第7話 外縁防衛領域の戦いⅡ

 はっとなって隊長が振り返り、釣られてその他の隊員達も振り返った。そのうち、誰かの「ひっ」という恐怖で色めきだった声がイヤーキャップ越しに聞こえた。


 薄暗い屋内、その奥の方で何かが動いた。ゆっくりと近づいてくるソレは何かを抱えていた。視線の先、薄暗い室内を明瞭にする暗視レンズが仕込まれているせいで、その場にいた11自分達の目の前にいるソレがナニを抱えているかがすぐにわかった。


 ——血が滴る。閉め忘れた蛇口から溢れる水滴のようにぽたん、ぽたんと彼の両腕を伝って指先からゆっくりと。


 薄暗がりの中で人によく似た瞳をこちらに向けるのはネズミに似たシルエットのフォールンだった。その仮面は先端が大きくひん曲がっていて、ファンタジー小説にでてくるゴブリンによく似ていた。


 大きさは成人男性よりも小さく、背丈は大体150センチくらいだろう。ただし頭部だけは異常に大きかった。体毛はところどころが抜けており、特に腕周り、足回りは一切生えていなかった。まるで年老いた老爺のようなしわくちゃで肌色の表皮をのぞかせた。


 大きな頭には一回り小さい円形の耳を生やし、両耳を器用に動かした。愛らしく、しかし同時にそわそわと。


 ソレは人の頭を口に含んでボリボリと食んでいた。美味しそうにその脳髄に没頭するかのように、あるいは子供がバツが悪そうに早食いをするように若い隊員の頭蓋を砕き、脳みそを吸い、血肉で口内を真っ赤に染めた。


 「ブラット……!」


 そのネズミとも人とも形容できない歪なモンスターの、フォールンの名前を隊長がこぼす。フォールンの中では下級も下級、発生当時はその風貌からゴブリンなんて呼ばれていた最も原始的なフォールンの一種だ。


 その生態はネズミそのものであり、ネクロポリスの地下水道や地下街に住み着き、増殖を続ける。単体であればさほどの脅威ではないが、数が増えると並の上位フォールンと同列視される厄介な個体だ。


 その口いっぱいに人の頭蓋をほうばりながら、ブラットは視線を隊長達に向け、ゆっくりと後ずさった。不意打ちで人一人を食い殺したにしてはおずおずとした情けない態度に銃口を向ける隊員達のそれまで恐怖と殺意が半々だった心中に明確な敵意を宿らせた。


 最初に銃火を放ったのは隊長だった。最も自制すべき自分が、と自嘲する一方でどうしようもない開放感がみなぎっていた。彼に触発され、他の隊員も引き金を引いた。


 セーフティを外していたことが幸運し、引き金に指をかけた瞬間、激鉄と共に無数の銃弾が発射された。銃火の嵐はオレンジ色のマズルフラッシュを発し、暗い建物内を照らした。


 放たれた鉄礫の雨はブラットのけむくじゃらの胴体を、乾いた四肢を殉職した隊員ごと貫き、抵抗を許すことなく絶命させる。仮面を壊すまでもなく、ズタズタだ。


 悲鳴すら上げられない即断即決。べちゃりと仰向けに倒れるブラットから彼らは隊員の遺体を引き摺り出し、その状態を確かめた。防刃ベストにある程度の衝撃緩和機能があるおかげか、遺体の損壊は大したものではない。ただ、やはり失われた頭部だけは見るに耐えなかった。


 壁外での戦闘によって発生した死体の扱いは規則で決まっている。可能ならば持ち帰る。損傷がひどい場合や、回収する余裕がない場合は装備品の一部を持ち帰り、死亡したものとみなす。


 多くの場合は後者で、遺骸を抱えたまま任務に従事することはできないということで、腕章や隊員番号が刻まれた銃器などを持ち帰る。今回も隊長は腕章をナイフで腕から外すと腰のポケットにそれをしまった。


 誰も何も言わない。死体を薄暗く寒い無人のむろにおいていくことについて、誰も文句を言わない。壁外での戦いでどれだけ人の死体が荷物になるか、よく知っているからだ。


 フォールンは往々にして人を喰らう。嗅覚にすぐれ、身体能力で人に勝るだろう肉食性のフォールンなどは数キロ先からでも血臭をかぎ取って近づいてくる。


 死体を抱えて移動するなど、鴨がネギを背負って歩くようなものだ。血臭が抱えている当人に移るだけで済まず、最悪は小隊の壊滅も考えられた。


 12人改め、11人になった小隊はブラットの死骸を忌々しげに見ながら、亡くなった隊員に手を伸ばす。ちょうどいい窪みを見つけた彼らはその窪みに亡骸を詰め、その上に大きな瓦礫で蓋をした。簡易的な墓標、手を合わせ弔うも束の間、隊長は残った隊員達に撤退を命令した。


 壁外での行動はすべて部隊の隊長に委ねられる。任務の達成状況に関わらず、隊長が撤退と言えば、撤退するしかない。


 隊員の死亡による指揮の低下を重く見た隊長の判断に、文句を言う隊員はいなかった。誰だってあんな死に方はしたくなから。


 ぞろぞろと廃墟の中から顔を出す彼らは周囲に警戒の眼差しを向ける。無人のビル群、かつての人類の栄華を匂わせるネクロポリスは不気味なほど静まり返り、名状し難い恐怖と緊張感から隊員達は額に汗をにじませた。


 マスクに汗が滲む。肌の上を舐めるように通っていく汗がくすぐったく、無意識に彼らはマスクの中で首を左右に振った。体を動かすとそれに釣られて銃口も揺れた。小刻みに震える銃身を左手で強引に抑え、彼らは前後左右の廃屋とだだっ広い道路に目を向ける。


 そこは遮るものが何もない路上の真ん中だった。一部は剥がれ、内部材が丸見えになっている他、割れた配管や電線が道路から剥き出しになり、汚水を垂れ流していた。


 ちょろちょろと絶えず漏れ出る水音がマスク越しでも伝わってくる。他に聞こえる音は他に周囲の砂をさらう清風がなびく音くらいだ。ありふれた生活音。休憩前も聞いていた慣れ親しんだ音のはずだが、自然と不気味に感じられた。


 遠くで土煙が上がった。反射的に土煙を認めた隊員は銃口をそちらへ向けた。釣られた彼の両隣に立っていた二人の隊員の銃口も同じ方向へ向けられた。


 「全員、落ち着け。円形陣を維持したまま、50メートル前進する。索敵、怠るなよ」


 隊員達の緊張状態を察してか、隊長は彼らに自制を促した。それで緊張が解けるという話でもないが、指揮官からの指揮が下され、彼らは一定の落ち着きは取り戻したのか、あるものは向いていた方角にゆっくりと歩き出し、あるものは視線をゆっくりと横へ移動させ、あるものは銃を向ける方角とは真反対に後ろ歩きを始めた。


 牛歩、あるいは亀の如き歩み。自分以外の隊長が絶えず一方向を警戒する中、隊長はただ一人、陣の真ん中に立ち、360度全方位に視線を向けた。他の隊員が二歩進む中、彼だけは常に三歩進みいつでも号令が出せる位置を確保し続けた。


 前後左右、もちろん頭上と足元にも気を配る隊長の姿を見て、緊張しきっていた隊員達も幾分か気を緩め、自分が銃口を向けている方角以外も軽くではあるが確認するようになった。緩慢だった動きが速度を取り戻し、足も徐々に早まっていく。


 小隊が秩序を取り戻したことを確信した隊長はマスクの裏でほくそ笑み、それまで溜めていた息を小さく吐いた。依然として周囲の静けさ、不気味さは変わらないが、どういう状況でも対処できる、そう思えた矢先、正面を警戒している隊員から報告が飛んだ。


 「前方600メートル、12時の方向。敵影!」


 紐解かれかけた緊張の糸が再び引き締まる。隊長が確認のため、前方を見ると確かにやや離れた位置の瓦礫の山から顔を出すフォールンの姿が見えた。瓦礫のせいで姿が見えなかったからか、と納得しながら隊長は目を細め、じっくりと見つめた。


 鬼を連想させる二本の角を生やした球形の個体で、投影面積のほとんどを占める巨大な頭部を正面に向け、小隊を見つめていた。茶色い体毛をびっしりと生やし、恐竜を連想させる小さな前足と、大きな後ろ足が特徴的な比較的小型のフォールンで、全体的に丸っこい。


 口部が大きく発達し、唇を失ったことで歯茎が剥き出しになったその姿は狼咽の人物を連想させる。仮面は鬼の面を彷彿とさせる造形で、他の例に漏れず牙に似た独特なマウスガードが口部周辺に見えていた。


 「オーガフェイスか」


 それを確認した隊長は苦々しげにこぼした。

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