第11話 ヴィーザルⅢ

 ビルの外壁を吹き飛ばす形で、現れたそれらを見て、予想通りかよ、と千景は舌打ちをこぼし、同じような舌打ちが朱燈からもこぼれた。


 スコープ越しに見えた数は総勢6体。既知のオーガフェイスも加えれば14体と数が一気に倍近く増える計算になる。


 舌打ちと共に千景はマガジンを取り替える。


 イヤーキャップ越しに聞こえてくるのは朱燈のため息と小隊の隊員達の悲鳴。落ち着け、落ち着け、と隊員達に呼びかける野太い声の男の声も聞こえる。


 おそらくは隊長の声だろうと千景は推測しながら、その後ろ姿をスコープ越しに見つめた。目立った外傷はなく、立ち上がって怯える隊員達を鼓舞する姿はなんとも情熱的でリーダーシップを感じさせる猛々しさがあった。


 隊長に鼓舞され、それまで怯えるばかりだった隊員達は次々顔を上げ、現れたオーガフェイス達に銃口を向けた。彼らの距離は10メートルもなく、オーガフェイスが走り出せばすぐに詰められしまう距離だ。それがわかってか、銃を上段で構えずに足や腕を狙うためか中腰で構え、屈んでいた。


 「士気が戻った。なら」


 銃口を逸らし、千景は傷ついたオーガフェイスのすぐ右隣に立っているオーガフェイスに狙いを定めた。風はやや南南東から吹く横風、高度差もあってか、計測器の数値よりも強く感じられた。


 けれど、と千景は狙いを定めて引き金を引いた。発報と同時にボルトをおろし、引く。薬莢が排出されるまでに1秒とかからない。その間も銃弾は飛翔を続け、目標のオーガフェイスめがけて突き進んだ。


 そしてそれは1秒と絶たずにその頭蓋を砕き、悲鳴すら上げさせずに倒れさせた。


 奇襲に次ぐ奇襲。恨めしそうに気ついたオーガフェイスは銃弾が飛んできた方角を睨みつけ、残っている右手で指差した。ギャウギャウと意味がわからない叫び声なのに、不思議とその意味がわかってしまう。「あそこだ、殺せ」とかだろう。


 リーダーの指示に従って数体のオーガフェイスが動き出した。朱燈や小隊を無視して、千景の立つ方角めがけて一直線に突き進んでくる。数にして6、増援として現れたオーガフェイスと同数が自分を殺すために割り当てられたことに千景はほのかな笑みをこぼした。


 「捕捉された。そっち行きがてら始末するからあしからず」

 『別に心配してないって。まー。こっちはこっちで勝手にやるから、よろよろ』


 訓示とも薫陶とも取れる言葉を皮切りにそれまでイヤーキャップから聞こえてきた朱燈の息遣いも聞こえなくなった。自動接続機能オートリンクを切ったからだろう。


 朱燈との通信が切れ、1人になった千景は静かに自分に向かって走るオーガフェイスの姿をスコープに入れる。前方から2、左右それぞれから2とバラけて進軍している。


 オーガフェイスがサルのごとき敏捷性を持つと言っても音速をはるかに凌駕する速度で飛翔する弾丸を見て、避けられるほどの素早さはない。バラけて少しでも命中するリスクを分散させようという考えだ。


 それもただ離散するだけではない。スコープの左右を機敏に動くせいで狙いが定まらない。狙撃手からすればやりにくい戦法だ。


 こざかしい真似をする、と呆れ気味に千景はぼやいた。離散し、ジグザグに蛇行しながら進んでくるせいで正確な狙撃ができないのだ。そも、狙撃手は位置がバレた時点でだいぶ危ういのだから、踏んだり蹴ったりな状況だ。


 けど、と千景はバイポットを取り外し、千景はライフルを持ち上げた。そしてバイポットが入っていた袋から手榴弾を取り出し、同じく袋の中から取り出したワイヤーをピンに通していった。


 すべての準備を終え、予備の弾倉、救急キット、そして野戦糧食を腰のポーチに詰めるだけ詰め、彼は屋上の手すりから眼下を見下ろした。


 地上400メートルの高階層。落ちればダイヤモンドだって粉々になりそうな高さを前にして、ごくりと彼はつばを飲む。その間もオーガフェイス達の足音と鼻息が近づいてきていた。


 サルに似た手足を上手に使い、彼らはビルを登ろうとしてくる。ネオンの影に隠れて登ってくるせいで銃弾が届かない。もし籠城していたら間違いなくやられていたな、と千景は自嘲する。


 オーガフェイス達が屋上に手をかけ始めた頃、千景は意を決しライフルを脇に抱え、ワイヤーを左手に握って、ハーネスも付けずに飛び降りた。飛び降りると同時にすさまじい上昇気流を正面から受け、気絶しそうになるが、それを耐え、ちょうど50メートルほど降下したあたりで彼は背中から黒色の結晶体を生成し、剥き出しの壁面に向かって突き立てた。


 唐突に身投げした千景にオーガフェイス達はギョッとして、曲がりそうにない首を90度曲げて、彼を目で追った。そのせいだろうか。風の音にまぎれて微かに聞こえたリールの音にオーガフェイスらは気づかなかった。


 びゅうびゅうとふきすさぶ風を背中に浴びて、彼はビルに対して垂直になって体を固定する。オーガフェイス達が手すりから身を乗り出して自分を見ていることを確認すると彼は左手に握ったワイヤーを勢いよく引いた。


 直後、仕掛けられていた手榴弾のピンが弾けた。ピンが弾ければ信管を押さえていたレバーが跳ね上がり、素秒後にあっさりと起爆する。固定していた手榴弾すべての信管が起動し、盛大な花火を打ち上げた。


 ズゥンという腹の奥底まで響き渡る音と共に黒色と紅蓮の花火が上がった。起爆と同時に内部で溜まっていた合成火薬が弾け飛び、灼熱の業火がオーガフェイス達を背後から強襲した。悲鳴を上げる間もなく、彼らは爆炎に飲み込まれた。


 MAF5型ハンドグレネード。マーフ5型などとも呼ばれる対フォールンを想定した特殊手榴弾で、その威力は一撃でオーガフェイスを沈黙させるほどだ。爆発に先んじて手榴弾の表面を覆っている外郭が外れる、いわゆるフラググレネード方式の発展型に位置するこの手榴弾は下位のフォールンを一撃で殺傷する性質上、大型の破片を作りやすく、人に使えば、首がすっぱりともげた、などという被害も出ている。


 そんな危ない手榴弾を合計八発、実にオーガフェイス8体を掃討してあまりある火力を千景は放った。当然ながら屋上は破壊され、その衝撃はビル全体に伝わり、嫌な音と共に揺れ始めた。


 瓦礫も周囲へ四散する。オーガフェイス達の亡骸も含めて。


 千景も悠長にその場にとどまるわけもなく、腰から伸びる結晶体を引っ込め、勢いよく壁を蹴る。鮮やかな放物線を描いて彼は隣とビルへと降り立った。無論、普通に落ちれば両足を折るどころではないので、着地と同時に再び腰部から結晶体を出し、衝撃を緩和した。


 その間も崩落は続く。盛大な爆発により、大小無数の多様な瓦礫が飛散し、周囲の建物に激突した。ところ構わず粉塵が舞い、崩落音があたり一円のいたるところでガラガラと鳴る。


 それまで青かった視界は一瞬にして砂色となり、たまらず千景はゴーグルを付けた。眼下を覗けば、オーガフェイスの頭部がネオンに引っかかっていたり、手足が瓦礫で潰れていたり、と疑いようのない「死」がゴロゴロと転がっていた。彼らの死骸を見ながら、千景は「一、二」とその数を数える。


 そしてふと首を傾げた。


 見える範囲の死体は4体分しかない。自分を襲っていたオーガフェイスは6体いたはずだ。他はどこに、と彼は周囲を見回す。


 直後、黄土色の砂塵の中から叫声が聞こえた。そして間髪入れずに正面から何かが迫っている音も。


 嫌な予感がした。傍に抱えていたライフルを構えた。


 彼がライフルを構えると、ほぼ時を同じくして砂中から仮面の三割を欠損したオーガフェイスが猛り狂いながら現れた。仮面の破損に加え、全身にひどい火傷を負った個体で、顎部の筋肉が千切れたのか、ひどく歪な形で口腔を開いていた。


 距離にして10メートルもない至近距離、ライフルでは撃ってもその勢いのままに押し潰されると判断し、千景は右へ向かって跳んだ。飛び退くと同時に千景は着地したオーガフェイスに向かって走り出す。


 「つ」


 奇襲が失敗したオーガフェイスは間髪入れずに食らいつこうとしたその矢先、銃口が体に押し当てられ、ゼロ距離の発砲を受けた。毛深い天然の衣も対物ライフルをゼロ距離で撃たれては意味がない。痛みすら感じる間もなく、オーガフェイスの眼球がそり返り、その体はバタンと横に倒れた。


 鼻がバカになりそうなひどい火薬と血の匂いで一瞬、千景は空いている方の手で鼻を押さえた。しかしすぐに意識を切り替え、残るもう一体のオーガフェイスを探した。


 不幸なことに千景の目の前は砂煙が漂い、眼下を覗こうとも何も見えなかった。千景自身で蒔いた種とはいえ、すこぶる運の悪さだった。


 仕方ない、と彼がゴーグルの暗視機能をオンにして眼下を除くと、オブジェがある方向に向かって疾走する個体がいた。先に仕留めた個体と同じく、体にひどい火傷を負っていて、仮面もかなり壊れていた。


 「本当にこざかしいな」


 大方、来援を求めての行動だろうが、そんな不埒を許す道理はない。距離もそう離れいない。風向きを確認するまでもなかった。


 一射。弾丸が放たれると同時に両手に振動が伝わる。遠くでは背後からの銃撃で頭蓋を貫かれたオーガフェイスの死骸があった。


 「ふぅ」


 一仕事した気分になり、思わず息がこぼれた。気を休めるには早すぎることは理解しているが、思っていた以上の疲労感が両肩にのしかかり、喉も心なしか乾いていた。


 チェストポーチから取り出した流動食入りのボトルを飲み干し、気を取り直して千景はオブジェの方向へ視線を向けた。イヤーキャップの通信機能を復活させ、彼がマイクに話しかけると、ツーツーという音だけが返ってきた。


 「まだ通信切ってるのか」


 朱燈にしては手間取っているな、と千景は感想を漏らす。同時に片腕を失ったオーガフェイスの勘の良さを思い出し、早計だったな、と自分の浅薄さを恥じた。


 オーガフェイスの知性は時として人間が舌を巻くほどだ。眼前で崩れているオブジェしかり、フォールンという人間を遥かに凌駕する存在でありながら、戦術を駆使する異端者達。


 フォールンがすべてただ本能のままに暴れ狂う野生動物ならば、外周区のようなメトロポリスが転じてネクロポリスになることはない。オーガフェイスをはじめとした知能指数の高い種の発生が今日こんにちの人類を追い詰める原因の一端となった。


 一部のデータによれば軍人、民間人を含め、最も多くの人間を殺した種はオーガフェイスであるとされている。軍人や傭兵にとっては他愛のない相手でも武器を持たぬ民間人からすれば上位のフォールンよりも脅威という話だ。


 廃墟の街をただ歩くだけでその脅威は窺い知れる。死体などはもうこの街には残されていない。見えるのは壁についた大小のシミ、そしてありきたりな生活痕だ。襲われるその寸前まで日常生活を送っていたと思しき、風化した日用品の数々を蹴り飛ばしながら、千景はオブジェの前まで歩き、「——おーい朱燈。そっちはどう?」と軽やかな声音で瓦礫からひょこりと顔を出した。


 ——「んー?もうとっくに終わってる」


 そう返したのは血の色以上に瞳を赤々と輝かせた赤髪の少女だった。

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