第21話 Mess & Load Ⅲ
「——ありえないって!」
人気のない白廟を思わせるしんとした廊下に朱燈の絶叫がこだます。納得がいかない、と頬を膨らませる朱燈、怒り心頭、憤懣やるかたないといった様子でグギギと唸る彼女の隣で、改めて千景は草鹿から言われた仕事の話を脳裏で思い返し、怒る彼女とは対照的に諦観からため息を吐いた。
ため息混じり、ふてくされ混じりに2人が第三特務分室の執務室へと入っていく。その時、狙い澄ましたかのように複数のクラッカーが彼らの顔に向けられ、そして火を噴いた。
パーン!!
サンクチュアリ内では決して珍しくはない液体火薬の匂いが鼻腔全体に広がる。嗅ぎ慣れた匂いとはいえ、至近距離で浴びせられればクラクラしそうな激臭だ。うっとうめき、後ずさる。
視界はカラフル。聴力はお粗末。赤、青、緑、黄、紫、桃、水色と多様な色が千景と朱燈の視界を奪い、耳は激音で方向感覚を失っていた。どこへ歩いているかもわからないまま、2人はどさんと背後の壁に背中をぶつけた。
「祝!我らが隊長、副隊長の借金生活イエーィ!!」
クラッカーの破裂音で耳がバカになっていても聞こえるアホみたいな声が室内の方向から聞こえてくる。同じようなテンションでイェーイと最初に聞こえた声に比べて甲高い声も聞こえた。
クソ、と人間相手に千景は悪態ずく。いまだにグワングワンとタルの中をゴムボールが回っているような音と感覚が残るが、平衡感覚が戻り始め背後の壁の支えなしで立てるようになった千景はぼやける視界のまま、バカをやらかしたバカを睨んだ。
「よぉーす、ちかげー!!優しい先輩からの祝賀砲だぞー!」
そう言って自分の両肩をバンバンと叩いてくる大柄の男に千景は軽い舌打ちをこぼした。明らかな拒絶、しかし男は気にするそぶりを見せず、ガハハと笑い傍からすり抜けようとする彼の背中をバンバンと叩いた。
明らかに染めているとわかる緑色の髪、日本人らしい黒目、体つきは力に比例してたくましく、そのせいか、彼の着ているシャツはパッツパツだ。開けた胸ぐらから覗かせる首元から鎖骨までのラインが艶かしく、年齢を無視したダンディズムを感じさせる。
年齢で言えば千景の3歳上、草苅 冬馬は御年20歳の巨漢であり、千景が隊長を務める第一小隊の隊員である。ポジションは
ガハハと豪快に笑う、体育会系さながらの大きな態度からは補佐とか援護なんていうみみっちい作業を得手とする片鱗さえ感じないが、実戦となればその実力は折り紙付きだ。いざとなれば千景に代わって指揮もできる。
ただ、イタズラ癖があるのが玉に瑕であるだけで。
「ごめーん、朱燈ちゃん!だいじょぶ、だいじょぶぎゃ」
冬馬が千景を可愛がる傍ら、もう1人のいたずらっ子は朱燈によってアイアンクローをかましていた。ネメアの外皮を切り裂く刀剣を振るう膂力から繰り出される往年のプロレス技はギチギチメリメリと彼女の頭蓋を砕かんとしていた。
ギブギブとうめく黒髪の女性に対し、朱燈は容赦ない。本当に頭蓋を割るんじゃないか、と周囲がハラハラする中、さすがの朱燈もそこまで非道ではなく、持ち上げたままうめく女性を壁に叩きつけるにとどまった。それだけでも彼女が気絶するほどだったが。
朱燈に抱きつこうとして、即座に組み敷かれた女性、
伸びている嘉鈴を尻目に朱燈はむくれて、自分の席へと戻っていく。苛立っているところにトンチキなイタズラをされたせいで、怒髪天を突く勢いで怒りが駆け上った結果、怒鳴る気力もなくなったらしい。
千景もどうにか冬馬のウザ絡みから抜け出し、自分の席へと座り、一息入れようと自身のオーバル端末を起動した。イヤーキャップをオンにして適当な動画サイトで適当な動画を垂れ流した。
しかし、動画を見始めてものの数分で、チロンとメールが届いた音が鳴った。端末の上部からスライドする形で降りてきたメールの差出人を見て、はぁーと千景は大きなため息を吐いた。
差出人は言わずもがな草鹿だった。いや、草鹿以外にはありえなかった。
開けるか開けないか逡巡し、千景は諦めてメールを開いた。先の執務室での口頭伝達とは違う、正式な命令書がポップアップし、ついに逃げ場がないことを悟った千景は面持ちたっぷりにわかりやすくため息を吐き、椅子から跳んで立ち上がった。
ガタンという大きな音がしたおかげで室内にいた全員が千景に視線を向けた。むぎゃー、と隣の席に座っていたクーミン・ミハイロフがうめいたが、千景は気にせずあたかも今し方命令を受けた体で話し始めた。
「第一小隊各位。今し方、課長経由で命令を受けた。ちゃーんと聞くように」
おふざけがひどい冬馬や嘉鈴も草鹿の名前が出されると、一転して姿勢をただし傾聴する姿勢を取る。頬を引き締め、真面目一徹といった表情のまま寝ぼけ眼のクーミンを叩き起こしたのは自他共に認める女好きの嘉鈴だった。
むにゃーと柔らかい子猫のような声で喘ぐクーミンだったが、嘉鈴に背骨をグリグリされると、途端に跳ね起き、うつろげだった瞳をかっぴらいた。空を象ったような青い瞳が雲耀のごとき毛色の中で輝き、うい、と命じてもいないのに彼女は千景に対して敬礼をした。
「よーし、第一小隊全員集合したってことで命令を通達するぞ。と言っても、原文ママで読むんだけどな」
先程までの苦悶の表情はどこへやら、千景は視線を手に持ったオーバル端末へと落としてそこに書かれた命令文をそのままに読み始めた。
「『通達、ヴィーザル東京サンクチュアリ支部行動策定部第二環境統計課より、外径行動課第二及び第三特務室各第一小隊へ。明朝6時に支部ビル20階のヘリポートへ装備を整え集合。各小隊は緊密に連携し、オムスクサンクチュアリ発の輸送便サモルート676便より、要救護者を回収せよ』」
そこまで読み上げ、千景は画面をスライドさせ、下部を見る。そこには命令書にあった要救護者の名前と顔写真が添付されていた。その写真を隊員全員の端末へ送り、千景は快活そうな笑顔を浮かべた。
「ま、要するにその写真のやつを回収して、帰還しろって話だ。端的に言えば護衛任務だな」
「護衛、ね」
千景の言葉に冬馬が含みのある言い方で反応する。千景はその言を敢えて聞き流し、全員に武器の点検と装備の整備を命令した。
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