第25話 雲上の戦い
雲中、千景達を乗せたヘリコプターは順調に、北東方向へ向かって進んでいた。
寒空、しかし夏場の湿気によって発生した雲が幾重にも覆い被さり、白喪のカーテンを形成していた。連日の陽光がまるで嘘のように蒼穹を閉ざし、見えるものは右を向いても左を向いても白一色の無感動な景色ばかりだ。
並走しているはずの僚機の姿は見えず、かろうじて赤外線通信を通じてちゃんと隣を並走していることがわかる。雲中の中ということもあり気流は乱れ、時には
冷気に晒されて窓には氷が貼り、キャビンの中で冬馬は仕切りに窓を叩いて、それを剥がしていた。普段の低空飛行とは違う景色に皆、浮かれ立ちそわそわとしていた。だからか、冬馬以外にも朱燈は借りてきた猫のように体育座りで座席に座り、微動だにしなかったし、嘉鈴はうわごとのようにキャビンの天井部分を見つめながら、トランプを擦っていた。
多くが浮つく中、千景とクーミンはいたって冷静に雲中に目を光らせていた。常日頃から小隊の索敵をしているせいか、慣れない状況であっても染み込んだ狙撃手として叩き込まれた教訓やら戦訓やらがうまい具合に作用した結果だ。
視線の先、3メートル先すらも見えないまま、時折手元のマルチウォッチを起動し、千景は周囲のF.Dレベルを計測する。無論、彼がやらずともヘリの計器やレーダーでもそれは測れる。あくまで念の為だ。
現在高度1万メートル以上、飛行機ならばいざ知らず、ヘリに乗っていれば呼吸器を必要とする高さだ。ヘリの操縦士も大きめのマスクを付け、耐衝撃緩和装置内臓のアーマーを装着し、その体はがっちりと操縦席に固定されていた。ヘリから離脱する場合はアーマーがパワードスーツ代わりになって、コックピットを跳ね除けるという仕組みになっている。惚れ惚れするガチガチの重装仕様だ。
他方、千景達はと言えば離床の際に首につけたチョーカータイプの呼吸器だけだ。酸素供給用のボンベもなければマスクもない。代わりに彼らがつけている呼吸器の後部には体内の酸素を圧迫、循環させるマイクロマシンが搭載されており、影槍を背部に仕込む人間に限定して、高高度での呼吸を可能としていた。
22世紀以前より、ヘリコプターをより高高度で運用できないか、という試行錯誤は続けられてきた。機敏かつ鋭敏に目標を殲滅できる兵器をより自由に使えれば、と。そんな思惑からパワードスーツや小型の呼吸器が作られた経緯がある。
片や中世の騎士や武士をの甲冑姿を彷彿とさせ、片や近代から現代にいたるまでの軽量兵装として生まれたのは人類の進化の歴史を物語っていた。大型化と小型化、この二つは堂々巡りの関係にあり、小型化が行き詰まれば必然、大型化が台頭してくる。技術が成熟すればその逆が起きる。
雲中を飛翔するヘリコプターもまたその一つだ。静音性の高い特殊ブレード、大型のキャビンを抱えて飛ばせる高馬力のエンジン、オートメーション化され従来は自動操作が難しかった固定火器をパネルひとつで動かせる高度なOS。それらは小型化と大型化のよい塩梅で組み上がり、天空を颯爽と翔ける。
それだけの装備があって、なお雲の中には危険が数多存在する。それは何もフォールンだけとは限らない。
ふと視線を時計からヘリの操縦席に見える計器に落とせば、湿度や温度、大気の流れなどが事細かく表示され、ヘリのレーダー装置の周りを取り囲む青い濁点が見えた。
それらはすべて旧時代の情報戦争末期にばら撒かれたナノマシンチャフの反応だ。衛星と地上との通信を遮断する半永久的に稼働するチャフ群、当初は地球の高層圏をあまねく取り囲むはずだったものだが、しかし気流や気象などの要因から雲中に集まってしまい効果は限定的なものだった。
情報通信技術が未発達だった22世紀の話だ。23世紀、他のサンクチュアリとの連絡が重視される現代においてはさしたる弊害にはならないが、こうしてヘリのレーダーに反応するほど巨大な塊となったチャフは時に強力な鉄塊となり気流に乗って衝突することがありえる。
人の多くが自分の国以外を知らなかった20世紀、21世紀と比べ、空は狭くなった。そうぼやく人がいたことを千景は記憶している。
やがて二機のヘリは雲の中から脱出し、白が消え、天上の陽光がパッとキャビンの中にまで差し込んできた。窓側にいた冬馬はわっと驚きの声を上げ、陽光がトランプに当たった嘉鈴はハッとなって顔をあげた。そして相変わらず朱燈は石像のように固まっていた。
暗かったキャビンが一気に明るくなり、視界が開ける。
眼下に広がるのは白袖の峡谷。隙間を除けば青白い蛇が幾多も下界へ向かって走り、腹を鳴らしていた。
谷は幾重にも枝分かれし、時には雲塊がヘリの真横を通り過ぎた。さながら雲上にある八哥鳥の巣のごとく。懐いているつもりなのか、とかく近い。雲が近づくたびに操縦士が操縦桿を右へ、あるいは左へと向け、それを回避していた。
あるいは巣ではなく、迫り来る雲塊は巨岩かもしれない。巨岩が大河を流れ落ちるがごとく、それは絶え間なく押し寄せては消え、押し寄せては消えを繰り返す。いくつもの積乱雲が渦巻く魔境を二機のヘリは時に並走し、時に列を成して進み続けた。
「なんていうか。大分順調、だな」
それまで一言も発してこなくて、実は二重人格なんじゃないか、と千景が彼を疑い始めた頃、不意に冬馬が口を開いた。チャンネルを彼らの小隊専用のものにセットして話しているおかげで前の操縦士には聞こえない。耳元でおしゃべりを始めた先輩に振り向き、呆れた目を向けた。
中々どうして順調なフライトじゃないか、と言っているのかもしれないが、あいにくと空こそもっとも警戒しなくてはいけない。地上と比べ、空と海では人とフォールンの間に力量差がありすぎる。雲山の中から突然強襲などされればひとたまりもない。
「このまま目的の輸送機にまでたどり着けそうだな、て?」
「そうそう。なぁ、千景!」
「——いや、そんなわけないでしょ、冬馬先輩」
嘉鈴が頷いて、声を上擦らせる冬馬を千景は正面からばさりと切り捨てる。なんでだよぉ、と冬馬は口を尖らせる。嘆息し、千景はその理由を言った。
「空でフォールンと戦うのは基本的に分が悪い。向こうが三次元で動けるのに、こっちは二次元でしか的を撃てないんだから」
「あたしは三次元できるけどね!」
「10分で全部殺せるならね、ぎぎゃ!」
調子を取り戻し、自慢げに朱燈が胸を張る。しかし即座に千景が皮肉をこぼしたせいで、また立腹モードになってしまい、その際の制裁を千景は受けた。座席目掛けてのダイレクトなキックであった。
2人の茶番を無視して、なるほどね、と冬馬はこぼす。同時にブルルと彼は寒気でも覚えたのか両腕をさすった。
「冬馬、風邪?」
「いや、なんか悪寒が」
「冬馬のママがなんだって?」
「オカンじゃねーよ」
珍しく噛み付く冬馬をからからと嘉鈴は笑う。しんと静まり返っていたキャビンの中が賑やかになり、自然と場の空気が和らいだ。
歓談が生む魔力的な賑やかさはガスのようにヘリ内に充満し、それまで緊張し切っていた彼らの口元を緩ませる。どうということはない普段通りの会話がだらだらと続く中、ふと彼らの会話に割り込んでくる通信があった。
「前方、F.Dレベル上昇!」
「種別は?」
「固有パターン計測……。ハルピーです!」
操縦士の報告に千景は舌打ちをする。空席になっている副操縦士席に移動し、ゴーグルのスコープ機能をオンにした。
操縦士が付けているマスクに付いているものと同様の機能。最大望遠でならば10キロ以上離れたものであろうと、高解像度で把握可能な超小型AIによる補助付きだ。しかもサーモ、赤外線、暗視機能まで付いている。
起動と同時にいくつもの雲塊を越え、千景の目は空を翔る。そしてその超高性能ゴーグルをして、厄介な光景が視界に飛び込んできた。思わず「ぃい!?」と喉を詰まらせたような喘ぎ声を出すほどに。同じ光景を見たのか、彼の隣に座る操縦士もまえた嗚咽をもらした。
眼前、群がるのは汚い茶色の軍勢だ。骸骨頭の波打つ
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