第13話 フロントライン・ガンナーズ

 雨上がり、廃屋の中から身を起こした冬馬は差し込んでくる日の光へと足を伸ばした。軍用ブーツが水溜まりを踏むと、水面が弾け、ぴしゃりと周囲へ飛散する。


 日の光が当たらない物陰から日向へ出ると、空にはここ数日の大雨が嘘のようなまばゆい白熱球が照り輝いていた。手をかざせばそれから漏れ出る温かな光の効果でほんのりと手のひらが熱くなる。


 直視できない日光を肌で感じ微笑をこぼす冬馬はすぐに口元を正し、周辺を警戒した。


 両目に収まりきらない雨上がりの廃墟、湿気のせいで視界が揺れ、霧も濃く出ている。薄く輝く陽光に照らされて、徐々にクリアになっていく景色は沈んでいた。


 「こちら、ハンターガーター。周辺の地形図をくれ」


 イヤーキャップのスイッチを入れ、冬馬は通信を入れる。直後、よく通り、それでいて軽やかな声が返ってきた。戦場には似つかわしくない少女の声だ。


 『了解しました、ハンターガーター。すぐに地形図を転送します』


 彼女の声が聞こえたことに安堵しながら、冬馬は頭上を見上げた。雲の切れ間、蒼穹と白衣の間にポツンと何かが浮かんでいる。


 発光する四機のローターを回しながらホバリングするドローン。壁外通信用の無線送受信機能を備えた多機能型だ。


 淀みのない口調で少女は続ける。


 『現在、天候は曇り、気温は11度、気圧は1008.9hPaです。雨上がりですので、体表のF.Dレベルに十分に警戒してください』


 わかってるよ、と冬馬は少女に返す。天候情報を彼女が口にする最中に届いた地形情報を事前に受け取った廃墟群のものと照らし合わせ、冬馬は彼女に問いをこぼす。


 「地形情報、古くないか?建物が数棟、ぶっ壊れてんだが」

 『確認します』


 しばらくすると、申し訳なさそうな低いトーンで彼女は冬馬の疑問に答えた。曰く、一週間以上前に同地で任務を行ったヴィーザル職員とフォールンの戦闘で高層ビルが数棟倒壊したのだという。


 随分派手な立ち回りをしたもんだ、横倒しになったビルに飛び降り、冬馬は呆れた。よほどの大物を相手にしたのか、それとも派手な銃火器を使う輩だったのか。


 巨大な獣が柱を砕いたような痕跡を見つけた時、それが前者だと気づき冬馬はため息をこぼした。戦隊ヒーロみたいな動きでもしなければビルがぶっ壊れるとか、倒壊するなんて現象は起こらない。そんな振る舞いは兵士らしくはなかった。


 「誰がやったかとかわかる、ケイサちゃん」

 『ええ。もちろんです』


 ケイサと呼ばれた彼女は冬馬の問いに即答し、すぐデータを送った。


 ケイサはオペレーターだ。壁外で活動するヴィーザル職員を補助すること、それが彼女役割だ。地図を送ってくれ、と言われればキーボード操作少しでそれを実行し、気象情報を教えてくれ、と言われれば口頭で伝達する。


 衛星の多くが撃墜され、リアルタイムでの地形把握が困難となったこの時代、壁外での案内役なしでの活動は自殺行為である。外洋での活動ならいざ知らず、より奥地での活動、あるいは外周の廃墟群ネクロポリスでの活動でさえオペレーターの存在は必要不可欠だ。


 ——特に小隊未満の単位で動くとなれば。


 『室井 千景ちかげ準二等社員です。討伐対象はスカリビ。全長8メートルの成体ですね』


 「千景かよ!身内に足引っ張られるたぁついてねぇな」


 『ですね。すぐにドローンで地形解析を行います』


 そうしてくれ、と言いながら冬馬は頭をかいた。地形情報の誤差は時に思わぬ惨事をもたらす。傭兵家業をやっていれば何度となくそんな経験をしてきた。神経質にすぎるということはない。


 カタカタとキーボードを操作する音が無線越しに聞こえ始めた。レイサが頭上のドローンを用いて地形情報の更新を行う中、冬馬は銃器を下ろして感慨深げに倒壊したビル群を見下ろした。


 倒れているビルはいずれも旧時代の「モノコピー建築」によって建てられており、外観に差異はない。すでにきしみを上げていた支柱をスカリビの巨体が直撃したからか、ある建物は寄りかかるように倒れ、あるいは正面玄関を残して前のめりに倒れていた。不思議と全壊している建物はなかった。


 やることが派手だな、と冬馬は心の中でつぶやいた。


 傭兵としての戦歴で冬馬と千景に大きな差はない。狙撃以外であれば冬馬自身は千景と同じことができるし、千景にしても冬馬のような前衛での壁役は務まらないだろう。


 二人の実力は拮抗している。それでも冬馬は派手に廃墟群のビルを倒壊させたり、地形を変えるような一手を打つことが自分にはできないと断言できた。


 実力の問題ではなく、覚悟や度胸の問題だというのは冬馬自身も理解している。与えられたテンプレートを逸脱して、それで勝てる自信は冬馬にはなかった。


 「そーいや、千景はクーミンちゃんを育ててるって話だったな」

 『はい。今日も地下の狙撃訓練場で教習を行なっています』


 独り言のつもりだったが、まだ無線がつながっていたのかケイサが答える。抑揚のない事務的な返答だったが。


 「ほーん。なぁ。ケイサちゃんはどうなの。クーミンちゃんがあの狙撃バカに預けられるのって」


 ふと気になっていた疑問がこぼれた。クーミンとケイサに面識がある、というのもあるが、二人はどちらもロシア難民だ。同胞がどんな扱いを受けているかは気になるところだろう。


 もっとも、同胞と言ってもクーミンとケイサでは境遇が異なる。クーミンは幼少期に東京サンクチュアリに来たこともあって、愛国心だとか郷土愛というものがない。対してケイサは辛くも崩壊するサンクチュアリから脱出した望郷組だ。有体に言えば同じグループ内でもフォールンに対しての憎悪という点で温度差がある。


 だからか、ケイサの返答は冷淡なものだった。


 『別になんとも思いませんよ。訓練を積むことはいいことです』


 「えーそれだけ?」

 『それ以上に何があると?それよりも地形情報の更新が終わりましたのでそちらに転送します』


 地雷でも踏んだか、と冬馬は首を傾げる。途端に冷たくなったケイサに違和感を覚えるものの、すぐに切り替えて視線を廃墟群へ向けた。見れば無駄話をしている間に数体のオーガフェイスが眼下を移動していた。


 かなり傷ついた個体達だ。背中や仮面、足に裂傷の痕が見れる。何か、鋭く薄い刃物で切られたような痕だ。


 同じオーガフェイスのものでないことはすぐにわかった。オーガフェイスの傷なら彼らの大顎で噛み砕いた痕跡があるはずだ。骨ごと噛み砕くから五体満足であることもない。


 「気になるなー。ハンターガーター、オーガフェイス3体を視認。これより攻撃体勢に入る」


 『了解。——健闘を』


 通信が切れると同時に冬馬は走り出す。彼の小さな体は雨で濡れた坂道を滑っていく。


 直前まで立っていたのは傾斜した無人のビルだ。自身の盾をスケートボード代わりにして滑走する彼の接近にオーガフェイス達が気づいたのは銃口が側頭部に向けられた時だった。



 「——遅い。照準するな。点で捉えるな線で捉えるんだ」


 ヴィーザルタワーの地下、サンクチュアリを支える耐震用ピラー群の中には広大な地下空間が存在する。高さ30メートル、横幅不明、縦幅不明の大規模空間はその敷地すべてがヴィーザルの所有物である。


 その一角にヴィーザルの訓練所はある。こじんまりとした三階建のモノコック構造の建物の裏側には様々な訓練施設があり、その中には長距離狙撃用の専用訓練場もあった。


 狙撃場には遠大な2,000メートル超のレーンが設けられ、射手は25メートルほどの横長の台に銃を固定して目標を狙う。射手と的の間隔は最大で1,800メートルまで広げることができるようになっていて、その操作はヴィーザル職員であれば誰でもオーバル端末を用いて行うことができるようになっている。


 台は横長25メートルを五つに区切っており、一人につき5メートルの幅が確保されてその範囲内で的を動かすことができる。表示される的はすべて立体映像で、普通の射的の的からフォールンの姿まで、自在に映像を変えることができる仕組みになっている。


 訓練場ということもあり、使う人間は少なくはない。狙撃スペース一つを一時間借りるだけでも数日待つこともザラにある。


 そのスペースの一つ、5番と立体映像の看板がぶら下がっているスペースで身をかがめる少女は叱責に対して唸り声をあげた。不満を露わにする彼女の頭部を隣に立って叱責した男は手に持っていたプラスチック製のハンマーで叩いた。


 「いたい」

 「痛いわけないだろ、ただのピコピコハンマーだぞ」


 手のひらに千景がハンマーを振り下ろすと、プーとかピーとかいう音がこぼれた。周りの人間がノイズキャンセラーを付けていなければ集中を乱す要因になる。当然ながらクーミンもまたノイズキャンセラーを付けているため、放屁にも似た音は聞こえない。しかしイヤーキャップ越しの千景の叱責は彼女の耳にちゃんと届いていた。


 弾倉を取り換え、再びクーミンは実銃を構える。彼女が弾倉の取り換えをする間に千景は手早く手元の端末を操作し、目標を再設定した。


 現れたのは六体のオーガフェイス。出現場所はいずれも1500メートル圏外とかなり遠い。


 「目標が1,000メートル圏内に入ったら狙撃開始」

 「はーい」


 クーミンが頷き、千景は端末のゴーサインを押した。直後、それまで静止していたオーガフェイスの立体映像がクーミン目掛けて走り出した。


 さすがに立体映像であるため本物と異なり重量感もなければ緊迫感もないが間近まで迫ればアウトということは誰にでもわかる。迫る速度も本物と大差なく、また横一列になって迫るのではなく、バラバラに時に蛇行し、時に周りをいぬきながら迫ってくるのだ。500メートルの距離を瞬く間に踏破し、1,000メートル圏内に入った。


 刹那、クーミンは引き金を引く。狙いは最も突出していたオーガフェイス。脚部を狙った一撃は命中し、先頭のオーガフェイスはもんどり打って地面に激突した。


 先頭の個体が倒れたことでオーガフェイスの列が乱れた。ある個体は足を止め、ある個体は倒れたオーガフェイスに視線を向ける。間髪入れずにクーミンは側面を向いて弱点を浮き彫りにした個体へ銃弾を喰らわせた。


 続けて排出される薬莢。それを回収してゴミ箱へ放り込みながら千景は端末のタイマーに目線を向けた。オーガフェイスが1,000メートルの距離を切ってから6秒。タイムとしては悪くはない。


 薬莢を回収している間にもさらに2体のオーガフェイスをクーミンは行動不能にした。狙撃目標を点として捉えるのではなく、線として捉える。突き詰めれば相手と自分の相対距離しか変化しないなら、それを念頭に置くだけで勝手に弾丸は当たる。


 弾道を覚え、銃口と視線の延長線上に相手がいると考えるのだ。最も、実際は風やら銃身のブレやらでそうそううまくいかないのだが、訓練ならば別だ。現在の設定風量が変わることはないし、銃は台にバイポットで固定されている。そこにクーミンの精密狙撃の技量が合わされば外す方が難しい。


 「よし。まぁ合格の範囲かな」


 タイマーは12秒で止まっていた。これはオーガフェイス6体をすべて戦闘不能にするのにかかった時間で、その生命活動は未だ停止していない。


 フォールンを害獣、倒すべき巨悪と考える風潮があるサンクチュアリ防衛軍であればこんな仕事は認められない。なんとしてでもぶっ殺せ、と言ってくる。


 だが腐っても千景やクーミンは傭兵だ。無駄弾を撃てる防衛軍と異なり、給料や依頼料から銃弾は天引きされる。会社からの命令でなければ使う弾丸や装備類はすべて自前だ。


 ゆえにもっぱらヴィーザルの狙撃兵の仕事はフォールンの足止めだ。足を撃ち抜き、手を弾き飛ばし、接近するフォールンを行動不能に、戦闘不能にする。そのための精密狙撃の技量と速度が彼らには求められる。


 よしよしとクーミンの灰色の癖っ毛を千景はなでる。嫌がってペシペシとその手を叩くクーミンはしかしまんざらでもないのか、抵抗は弱かった。


 自動装填機能を持つクーミンの銃であれば少しの射角調整でオーガフェイスくらいの足は撃ち抜ける。大事なのはその速度だ。接近するフォールンの中から状況ごとに優先順位をつけ、狙撃していく。


 撃つ前に決めた順番通り、ではなく撃つごとに目標を再設定する。それを間髪入れずに行うのは存外難しい。


 「じゃ次いってみるか」

 「えー。ちょっときゅうけー」


 「時間ないんだよ。次は連続射撃だぞ。ほらさっさと弾倉取り替える」


 ぶーたれながらもクーミンは弾倉を取り替える。それが必要だと理解しているから。


 弾倉を取り替えたクーミンが再び前方へ視線を向けると先ほどと同じ数のオーガフェイスの立体映像が浮かび上がった。


 「連続射撃始めるぞ。3セット、個体数はランダム。弾倉の取り換えタイミングは自由」


 視線を端末へ戻し、人差し指をゴースイッチへ当てる。


 「じゃぁ、始め」


 そして再びクーミンの銃は火を吹いた。


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