第20話 Mess & Load Ⅱ

 直前の重く無機質な声音からは想像もできない穏やかな声で草鹿はかぶりを振る。ならばどういう要件だ、と千景が聞くよりも早く、草鹿は自身の机に置いてあるホログラムパネルを操作し、あらかじめ用意しておいたウィンドウが浮かび上がった。


 浮かび上がったのはつい先日、千景と朱燈が仕留めたネメアだ。しかし倒れている場所の背景は瓦礫飛び散るネクロポリスではなく、暗い死体安置所だ。だからこれは解剖前の写真だろうと千景は推測し、写真の名前を確認すると解剖前とタグ付けされていた。


 旧時代の商品転売サイトの商品ページに同じ商品を別角度から撮った写真がいくつもあるように、映し出された画面にも写真は一枚だけではなく複数表示されていた。草鹿から許可をもらい、千景が写真をスワイプすると別の写真が表示された。


 表示されたのは最初から順にネメアの死骸、切断されたF器官、そして解剖後のネメアの写真が大まかな括りだ。別角度が撮ったと思しき写真が数十枚あって、近くで撮ったもの、遠くで撮ったものといろいろあった。


 「俺、いえ自分達が仕留めたネメアですね。これがどうしました?」

 「別に俺でいい。そっちの方が話しやすいだろう?」


 狙撃の師匠のそんなさりげない好意に甘え、千景はではそのように、と返した。草鹿はその子供めいた反応が気に入ったのか、ふんと鼻で笑った。


 「どうしました、とは随分と寝ぼけた感想だな。このネメアと相対した時、お前は何も思わなかったのか?」


 「なるほど、そういう話ですか」


 言われて千景はネメアの死体に視線を戻した。


 まず最初に目に入るのは身体中、無数にある生傷だ。ネメアがフォールンの上位種である以上、手傷を負わせるどころか、撃退するまでの傷を負わせられるフォールンがいったいいくついるのだろう、という疑問がまず浮かぶ。


 ネメアが喧嘩に負けてボコボコにされる。それは普段からネメアよりも弱いフォールンに苦しめられている千景達からすればある種のファンタジーだ。しかし百パーセントフィクションとも言い切れない。


 ネメアよりも強力なフォールンは事実として存在する。同格の上位種や一部の中位種、そして滅多にお目にかかれない最上位種などがそれだ。具体的な名前までは思いつかなかったが、頭の中にはいくつもの凶暴なフォールンの姿が思い浮かんだ。


 それに加えてネメアは本来は群れを成して行動する個体であるのに、過日千景と朱燈が討伐した個体は単独で動いていた。これもまた千景が気になった点だ。


 通常、ネメアは群れの中にボスであるネメアと複数のスピンクスというネメアのメス個体、そしてボスの息子が数匹という大きめの群れを形成する。この群れはネメアがライオンのフォールン化した姿であることから、プライドと呼ばれ、複数の上位種が徒党を組むという悪夢として知られている。


 そのプライドを持たず、傷を負ったネメア。ネメアが元はライオンだということを加味すれば、導き出される結論はシンプルだ。


 「このネメアはプライドから独立した若いオスです。それが、他のプライドを探す過程で、なんらかの脅威にぶつかった。自分はそう考えます」

 「ほう。根拠は」


 千景の出した結論の理由を聞きながらも、草鹿は満足げな笑みを浮かべていた。どこかいたずらっ子めいた、聞かなくても理由の見当はついているといった様子。しかし根拠を言え、と命令されたからには釈迦に説法をするしかなかった。


 「ネメアは強力なフォールンです。それに傷をつけられるとなれば同等以上を疑うのがまずセオリーでしょう。例外として大型の中位種などが考えられますが、ネメアに付けられた切り傷から見て、刃物のような武器を持った種に限定されます。そうなると」


 「大型の中位種では考えられないか。少なくとも日本列島では見かけないからな」


 基本的に中位種の中でも大型化するフォールンはフォールン化以前が脱皮する生物であることが多い。蛇やトカゲ、カニ、エビなどだ。日本列島で有名なその手の種と言えば、スカリビだが、あいにくと飛び散る鱗はあっても、それが刃物にはならない。


 中位種に明確な候補がいないとなると、次に候補に上がるのは同格の上位種、もしくは最上位種となる。それも刃物に似た部位なりF器官なりを有したタイプだ。しかしあいにくと千景の知る中で該当する種はいない。


 「まだ見ぬ上位種を視野に入れ、調査をする必要があります。また、仮にこのネメアがプライドを持っていた場合、それが敗走するということは最上位のフォールンと戦った、ということなので現状、その巨大な反応が関東圏で確認されていない以上、可能性は低いでしょう」


 「プライドを賭けた戦いに敗れた、とは考えられないのか?」


 可能性はあります、と草鹿の意地悪な問いに千景は答えた。ないとは断言しない。しかし考えづらい可能性だ。渋面を浮かべながら千景は続けた。


 「ネメア同士の戦いであれば、雷撃の応酬が無効であるため、必然的に攻撃手段は爪、牙に限られます。しかし対峙したネメアには切り傷はあっても、噛み傷や引っ掻き傷はない。まず間違いなく、ネメアとは別の上位種と戦ったと思われます」


 ネメアの頬から垂直に伸びる飾りのような板、それは電逃板でんとうばんと呼ばれ、ネメアが外部から受ける電気を地面や空気中に流す機能がある。そのおかげでネメアは自分の放った雷によって感電しない仕組みだ。もっとも、雨などが降れば板があろうが、なかろうが感電するのだが。


 千景の回答に対する説明に草鹿はふむふむと頷き返す。いつだったか、旧時代のドラマで見た、学生のレポートを品定めする大学教授のような印象を受け、千景はげんなりした。


 「ふむ。まぁ及第点か。ご褒美にこれを見せてやろう」


 そう言って草鹿はホログラムウィンドウを操作し、新たなウィンドウを表示した。なんだろうと千景がそれを拡大すると、それが傷口に関する調査結果であることがわかった。


 書かれていた内容はやや難解だったが、端的に換言するならば、ネメアの傷口に微量の砂鉄反応があった、ということだった。


 「こういうのがあるなら、最初から見せてくださいよ。説損Vainですよ、説損Vain


 「そうでもないだろ。すぐに赤本の答えを見て、わかりきった気になる高校生にならずに済んでよかったな。お前の知見は無駄Vainにならずに済んだわけだ」


 口を尖らせる千景を草鹿はからからと笑う。言っている意味は全く理解できず、偉く上機嫌な様子の彼を不審に思いながらも千景は視線をホログラムウィンドウへと落とした。


 砂鉄。岩石中に含まれる鉄分が砕かれ、淘汰集積したものだと千景は記憶している。今も昔も砂場に磁石を突っ込んで引き上げれば煤に似た塊がたんまりと取れる。だから特段の物珍しさはないように思えたが、めくったページに書いてあったその含有量を見て、千景は目を丸くした。


 「なんですかこれ。鉱脈でも掘り当てたんですか?」

 「あるいはネメアがそういうことなのだろうが、フォールンに鉱石を収集する癖があるとは考えられんな」


 ですよね、と数値と睨めっこしながら千景はうなる。ネメアが電気を纏うその性質上、多少の磁鉄鋼が体に付着してしまうというのは理解できる。それでもその磁力は放電状態でもなければ微弱だし、街を歩いていたらところ構わず金属製品が体にくっつくというわけでもない。


 必然、砂鉄を付けたのはネメアではない別のフォールンという話になるのだが、あいにくと千景はそんなフォールンについて心当たりがなかった。そも、上司であり、自分よりも経験豊富な歴戦の勇士である草鹿が知らない、ヴィーザルのデータベースにないという時点で千景が知るわけもないのだが。


 「まぁようするにだ。今後、外勤が増えるだろうから、注意しろって話だ」

 「なるほど。確かに」


 信用回復のためにこれまで以上に仕事が振られるというのはなんとも慈悲深い話だ。涙の海で溺死してしまいそうです、と皮肉をこぼす千景に、がんばれ、と草鹿は淡白に告げる。


 全く心のこもっていない上司からの激励に千景は苦笑し、朱燈は他人ごとのように鼻で笑った。咎めるように千景が振り返ると、あろうこと彼女は机に足を乗せ、だらしなくソファに埋もれていた。


 「それで要件というのはこのネメアについてですよね。まぁ気をつけろと」


 向き直り、千景は表示されっぱなしのホログラムウィンドウを指差した。ネメアを圧倒する未知なるフォールン。その警告のなんとありがたいことか。


 フォールンと戦う時、いつだって人類は不利な状況にある。数の劣勢、装備の不足、経験の有無。そのどれもが足りず、全滅、潰走するケースは後を経たない。それは仕方のないことで、フォールンとの戦いは有史以来、人類が初めて味わうことになった少数精鋭を主軸に置いた戦いだからだ。


 F因子による人体のフォールン化、フォールンの未知の生態、既存の常識を逸脱した不可思議な地形、一部のフォールンが有する放電能力。大規模な部隊を送り込もうものなら、一塊になったところを一網打尽にされ、無人兵器を使えば未知との遭遇によって撃墜される。


 電子戦をやろうにも頭上の衛星は多くが、大戦初期にあるフォールンによって撃ち落とされ、今も稼働している少数の衛星でやりくりとするしかない。新たな衛星を打ち上げようにもその予算もない。


 フォールン大戦と人類のマジョリティが呼ぶ戦いは言うなれば熾烈な消耗戦だ。そのためか、サンクチュアリを指してシュラクサイやら樊城やらと呼ぶやつもいる。


 千景は最初、それがどういう意味なのかわからなかったので、近くにいた草鹿に意味を尋ねた。草鹿は言い淀んだが、ついにはいずれも籠城戦で負けた都市の名前であることを暴露した。


 以来、千景はサンクチュアリという名前にいいイメージを抱かなくなった。ヴィーザルとして働き、都市の実態を知っていくに連れ、余計にその気持ちは強くなっていった。


 それでも人類にとってサンクチュアリ以上に安住の地もない。それも理解している。皆が皆戦えるわけではないのだから。


 その安住の地を守る尖兵、それが千景であり、ヴィーザルの傭兵だ。社会から落伍した彼らは「漁り屋スマグラー」などとも呼ばれる。ようはヤクザが薬中にハジキ持たせるみたいなもんだよ、とこの職に就いた時、千景を採用した軽薄な男はからからと笑いながら言った。


 千景と朱燈が所属する外径行動課は中でもサンクチュアリ外での外勤が多い部署だ。場合によってはサンクチュアリからのバックアップが受けられない環境で依頼をこなさなくてはならない。


 「ほんと、ありがとうございます。感涙で咽び泣いてますよ」

 「そうかそうか。じゃぁもっと泣こうか」


 「え?」「ん?」


 ガタリという音が背後から聞こえ、即座に千景は振り返った。真っ先に視界に入ってきたのはソファから立ち上がり、今まさにドアへ向かって走り出そうとスタンディングスタートのポーズをとる朱燈の後ろ姿だった。


 反射的に千景は彼女目掛けて飛び掛かる。走り出したと同時に千景の両腕が彼女の黒タイツをガバッと掴み、バランスを崩した朱燈は盛大に顔面から床に激突した。


 「ぎゃーあほー!!放せー!!」

 「逃すか!このバカ!っておい蹴るな痛い痛い!あとその耐性だと短パンずり落ちるぞ!」


 「だーほー!!!!そういうことすんならもっと別の場所でやれ、この唐変木!!きめぇ!!!」

 「痛い!痛いって!逃げるなって!仕事から逃げるなー!」


 「へんしつしゃー!!!クロウマーン!!」


 クロウマンはヴィーザルには来ませーん、などと叫ぶ千景を横目に草鹿はため息混じりに立ち上がり、もぞもぞと動くその尻を踏みつけ、落ち着け、と彼らに命令した。ちなみにクロウマンとはサンクチュアリのマスコットヒーローである。ペストマスクに似た仮面が特徴的なキャラクターだ。


 暴れる朱燈の両腕を抑え、半ば彼女に抱きつくような形で取り押さえようとする千景はしかし背中に回ると同時に肘鉄を左右の脇に喰らい、おへぇ、と溜まっていた息を吐き出した。辛くも千景の拘束から逃れた朱燈はすぐに立ち上がって入り口を目指すが、一瞬にしてダメージを回復した千景が再び覆い被さり、その姿勢のまま2人は草鹿からの依頼を聞く羽目になった。


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