンバランス、一部栄養物質の強制的に偏りを設けたりする。必然、一般的な人間に比べて頑強、しかし内臓のバランスが著しく崩れた人間が生まれる。


 そんな施術を成長期を終えた成人にできるわけもなく、もっぱら対象となるのは発育期まっさかりの少年、少女達ということになる。特務分室にいる面々が20代になるかならないかのメンツである理由だ。


 つまりは全員が全員、その腎部に影槍を内臓した強化人間。もっとも、ホルモンバランスの乱れや栄養物質の偏りと言ってもそう致命的なものではなく、朱燈をはじめとした第二世代の影槍保持者であればせいぜいカロリー消費が激しかったり、貧血や心不全を起こしやすい程度だ。


 そんな超人的な肉体を有していても、多勢に無勢であることは否めない。


 ハルピーは雲中から湧き出てはクリスティナを無視して輸送機の翼に食らいつき、あるいは細腕で装甲板をひっぺ返そうとした。その都度、クリスティナは左右の銃器を向けるが、エンジン付近では如何せん誘爆の危険性があるため、狙いはブレる。


 遠目からでもわかるほど表情が曇り、銃口がブレる。精密射撃は苦手なのか、なかなか撃とうとしなかった。


 やがて、彼女は飛行機の胴体から飛び降り、翼へと移った。至近距離で相手を仕留めるつもりだ。


 疾走その最中、エンジン付近に食らいついたハルピー目掛けて銃火を放つ。フルオートの12.7ミリ弾が側面からハルピーの体に食い込み、仮面ごとその体を破壊していった。


 「すごいな」


 素直な感想を千景は吐露した。過去、何度か重機関銃を左右に持って戦う影槍保持者を見たことはあったが、クリスティナの腕は彼らより数段勝る。やたら集弾性の低い重機関銃をきちんと当てる射撃の腕はもちろん、いざとなれば動ける度胸もある。


 技術という点で言えば彼女よりも上位の人間は多くいる。しかし重機関銃を拳銃でも扱うかのように軽々と振り回す豪胆さがあるかはわからない。


 「それでもやっぱり。無理だろ」


 群がるハルピーの群れは40を超えていた。クリスティナがどれだけ腕に覚えがあろうとそのすべてを一度に相手することはできない。


 「仕方ない。各員、銃構え」

 『お、動くの?』


 真っ先に返したのは竟だ。マイク越しに彼女が愛用している軽機関銃をジャキジャキと動かす音が聞こえた。


 「主翼に近づくハルピーを撃墜しろ。間違ってもエンジンに当てるんじゃないぞ?」


 『あいさ了解。それはそうと、作戦目的は支援でOK?』


 竟の問いにわずかばかり千景は思案する。そして「ああ」と返した。肯定する千景の言を得て、嬉しそうに竟は「あいあいさー」と返した。


 「聞いた通りだ。命綱をつけたら、全員ヘリの扉付近に並べ。銃撃支援だ」


 「それは構わないが、いいんだな、それで?」


 イヤーキャップ越しではなく、生の肉音で冬馬が聞く。怒鳴るような声で確認を取る彼に千景は無言で首肯した。それを見て、わかったよ、とため息混じりに冬馬は準備を始めた。


 朱燈以外の全員が命綱を付けると千景もまた軽機関銃を手にヘリの扉前に並んだ。操縦席と後部客席の間にある何もないスペース。通常は乗り降りを円滑にすすめるためだけの空間だが、今回はわかりやすく千景達が銃を撃つための足場になっていた。


 前列に千景と冬馬が、後列に嘉鈴とクーミンが立ち、その銃口を正面へと向ける直列二列。唯一、遠距離攻撃の手段を持たない朱燈は退屈そうに席に座って、頬を膨らませていた。


 「じゃぁ、扉を開けてください。ヘリはなるべく水平に保ったまま、輸送機に合わせるように飛んでください!」


 千景の注文に応えるように操縦士はサムズアップで返す。よし、と彼らが銃を構える中、ヘリの扉のロックが外れる音が静かに響いた。


 ヒュオーという音と共に横開きのドアが開いて行き、その瞬間から凄まじい強風が彼らの顔に拭きかかった。耳の中に竜巻が飼われているのではと錯覚するような風音の中、ぶくぶくと風を含んだジャケットがなびいた。


 扉が完全に開くと同時にそれまでは遮光ガラスのせいで黒みがかっていた景色に白が宿る。払暁の空から一気に昼時まで時が進んだかのような眩い天空の情景、しかしそれを楽しむまもなく千景達の目線は群がるハルピーに釘付けになった。


 「総員、放て!!」


 千景の号令と共に二機のヘリが銃撃を開始する。各々の銃器が待ってましたとばかりに橙色の火を吹き、その爆音に紛れてチャラチャラと排出された金色の薬莢がヘリのスキッドにぶつかり、はるか眼下へと落ちていった。


 突然の上空からの強襲にハルピー達は恐れ慄き混乱した。それまで意気揚々と捕食者の立場で輸送機を襲っていた彼らは途端に統率をなくし、バラバラになって飛び始めた。


 乱反射する彼らの眼窩からは鈍い光がいくつも点滅し、その都度別の個体が同じように眼窩に光を点滅させる。光信号のような手法で意思疎通を図る彼らを無慈悲に天空から放たれた鋼の弾雨は停止した個体から狙いすましたように撃ち殺していった。


 ハルピーの頭部は髑髏に似ている。無論、そういう仮面なのだが、眼窩に当たる部位に彼らの目はなく、あるのは粘性の薄い膜とその中で大量に繁殖している発光能力が菌類だ。それらはハルピーの髪の毛にできるシラミやアカを食って繁殖しており、夜闇の中を照らすライト代わりにもなれば、ハルピー同士が意思疎通をするための重要な手段にもなる。


 もっとも、混乱した状況下では意味をなさないが。


 「なるべく、光信号を出しているやつから優先的に叩け。そいつは他よりも頭が回る。リーダーかもしれない」


 オーガフェイスであれば多様な咆哮と身振り手振り。ネメアであればその強さ。群れをなす生物は強いリーダーシップを持つ生物によって統率され、結果的にはそれは人類にとってこの上なく厄介な敵となる。


 だから狙うならばまずは頭目あたま。それを念頭に置き、千景は引き金を引き続けた。


 胴体部に戻ったクリスティナを見れば、なぜだかこちらを睨んでいる気配があった。余計なおせっかいを、とでも思っているのか険しい表情を彼女は浮かべていた。


 そう睨まれてもな、と千景は肩をすくめる。そも、一人で40匹以上はいるハルピーを倒そうなど土台不可能なのだ。なぜ、そうなんでもかんでも一人でやろうとするのかね、としみじみ疑問に思いながら、ふと彼が輸送機の胴体下部を見るとハルピーの一体が張り付き、装甲板を剥がそうとしていた。


 「ちぃ。クー狙えるか?」

 「えーっと、うーん。輸送機に穴を開けていいなら?」


 「却下だ。俺が始末書書くことになんだぞ」


 身を乗り出し、狙撃銃を構えるクーミンのとんでもない提案を却下し、千景はどうすっかな、と思考をめぐらせる。しかし彼が結論を出すよりも早く、通信に割り込んできた人物がいた。


 『こちらで対処します。そっちはそっちの仕事をやってください』


 つんとした張りのある声だ。それがクリスティナのものだと千景が気づいたのは彼が輸送機の側面を走る彼女の後ろ姿を見た時だった。


 ハーネスを付け、クリスティナはほぼ垂直になって側面を走る。銃器を抱えたまま、その健脚で。


 ジャンプ。跳躍と同時に彼女は下部に取りついたハルピー目掛けてフルオートの銃撃を喰らわした。舞い落ちるハルピーを尻目に宙ぶらりんになった彼女めがけて別のハルピーが迫る。直後、クリスティナの腎部から黒い結晶に包まれた尾が飛び出した。


 影槍。先端が穂先状だからプレーン型か、と千景は脳裏でつぶやいた。


 影槍にもいくつかバリエーションがある。たとえば千景やクリスティナが使うタイプはプレーン型と呼ばれる。ほどほどの耐久性とリーチが特徴的で、良くも悪くも短所がない。反面長所もない。


 クリスティナの腰部から伸びた影槍は全長3メートルほど。甘く見積もれば3メートル半ぐらいだろうか。プレーン型として見れば長い方だし、太さもある。しかしその分、消費も大きい。


 ブンと影槍を振るいハルピーを捨てる影槍の穂先はすでに崩壊が始まっていた。風前の粉雪がごとく、チリチリと舞っていく黒結晶。長ければ必然、持久力は下がる。まして散々飛んだり跳ねたりを繰り返した後であればそも影槍を出せること自体がおかしかった。


 「まずいな、そろそろあいつの体力が尽きる」


 どれだけの長時間、クリスティナが戦っていたのかを千景は知らない。一時間かもしれないし、30分かもしれない。しかし慣れない雲上の戦いは確実に彼女の体力を奪っていた。


 持久力に定評のあるプレーン型が長く維持できないのがいい証拠だ。本来であれば10分は持続するそれがわずか数秒足らずで自己崩壊を始めるなど、とても常識ではありえない。


 「とにかく、あいつにハルピーを」


 再度、軽機関銃に取り付けられたスコープを覗き見る千景は、そこで言葉を止めた。喉に魚の小骨が詰まった鴨に似た声でうめき、はっとなってスコープから千景は視線を外し、眉間に皺を寄せた。


 直後、崩壊しかかっていたクリスティナの影槍が再度結合を始めた。しかしその先端に出来上がったのは槍の穂先に似たプレーンタイプのものではない。どことなく邪手を思わせる奇怪な形状へと変形し、輸送機の下部を掴み、彼女自身を持ち上げた。


 中空に放りだされたクリスティナは素早くワイヤーを自身から切り離し、腎部から伸びる影槍をさらに延長する。狙いは上空を飛ぶ一体のハルピー。突然、頭上から繰り出された影槍の刺突によってバランスを崩し、ゆっくりと主翼に落下するハルピー目掛けて彼女もまた降りていった。


 一連の出来事はわずか十数秒の間の出来事だった。しかし脳裏に刻み、感じ入るのに十分な時間だ。


 「第三世代。完成してたのか」


 朱燈や冬馬をはじめとした第二世代、その次代である第三世代の影槍保持者。クリスティナが行った影槍の形状変化はそうでもなければ説明がつかない。


 長さを変えることはできても大胆な形状変化できないのが常識だった影槍。その常識が打ち破られ、自在に形状を変えられるとなればなるほど彼女の自信にも合点がいった。


 両脇に抱えられた二丁の重機関銃と特異な影槍。それが扱えるという傲慢にも似た自負あればこそ、援護がいらないなどと大言を吐けたのだろう。


 真実、千景達の援護ありきとはいえ、ハルピーはもう数えるほどまでに減少していた。残り8匹かそこらだろうか。


 『室井!お前から見て2時の方向!ハルピーの行動に異常!』


 声の主は苑秋だ。切羽詰まった様子の彼の報告に、千景は一も二もなく言われた方角へ銃口を向けた。


 「つ」


 眼前の光景に一瞬だが、千景は目を奪われた。徒食というありふれた行為、しかし振るわれる対象が違えば目を見張りたくもなる。


 大顎を食べ盛りのやや子のように大きく広げ、ともがらの肉を喰らう。褐色の翼がパラパラと古びた樹皮のごとく空へと散り、混じって赤みがかった肉が粘性の膜を帯びてひとつ、またひとつと落ちていった。


 共食い。


 おおよそそれ以上にその行為を端的に表す言葉もないだろう。同種の肉を食う、本来は忌避すべき行為。旧来の自然界でも一部の類人猿を除けばほとんどお目にかからない行為だ。まして鳥同士など。


 通常は、有事の補給手段。それも最後の補給手段だ。しかしことフォールンが共食いをするとなればその意味合いはまた大きく異なる。


 せっつく餓鬼のごとく背後から仲間に組み付き、抵抗の暇も与えず食っていく悪羅の姿を見て、すぐさま千景の銃は火を吹いた。


 捕食の途中だというのに、ハルピーは機敏にそれをかわす。元より風が強い天空での戦い、点による攻撃など対物ライフルでもなければ当たりっこない。


 あのハルピーを狙えと指示を出すか否か、彼が迷う中不意にハルピーの頭部が隆起した。ぼこぼこと鍋の中で泡立つ水面がごとく、不自然にふくらむハルピーの頸部。それを見た瞬間、好機とばかりに残る弾丸をすべて吐き出すつもりで千景は引き金を引いた。


 雲上の戦いでは本来すべきではない弾丸の無駄撃ちとも言える集中砲火フルオート。珍しく視線を血走らせる千景を見て、冬馬がその列に加わった。二人が頭上へ視線を移す中、彼ら以外のメンツは眼下のハルピーを見やった。


 するとあろうことか、そのハルピー達はことごとく高度を上げていく。視線で追った先に滞空するハルピーがいると知った時にはもう手遅れだった。


 残る数体のハルピーは猛然と上空へ飛び、銃弾と対空するハルピーの間に割って入った。盾となって放たれる銃弾から、滞空するハルピーを守護したのだ。それが生物的な行動なのか、はたまた何かに誘導されたのかは誰にもわからなかった。


 兎にも角にもハルピーが盾となった仲間を守った。それは事実だ。


 ハラハラと落ちていくハルピーの中、不気味な一対の光がぼんやりと光る。それが目ではなく、発光器官であると知っていても、どことなく目に見えてしまうのはシミュラクラ現象だろう。


 顔を覗かせる怪鳥。それは頸部に体毛に比して明るい赤褐色の喉袋を有していた。体躯はハルピーとさほど変わらない。しかし首が延長した分、やや大ぶりに見えた。


 ヘルン。人類はその怪鳥をそう呼ぶ。北欧神話においてオーズを探すフレイヤが名乗った偽名にあやかり名付けられた異端の怪鳥は、その名前が示す通りに輩を呼ぶ。


 「HRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!!!!!!!!」


 甲高い大音響が周囲一円にこだました。おおよそ、ソプラノ歌手が聞けば喉から手が出るほど欲しい美声。これさえあれば女王のアリアだって歌えるのに、と歯軋りする嬌声。


 しかし案の定、化け物の美声など元来ろくでもないものだ。その声は旅人を魅了し、船乗りをぼやけさせ、匹夫を狂わせる。


 人が聞けば単なる美声だが、同種が聞けばその声はいわば求愛行為だ。美声に導かれるように数多の貴公子が押し寄せてもおかしくはない。


 美声が鳴り止まぬ中、無数の金切り声が輸送機の後方から聞こえてきた。同時にセンサーの警報音が鳴る。汗ばんだ声でヘリの操縦士が千景に状況を知らせた。


 「ちっ。マジかよ」


 立ち上がり、ヘリの前方を千景は見る。つい先程まで白かった雲塊の中、黒い塊が近づいてくるのが見えた。


 「だーくそ。はー。もういや!」


 雲中から矢のように飛び出す、ではなく、ホラー映画さながらに顔を覗かせるのは無数の怪鳥。ハルピーの群れだ。異常なほどの数だ。


 「何体くらいです?」

 「百は超えていますね」


 操縦士の忌憚のない意見を聞いて、はぁ、と盛大なため息を千景は吐いた。


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