第11話 エアストライク

 『それで、どうやってハルピーを殲滅するの?』


 方針が逃走から徹底抗戦へと切り替わった時、現実的な話題を持ち出したのはついだった。ジャコジャコと相変わらず銃のコッキングレバーを動かしている音が聞こえるが、声はいたって冷静だ。


 ノリと勢いでやるやると言ったくせにと彼女のあからさまな態度に千景は口を尖らせるが、しかしなくてはならない着眼点だ。一旦、竟の言動の不一致には目をつむり、視線を前方のハルピーへと戻した。


 ハルピーの群れ、それまでは粒のように見えていたはずなのに、いつの間にかもうその仮面の先端部にある焦点が合わない両目の挙動までつぶさに把握できる距離まで迫っていた。人の手に似た両足を小刻みにわちゃわちゃと振り回し、同じくらいバサバサと汚い両翼を羽ばたかせるその姿はさながら、雲上のゴブリンのようだった。


 いっそ彼らが発する不快な怪音まで聞こえてきそうで心底嫌になる。きっと、間近にいる朱燈達は真正面から、あの人の声に似た鳴き声を聞いているのだろう。


 オウムやインコをはじめ、人の声を真似する鳥類というのは一定数、存在するが、ハルピーの鳴き声はそれとは違う。似せるつもりもなければ、似せているつもりもない。ただただ不快な人に似た声、断末魔とも苦悩の喘ぎとも形容できるとにかく不愉快に人をさせる鳴き声を彼らは発する。


 一説には死者の嘆きの声だ、とする学者もいるが根拠は薄弱で、冗句の類にもなりはしない。なにより、声を聞いているだけでふつふつと怒りが湧き上がる。そういう生物のそういう煽りにしか聞こえないのだ。


 絵物語に登場するゴブリンと同じで、半端な知性があるからそんな声を出すのだろう。群れているという圧倒的な優位があるからハルピーはギャギャと鳴く。


 現状、視界を埋め尽くさんばかりのハルピーの群れは計器に不備がなければ200を超え、300に迫る。早々見られる光景ではない。


 「スウォーム現象」


 パンドワゴン効果に似た21世紀ごろから提唱された集合効果。パンドワゴン効果は行列を見たら、人気店なのでは、と考える人の習性を利用する効果である一方、スウォーム現象は群れの中にいる司令塔が群体を統率するため、一種のフェロモンあるいは波を発する機能を獲得するという現象だ。


 別名をスイミー現象と呼ぶ。旧来は魚群が集まる理由とか、鳥がどのようにして群れるのか、という謎を解明するだけの現象だったが、フォールン発生以後はその特異な生態を説明する言葉として使われている。


 上位個体への絶対服従という逃れられない縛鎖という意味で、スウォーム現象は使われる。群れの絶対のリーダーによる統治、一種の独裁体制を説明することができるからだ。


 ハルピーの上位種、ヘルン。ハルピーがフォールン化を進行させた末の産物。その声にはハルピーの脳を活性化させる作用があり、呼び寄せ、操ることができる。群体に突如として現れた統率者、それは群れを堅固にする重要なファクターだ。逆を言えば、群れのリーダーを失った生物というのはひどく脆い。


 「現状、すべてのハルピーを殲滅するのは難しい。戦車砲でも持ってくるなら話は別だけどな」


 『格納庫にそーゆうのはなかった』


 「あれば使ってるからな。となると、取れる手段は限られる」


 視線を手元の電子端末へ落とし、千景は一瞬沈黙する。なるべく言葉を咀嚼し、そしてため息混じりに吐き出す彼の舌は重く、喉はどうしようもなく乾いていた。


 「火力が足りない以上、それ以外の部分で補うしかない。そこでこう考える。まず冬馬、苑秋えんしゅう。お前ら二人は作戦開始前に、というか今からすぐに輸送機に降りてくれ。降りたら機首の操縦室を目指せ」


 『理由、聞いてもいいか?』


 疑問を口にしたのは苑秋だ。おそらくは自分の隣に立つ冬馬と同じ表情をしているんだろうな、と千景は妄想する。


 「近年はパイロット不足で、こういうヘリコプターみたいな小回りがきく乗り物でもない限り、基本はオートだ。オートの利点は人いらずの点であること、システムの運用がすべてコンピューター制御で行える点だが、それは言い換えれば、人間的な気配りができないってことだ。つまり」


 『つまり俺達にオートパイロットを切って、マニュアル飛行をやれ、と』

 「無理言うなぁ!!ていうか、それって」


 「オートスタビライザーは機能しているだろうから、基本はアクセル踏めばいいだけだよ」


 『簡単に言ってくれる。まぁ、一応教習は受けてるが』


 けどな、と冬馬は口を尖らせる。


 ヴィーザルの教習所では武器の取り扱い、フォールンの種類についての学習以外に多種多様な乗り物の操縦方法を叩き込まれる。無論、その中には現代輸送機の操縦方法もある。


 ただし、多くは軍用車両、軍用バイク、あとはヘリコプターの操縦をメインに履修するため、航空機などの教習を選択している物好きは少ない。つまり冬馬と苑秋は数少ない物好きということだ。


 「ガタガタ文句を言ってる暇はないぞ?今にもハルピーの群れが」

 『わかった。すぐに降りる』

 「あー俺死んだわー」


 ぐずる二人は不承不承といった様子でそれぞれが降下の準備を始める。ヘリは二人の降下に合わせるように輸送機の真上へと移動し、そのために機体はわずかに左右へと揺れた。


 自機で冬馬が降下の準備をする傍ら、千景は立てた作戦を各員に告げていく。その際、いくつかの質問が飛んだ。


 内容は「撃ち漏らしたハルピーはどうするの」とか「再度進化したハルピーが出たら」とか色々だ。


 ライフルを片手に千景はほくそ笑む。元来、狙撃手とは遠距離からの支援が本懐だ。その役目はなるべく遠くの敵を倒すこと。ならば今回のような任務はうってつけと言えた。


 「とりあえず、作戦通りに進めてくれ。撃ち漏らしは俺、朱燈、クーミン、それからクリスティナの四人で対処する」


 『りょーかい。じゃ、始めていい?』


 軽い調子で返す朱燈はしかし遠距離攻撃の手段など持っていない。始めるのは彼女ではない。


 「ああ。始めよう。——それじゃあお願いします」

 「あいよ!」


 千景の指示を受け、ヘリが移動する。すでに冬馬と苑秋は降下し、操縦室を目指して駆け出している。再び足場が斜めになり、天井の手すりを握って千景達は姿勢を保った。


 離床と同時にヘリは側面を晒す。スライドドアから身を乗り出し、千景は正面を見つめた。


 向かってくるハルピーの群れはもう尾翼に迫る勢いだ。ヘリとの直線距離ははy区メートル未満、例えどれだけへっぽこな射手だろうと、外さない距離だ。


 「全員、構え!」


 千景の号令と共に各員がそれぞれの銃器を照準する。珍しくレーザーサイトを銃の下部に取り付ける彼らがそのスイッチを入れると、赤く細い光線がハルピーへ向けられた。


 レーザーサイトは照準を補助するための古い機械だ。現在の銃器は一部を除いて内部のマイクロマシンにより、振動を抑制したり、手ぶれを補正したりするシステムが導入されているため、使い方さえわかっていれば狙った場所には大体当たる。


 必然、旧時代のレーザーサイトはよほどのことがなければ使われなくなった。もっぱら使われるのは室内での銃撃戦などだ。


 フォールンに対しても決して有効な機械ではない。赤い点が自身の体に浮かび上がれば、それから逃れようとする。事実、レーザーサイトを向けられたハルピー達は急旋回し、紅点から逃れようとした。


 あるものは回転し、あるものは宙転する。向けられた赤光から逃れるため、懸命に翼を羽ばたかせる。ぐるぐると縦横無尽に。


 「よし、撃て!」


 隊列が乱れたと判断し、千景は号令を下す。直後、ヘリのローター音を凌駕する圧倒的な銃撃音が雲上にこだました。


 口火を切る銃火。引き金を引くと共に無数の銃弾が銃口から放たれた。


 銃が火が吹き、撃ち出された弾丸はハルピーの翼めがけて突き進む。初速780メートルから890メートル。マッハ2.5以上の超高速で放たれる弾雨を避ける術はない。


 弾丸は12.7ミリ弾を拡張した15ミリ弾。造りは弾丸と言うよりかは砲弾に近く、徹甲弾を想起させる内部構造になっている。唯一違うのは弾丸であるため、炸薬が底部についていることで、純粋な運動エネルギーのみで装甲を貫徹する徹甲弾とは異なる。


 対人に用いればその威力は絶大の一言に尽きる。軽機関銃の掃射一回で人間を模した豚肉の肉人形を丸焼きにローストしたというデータもある。オーガフェイスであっても対物ライフルを用いればその硬質な仮面に風穴を空けることができる。


 それが怒涛の勢いで迫るのだ。ハルピーにとって不意打ち以外のなにものでもない。


 瞬く間に弾丸に撃ち抜かれたハルピーの翼は穴だらけになった。翼が穴だらけになり、自重を支えられなくなったハルピーはバタバタと奇声を上げて落ちていく。その光景は空を切り取ったように落ちていく泥濘の塊のように見えた。


 横殴りの雨はなおも続く。側面をさらし、横列銃隊を形成したヴィーザルの狩人達の正確無比な射撃はレーザーサイトで補足したハルピーを次々と撃ち落としていった。


 それ自体の重さも相まって、滅多なことで弾丸が逸れることはないため、よく当たる。言うなれば光ったと同時に自身を貫く不可避の弾丸が何十、何百と迫ってくるのだ。ハルピー達の間に混乱が広がり、その隊列は乱れた。


 カシャカシャと頭部の発光器官を用いて意思疎通をしようと試みるもその端から千景とクーミンはその個体を撃ち落としていく。狙うのは頭部ではなく、やはり翼だ。


 一部を除けば、ハルピーのような飛行型フォールンの体重はすこぶる軽い。妙ちきりんなまでに大きい頭部を入れても5キロもない。


 一般に鳥類の中でも大型の鷹や鳶の体重は1キロを超えるか超えないかくらいで、ハルピーの重量は彼らの数倍に匹敵するが、自身の体重に数倍する獲物を抱えたまま、鷹や鳶は飛行することができる。それを思えば大翼でもって高高度を飛ぶハルピーはおどろおどろしい外見はさておいて、生物の範疇に収まっていた。


 全長に匹敵する翼を用いて自由自在に空中を飛び回る。それは確かに脅威ではあるだろう。だが、一方で生物の範疇を逸脱していない、それこそよくわからない反重力エネルギーだとか、強力な浮遊能力みたいなおかしな力でもないなら、人にとってはそれほど脅威ではなくなる。


 翼を撃ち抜かれたハルピーは必死になって滞空しようともがくが、その自重を片翼で支えることはできない。努力の甲斐もなくひゅるひゅると螺旋を描き、雲下へと消えていった。


 よしんば翼に当たらずとも、ハルピーの場合は体のどこかに当たるだけで致命傷だ。むしろ投影面積を考えれば最も当たりやすいのは頭部だ。どれだけ仮面が硬かろうと何十発も受ければ砕け、絶命する。


 それでも数はやはり絶大だ。ヘリからの銃撃に加え、輸送機に近づくハルピーは朱燈とクリスティナの二人が捌いているが、それでも二人はすでに尾翼から後退し、胴体部まで追い詰められていた。


 「やられっぱなしなわけはないわな」


 ハルピーとてバカではない。特にヘルンがいる群れはそう容易く崩れるものではない。


 正面を飛ぶハルピー達が落とされると、それまでは部下達の陰に隠れていたヘルンが頭部の発光器官を用いて周囲へ指示を出し始めた。その光を千景やクーミンも確認していたが、周囲をハルピーが取り囲んでいたため、狙い撃つことはできなかった。


 小さな舌打ちがこぼれる。


 そんなことをしている間に群がっていたハルピー達は三方へ別れ、茶色い雲から三叉のフォークへと代わり、それぞれが輸送機の主翼目掛けて加速した。正面に群がるだけなら火力を集中させられたが、分散されればそれもできない。


 幸い、左右を飛ぶハルピーの数はそう多くはなかった。しかしFジャマーを掻い潜ったハルピーの群れはここぞとばかり主翼に群がり、その装甲板を剥がそうとした。


 『千景くーん?』

 「大丈夫だ。右は俺と朱燈、左はクーミンとクリスティナで対処する」


 竟がに千景は即座に回答する。ダン、ダンと断続的な銃火の雷鳴がこだまし、その度に視線の先をたゆたうハルピーは雲下へと消えていった。


 「ったくこれだから!!」


 千景がヘリの甲板から狙撃に集中する傍ら、輸送機の上では朱燈とクリスティナは互いの武器を振り回し、近づくフォールンを一掃していた。朱燈が主翼に取り憑くハルピーを担当し、クリスティナがその手前のハルピーを撃ち落とす。即席ではあったが、なかなかに上手いコンビネーションだった。


 主翼の上を走る朱燈に気づいたハルピーは大顎をかっぴらき、彼女を丸齧りにしようとする。近づく巨鳥、体を低くして、その懐へ潜り込んだ朱燈は右手の刀剣で腹部を一閃する。


 焼き切られ、腹をさすることもせず、転げ回るハルピーを主翼から叩き落とし、彼女は次の獲物へ目線を向けた。鋭く、凍えた餓狼のごとき眼差し、常人を凌駕した運動神経を駆使し、朱燈は時に跳び、時に疾走し、時に主翼と胴体部の間を滑った。


 朱燈が活躍する傍ら、彼女と同じように胴体部を走り回るクリスティナも負けてはいない。重機関銃を巧みに操り、彼女は群がるハルピーに鉄拳を叩き込む。


 左右合わせて総重量60キロ以上。軽量化が進んでいるとはいえ、重機関銃であればそれだけの重量がある。その重量を駆使して時にクリスティナは接近してくるハルピーを殴り殺し、またゼロ距離で銃撃した。


 銃を撃つたびに薬莢が排出される。中指ほどもある長さ、親指ほどもある太さのそれを撃つたびに目で追いながらクリスティナは戦場を俯瞰する。


 近づくハルピーは右方と左方で分かれているものの、その多くが朱燈とクリスティナによって落とされた。それでもひっきりなしにハルピーが送られてくるのは親玉であるへルンが未だに落とされていないからだ。


 千景から知らされた作戦ではレーザーサイトでハルピーらに混乱を生み、その隙をついて銃撃。戦列が乱れたところをへルンを撃ち落としてさらにハルピー達に混乱をもたらす、という段取りだった。しかし未だにハルピーをちまちまと潰すばかりでへルンの撃破には至っていない。


 何故だ。


 苛立ち混じり、疑問混じりに恐る恐るクリスティナは千景に通信を飛ばした。


 「えっとムロイ、さん」

 『さんはいらないし、名前でいい。でなに?』


 「へルンを狙うことは出来ますか?」

 『捕捉はしてるが、周りをハルピーが囲んでる。何より』


 まだ早い、と千景は返した。そっけない言葉遣いだが、内心ではどこか焦っているように聞こえた。


 おもむろに同じ通信を聴いていた朱燈の視線が輸送機の正面方向へ向く。同じ方向を一瞥するクリスティナはそういえば、と作戦の内容を思い返した。


 ただハルピーやへルンを落とすだけでは意味がない。へルンを堕としても同じようにハルピーの中から共食いをして進化する個体が生まれてしまう。何より、現在の千景達には眼前のハルピーの群れをどうこうするだけの火力はない。


 どこからともなく現れる無数のハルピーとそれを統率するへルン。空中においてこの二種の組み合わせは地上で下手な上位フォールンと戦う以上に脅威と言える。


 対処の手段はそうなると限られる。


 「——クソ!あーしてこーして!燃料パイプのラインはこっちに組み替え」

 「ふざけやがって!ちくしょう!」


 機首の操縦室。正面の曲線が印象的な窓ガラスには、操縦席には何かのシミができていた。座席に詰められたスポンジなのか、綿なのかわからない詰め物があたりに四散していた。


 穴はそれほど大きくはない。せいぜいが1.5リットルのペットボトル程度の直径だ。しかしの小さい穴とは裏腹に窓ガラスには亀裂が走り、びゅおびゅおと風を吸い込んでいた。


 操縦室に冬馬と苑秋、二人の傭兵が入った時すでにその有様だった。何が起こったのか。二人は想像するよりも早く計器の安否を確認した。


 幸いと言うべきか。計器、機械類には目立った故障はなかった。ただ強いて言うならば一部の操縦系にエラーが生じており、輸送機の速度は規定値を大きく下回っていた。


 最初、それを見つけた時なるほどなと苑秋は得心がいった。いかにハルピーが飛行型のフォールンであろうとその速度は音速を超えるなんてことはない。せいぜいが時速60キロから120キロ程度。乗客の安全を考慮した微速飛行であっても、十分に追い越せる速度だ。


 「——とりあえず、速度を戻すか」


 そう言いながら冬馬は天井部のスイッチに手を伸ばす。しかし苑秋はその手を掴み、ちょっと待て、と反論した。


 「なんだよ?」

 「一応、俺は上官なんだが。まぁいい。そもそもどうして速度が落ちていたんだ?」


 「そりゃ、あれだろ。この惨状を見ろよ。きっと操縦士の誰かしらが怪我負った時とかに間違って速度落としちまったんだろ」


 「一応、これはエデン機関の輸送機だぞ?そんな、旧世代の凡ミスひとつでオートパイロット機能が崩れるものか」


 別にサンクチュアリを運営している母体組織に全幅の信頼を寄せているわけではないが、苑秋が操縦資格を取った時に搭乗した小型の輸送機でさえ、試験官が手当たり次第にレバーやらスイッチやらを押してもオートパイロット機能は壊れなかった。況や、さらに大型の輸送機ともなればシステム面はすべてスイッチ操作、レバー操作ではなく、コンピューター制御になっている。


 端的に換言すれば最悪、輸送機の操縦席の機材がまるまる吹き飛んでも問題はない。輸送機の胴体部に置かれているコンピューターブロックが無事であるなら。


 ではどうして輸送機の速度が落ちているのか。それはわからない。


 「コンピューターに細工をされたか?」

 「下手な考え休むに似たりってな。なぁ、えんしゅーよ。そんなこと考えてないでとりあえずオートパイロットを切らないか?」


 何故だか浮き足立つ冬馬はもう辛抱たまらんとばかりにスイッチを押したげな表情で苑秋を見つめる。愛玩動物が飼い主を物欲しそうに見る表情に似ているが、それは愛玩動物がするからかわいいのであって、20になった長身マッスルマンがやってもかわいくはない。


 仕方ないな、と苑秋はオートパイロット機能をオフにする許可を下す。あいよ、と返す冬馬は手際よくスイッチを操作し、液晶パネルに自身のヴィーザルIDをかざした。電子制御が主流である現代において、システムの操作は基本的にカード一枚あれば事足りる。


 IDに埋め込まれた冬馬の操縦免許のデータを読み取り、システムが「ACCESS VERIFIED」の画面になった。途端、オートパイロット機能が切れ、それまでは蹴り飛ばしても動かなかった操縦桿が動くようになった。


 「とりあえず制御プログラムは正常、オートバランサーも正しく機能してるっと」

 「見たところは正常だが」


 「そういう変な勘繰りすんなよ。とりあえず速度上げるぞ」


 右レバーを前に向かって倒し、次いで計器パネルの下部にある横並びの電子キーをすべて上げる。直後、左右に機体は揺れ、別の計器パネルに表示されている速度値がどんどん上がっていった。


 よしよし、と冬馬は満足げにうなずいた。命懸けの銃撃戦も悪くはないがこういった大型輸送機の操縦ほど心が躍るものもない。いつの時代も男の子は銃器ではなく、重機の操縦にロマンを見出すのだ。


 そう、ロマン。飛行機の操縦はある種のロマンだ。自分の両手で操縦桿を握り、離床し、加速し、その巨躯でもって大空を羽ばたく。実態はジェットエンジンで力任せに飛び立ち、揚力を得ているだけだが、そんな物理の最先端をその身ひとつでこなせるというのはすこぶるわくわくする。


 「あー。こういうのを役得」

 「おい。ちょっと待て。計器見ろ、計器」


 なんだよ、と冬馬は唇をすぼめた。せっかく人が気分良く操縦しているというのに、随分な横槍だ。


 若干、苛立ち気味に冬馬は苑秋を睨みながらも、言われた通りに彼の示した計器に目線を向けた。


 「あぁ?なんだこりゃ」

 「気づいたか?なぜだかわからないがエネルギーが漏れている」


 「冷静に言ってくれるな。つーか。なるほどそういうことかよ」

 「ああ、おそらくな」


 二人の間で意見が一致する。


 何故、輸送機の速度が落ちていたのかの意見、その結論だ。


 「エネルギーを節約して飛んでやがったわけか」

 「そういうことだな。早急にパイプをいじる必要があるな」


 「面倒クセェ!!」

 「言うなよ!俺だって面倒くさいんだから!」


 二人の出した結論、それはコンピューター制御ならではの極めて非合理な結論だった。


 どこかのタイミングでエンジンに送られる電力が漏れていた。それに対処しないまま飛んでいたせいで輸送機の速度はどんどん落ちていたわけだ。輸送機を飛翔させるための動力が液体燃料から電力一本に変わってからも時として漏電は起こり得る。


 幸いと言うべきか、輸送機の動力機関はバッテリー式のみではなく、ソーラー発電式との併用型だ。ソーラー発電による電力の生成量はそう多くはないが、輸送機を飛ばし続けることはできる。


 「とりあえずパイプラインは全部とっかえる。あとえーっと。漏電している箇所への電力供給も切れ!」


 「わーってるって。あークソ。こういうパズルみたいなの苦手なんだよ!」


 悪態をつきつつ、二人は突貫工事さながらに液晶パネルを操作する。尾翼の補助エンジンに回している電力をすべて切り、それまでは点灯していた通路表示の誘導灯も消した。


 突然の消灯に機内の難民達は驚いたが、決して騒ぎ立てることはなかった。その気力もなかったと言えばそれまでだが。


 「とにかくラインは引き直してっと」

 「おい、千景!こっちは任務完了だ。5分後に速度を上げる。そろそろそっちも始めてくれるか?」


 電力の供給経路を見直せば、あとはそれが正しく機能するかを検証すればいい。そのための時間が約3分、順次切断していたシステムの復旧に約2分。すべてを終えるのにかかる時間は5分、何かをするには十二分に足りる時間だ。


 通信越しに状況を把握した千景は目線をへルンへ固定する。それまでは周りを飛ぶハルピーの撃墜に留めていたライフルの銃口を敵将へと向けた。


 ライフルの下部に取り付けられたレーザーサイトをオンにすると、スコープの先に映るへルンの胸部に紅点が浮かび上がる。直後、千景は有無を言わせずに引き金を引いた。


 カチンと小気味いい音がトリガーガードの内側で響くと、それを掻き消すライフルの重低音が跳ねた。ボルトを弾くと金色の薬莢が排出され、それはヘリの奥側へと転がっていった。


 放たれた弾丸は群がるハルピーの壁をすり抜け、一直線にへルンへと向かう。初速888メートル毎秒、音速の倍以上の速度で飛翔する15ミリ対物貫徹弾は空を焼き、へルンの胸部を貫いた。


 自分が貫かれるまで、へルンは何が起きたのかわからなかった。心臓部を抉り取られ、力無く落ちていくその堕天使を唯一、千景だけが雲下に消えるまで見つめていた。


 「へルンを落とした。各位、周辺警戒。共食いを始める個体に注意しろ」


 司令塔を失えば群れが瓦解する。そんなありきたりなルールが罷り通るなら、人類はここまで追い詰められてはいない。司令塔を代替できるからフォールンは厄介だ。


 危機が迫ると突然変異的に群体の統率者が生まれるスイミー効果。群体生物を念頭に置かれて立てられた説は、フォールンの生態によく噛み合っていた。群をなすフォールンこそ、司令塔の代替は早い。


 へルンが落ちたことに気づいたハルピー達はギャァギャァと喚きながら、カシャカシャと頭部の発光器官を点滅させる。それはカメラのフラッシュに似ていて、空の上で拝むにはいささか目に毒だった。


 「光らせているやつを集中的に狙え!そいつは他よりも頭の回転が早いってことだ!」


 「千景くん、2時の方向!」


 ちぃ、と竟の警告に千景は舌打ちをこぼした。想定していたよりも早く、へルンになろうとする個体が生まれた。見てみると、すでに何体かともがらを食らったと思しきハルピーが射線から逃れるように輸送機の底部へ逃げようとしていた。


 また仲間を呼ばれてはさすがに対処しきれない。悪態づきながらライフルを構え、逃げたハルピーを追う。


 ——さながら普段の行為を反芻するように、自然な形で千景は引き金を引いた。


 弾丸とハルピーの距離は100メートルもない。1秒とかからず弾丸はハルピーの届く。


 しかし、弾丸がハルピーに届くことはなかった。舞ったのは別のハルピー、その肉と羽毛だ。


 「守るとかマジかよ。そういう仲間の友情とかは化け物に求めていないんだよ」


 空になった薬莢を排出し、千景は次弾を装填する。その1秒かそこらの短い隙をつき、目当てのハルピーは輸送機の底部へと逃げた。


 「すまん。弑損しそこねた」

 「だいじょーぶ。あたしがやる」


 詫びを入れる千景、それをフォローする朱燈は言うより早く駆け出していた。


 輸送機の胴体部から主翼へと降り立った朱燈は瞬時に腰部から二本の影槍を出現させる。空へ飛び出した二本の影槍は瞬時に結晶を纏い、左右に飛び出した。


 飛び出した影槍は手近にいたハルピーの頭蓋に突き刺さる。ちょうど発光器官があるあたりだ。突然の強襲を受け、ハルピー達はたまらず、逃れようと両翼を羽ばたかせた。


 「らぁああおりゃあ!!!」


 振る。


 文字通り、朱燈は左右に伸びた影槍を振った。


 さながらハンマー投げ。自分に向かってくるように朱燈は影槍を振り、羽ばたくハルピー達を振り回す。浮遊する肉体、無理やりハルピーを操縦し、朱燈は主翼から飛び降りた。


 両足が主翼から離れると同時に朱燈は片側の影槍をハルピーから引き抜き、別のハルピーに突き刺した。まるでターザン。力尽きた端から朱燈はハルピーから影槍を引き抜き、別のハルピーに突き刺した。


 その間、彼女に群がる無数のハルピーをことごとく、千景が、クーミンが、そして朱燈自身が切り裂いていく。そうして彼女の輸送機の底部に近づいた時、目標のハルピーはすでに頸椎が大きく突き出しかかっていた。


 「ちぃ、うざいなぁ!!」


 輸送機の底部に取りついたハルピーと朱燈の距離は約30メートル。ここにいたるまで、ハルピーを乗り継いで来た朱燈の周りには、相手も警戒してか近寄ってこない。


 近づく手段がない。輸送機の底部に影槍を突き刺せば、どこに異常が起きるかもわからない。朱燈の影槍は最長でも8メートルが限界だ。ゆえに彼女はおもむろに自身の腰に垂れ下げているホルスターに手を伸ばした。


 「くっそ。射撃は苦手だってのに」


 突き出した拳銃のスライドを口で引っ張り、コッキング状態にする。そして、狙いもあやふやなまま、朱燈は引き金を引いた。


 中空にパン、という音が鳴る。乾いた銃声、放たれた弾丸は逸れ、空へと消えた。間髪入れずに朱燈は拳銃を撃ち続ける。その内一発は、偶然か必然か。ハルピーの翼をかすめた。


 「いいからこっちに興味持てっての!」


 銃弾を受け、ハルピーの両目がギョロリと朱燈に向けられる。大口を開き、自身に向かって迫るハルピーを鬼気迫る笑顔で朱燈は迎え撃つ。


 彼女自身は身動きがとれない空中。ならば相手に向かってきてもらう他ない。影槍をハルピーに向け、朱燈は放つ。その両翼へ突き刺すと同時に影槍を縮め、朱燈はハルピーの頭蓋に両足をつけた。


 ドスンと突如として自身の頭部を直撃した衝撃にハルピーは目を疑う。混乱が勝り、ギョロギョロと焦点が合わない両目を器用に動かす中、朱燈は頭蓋めがけて真っ逆さまに刀を突き刺した。


 「いよし!」


 仮面を破壊するまでもなく、頭部を突き刺されたハルピーは羽ばたく力を失い、糸が切れた傀儡のように雲下へと落ちようとしていた。無論、それは朱燈も同様だ。


 「つ」


 絶命と同時に朱燈はハルピーの顔面から飛び退く。わずかな無重力状態、大気のベッドに背を預け、文字通りの青天井を彼女は見つめる。


 反射的に影槍を伸ばし、近くのハルピーを彼女は足場にしようとする。しかし頭蓋を砕くよりも前に突き出された朱燈の影槍は雲散霧消し、その目論見は砕かれた。


 瞠目し、そんなに使ったか、と朱燈は首を傾げる。気づいていないところでエネルギーを消費しすぎた。そう言われればそれまでだ。


 やばい、と彼女が気づいた頃にはその矮躯はもう降下を始めていた。


 その身ひとつ、千景やクーミンといった狙撃陣は気づいたようだが、彼らが飛び出したところでもう間に合わない。輸送機にせめて取り付けられれば、と再び影槍を伸ばすが、タラップにすらかすらない。


 眼前に訪れる美しい死の光景は思っていたよりも輝かしく、そして忌々しかった。宙空を飛翔する無数の怪鳥も、烈風を撒き散らす鉄の神輿も何もかもが。


 「あ、死んだ」

 『死んでませんて!』


 刹那、黒腕が朱燈を掴む。がっしりと五本の爪が彼女の体を固定し、その華奢な体を持ち上げて輸送機の胴体上部まで運んだ。


 爪から解放され、再び鋼の足場を踏み締める朱燈は振り返って、自身を救った黒腕と、その主を見る。紫銀のツインテールを靡かせて、うずくまるクリスティナは口元に血をぬぐった痕があった。


 「サンキュ」

 「どういたしまして。でも、ゲホ」


 「影槍を使いすぎたって感じ?」

 「そーですね」


 影槍を使い過ぎれば人体に悪影響を及ぼす。吐血はその一例に過ぎない。ひどい場合は脱水症状で失神からの脳卒中でぽっくりなんてこともザラだ。


 クリスティナは千景達が到着する前から戦い続けてきた。その過程で何度も影槍を使っていたのだろう。ボロボロと砕けていく彼女の影槍の耐久力のなさを考えれば、その戦いがどれだけ過酷だったかは、朱燈でも察せられた。


 「ほんと、ありがと」


 体がそんななのにさ、と言外にこぼす朱燈をよそに大丈夫です、とクリスティナは気丈に振る舞い、左右の重機関銃を再び持ち上げようとした。


 その時だった。急に輸送機全体がガクンと揺れ、その高度を下げ始めた。なんだ、と二人が目を見張る中、ヘリに乗る千景から通信が入った。


 『問題ない。すぐにまた上昇する。冬馬達がやってくれた。これから輸送機は速度を上げて、全力でこの空域を離脱する。振り落とされないように注意しろよ?』


 気づけば、ヘリもまた輸送機と同じ方向を向き、先行するそぶりを見せていた。竟達が乗るヘリが先頭を、千景達が乗るヘリが輸送機の後方へと飛んでいく姿が見える。


 千景の明言通り、高度を下げた輸送機は十数秒足らずで再び、高度を上げ始めた。同時に速度も上がっていき、向かい風の風圧が強くなっていった。


 並走していたハルピー達は輸送機からどんどんと距離を離され、まるで駅のホームに立つ人々のように、みるみる内に後ろの方へと流されていった。


 「やっと終わった」

 「本当に、そうですね。はぁー」


 輸送機の上で大の字になる朱燈、その隣にクリスティナは座り込み、後方へ流れていくハルピーを見つめていた。輸送機の背後に迫る巨大な積乱雲に吸い込まれていくハルピー達は悔しそうにギャァギャアと吠え、そして。


 『ん?——各員、周辺警戒!』


 唐突に千景の声が響く。やっと終わったと肩を荷を下ろしていた傭兵達はその警告に再び背中を張り、しまいかけた銃器を再び持ち上げた。


 大の字になっていた朱燈も起き上がり、周囲に視線を向けた。なんだなんだ、と通信に割り込む冬馬や苑秋を無視して、立ち上がった二人はおもむろに後方へ目を向けた。


 ——直後、後方の積乱雲が爆ぜた。


 バフと積乱雲の表層部分が爆発し、中から低いいななきが聞こえた。舞い上がった雲は風によってさらに細かく薄くなり、その手前にいたハルピーの群れへと波のように押し寄せる。


 なんだ、と朱燈は反転し、ゴーグルをかけた。ゴーグルのズーム機能を用いて彼女が何が起こっているのかを確認しようとすると、それに先んじて巨大な影が雲海を割って姿を現した。


 巨大、そう巨大だ。


 雲の層を貫く形で現れたその影は只中にいたハルピーの群れへと迫り、一息にそれを飲み込んだ。無論、すべてではない。だが千景達が撃ち漏らした群れの大部分をたった一口でその影は飲み込んだ。


 雲海から跳ぶように現れたその影はザトウクジラを思わせるブリーチングを千景達に見せると、そのまま下降し、迫る積乱雲の中へと消えていった。


 光景はそれだけ。遠目で何が起こったのかよくわからない者もいた。しかし何が起こったのかを把握した人間にとっては圧巻の光景だった。しばらくは誰も声を出せなかったほどに。


 「——なに、あれ」


 やがて朱燈が疑問をこぼした。目にした黒い影、その正体について。


 『モビーディックだろ、多分』


 答えたのは千景だ。ひどく浮き足だった、楽しげな声音で彼は朱燈の問いに答えた。なにそれ、と間髪入れずに彼女は聞く。千景は即答した。


 『バハムートの覇種さ。多分、この世で一番有名な』


 バハムート。それはサンクチュアリに住むものは一生見ることはない最上位に分類されるフォールンの名称だ。壁外で活動する朱燈やクリスティナのようなヴィーザルの傭兵だって滅多にお目にかからない。まして、特異な存在である覇種ともなれば、宝くじを買って当選するくらいの確率だろう。


 瞠目する朱燈は静かに薄れゆく積乱雲を見つめ続けた。周りの傭兵も気まずそうにしていて、言葉を発さない。直接見ていない冬馬や苑秋でさえ、何も言わなかった。


 『ま、気にするな。世界は広いんだ。ああいうのだっているだろ、多分』


 そんな場の空気を和まそうとする千景の発言は、案の定なんの効果ももたらさなかった。


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