第16話 VSネメアⅡ
「ほんと、悪運だけは強いな」
「ほんとそれ。てか。初手で本気の砲撃撃ってくるとか」
「ああ。ちょっと予想外だったな。
乾いた声で朱燈はうめく。平時の彼女らしからぬ諦観を感じさせる言動、イヤーキャップ越しに途切れ途切れの彼女のうめきを聞いていた千景もそれには同意せざるをえなかった。
ネメアの放った雷撃は
はるか向こう側でエレベーターが起動した音が聞こえる。他にもパチン、パチンと残されていた家電の回路が焼き切れて火花が起きたりした。
放った直後は数千万ボルト程度しかない電気も周囲のF因子を巻き込めば数億ボルトにまで電圧が上がっていく。換算して一体何ワットだろうか。
それだけの電力を一度に放出するネメアの「砲撃」。まさしく切り札である。必然、その代償も大きい。
「朱燈、聞こえてるか?」
『あー、あー。はいどーぞ』
物憂気に天井を見上げながら、千景は襟元のマイクを口元に近づける。彼の声に反応して、気だるそうな声で朱燈が返した。
「とりあえず、第一射は外させたぞ。俺はしばらく役立たずだからその間にどーにかすっぞ」
崩れたビルの影から眼下のネメアを千景は望む。まるで動かず、眼球一つ動かしやしない。直立不動の王者はまるで立ち弁慶のごとく動かなかった。
——それが代償だ。
ネメアの持つF器官、
言うなればネメアの体全体が一つの発電装置なのだ。一部の小さな器官で発電をするデンキウナギなどとは比べ物にならない発電量は絶死の一撃を放つ。それはただ放つ雷撃が凄まじいというだけではなく、数百メートル四方に対してその力を支えることを意味する。
反面、その一撃を放った直後はいかな上位種のフォールンといえど、体力の消費は避けられない。体内に溜めていた電気を大量に放出し、再充填をするにはそれなりの時間とF因子を必要とする。加えて大量の電気が体内を巡るわけだから、それに生物の肉体が耐えるのは難しい。
砲撃後、ネメアが動かない理由はまさしくそれだ。ほんの十数秒だが、直立不動のまま停止し、まぶたすら動かそうとしなかった。
動けない理由は他にもある。例えば、生物は基本的に脳から神経を通して電気信号を送って体を動かしているが、ネメアの強烈な雷撃はそれを打ち消してしまう。だから砲撃中と砲撃後の十数秒間、ネメアは動くことができないどころか、思考することもままなり、文字通りボーっと突っ立っている状態になるわけだ。
ヴィーザルに所属する傭兵であれば常識、しかし間近でネメアのような上位種と戦う機会がない防衛軍からすればそんなものは座学のテストくらいでしか使わない知識だ。例によって例のごとく、通信に割り込みが入る音がして、はぁ、と千景はため息をついた。
『室井中尉!生きているか!』
「生きていますよ、立山中尉」
焦りと安堵が入り混じった声の立山に仰向けのまま千景は答える。立山から敬語がなくなり、動揺が伺えた。
焦る立山を他所に仰向けのまま千景は会話を続けた。どのみち向こうからはこちらの姿など見えない。どこでどんな体勢を取っていようと問題はなかろう。
矢継ぎ早に立山はネメアについて聞いてくる。その生態、その能力についてあれこれと彼は質問してきた。それは部隊長としては間違いではない。間違いではないが、今は時間のロスが惜しかった。
「すいません、ちょっと忙しいので」
強制的に立山との通信を切断し、千景は朱燈にしてほしいことを尋ねる。彼女は即答した。
『牽制して。それできるでしょ』
「マジかよ」
七階の窓からこっそりとネメアの様子を伺いながら、千景は朱燈の無茶振りにため息をついた。銃弾が全く効かない相手様を牽制しろ、注意を惹けとは文字通り殺文句もいいところだ。しかし目下、最強のアタッカーがそうしろと要求するからにはやるしかない。
ため息混じりに千景は窓枠から身を乗り出し、銃口をネメアに向かって照準した。傷ついている身の上で雷撃を放ったせいか、感覚の戻りがかなり遅い。視力すらまだ戻っていないのか、随分と近い距離で銃口を向けているのにピクリとも動かなかった。
千景は有無を言わさず、露出した部位を狙う。彼がまず狙ったのはネメアの仮面の中でも唯一露出した鼻の周辺の外皮だ。
「GRRRRRRRRRRRR!!!!!!」
火花が散り、一瞬だけ鈍色の炎がネメアの外皮に起こった。外皮が熱によって爆ぜ、とち狂ったネメアの怒号が建物の中を反響する。
いかに硬かろうと顔面、特に眼球や鼻の周りは脆くなる。眼球はいわずもがな、鼻は呼吸をするという性質上、適度に柔軟性がなくてはいけない。
生物の歴史上、全身が硬くてなおかつ素早いという生物は存在しなかった。硬さとはすなわち厚み、必然、速度を得るためには軽くならなくてはいけない。
ネメアの場合、それは鼻部や腹部といった正面からでは死角になる位置だ。だから千景の弾丸は容易くネメアの鼻をえぐり、狂乱状態を起こさせた。
「お目覚めだ!そら、そろそろ動くぞ!!」
ネメアの瞳孔に光が宿った。虚だった先ほどとは打って変わって、獰猛な顔つきへと変わり、その視線は千景に釘付けになった。
猛々しく吠え、ネメアは千景目掛けて走り出す。大地を蹴り、F器官をまさかりのように振り上げて迫るネメアめがけて、千景は牽制の意味を込めて弾丸を放った。
狙う必要すらない長至近距離、しかし弾丸を撃ってすぐ千景は踵を返して建物の奥へと走った。容赦無く振り下ろされたネメアのF器官が千景が潜んでいたビルに打ち付けられたのはその直後のことだった。
ふわりと体が浮くほどの衝撃と激しい破壊音が建物全体に伝わる。脆くなっているとはいえ、鉄筋コンクリート仕立ての高層ビルをショベルカーかブルドーザーかのようにガラガラと砕いているだろう想像を嫌でも掻き立てる、悪趣味な衝撃と破壊音だ。
背後から迫るその音は心なしか徐々に近づいているように感じられた。それは決して杞憂やネガティブ思考の産物ではない。
ガン、ガンと建物が大きく横に揺れた。引き忘れていたボルトを手前に引き、薬莢を排出する傍ら、千景は窓へと視線を向けた。
彼が窓へ視線を向けるとほぼ同時に割れかけていた窓枠を大きくぶち抜いて、黒色の塊が放り込まれた。黒色の塊は瓦礫を撤去するかのように右から左へと薙ぎ払われ、直後にもう一つ、同じ形状の黒い塊が開けられた穴から屋内に入ってくると、今度は地面に打ち付けられた。
「マジかよ」
黒い塊の正体、それはネメアのF器官だ。片側が破損しているとはいえ、片翼だけでもネメアの自重を支えるだけの膂力がある。
床に打ち付けられたF器官を登山用のピッケルの代わりにしてネメアは千景が立つ六階まで登ってきていた。その執念に、千景はマジかよ、と再びつぶやいた。
ダイナミックエントリーなんて言葉じゃ片付けられない。穴に逃げ込んだネズミがホッと息をつくも束の間、猫が無理やりその穴を膂力でかっ
マジかよもマジかよである。
予想していたシナリオとはだいぶ違うネメアの行動に動揺しながらも、千景はしかし笑みを忘れなかった。彼と朱燈の当初の任務は孤立した防衛軍一個小隊の救助だ。彼らが無事にサンクチュアリに送り届けられればもうその時点で千景らにとっては勝ちなのだ。
ネメアというイレギュラーの存在こそあったが、傷を負った個体であれば撒くことは容易だ。あとはぐだぐだと追いかけっこに興じればいい。
そうと決まればすぐ行動、と急いで千景は七階へと移動しようと階段に足をかけた。幸い、崩落箇所は少なく、影槍を使わずとも登れそうな階段だった。小さな幸運に喜び、さっと千景は移動しようとした。
その時だった。不意に窓の方向から無数の銃撃音が聞こえてきた。
なんだ、と千景は振り返る。嫌な予感がしたからだ。
——千景が振り返ったまさにその時、防衛軍の立山らはヘリから身を乗り出し、自動小銃による銃撃を行っていた。短機関銃の銃口が合計五門、ヘリの先端下部に取り付けられた対地掃討用のガトリング機銃が一門の計六門による一斉掃射だ。
溜まりに溜まっていた鬱憤を晴らすかのように上空150メートルから人類の叡智が火花を散らした。オレンジ色のマズルフラッシュがパッパと点滅し、その衝撃によって粉塵が巻き上がる。
振り返ったその時、千景の視界はほとんどが灰色に包まれ、何が起こっているのかわからず、千景は外にいる朱燈に通信を繋いだ。開口一番、彼女から飛んできたのは悲痛な叫びだった。
『千景、まずい!防衛軍のやつら、ヘリから機銃掃射してる!』
「はぁ!?どんだけネメアのこと知らねーんだよ!」
いつにも増して切羽詰まった朱燈の金切り声に千景は外の様子を即座に把握した。舌打ち混じりに防衛軍が使っている周波数にイヤーキャップを合わせる。
ネメア相手に銃器を使う。それがどれだけ無謀なことか、防衛軍の人間は理解していない。伝えなかった自分も自分だが、戦う相手のことを全く調べようともしない防衛軍の大鑑巨砲主義にも苛立ちを覚えた。
だからだろう。通信がつながると同時に千景は平時の慇懃な敬語を抜きにして感情のままにマイクに向かって怒鳴った。
「何やってんだ、あんたら!!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます