第12話 ブレイク・ライク

 天楼は晴れ晴れと輝いて、空を走る白うなぎはゆらゆらと蛇行してその海原を泳いでいる。薄い雲、それは時に魚群のように、あるいは空をなびく薄絹のように揺れて、北側に向かって消えていった。


 雨天から晴天へ空模様は移り変わると、久方ぶりの晴れ晴れとした青空にサンクチュアリに住む人々は外に顔を出し、天上から降る光をありがたがった。窓から指す日の光にあこがれて、明るく照らされた地面に集まった。


 白雲の合間から指す光はサンクチュアリの白亜の建物を照らし、よりその淡いを強調させる。街路にできた水たまりにはうっすらと空と大地を移し、近くを車が通れば波紋が生まれた。


 ぴちょぴちょと軒先に垂れる雨粒は落ちれば飛沫となり、雨天の終わりを知らせてくれる。雨がやみ、ちらほらと人が街中に出始め、雨のざーざーという音だけが間断なく聞こえていた市内は転じて賑やかになっていった。


 7月から8月にかけてのこの季節、低温多湿のこの時期はとにかく雨天であることが多い。ひとたび公海上にでも出れば話は変わるが、とかく雨が多く気温の低さも相まって不快な季節である。


 サンクチュアリを隅から隅まで覆う防護シールドも雨露はしのげない。元々、音速ミサイルや核搭載の大陸間弾道ミサイルから国家の重要な施設を守るために建造された電磁バリア発生装置を原型としている都合上、物理的な攻撃や汚染物質は防げても液体を防げはしない。


 この時代、大気はもとより、雨、風、雪といった気象すべてにF因子が含まれる。防護シールドを通り抜ける際、それらはある程度除染はされるが、完璧にはされない。晴天ならいざ知らず、集中的に多量のF因子が降り注ぐ雨天や雪天の時となれば一時的にしろ、サンクチュアリ内のF.Dレベルは上昇する。


 雨や雪が降り止んだ後は除染のための大型車がサンクチュアリ内を巡回し、その対処にあたる。戒厳令が敷かれ、民間人が出歩くことはまずない。


 そのため、雨天の最中、特に休日のサンクチュアリ市民の憩いの場といえば、もっぱら地下街だ。もとより、体にF因子が付着し、フォールン化することを恐る市民はこの時期、地下のショッピングモールや繁華街、商業施設に集中する。


 それは普段はヴィーザルの傭兵として壁外で活躍する面々も例外ではなかった。


 「雨、止んだっぽいよ?」


 オーバル端末で気象情報を確認しながら、嘉鈴は隣に座る銀髪赤目の少女に話しかけた。へーそうなんだ、と興味がなさそうにその少女、朱燈は答えた。


 サンクチュアリの中心街にある地下商業施設。多数の衣類や家財道具、化粧品や電化製品を販売するデパートメントの他、飲食店も完備した複合施設である。その一角に設けられた茶店でリラックスしてティータイムを楽しんでいた。


 四人掛けの席に座る彼女らはさんざん歩いて疲れたのか、思い思いの姿勢で腰掛けている。足元に置かれたいくつもの手提げ袋がいい証拠だ。袋の開け口から見えるのは包装された衣類をはじめ、ラッピングされた電化製品タグがついた箱物、化粧品の類だ。


 女子らしい、極めて俗っぽいラインナップが目を引く一方で壁側の席に座るクリスティナの紙袋は書店のものだった。中に入っているのは紙の本が数冊と本のデータが収められた電子チップの箱が数個だ。


 嘉鈴が朱燈やクリスティナを相手にこの服いーじゃん、と着せ替えに夢中になったり、朱燈が家電コーナーで新型のプロセッサプログラムツールのパッケージングキットに目を輝かせた一方、クリスティナは本屋を訪れ、その蔵書量に大喜びして貴重な紙の本を買っていた。そのささやかな戦利品から一冊を取り出し、パラパラめくっていると、嘉鈴が身を乗り出して話しかけてきた。


 「ねーこれから展望デッキいかない?空見えるぞー!」


 身を乗り出す嘉鈴は普段はつけない伊達メガネをかけ、いつもの野獣に似た瞳孔はなりを潜めていた。それでもクリスティナが驚いて本を両手でパタンと閉じたのはきっと内なる獣性を感じ取ったからだろう。


 落ち着いた喫茶店に似つかわしくない、餓狼を思わせる気配を漂わせ迫る人間はいついかなる時も女性の大敵だ。たとえ、それが同性であろうと例外はない。


 どうしてこんなことになったんだっけ、と本への興奮がようやく覚めたクリスティナは天を仰ぐ。あいにくと見えたのは天啓ではなく、床の色より少し濃い色の木調の天井だった。


 ロシア難民の護送任務を終え、すぐに帰国するつもりだったクリスティナはしかし、東京サンクチュアリについて一日と経たず、彼女の所属するロシアはオムスク・サンクチュアリから東京サンクチュアリのヴィーザル支部へ転属の辞令が下された。クリスティナからすれば寝耳に水、ロシア風に言い換えるなら火から炎へといったところだろう。


 ロシアの領土を憎きフォールンから取り戻すため、クリスティナはヴィーザルの傭兵になった。本当はサンクチュアリ防衛軍に入りたかったが、壁外で活動することはほとんどないと知り、迷わずヴィーザルの訓練所に彼女は申請を出した。


 晴れてヴィーザルの傭兵となり、あまつさえ第三世代の影槍の被験者と選ばれたクリスティナはよっしゃやったるぞ、と重機関銃を両手に抱え、戦場を縦横無尽に駆け回った。その過程で何人か仲間は失ったが、それでもクリスティナは確固たる戦果を上げていた。


 その折、舞い込んだのが難民の護送任務だった。面倒だな、とは思わなかった。オムスク・サンクチュアリは中規模のサンクチュアリで、以前より飽和寸前と言われていた。自身が護衛した輸送機以外にも、十機以上が周辺や遠方のサンクチュアリへ一部の難民を護送するという話だったから、単なるジョーカーの押し付け合いとかではなく、純粋に難民の受け渡しの目的なのだ、とクリスティナは判断した。


 ——さすがに輸送機に居合わせたヴィーザル職員が自分だけだとは思ってもみなかったが。


 任務が終わり、ロシア本土へ戻れると考えていた矢先の突然の辞令は彼女を大いに混乱させた。厄介払いなんじゃないかというくらいの雑なまさかり仕事に思わず、伝達ミスを疑ったほどだ。しかし問い合わせた結果、辞令は伝達ミスでも虚偽でもなく、正式なものだと判明し、はぁ、とその時の彼女は脱力して自室の床に倒れ込んだ。


 「ロシア、オムスク・サンクチュアリよりこちらへ転属になりました、クリスティナ・アールシュレッツェです。以後、よろしくおねがいします」


 彼女が無愛想な態度でそう自己紹介した先は外径行動課第三特務分室、つまり千景達の部署だ。ひどく広々とした部署だな、というのが彼女の同部署に対するファーストインプレッションだった。


 配属になった部屋が広々と感じられたのは部屋本来の広さもあるのだろうが、入り口から見て右半分の席がすべて空席になっていたからだ。聞く話では室長含め、自分が配属する少し前に全滅したらしい。


 さぞや厳しい戦場。


 特務、つまり影槍を腰部に収めたヴィーザル職員の配属される部署で、一個小隊がまるまる全滅するような事態が起きると聞かされた時、彼女はそう考えた。少なくともロシアと同等、あるいはそれ以上に過酷な戦場なのだろうと。


 しかし実態は大きく違った。なんと換言すればいいのか。とにかく緩いな、と東京サンクチュアリでの初任務の際に思った。


 どれほど高位のフォールンがいるのかと思えば、出てくるのはオーガフェイスやブラットといった下位種がほとんどで、時折中位種が現れる程度。大規模サンクチュアリの周辺であり、サンクチュアリ防衛軍の定期掃討がうまくいっているから、とか色々考えたが、それにしてはその組織の壁外活動をする城壁守備隊の練度はお世辞にも高いとは言えなかった。


 「まー。あれだ。ヴィーザルの傭兵視点で比べるのもちょっと酷じゃないか?」


 同行した部隊の隊長、千景は憤るクリスティナを諌めながら、肩をすくめた。


 初めての救援依頼を受けて駆けつけた時、救援依頼を出した防衛軍の小隊はブラットの群れに追われていた。十匹ちょっとの小規模の群れで、小隊の火力でなら押し返せる規模だ。


 生き残っていた兵員は8人。防衛軍の歩兵小隊の規模が12から15人であることを加味すれば、何人かはブラットに食われたのだろうが、それでも相手はブラットだ。下位も下位、銃があれば素人でも殺せる駄獣だ。


 それを一匹殺すのに何を手こずっているのか。救援依頼を出した相手ではあるが、あまりのへっぴり腰っぷりに不意に苛立ちが込み上げてきた。


 防衛軍が防衛軍なら、ヴィーザルもヴィーザルだ。仕事がない時は大抵室内でだべっていたり、オーバル端末を眺めていたりする。武器の点検や、フォールンの分析をしようとする人間はいない。せいぜいが時折、千景とクーミンが狙撃訓練のためにヴィーザルタワー地下にある射撃場へ行くくらいだ。


 そして休みの日、非番の日となればこうして買い物に出かけたりする。最前線であるオムスク・サンクチュアリとは異なり、こうした生活必需品ではないものが溢れているのは豊かさの証なのかもしれないが、それにかまけているように見えて、なんとなしに苛立ちを覚えていた。


 「ねー、展望デッキ行こうよ!7日振りの空だよ、空!」

 「阿澄さん、休みの日なんですからもうちょっと有意義に使ったらどうですか?それこそ太陽なんてVRセットがあれば見れるじゃないですか」


 2000年代初頭から流行り始めたVR技術、23世紀ともなればナノマシンの併用で現実に似た質感再現させることもできるようになった。専用の店に行けば五感をすべて再現したVRセットが置かれているし、市販のものでも十分に楽しめるスペックがある。


 事実、サンクチュアリ内の閉鎖的な居住環境の中で、VRセットの需要は高い。窓がないから、展望デッキに行くか、外に出なければ空を拝めないことも相まって出不精な人間は好んで贋作の太陽、贋作の世界を好む傾向にある。


 「えーそれって味気なくない?それに有意義に使うってなにするの」


 不満そうにザ・アウトドアガールである嘉鈴は口をへの字に曲げた。ガールというが、現在19歳、今年で20歳の彼女は世が世ならばもう成人している年齢で、ガールではなくレディと呼ぶのが適切だろう。


 そんな事情を知らないし、どうでもいいとすら考えているクリスティナは例えば、と前置きしていくつかの例を出す。地下で戦闘訓練をしたり、周辺のフォールンの分布状況を更新したりなど、ヴィーザルの傭兵としてやるべきことは山ほどある。


 「えーめんどくさくない?」


 しかし嘉鈴は力説するクリスティナの弁を一言で一刀両断してしまった。その返しを予想していたなかったのか、混乱しながらクリスティナはカクカクと首をかしげ、どういう意味だ、と聞いた。


 「言葉通りの意味だって。訓練とかはまぁ、ともかくフォールンがどこにどれだけいる、とか、生態調査なんてのはあたしらの領分じゃないでしょ。門外漢ってやつよ」


 あたしはおとこじゃないけど、と自慢げに胸を張る嘉鈴は歯茎を剥き出しにしてニカっとクリスティナに笑いかけた。雄弁に抗弁する嘉鈴を、そうそう、と朱燈が援護する。


 けど、とクリスティナは口をへの字に曲げ、それでも食い下がった。納得していない彼女に嘉鈴は少し唸ると、身を乗り出して彼女に迫った。驚き、席を少し交代させるクリスティナだったが、あいにくと彼女の後ろには壁しかなかった。


 「クリスちゃんはさ、三日三晩戦えって言われて納得できるタイプ?」


 「え?なんの話ですか?」


 言っている意味がわからないクリスティナは首を傾げ、眉をひそめた。質問に質問で返す彼女に嘉鈴はほのかな微笑を浮かべた。


 「例え話よ、例え話!クリスちゃんはなんかの依頼で三日三晩戦えって言われて戦えるタイプかーって質問」


 「え?えーっと。まぁ内容は確認しますけど、多分やるんじゃないですか?」


 小休止を挟めばできるだろう、と心の中でつぶやき、彼女は首肯する。できると語る彼女の弁を受け、満足げに嘉鈴は頷いた。


 「うん。多分、そこでパフェ味のスティックかじってる朱燈ちゃん以外は大抵の傭兵はそれができる。あーちなみになんで朱燈ちゃんが無理かって言うと、この子はそういう依頼は受けたがらないから。千景くんがいるなら話は変わるんだろけどねってぐぎゃ」


 軍用ブーツではなく普通のスニーカーだが、ヴィーザルの強化兵に蹴られれば常人では足の骨が折れる。同じ強化兵でも痛いと感じるほどなのだから。


 「話を戻すね。えーっと。そんな長期間の戦闘の依頼を受けました!そして依頼終わりました!その時の体のコンディションってどう?」


 足をさすりながら涙目で語る嘉鈴は徐々にテンションが上がっていっていた。


 「普通に考えれば疲れてるんじゃないですか?」


 即答するクリスティナ。その彼女を指差し、まさしくその通り、と声を大にして嘉鈴は叫んだ。喫茶店内の何人かが振り返ったが、気にするそぶりを彼女は見せなかった。


 「つまり、今のあたし達はまさにそういう状態なわけ。連日の任務、連日の出勤。出番がなくても心はすり減る。そういう精神的な不調とか、体調の悪化とかって仕事場に持ち込みたくないでしょ?つまりこれはガス抜きなの、ガス抜き」


 真面目すぎるのも考えもんだもんねー、と嘉鈴は付け加える。


 「屁理屈っぽくありません?実際、今日も千景とミリアーゼ隊員は狙撃訓練に出てるじゃないですか。確か、今日はあの二人も休みですよね」


 早朝、ヴィーザルタワーのエレベーターで千景と出会した時のことをクリスティナは回想する。右脇にクーミン、左脇に彼女のライフルが入ったバッグを抱え、右肩に自身のライフルが入ったバッグ、左肩に大型の登山用バックパックを背負った過積載状態で入ってきた彼はクリスティナとは入れ違いにエレベーターへと入り、地下訓練場のボタンを押していた。


 クリスティナが街に繰り出さねーかねーちゃんと朱燈、嘉鈴の二人に誘われたのはその直後のことだった。休みの日ではあったが、やることもなかったのでフォールンの分布図を作ろうと出社した矢先のことだった。


 出社していた証拠に他二名が私服なのに対して、クリスティナだけは白い防寒ジャケットを羽織った仕事着だ。あまり街中を散策する格好ではなかったが、替えもないし嘉鈴セレクションの耽美系スタイルも気に食わなかったので、今の今まで彼女は着替えていない。


 「まー千景はクーのお師匠様だからねー。心配なんでしょー」


 オーバル端末を覗きながらけだるそうに朱燈が応える。見れば、片側のイヤーキャップを切っていた。無線通話モードでもないのに声が聞こえたのはそのためだ。


 「お師匠?それは狙撃のということですか?」

 「そそ。一番弟子って感じ?ま、無理やり狙撃課に転向させたくらいだもんねー。思い入れも人一倍あるんでしょ、きっと」


 なんですそれ、と興味が惹かれたクリスティナは真顔で問う。問いかけられ、朱燈は考え込むそぶりを見せる。話すべきか、話さないべきか。少し考えた後、朱燈が口を開きかけた時、二人の会話に嘉鈴が割って入った。


 「ちょっとちょっと!あんまり野郎の話しないでよ。どーせならガールズトークしましょ」

 「がーるずとーくぅう?なに話すの」


 「んー。最近気になってるアイドルとか?」


 「今時アイドルって。あーまーそれでもいーけどさー」


 相手の顔色を伺うように朱燈はクリスティナを一瞥する。口を閉したまま、瞑目する彼女はどうぞ、と言いたげに左手を振った。


 「じゃぁお許しも出たことでアイドルについて話そうか!」



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