第6話 外縁防衛領域の戦い
サンクチュアリを囲む大城壁、それは陽光を遮り、大地に大きな影を落とす巨大構造物である。周囲をかつての人類文明の隆盛を窺わせる無人の廃墟に囲まれ、しかしその威容は他の高層構造物よりも群を抜いて感じ取れる。
高さ60メートル、厚さ15メートル。材質には表面に使われているのは前時代的なマスタイプコンクリートながら、高い強度を誇り、これまで大型フォールンによる体当たりを幾度となく跳ね除けてきた。
壁の内側には無数のオートメーション化された速射砲が設置されており、近づいてくるフォールンを確認すれば即座に警報が鳴り、砲弾の雨が降る。旧時代的な合成火薬による攻撃ではあるが、
周辺600メートルに遮るものはなにもなく、近づいてくるフォールンは隠れることはできない。ゆえにもっぱらフォールンが現れるのは外周防衛領域と呼ばれる
城壁に常駐しているサンクチュアリ防衛軍の隊員達の役目はこういった都市に近づく可能性があるフォールンを早期に発見し、排除することだ。言うなれば害虫退治である。
その日も一個小隊12人の編成で西部城壁常駐の第四哨戒小隊の面々は銃器片手にネクロポリスの街路を歩いていた。
彼らの装備は頭から、ガスマスク、防刃ベスト、ニーアーマー、そして軍用ブーツで構成されている。彼らが付けるガスマスクはバイオ研究所などで見られる頭をすべて覆ってしまうタイプで、一度マスクを付けてしまうと誰が誰だかを判別するのは困難だ。
彼らは一様に肌を露出しないようにしている。付けている手袋も袖口までしかない短いものではなく、薄地だが前腕部がすっぽりと入るロングタイプだ。ただでさえ体の中に熱がこもりそうな服装に加えて防刃ベスト、ニーアーマーという重装備であるせいか、その歩みは遅く、非常に緩慢だ。
マスクを付けているせいで熱がこもり、彼らが呼吸する度にレンズに結露が浮き上がった。結露でレンズが白む度にマスクに付いているワイプ機能が雨の日の車よろしくモヤを拭いた。
「隊長、今日は大分暑いですね」
伝声機を通じて隊員の声が隊全員に伝わる。マスク内部に仕込まれている小型のマイクを通じて、イヤーキャップを付けている近くの人間全員に声が伝わる仕組みだ。
年若く、声にまだブレが目立つ隊員のこぼした感想に隊長と呼ばれたガスマスクの男は振り返った。他の隊員がオレンジ色の腕章を付けているのに対して、彼は赤い腕章を付けていた。
そうだな、と小さく肩をすくめて隊長は若い隊員に返す。八月だから、と言えばそれまでだが、外気温は10度もない。有体に言えば寒いと返すだろう気温で暑い感じてしまうのは彼らが着ている装備の厚みからか、はたまた肌感覚が麻痺しているのか。拭うこともできない汗が眉間から溢れるのを苛立たしげに思いながら隊長は各員に休憩を取るように告げた。
廃墟の一角、暗い屋内に部隊は入っていく。ここ数日、雨が降っていないこともあって内部は乾いており、雨漏りの音ひとつ聞こえてこなかった。
各々が疲れを隠すこともなく腰を下ろす中、隊長だけは右手首に巻かれたごく一般的なマルチデバイスを弄り、計器を確認した。針が基準値以下を指していることを確認し、彼は周りの隊員にマスクを脱ぐように合図を送る。イヤーキャップ越しに安堵の声が聞こえ、それが途切れて彼の視界が暗転すると見知った隊員の面々が汗が滲んだ素顔を晒していた。。
若者、痩せぎす、禿頭、デブ、髭面、老齢。それまでは顔がわからなかったせいで無個性だった彼らに色が宿った。特に散々暑いとぼやいていた隊員などはマスクを脱ぐと髪の毛が光沢を帯びていて、顔は真っ赤になっていた。
恐る恐る隊長も自分のマスクの内側を覗き込んでみると、もわっと湿気による湯気が立っていた。これでも濾過装置はキチンと作動し、汗などの老廃物を吸って空冷装置のために使われるのだが、不良品なのか中で暑さは増すばかりだ。
「ったく、不良品よこしやがって」
そうぼやいたのはマスクを取って早々背中に背負っているバックパックからチューブを取り出し、水分を補給している大柄の隊員だ。程よく日焼けした彼の肌は赤々としていて、日焼けで顔を赤くしているのか、肌が元から焼けているからなのかよくわからなかった。
「ヴィーザルの連中はもっといい装備つけてんだろ?」
「レーションだってこんな固形物じゃないだってさ」
「流動食なんだっけ?それもあったかい」
「なにそれ、ずるい!」
粗野で乱暴な口調で愚痴る彼にしかし周りの隊員は同調する。主な話題は装備に対する不平不満、そして傭兵組織であるヴィーザルについてだ。誰かが一つ文句を言えばそうだ、そうだ、とレーション片手に同調して愚痴合戦を開催する自分の部下達に半ば呆れながら、隊長は周囲に目を配った。
サンクチュアリを守る速射砲の圏内とはいえ、自分達が今いる場所はフォールンの活動領域であることに変わりはない。握っている正式軽機関銃、SISi-70に視線を落とし、彼は一人自嘲とも取れる苦笑いを浮かべた。
サンクチュアリ防衛軍で広く採用されている傾向型の軽機関銃だ。銃それ自体はハイプラスチック製のため、非常に軽量だ。50口径、12.7ミリ弾を拡張した液体火薬式15ミリ特殊加工弾を標準的に使用し、その火力はもはや人が携行できる火器の枠を外れていた。
それを全員が装備している。本来であれば分隊支援火器、つまり部隊の火力不足を補う補助的な武装であって、基本装備ではないにもかかわらずだ。
一般論に沿うならば50口径のアサルトライフルでも担ぐのだろうが、50口径などことフォールン相手となれば護身用火器以上の価値を持たない。50口径と言えば前時代の狩猟ライフルの数倍の威力を持つ。一般的な銃が持つ火力としては最も高い。しかしフォールンの肌を引き裂くことはできても、硬い仮面を砕くとなればマガジン2つを犠牲にしなくてはならない。
それを加味しての15ミリ弾だ。単純な火力は言うに及ばず。フォールン相手にも十分な火力があると実証されている。
しかしそれはあくまで低級とされる下位のフォールン相手の場合だ。より強力な中位、果ては上位のフォールンを相手取るとなれば最低でもスティンガー級の火力が必要となる。フォールンに対して降下的な特殊弾を使うとはいえ、集団で押し寄せられれば人間にできることはひたすら弾幕を張りながら逃げることくらいだ。
それも全身を覆う重しを付けて俊敏な肉食性フォールンから逃げるとすればたまったものではない。だからいざ逃げるとなれば防刃ベストやニーアーマーなど、とにかく重いものは銃も含めて全部放り投げて逃げ出すのだ。それでも人の足と獣の足、どちらが速いかと言えばそんなものは論ずるに値しない真理だ。
暗澹とした気分を一転しようと体調は顔を上げてネクロポリスの景観を破れた窓から外を覗いた。見えるのは廃墟群ばかり。耳をすませば周囲は静まり返り、時折遠くの方で劣化した建物の一部が崩落する音が聞こえた。しかしそれもやいのやいのと愚痴合戦を繰り広げる隊員達の声でかき消される始末だ。
壁外とはいえ屋根のある場所にいるから気分が上がっているのかもしれない。あるいはマスクを取ったおかげで増長したか。呆れた様子をどうにか取り繕って隊長が視線を窓の外へ向けようとした。その矢先のことだった。
「隊長も不満でしょう?こんな穴の空いた装備で危険地帯を歩かされるなんて」
不意の問いの投げかけに隊長はああ、と返した。そしてすぐにしまったと思い眉間を叩いた。
不覚にもああ、と答えてしまい隊長は閉口した。隊員が両手に持っているガスマスク、不良品とはいえ気密性には優れている壁外を生きていく上でなくてはならないアイテムをあけすけに批判していいものか、と彼は悩んだ。
彼の左手に握られている無骨なガスマスクは一部がプラスチック製、大部分は特殊ナイロンで構成された最新の防毒マスクだ。おおよそ人類が開発してきたあらゆる細菌兵器に対応しており、フィルターの内側には空気を清浄化する装置まで取り付けられている代物だ。
しかし彼を含めた第四哨戒小隊の隊員がこのガスマスクを付けている理由は毒や細菌兵器を警戒しているからではない。
彼らが警戒しているのは空気の中に潜む邪悪、この星を覆った細菌ともウィルスとも形容できない特殊な因子だ。それはフォールンをフォールンたらしめる因子ということで、フォールン因子、略してF因子と呼ばれる代物である。
多量に吸引、ないし付着すればたちまち「フォールン化」と呼ばれる特殊な症状を引き起こしてしまう破滅的な因子は空気中に伝播し、サンクチュアリを除く地球上のほぼすべての地域に存在している。
このフォールン因子の滞留レベル、もしくは蓄積レベルが2を超える存在を人はフォールンと呼ぶ。そして通常、空気中を漂うF因子のレベルは1.1から1.2未満であるため、空気そのものをフォールンと呼ぶことは稀だ。
多少であれば人間でもマスクなしで壁外での活動は可能だが、それもせいぜい15分が限界だ。その時間を過ぎればたちまち細胞が変形を開始し、生物は奇形となる。
フォールンとの全面戦争が開始された当初、人類を苦しめたのは何もフォールンの非生物的な能力や巨体だけではない。前線だろうが、後方だろうがお構いなしにフォールン化を誘発するこの因子の伝播が人類を後退させた。
人類をあわや絶滅の危機に追いやった危険なウィルスなのか細菌なのかはたまた微生物なのかもわからない「何か」が滞留している空間にいて、必要不可欠なマスクを不良品扱いをする風潮に隊長は素直に笑うことはできなかった。周囲の侵蝕レベル、俗にF.Dレベルと呼ばれる数値は1.07と平均値未満だが、やはり長時間マスクなしで過ごせばフォールン化が侵攻する。
「総員、そろそろ小休止は終わりだ。マスクを付け直せ」
「「「了解」」」
ぼやきながらも各員はマスクを付けていく。ヘルメットにも似たそれを頭からかぶると、さっきまではっきりしていた個人はすっぽりと覆われ誰が誰だかわからなくなった。マスクに装備されている識別センサーで誰が誰だかはわかるが、それも呼吸のたびにレンズにモヤがかかり、うっとうしく感じた。
ガチャガチャと隊員達は銃器が作動するかを確認する。砂塵舞うネクロポリス、多少の砂粒で銃器が動かなくなることも十分にあり得ることを加味すれば、必要な行動だ。
やがて全員が銃器の作動確認を終え、小隊の次席指揮官が隊長にそのことを報告した。隊長はよし、と頷き小隊に起立を促す。銃のセーフティを外し、トリガーガードに指を乗せて小隊は再び動き出そうと入り口を目指した。
——その直後のことだった。
背後で鈍い音がした。何か硬いものを噛み砕いた音だ。直後、イヤーキャップ越しにその場にいた全員がか細い断末魔を聞いた。
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