第12話 不断
赤髪赤目少女はブンブンとその手に握る日本刀を振り、血と油、そしてこびりつき焦げた肉片を落とす。それでも残っていた汚れは前腕と二の腕で刀を挟み、一気にぬぐい落とした。
彼女がジャケットの上で刀をすべらせると、何かが焼き切れたかのようなジュっという音が鳴り、すべらせた直後にふられた朱燈の左袖には黒い焦げ跡がついていた。ゴムを焼いたような匂いがわずかに漂うが、彼女は気にするそぶりを見せず、何事もなかったかのように千景の方を向いた。
いつもと変わらないよく言えば柔和な、悪く言えばボケーとした気だるげな表情を浮かべる朱燈に対し、千景もいつもと変わらない調子で接した。同時に彼は彼女の後ろに広がる凄惨な光景に口元をキッと結んだ。
広がるのは死屍累々、無惨にも切り捨てられたオーガフェイス達だ。1体を除いてオーガフェイスはすべて朱燈の握る特殊兵装、三式帯熱刀によって切り捨てられており、切断面がジュウジュウと鍋の上の牛肉のような音を上げており、高熱によって焼き切られたことを物語っていた。
なます切りという表現が日本語にはある。現在は廃れた言葉だが、旧時代ではにんじんやだいこんのような根菜類を切り刻む技法だ。今のオーガフェイスらの状態はまさしくそれだった。
向かってくる側から朱燈によって切られたのだろう。一撃ではなく、二撃、三撃と相手が動かなくなるまで彼女が刀をブンブンと振り回したことが容易に推測できる雑多な太刀筋だ。
対して、彼女に仕留められていないオーガフェイスはまだしも原型を保っていた。逃げようとしたところを背後から撃たれたようで、血が毛先から滴り、先刻千景が仕留めたオーガフェイスのように背骨が割れて体皮から突き出ていた。そのオーガフェイスは朱燈が片腕を落としたリーダー格のオーガフェイスだった。
転がるオーガフェイスの死骸から視線を移動し、千景は瓦礫の上に座って休憩をしているサンクチュアリ防衛軍の面々へと向けた。憔悴してはいるが、最初に見た時と数は変わらない目立った外傷はなく、五体満足でいるのはきっとほとんどのオーガフェイスを朱燈が片付けてしまったからだろう。
フォールン因子を防ぐためのマスクを付けているせいで、大分熱がこもっているのか、彼らは一様に首を上下左右に振り、滴る汗、滲む衣服から逃れようとしていた。その中にあって千景の視線に気がついた小隊長の腕章を付けた人間は、彼に対して敬礼をした。
返礼ということで千景も敬礼を返す。歩み寄ると、小隊長は千景と朱燈が使っている周波数に合わせてイヤーキャップ越しに話しかけてきた。
『救援、感謝します。サンクチュアリ防衛軍西部城壁所属第四哨戒小隊隊長の
「ヴィーザル東京サンクチュアリ支部外径行動課第三特務分室第一小隊隊長の室井 千景中尉です。救援が遅れ申し訳ありません」
疲れ切った様子の隊員達を一瞥する千景に立山は「貴官らの責任ではありません」と返した。大人の対応に助けられた、と千景は心の中で胸を撫で下ろし、再度「申し訳ありません」と頭を下げた。
立山の顔はマスクのせいでよくわからないが、声からしてかなりの年配だろう。中年男性、30後半か40そこそこといった具合の声音だ。実戦部隊の指揮官でなおかつ階級がその年でまだ中尉の小隊長ということはかなりのたたき上げだ。
どれだけ時代が変わろうとキャリア組とノンキャリア組というのは存在していて、サンクチュアリ防衛軍であろうとそれは変わらない。入隊時の成績がよければキャリア組、ほどほどならノンキャリア組という感じで振り分けられ、前者の早々と出世するし、後者は実績をいくつも積んでようやく階級が一つ上がる。
立山はどう考えてもノンキャリアだ。キャリアだろうが、ノンキャリアだろうが、千景からすればどっちだっていいことだが、強いて言うなら「恩を売るならキャリア組、背中を任せるならノンキャリア組」というくらいなもので、この場合は救援任務だから、前者の方がよかったな、などと打算的に考えてしまうのはきっと傭兵の性だろう。
とはいえ実戦部隊に恩を売る意義がないかと聞かれれば答えはノーだ。もしこちらが救援を求めた時に救助してくれる可能性がグンと上がる。傭兵なんていう水商売はクライアントのご機嫌を伺ってナンボなのだから。
もっとも、同階級とはいえ、さすがに千景も年配の人間に敬語を使わせるのは忍びなかった。片や17、片や40代くらいで同階級だからこそ生じる弊害とも言える。敬語でなくてもいいですよ、と千景は立山に持ちかけたが、いえいえ、と立山は固辞した。
やんわりとしかし断固とした意思で断られ、ちょっとだけ残念そうに千景は肩をすくめた。どうして頑なに敬語を使い続けるのだろうか、と逡巡し一つのアイディアが思い浮かんだ。
ひょっとしたら、恥ずかしいのかもしれない。曲がりなりにも向こうは年配で、年上が年下に助けられる形になったのだから、せめて言葉遣いや礼儀の部分はしっかりと年配面しておこうという腹づもりなのだ。
なんだ可愛いところがあるじゃないか。ただのお固い叩き上げかと思いきやユーモラスなところもあるものだ、と千景は勝手に妄想を膨らませ、1人で納得顔で、なるほど、なるほど、と立山に返した。
そんなくだらない考えを千景が脳内で巡らせているのを知ってか、知らずか、立山は大きなため息をこぼした。そして彼が何か言おうとした矢先、別の音声が彼の耳に飛び込んできた。
『「それはそうとさー」』
不意に二重になって朱燈の声が聞こえ、千景は彼女に向かって振り返った。振り返るとちょっとだけ不機嫌そうにイヤーキャップを指差す彼女がいた。
『「この二重音声みたいなやつどうにかならない?」』
「あー。それはな。ちょっと我慢して」
千景と朱燈、もとい彼らが所属するヴィーザルの使用している無線通信のチャンネルはあくまで遠距離通信を行うためだけのものだ。マスクをしていない彼らからすれば至近距離でイヤーキャップをオンにする必要はない。
しかしマスクを付けているせいで声がこもってしまう立山らのような正規兵と話す際はイヤーキャップをオンにして会話する。そうすると普段からマスクを付けない朱燈達からすれば音声が二重になって聞こえるのだ。
「いっそ切れば」とぼやく千景に、朱燈は『「それじゃぁ千景達がなに話してんのか、わかんないじゃん!」』と最もな正論で返す。落ち着いてほしい千景はなんとか言って彼女を宥めるが、ブーブーと不満が際限なく朱燈の口から飛ぶ。
「あーもーわかったよ。とりあえず少し遠くに行ってろ。こちらの隊長さんとの折衝が終わったら、戻ってきてくれ」
『「少しってどんくらい?」』
「ヘリが到着するまで」
『「
目に見える形で朱燈は不快感を表した。音声が二重になるせいで余計に不快指数が高くなっていた。
仕切りに口臭や体臭を気にするそぶりを見せ、咎めるような目で千景を見る。それくらい傭兵なら当たり前のことだろ、と呆れる千景をよそに彼女はうえぇーと嫌そうな顔で舌を出した。
ガキっぽい言動、年齢相応な理性。だから我慢が効かない、効きにくい。そのせいか、まずいことに朱燈はオープンなチャンネルを使って通信してきた。
『「早く帰ってサンドイッチの余韻楽しみたいんだけど?」』
「久しぶりの肉だからってそれか?」
彼女が咀嚼し、嚥下する音もイヤーキャップ越しに聞こえ、それは音声を共有している人間全員に伝わった。無論、千景はもちろんのこと立山や他の隊員達にも。
一連の行動の直後、素の言葉遣いで反応したことを後悔した。恐る恐る防衛軍の隊員に目を向けた。マスクのせいで相手がどんな表情をしているかは計れなかったが、それでも不満や義憤を抱えていることは人目でわかった。作業していた全員がマスク越しにこちらを見ていた。
防衛軍と言ってもピンキリだ。貧乏な奴もいれば金持ちな奴もいる。そして外縁部の哨戒なんてやらされるやつは大概前者だ。肉なんてもう何年も食ってないような、あるいは一度も食べたことがない奴らだ。そんな奴らにとって朱燈の言動ははある種の示威行動、自慢だった。彼女の無意識な自慢話を聞いて不機嫌そうに隊員の1人が悪態づいた。
『傭兵風情が』
『「え、なに?」』
聞こえなかったな、と朱燈は暗に示しながら、視線を向ける。これみよがしに刀をブンブンと無造作に振り、彼女は半歩近づいてきた。血みどろであるせいで普段の六割増しで彼女の笑顔を千景は恐ろしく感じた。
防衛軍の隊員達がマスクの裏側でどんな表情をしているかは知らない。ただ朱燈の鬼とも獣とも表現できる凶相を前にして、息を飲む音が千景には聞こえた。
怯えてなお彼らから朱燈への敵意は消えない。単純な嫌悪感以上のナワバリ意識が所以だからだ。
サンクチュアリ防衛軍はサンクチュアリを防衛することを主とする部隊だ。壁上からサンクチュアリに接近してくるフォールン目掛けて榴弾の雨を降らせ、時には危険を覚悟して外縁部に降り立ち、哨戒もこなす。
彼らが任務をこなすのはひとえに家族を守りたい、サンクチュアリの秩序を守りたいという義務感と使命感ゆえだ。その点で、傭兵組織「ヴィーザル」に属する千景や朱燈とは心構えや仕事への動機が違う。
金銭目的で依頼を受けた自分達など彼らからすれば嫌悪の対象でしかない。朱燈のような規律や空気よりも自分の感情を優先する傭兵はなおのこと嫌いだろう。傭兵を信用しない正規軍らしい銭ゲバ野郎への侮蔑の眼差しがマスクに隠れてもなお鮮明に感じられた。
「——立山中尉。こちらの人間を哨戒に向かわせたいのですが、よろしいですか?」
『——無論です。オーガフェイスを掃討したとはいえ、まだここは危険地帯。なによりうちの連中はもう気力が尽きていますから』
一触即発のヤバイ空気を感じ取り、千景は立山に哨戒の提案を促す。快く立山が頷いたことで、千景は胸を撫で下ろし、朱燈に哨戒任務に就くように指示を送った。
えーとか、ぶーとか言って嫌がる朱燈だったが、頼むよ、千景が懇願するように拝んできては色々とやりにくかったのか、不平不満を漏らしながらも首肯した。そして踵を返すと刀をしまって、瓦礫の山を登って見晴らしのよい廃屋へと消えていった。
『彼女は?』
去り行く朱燈の名前を立山が聞くと、千景は逡巡せず即答した。
「同隊の白河 朱燈です。お騒がせして申し訳ありません」
申し訳なさそうに千景は愛想笑いを浮かべ、軽く頭を下げた。それに対して立山は『いえいえ』と恐縮した様子で返す。しかし視線はひとっ飛びで数メートルの瓦礫を飛び越えた朱燈の後ろ姿に固定されていた。
『最初は少女1人が来援とあって、失望しましたが、結果だけを見れば彼女1人でほとんどのオーガフェイスを倒してみせた。異常ともいえる速度で』
「ではやはりあの片腕のオーガフェイスは中尉の隊が?」
『残飯処理のようなものです。まぁ、その話は今はどうでも。それよりもこの後の我が隊ですが』
「こちらへ向かう道すがら、救助のヘリコプターを手配しました。小隊一つくらいなら問題ないかと」
『それはよかった』と立山はマスクの向こう側ではにかんだ。彼からすれば生き残った部隊を引き連れて徒歩で城壁まで戻れ、と言われないかとヒヤヒヤしていたに違いない。安堵の混ざった彼の声音からはそんな気配が感じられた。
もっとも、ヘリコプターで救助すると言ってもここは場所が悪い。ヘリコプターが着陸できるだけのスペースがない。おそらくは縄梯子を使って順次引き上げていくことになるだろう。
それを妨害するために新たなフォールンが出てくる可能性も十分に考えられた。朱燈に周囲の警戒を任せたのもそれが理由だ。
サンクチュアリ外縁部のネクロポリスは遮蔽物も多く、人間とフォールン双方にとって身を隠すのに最適な場所だ。狭い路地裏に入ってしまったサンクチュアリ防衛軍の部隊が罠にはまって全滅したケースは枚挙にいとまがなく、同じくらい人間もフォールンを同じ手法が狩ってきた。
幸いなことに彼らが今立っている場所は比較的開けた場所で敵の襲来に容易に気付けるいい立地だ。オーガフェイスの死骸が臭うがそれはあくまでマスクを付けていない千景だけの問題で、立山をはじめとした防衛軍の面々には関係のない話だった。
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