第4話 ヴィーザル

 千景と朱燈が準備を整え、ネクロポリスに降り立った時、すぐ近くで破壊音が轟いた。なんだろう、と千景は首をあらぬ方向へ向けるが、すぐに朱燈は彼の頭をつかみ、無理矢理あるべき方向へ向き直らせた。


 首がゴキリという音を発し、痛みを訴える。鞭打ちになったかと錯覚した千景はすぐに両手を首筋に添え、しきりに円を描いて触れている部位を揉んだ。愛用しているAMSR70Bを肩にかけ、千景はしゃがみながら、涙目で目的地を見つめた。


 彼らが今立っている場所は目的地である2-23A区域に建っている高層ビルだ。旧時代、フォールン発生以前はどこぞの大企業の自社ビルだったのか、会社の名前とロゴが刻まれたネオンアイコンの一部がまだ壁面に残っていた。


 高さ実に458メートル。皮付きのとうもろこしを彷彿とさせる独創的なビルで周囲が「モノコピー建築」の規格化された高層ビルだけなので、そのデザインはいっそう異質で、異物感を強めていた。


 そのビルの屋上に小型武装ヘリで下ろされた2人は降ろされたと同時にまず自分達の周りにフォールンがいないかを警戒した。ヘリに乗っている時、上空からも確認はしたが、フォールンの中には擬態能力を有している個体もいるため、油断はできない。


 ナナフシやバッタのように周囲の景色に溶け込む個体もいれば、カメレオンのように色合いを変化する個体もいる。それ以外にもまだ知られていない個体のことも考えれば警戒するのは当然だ。


 安全を確保できたと胸を撫で下ろした2人はすぐに救援を求めた小隊はどこだ、と探し始めた。千景が異音を耳にしてサボろうとしたのはちょうどその時だった。


 「いつ」

 「バカやってないで探してよ!」


 いつも以上におかんむりな様子の朱燈に気圧され、千景は足早にスコープに視線を向けた。眼下に広がるのは無数の同じ形状の建物。どことなくサンクチュアリを思わせる無個性な景観の街を眺めていると報告通りのオブジェが見えた。


 事前の救援通信で言われていた通りの三角屋根を思わせる独特なオブジェ。距離にして800メートル、ちょうどいい距離だなと千景は弾丸を装填し、状況を確認した。


 スコープ越しに見えるのは報告よりも少ない4体のオーガフェイス。体躯にばらつきがあるが、一際大きい個体が群れのリーダーなのか、全く動かずにしきりに吠えたり、身振り手振りで指示を出しているように見えた。


 リーダーのオーガフェイスの指示に従って3体のオーガフェイスがしきりに暗闇に向かって接近と後退を繰り返していた。都度、暗闇の中からオレンジ色のマズルフラッシュが見え、オーガフェイス達はそれが見えるとさっと後退し、体を丸めて防御姿勢を取っていた。


 「見つけた。距離800のとこ」

 「どっち?」

 「えーっと、北西かな」


 了解、と双眼鏡を構える朱燈も千景と同じ方向へ視線を向けた。千景が示した方向に確かに目印のオブジェと交戦している部隊がいた。


 目視できる範囲に見えるのは前列らしい3人。彼らが対峙しているのは3体のオーガフェイスだ。


 彼らの確認した朱燈はその腰に帯びている武器に手をかける。気が早いような気もするが、心構えをしておく分にはいいだろう、とそわそわしながらカチンカチンと朱燈は物騒な音を鳴らした。


 今にでもかっ飛んでいきそうな雰囲気をただよわせる彼女を見て、千景は諦めたようにはぁ、とため息をついた。意を決したように彼はヘリから降りる時に持ってきた細長い入れ物の中からバイポットを取り出すと、屋上にある胸壁にライフルを固定させる。


 距離800。狙撃用のライフルならばそう大した距離ではない。狙撃手を自称するならば誰でも狙える距離だ。しかし、と千景は鬱陶しそうに空を見上げた。


 高度がそれなりにあるせいか、風が強く、夏の盛りということもあって空気もどんよりとしている。気温だけが10度未満とただただ寒い中、巻き上がる砂塵、吹き荒れる飄風、何より敵地の只中というプレッシャーで狙撃をしなくてはいけないのだ。


 「だるいな」

 「——じゃ、フォローよろ」


 「は。あ……」


 気がつけば、朱燈はビルの屋上からロープもハーネスもなしに飛び降りた。視線をスコープから外し、反射的に千景は横目で彼女を追った。


 そのまま彼女は高度200メートルのところまで落ちていくと、不意にその背中からとても細長く平べったい、まるで彼女の胸部装甲を彷彿とさせる黒色の結晶体を出現させると、近くの廃墟にそれを突き刺した。そして大きく弧を描いて彼女はターザンさながらに空に身を投げ出した。


 白銀の髪をたなびかせ、人間離れした彼女は自由奔放に空を翔ける。器用に腰部から生やした黒色の結晶体を操作してビルの間を脅威的な速度で翔け巡った。


 みるみる内に小さくなっていく朱燈の背中を見て、千景は再び盛大にため息をこぼした。フォローよろ、なんて言われるのは一体何度目だろうか。いつだってあのお転婆の言いなりの自分、そしてそれに嫌々ながらも従ってしまう自分に思わず笑いが込み上げてくる。


 戦場なのに、ああも自由でいられる朱燈が羨ましい。そしてそんな彼女に付き従う自分は最高にいいバディをしている。そう感じた。


 気を取り直してスコープに視線を戻し、千景はまず誰を狙うかを考えた。セオリーで言えば間違いなくリーダー格のオーガフェイスだ。群れのリーダーを失えば、群れは統率を失い烏合の衆と化す。古今東西、どの戦場でも言えることだ。


 けれど、と千景は目を細めた。周囲の環境、崩れたビル群、互いの屋上部分を削り合いながら沈黙を貫く同じ形のビルを見つめながら、千景は攻撃を躊躇した。


 オーガフェイスの群れは時に20匹、30匹にまで膨れ上がる。報告が正しいのなら12体というのはかなり少ない方だ。そのたった12体で高さ80メートル以上はあろう鉄筋コンクリートの塊を崩せるものだろうか。


 人が爆薬をせこせこ用意すればなんとかなる気もするが、フォールンにはそんな知識はない。根本を破壊するにしても最低でもあと6匹はいる必要があった。


 無論、これは勘だ。ひょっとしたら12体でせこせこ頑張って建物を倒壊させたのかもしれない。しかし確証が持てない以上、下手に攻撃することができないのが狙撃手の難しくも焦れる点だ。


 「なぁ、朱燈。今どこだ?」


 防寒ジャケットの襟に内蔵してあるマイクを口元に引き寄せ、千景は朱燈へ交信を行う。すぐに答えが返ってきた。


 『あとちょっとでオーガフェイスのとこだけど?』


 「数が合わない気がする。ひょっとしたら何体かまだ潜んでるかも」

 『ひょっとしてあたし、囮?』


 「想像にまかせるよ」


 ムキー、と何か言ってきたが気にせず千景は現状の維持に努めた。どのみち、朱燈が到着すれば自分の憶測が正しいかどうかわかると。


 「つっても、さすがにずっと見ているのもな」


 一瞬、逡巡するように千景は狙撃の師の言葉を述懐した。「狙撃手は見つかったら終わり」「撃ったら走る」「どんな時も後背をチェック」等々。どれもありふれた金言だ。


 しかしそれはあくまでも近づかれたら負けの狙撃手に対して送られる言葉であって、いうなれば狙撃手の心構えみたいなものだ。俺ははたしてどうかな、と前のめりに千景はライフルを構え、呼吸を整えた。


 引き金に指をかけると同時に彼は風速も何も確認しないままそれを引いた。衝撃が鈍く両腕に伝わり、金色の薬莢が排出される。その銃声は戦場一円にこだまし、やや遅れて朱燈の耳にも届いた。


 朱燈が戦場に降り立った時、オーガフェイス達はオブジェの中から救援を求めた小隊の面々を引き摺り出したのか、約5名を残してそれ以外の姿は見えなかった。斜めに倒れたビルの上には数体のオーガフェイスが乗っていて、彼らの口元には血痕がこびりついていた。


  ——あるいは肉がこびりついていた。


 総数10体。それがたった5人しかいないか弱い人間の小隊を取り囲んでいた。


 小隊の隊員らは怯えた表情で銃を構えていた。円形陣を作り、銃口を取り巻くオーガフェイス達に向けていた。オーガフェイス達は彼らを嘲笑うようにして、これ見よがしに大声をあげて威嚇する。硬質な仮面を正面に向け、哄笑しているようだった。


 一般に動物には表情筋と呼べるものをものが少ない。猫や犬、カラスや鳩は持ち合わせないし、魚などは論外だ。しかし猿や豚といった比較的知能の高い動物はこの顔を大きく動かす筋肉を持っている傾向にある。


 オーガフェイスはマカク属がフォールン化したものとされている。日本人に馴染み深いところで言うと、ニホンザルなどだ。


 仮面の内側の狼咽を思わせる剥き出しの歯茎をこれでもかとかっぴろげ、下品に邪悪に彼らを笑う。その悍ましいまでの光景に朱燈が腰の武器を抜こうとした時、不意にオーガフェイスの一体がうめき声一つなく前の前りに崩れ落ちた。


 その直後、戦場にいた誰もが空気を射抜く乾いた銃声を聞いた。


 遠方からの一射、音速の六倍以上の超高速の弾丸は容易くオーガフェイスの背部からその脳髄にまで届き、絶命させた。どれほど正面の仮面が強かろうと、背中がガラ空きであれば意味はなかった。


 目の前で突然仲間が葬られたことにオーガフェイス達は動揺を覚えたのか、呆然と立ち尽くす。ついさっきまで上げていて身の毛もよだつ咆哮も哄笑も上げず、ただ目をぱちぱちと可愛らしく開閉し、しきりに悲しそうにうめいた。彼らの悲哀めいた鳴き声は仲間の死を厭う礼砲のようにもレクイエムのようにも聞こえた。


 「茶番だな」


 相手の動きが止まったところですかさず千景は第二射を撃った。今度は背中では側頭部への銃撃を受け、また一体、オーガフェイスは絶命して崩れ落ちた。


 脳髄を撃ち抜かれ、貫通した弾丸が地面にめり込んだ。それもそうだろう。千景の持つ狙撃用ライフル、AMSR70Bは対中位フォールンを想定した大口径対物ライフルだ。本来であれば中位種以上の強固な体を貫くことを目的とした狙撃ライフルで、正面からでもオーガフェイスの仮面を貫ける火力を持つ。


 他方、威力に対して取り回しはすこぶる劣悪だ。ボルトアクション式であることもその一つだが、やたら重く、やたら反動が大きい。最新式の狙撃銃は照準補正やら反動防止装置やらがついている一方、一世代前の狙撃銃であるAMSR70Bは照準補正装置と弾道計算機は標準化されているが、反動防止装置がないせいでふんばらないと後ろに倒れてしまう。


 現に狙撃をしようとすれば仁王立ちになるか、寝そべる他ない。待ち伏せ前提の狙撃手向けではあるが、やはりその取り回しの悪さは兵士達の間では不評で、生産も短い間に打ち切られた悲しい武器だ。


 しかし千景は自分のスタイルにこの銃が最も適していると感じていた。普通の兵士には鈍重だろうが、自分ならば普通の狙撃銃と変わらずに持てる。多少、装填は遅いかもしれないが、一弾一弾を注意して当てればいい話だ。


 それができる。なら、それをするべきだ。


 スコープ越しに慌てふためくオーガフェイスを見つめながら千景はそうひとりごちた。


 慌てるオーガフェイス達はしかしすぐに物陰に隠れ、千景のいるビルに視線を向けた。鋭敏な五感があればこそ、彼らは即座に敵の居場所を把握できる。対応も見事だ。


 さぁどうする、と千景は珍しく相手の出方を伺うように狙撃を中断して、その動向を見守った。しかし千景の思惑とは裏腹に朱燈は物陰に隠れたオーガフェイスめがけて突貫していた。


 腰に帯びた刀剣を引き抜き、物陰に隠れるオーガフェイスに飛び掛かると、その仮面に向かって縦一文字に剣を引いた。どこからどう見てもごく一般的な日本刀の形状である彼女の武器は、まるで豆腐でも切り開くかのようにオーガフェイスの仮面に食い込むと、それを真っ二つに切断する。


 それは異様とも言える光景だった。童謡フェアリーテイルの世界から現れた超人的な少女の手によって、50口径の弾丸すら弾くオーガフェイスの仮面はおろか、その胴体もふくめて、真っ二つに切り裂かれたのだから。


 血潮が迸り、頭からオーガフェイスの血を浴びた朱燈は心底気持ち悪そうに、うげぇ、とこぼした。頭から血をかぶったせいで白かった白銀の髪は真っ赤になり、内蔵の一部が肩や二の腕に引っかかっており、マスクの内側で小隊の面々はうめき、反射的に口元へ手を伸ばした。


 倒れたオーガフェイスの断面からは内蔵がどろりとこぼれ落ちる。したたる赤湯は大地に広がり、濃淡な鏡となって朱燈を写した。


 他がどう自分を見ているかなど気にする素振りを見せず、朱燈はジャケットの裾で血と油がべったりとついた刀身をぬぐった。直後、ジュっという何かが焼き切れた音が朱燈の二の腕あたりからした。それは決して聞き間違いではなく、朱燈がだらりと垂らした左手にはジャケットの繊維が焦げた跡がついていた。


 周囲のオーガフェイスはなお、彼女を見続ける。身構えるように朱燈が中段に刀を構えるとようやく放心状態が解けたのか、リーダーと思しき個体が雄叫びを上げて他のオーガフェイスに臨戦体制を取るように命令した。


 朱燈の左手側に立つリーダー格のオーガフェイスが、はるか前方にあるオブジェから降りてきた7体のオーガフェイスが鼻息を荒くして彼女の動向を伺う眼差しを向ける。その視線を鬱陶しく思いながら、朱燈はどうするか、を思案するようにオーガフェイスと傷ついた小隊の間で視線を行き来させた。


 数は10人を切っているが、幸いなことに怪我人はいない。防刃ベストに装着されているマガジンにもまだ余裕がある。例え自分が一体一体を瞬殺できなくとも千景による援護があれば守り切れる。


 皮算用だが、できると判断した朱燈の行動は早かった。


 踏み込むと同時に彼女は近くにいたリーダー格のオーガフェイスめがけて走り出した。大地を蹴り、一気に加速する。おおよそ人体のバネの力すべてを動員してもなお足りない圧倒的な跳躍だ。


 その速度を前にオーガフェイスらは目を見開いた。人間らしい驚嘆の顔、表情筋の柔軟な種でなくてはできない表情だ。あわててオーガフェイスは彼女の一刀を避けようと背後に向かって跳躍した。


 元来、オーガフェイスは丸みを帯びた体型にも関わらず非常に高い跳躍能力を持つ。サルがフォールン化したからだ、と言われれば納得するだろう高い身体能力、発達した後ろ足による跳躍は一跳びで三階から四階までの距離を跳べるほどだ。


 しかしその脚力に朱燈は負けていない。むしろ、行動が早かった分、朱燈がオーガフェイスの目の前に到達する方が早かった。


 速度を維持したまま、朱燈は止まることなくオーガフェイスに切り掛かった。止まらず、速度という重さが乗った渾身の一刀を逆袈裟斬りの要領で掬い上げるように彼女はオーガフェイスに浴びせた。


 空気を切る一刀はヒュッという風切音を奏で、彼女とオーガフェイスの間に神速の斬撃を生んだ。血飛沫がわずかに迸り、直後にオーガフェイスの鼓膜を破るような絶叫が周囲一円にこだました。


 左手を庇い、離脱するオーガフェイスははるか上空から雄叫びをあげる。いっそ鬱陶しく、被害妄想も甚だしい悲痛な絶叫は、あたかも自分が被害者だと訴えるようで耳苦しいものだった。


 『つ。外した』

 「珍しいじゃん」


 イヤーキャップから聞こえた千景の声に朱燈はうっさい、と返す。速度に身をまかせすぎて、完全に目標を見失っていた。大方寸前でホワイトアウトしたから、適当に刀を振ったとかだろう、と苛立つ朱燈を他所に千景は勝手に予想し、結論づけた。


 しかし軽口を叩きながらも腕を庇うリーダー格のオーガフェイスの動きを注視していた。朱燈の一刀を受ける直前に上体を右に逸らし、左手だけを犠牲にした。その判断は非常に人間臭く、動物らしからぬ生き汚なさだった。


 その非生物的な外観のせいで勘違いしがちだが、フォールンとて元は一般的な動物だ。行動原理は野生の動物そのもので、人間を襲うだけでなく、同種や別々の種の間で殺し合いをすることも多々ある。当然ながら、オーガフェイスのように群れを形成する種も多くいる。


 千景のよく知る群れを形成する動物、例えばライオンなどはオスは死に物狂いで生き残ろうとする。自分のたねを守るため、子孫を残すためになんとしても死にそうな局面から生き残ろうとする習性がある。


 それは生物としてのヒエラルキーの高さに由来する一種の生存欲求だ。生き残りたいと思う動物は多くいるが、それは種の頭数が少ないほど顕著になる。


 「けどオーガフェイスは。人間でも真似ているつもりか?」

 『独り言うるさい』


 「悪いね。それよりも朱燈」

 『なに。様子見?』


 「いや。うーん。ちょっと気をつけた方がいいかもな」


 どういうこと、とすぐに朱燈から返事が返ってくる。わずかに間を置いて千景はその理由を答えた。


 「お前が殺しそこねたやつ、ひょっとしたら厄介なやつかも」


 それってどういう、と朱燈が言いかけた直後、空めがけて片腕になったオーガフェイスは聞いたこともない大きな雄叫びを上げた。それはいっそ咆哮と言い換えてもいい。


 怒りをひしひしと感じる絶叫が周囲にこだまし、それに答えるように背後にいた7体のオーガフェイスも同じように雄叫びを上げた。


 『なにこれ』

 「んー。こいつは」


 その雄叫びは千景にもイヤーキャップ越しに聞こえてきた。距離800メートルではさしもの雄叫びも唸り声のようにしか聞こえない。無論、そんな遠くまで声が届くのもなかなかに恐ろしいのだが。


 反射的に千景はライフルの弾倉を取り替える。それは紛れもなく、これから起こるだろう脅威に対する予防だった。


 直後、倒れかけの建物の中から新たなオーガフェイスが現れた。予想通りかよ、と千景は舌打ちをこぼし、同じような舌打ちが朱燈からもこぼれた。


 スコープ越しに見えた数は総勢6体。既存のオーガフェイスも加えれば14体と数が一気に倍近く増える計算になる。


 舌打ちと共にやっぱりか、と千景はこぼす。事前に予想していた通りの数に心が嫌にざわつき、やだな、とため息が漏れる。


 イヤーキャップ越しに聞こえてくるのは朱燈のため息と小隊の隊員達の悲鳴。落ち着け、落ち着け、と隊員達に呼びかける野太い声の男の声も聞こえる。


 おそらくは隊長の声だろうと千景は推測しながら、その後ろ姿をスコープ越しに見つめた。目立った外傷はなく、立ち上がって怯える隊員達を鼓舞する姿はなんとも情熱的でリーダーシップを感じさせる猛々しさがあった。


 隊長に鼓舞され、それまで怯えるばかりだった隊員達は次々顔を上げ、現れたオーガフェイス達に銃口を向けた。彼らの距離は10メートルもなく、オーガフェイスが走り出せばすぐに詰められしまう距離だ。それがわかってか、銃を上段で構えずに足や腕を狙うためか中腰で構え、屈んでいた。


 「士気が戻った。なら」


 銃口を逸らし、千景は傷ついたオーガフェイスのすぐ右隣に立っているオーガフェイスに狙いを定めた。風はやや南南東から吹く横風、高度差もあってか、計測器の数値よりも強く感じられた。


 けれど、と千景は狙いを定めて引き金を引いた。発報と同時にボルトをおろし、引く。薬莢が排出されるまでに1秒とかからない。その間も銃弾は飛翔を続け、目標のオーガフェイスめがけて突き進んだ。


 そしてそれは1秒と絶たずにその頭蓋を砕き、悲鳴すら上げさせずに倒れさせた。


 奇襲に次ぐ奇襲。恨めしそうに気ついたオーガフェイスは銃弾が飛んできた方角を睨みつけ、残っている右手で指差した。ギャウギャウと意味がわからない叫び声なのに、不思議とその意味がわかってしまう。「あそこだ、殺せ」とかだろう。


 リーダーの指示に従って数体のオーガフェイスが動き出した。朱燈や小隊を無視して、千景の立つ方角めがけて一直線に突き進んでくる。数にして6、増援として現れたオーガフェイスと同数が自分を殺すために割り当てられたことに千景はほのかな笑みをこぼした。


 「捕捉された。そっち行きがてら始末するからあしからず」

 『別に心配してないって。まー。こっちはこっちで勝手にやるから、よろよろ』


 訓示とも薫陶とも取れる言葉を皮切りにそれまでイヤーキャップから聞こえてきた朱燈の息遣いも聞こえなくなった。自動接続機能オートリンクを切ったからだろう。


 朱燈との通信が切れ、1人になった千景は静かに自分に向かって走るオーガフェイスの姿をスコープに入れる。前方から2、左右それぞれから2とバラけて進軍している。


 オーガフェイスがサルのごとき敏捷性を持つと言っても音速をはるかに凌駕する速度で飛翔する弾丸を見て、避けられるほどの素早さはない。バラけて少しでも命中するリスクを分散させようという考えだ。


 それもただ離散するだけではない。スコープの左右を機敏に動くせいで狙いが定まらない。


 こざかしい真似をする、と呆れ気味に千景はぼやいた。離散し、ジグザグに蛇行しながら進んでくるせいで正確な狙撃ができないのだ。そも、狙撃手は位置がバレた時点でだいぶ危ういのだから、踏んだり蹴ったりな状況だ。


 けど、と千景はバイポットを取り外し、千景はライフルを持ち上げた。そして何をとちくるったのか、半ばヤケクソ感を出してバイポットが入っていた袋から手榴弾を取り出し、同じく袋の中から取り出したワイヤーをピンに通していった。


 すべての準備を終え、予備の弾倉、救急キット、そして野戦糧食を腰のポーチに詰めるだけ詰め、彼は屋上の手すりから眼下を見下ろした。


 地上400メートルの高階層。落ちればダイヤモンドだって粉々になりそうな高さを前にして、ごくりと彼はつばを飲む。その間もオーガフェイス達の足音と鼻息が近づいてきていた。


 サルに似た手足を上手に使い、彼らはビルを登ろうとしてくる。ネオンの影に隠れて登ってくるせいで銃弾が届かない。もし籠城していたら間違いなくやられていたな、と千景は自嘲する。


 オーガフェイス達が屋上に手をかけ始めた頃、千景は意を決しライフルを脇に抱え、ワイヤーを左手に握って、ハーネスも付けずに飛び降りた。飛び降りると同時にすさまじい上昇気流を正面から受け、気絶しそうになるが、それを耐え、ちょうど50メートルほど降下したあたりで彼は背中から黒色の結晶体を生成し、剥き出しの壁面に向かって突き立てた。


 唐突に身投げした千景にオーガフェイス達はギョッとして、曲がりそうにない首を90度曲げて、彼を目で追った。そのせいだろうか。風の音にまぎれて微かに聞こえたリールの音にオーガフェイスらは気づかなかった。


 びゅうびゅうとふきすさぶ風を背中に浴びて、彼はビルに対して垂直になって体を固定する。オーガフェイス達が手すりから身を乗り出して自分を見ていることを確認すると彼は左手に握ったワイヤーを勢いよく引いた。


 直後、仕掛けられていた手榴弾のピンが弾けた。ピンが弾ければ信管を押さえていたレバーが跳ね上がり、素秒後にあっさりと起爆する。固定していた手榴弾すべての信管が起動し、盛大な花火を打ち上げた。


 ズゥンという腹の奥底まで響き渡る音と共に黒色と紅蓮の花火が上がった。起爆と同時に内部で溜まっていた合成火薬が弾け飛び、灼熱の業火がオーガフェイス達を背後から強襲した。悲鳴を上げる間もなく、彼らは爆炎に飲み込まれた。


 MAF5型ハンドグレネード。マーフ5型などとも呼ばれる対フォールンを想定した特殊手榴弾で、その威力は一撃でオーガフェイスを沈黙させるほどだ。爆発に先んじて手榴弾の表面を覆っている外郭が外れる、いわゆるフラググレネード方式の発展型に位置するこの手榴弾は下位のフォールンを一撃で殺傷する性質上、大型の破片を作りやすく、人に使えば、首がすっぱりともげた、などという被害も出ている。


 そんな危ない手榴弾を合計八発、実にオーガフェイス8体を掃討してあまりある火力を千景は放った。当然ながら屋上は破壊され、その衝撃はビル全体に伝わり、嫌な音と共に揺れ始めた。


 瓦礫も周囲へ四散する。オーガフェイス達の亡骸も含めて。


 千景も悠長にその場にとどまるわけもなく、腰から伸びる結晶体を引っ込め、勢いよく壁を蹴る。鮮やかな放物線を描いて彼は隣とビルへと降り立った。無論、普通に落ちれば両足を折るどころではないので、着地と同時に再び腰部から結晶体を出し、衝撃を緩和した。


 その間も崩落は続く。盛大な爆発により、大小無数の多様な瓦礫が飛散し、周囲の建物に激突した。ところ構わず粉塵が舞い、崩落音があたり一円のいたるところでガラガラと鳴る。


 それまで青かった視界は一瞬にして砂色となり、たまらず千景はゴーグルを付けた。眼下を覗けば、オーガフェイスの頭部がネオンに引っかかっていたり、手足が瓦礫で潰れていたり、と疑いようのない「死」がゴロゴロと転がっていた。彼らの死骸を見ながら、千景は「一、二」とその数を数える。


 そしてふと首を傾げた。


 見える範囲の死体は4体分しかない。自分を襲っていたオーガフェイスは6体いたはずだ。他はどこに、と彼は周囲を見回す。


 直後、黄土色の砂塵の中から叫声が聞こえた。そして間髪入れずに正面から何かが迫っている音も。


 嫌な予感がした。傍に抱えていたライフルを構えた。


 彼がライフルを構えると、ほぼ時を同じくして砂中から仮面の三割を欠損したオーガフェイスが猛り狂いながら現れた。仮面の破損に加え、全身にひどい火傷を負った個体で、顎部の筋肉が千切れたのか、ひどく歪な形で口腔を開いていた。


 距離にして10メートルもない至近距離、ライフルでは撃ってもその勢いのままに押し潰されると判断し、千景は右へ向かって跳んだ。飛び退くと同時に千景は着地したオーガフェイスに向かって走り出す。


 「つ」


 奇襲が失敗したオーガフェイスは間髪入れずに食らいつこうとしたその矢先、銃口が体に押し当てられ、ゼロ距離の発砲を受けた。毛深い天然の衣も対物ライフルをゼロ距離で撃たれては意味がない。痛みすら感じる間もなく、オーガフェイスの眼球がそり返り、その体はバタンと横に倒れた。


 鼻がバカになりそうなひどい火薬と血の匂いで一瞬、千景は空いている方の手で鼻を押さえた。しかしすぐに意識を切り替え、残るもう一体のオーガフェイスを探した。


 不幸なことに千景の目の前は砂煙が漂い、眼下を覗こうとも何も見えなかった。千景自身で蒔いた種とはいえ、すこぶる運の悪さだった。


 仕方ない、と彼がゴーグルの暗視機能をオンにして眼下を除くと、オブジェがある方向に向かって疾走する個体がいた。先に仕留めた個体と同じく、体にひどい火傷を負っていて、仮面もかなり壊れていた。


 「本当にこざかしいな」


 大方、来援を求めての行動だろうが、そんな不埒を許す道理はない。距離もそう離れいない。風向きを確認するまでもなかった。


 一射。弾丸が放たれると同時に両手に振動が伝わる。遠くでは背後からの銃撃で頭蓋を貫かれたオーガフェイスの死骸があった。


 「ふぅ」


 一仕事した気分になり、思わず息がこぼれた。気を休めるには早すぎることは理解しているが、思っていた以上の疲労感が両肩にのしかかり、喉も心なしか乾いていた。


 チェストポーチから取り出した流動食入りのボトルを飲み干し、気を取り直して千景はオブジェの方向へ視線を向けた。イヤーキャップの通信機能を復活させ、彼がマイクに話しかけると、ツーツーという音だけが返ってきた。


 「まだ通信切ってるのか」


 朱燈にしては手間取っているな、と千景は感想を漏らす。同時に片腕を失ったオーガフェイスの勘の良さを思い出し、早計だったな、と自分の浅薄さを恥じた。


 オーガフェイスの知性は時として人間が舌を巻くほどだ。眼前で崩れているオブジェしかり、フォールンという人間を遥かに凌駕する存在でありながら、戦術を駆使する異端者達。


 フォールンがすべてただ本能のままに暴れ狂う野生動物ならば、外周区のようなメトロポリスが転じてネクロポリスになることはない。オーガフェイスをはじめとした知能指数の高い種の発生が今日こんにちの人類を追い詰める原因の一端となった。


 一部のデータによれば軍人、民間人を含め、最も多くの人間を殺した種はオーガフェイスであるとされている。軍人や傭兵にとっては他愛のない相手でも武器を持たぬ民間人からすれば上位のフォールンよりも脅威という話だ。


 廃墟の街をただ歩くだけでその脅威は窺い知れる。死体などはもうこの街には残されていない。見えるのは壁についた大小のシミ、そしてありきたりな生活痕だ。襲われるその寸前まで日常生活を送っていたと思しき、風化した日用品の数々を蹴り飛ばしながら、千景はオブジェの前まで歩き、「——おーい朱燈。そっちはどう?」と軽やかな声音で瓦礫からひょこりと顔を出した。


 ——「んー?もうとっくに終わってる」


 そう返したのは血の色以上に瞳を赤々と輝かせた赤髪の少女だった。

 

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