第9話 ヴィーザル

 千景と朱燈が準備を整え、ネクロポリスに降り立った時、すぐ近くで破壊音が轟いた。なんだろう、と千景は首をあらぬ方向へ向けるが、すぐに朱燈は彼の頭をつかみ、無理矢理あるべき方向へ向き直らせた。


 首がゴキリという音を発し、痛みを訴える。鞭打ちになったかと錯覚した千景はすぐに両手を首筋に添え、しきりに円を描いて触れている部位を揉んだ。愛用しているAMSR70Bを肩にかけ、千景はしゃがみながら、涙目で目的地を見つめた。


 彼らが今立っている場所は目的地である2-23A区域に建っている高層ビルだ。旧時代、フォールン発生以前はどこぞの大企業の自社ビルだったのか、会社の名前とロゴが刻まれたネオンアイコンの一部がまだ壁面に残っていた。


 高さ実に458メートル。皮付きのとうもろこしを彷彿とさせる独創的なビルで周囲が「モノコピー建築」の規格化された高層ビルだけなので、そのデザインはいっそう異質で、異物感を強めていた。


 そのビルの屋上に小型武装ヘリで下ろされた2人は降ろされたと同時にまず自分達の周りにフォールンがいないかを警戒した。ヘリに乗っている時、上空からも確認はしたが、フォールンの中には擬態能力を有している個体もいるため、油断はできない。


 ナナフシやバッタのように周囲の景色に溶け込む個体もいれば、カメレオンのように色合いを変化する個体もいる。それ以外にもまだ知られていない個体のことも考えれば警戒するのは当然だ。


 安全を確保できたと胸を撫で下ろした2人はすぐに救援を求めた小隊はどこだ、と探し始めた。千景が異音を耳にしてサボろうとしたのはちょうどその時だった。


 「いつ」

 「バカやってないで探してよ!」


 いつも以上におかんむりな様子の朱燈に気圧され、千景は足早にスコープに視線を向けた。眼下に広がるのは無数の同じ形状の建物。どことなくサンクチュアリを思わせる無個性な景観の街を眺めていると報告通りのオブジェが見えた。


 事前の救援通信で言われていた通りの三角屋根を思わせる独特なオブジェ。距離にして800メートル、ちょうどいい距離だなと千景は弾丸を装填し、状況を確認した。


 スコープ越しに見えるのは報告よりも少ない4体のオーガフェイス。体躯にばらつきがあるが、一際大きい個体が群れのリーダーなのか、全く動かずにしきりに吠えたり、身振り手振りで指示を出しているように見えた。


 リーダーのオーガフェイスの指示に従って3体のオーガフェイスがしきりに暗闇に向かって接近と後退を繰り返していた。都度、暗闇の中からオレンジ色のマズルフラッシュが見え、オーガフェイス達はそれが見えるとさっと後退し、体を丸めて防御姿勢を取っていた。


 「見つけた。距離800のとこ」

 「どっち?」

 「えーっと、北西かな」


 了解、と双眼鏡を構える朱燈も千景と同じ方向へ視線を向けた。千景が示した方向に確かに目印のオブジェと交戦している部隊がいた。


 目視できる範囲に見えるのは前列らしい3人。彼らが対峙しているのは3体のオーガフェイスだ。


 彼らの確認した朱燈はその腰に帯びている武器に手をかける。気が早いような気もするが、心構えをしておく分にはいいだろう、とそわそわしながらカチンカチンと朱燈は物騒な音を鳴らした。


 今にでもかっ飛んでいきそうな雰囲気をただよわせる彼女を見て、千景は諦めたようにはぁ、とため息をついた。意を決したように彼はヘリから降りる時に持ってきた細長い入れ物の中からバイポットを取り出すと、屋上にある胸壁にライフルを固定させる。


 距離800。狙撃用のライフルならばそう大した距離ではない。狙撃手を自称するならば誰でも狙える距離だ。しかし、と千景は鬱陶しそうに空を見上げた。


 高度がそれなりにあるせいか、風が強く、夏の盛りということもあって空気もどんよりとしている。気温だけが10度未満とただただ寒い中、巻き上がる砂塵、吹き荒れる飄風、何より敵地の只中というプレッシャーで狙撃をしなくてはいけないのだ。


 「だるいな」

 「——じゃ、フォローよろ」


 「は。あ……」


 気がつけば、朱燈はビルの屋上からロープもハーネスもなしに飛び降りた。視線をスコープから外し、反射的に千景は横目で彼女を追った。


 そのまま彼女は高度200メートルのところまで落ちていくと、不意にその背中からとても細長く平べったい、まるで彼女の胸部装甲を彷彿とさせる黒色の結晶体を出現させると、近くの廃墟にそれを突き刺した。そして大きく弧を描いて彼女はターザンさながらに空に身を投げ出した。


 クルクルと回転する朱燈は空に身を投げると同時に突き刺していた結晶体をビルから引き抜き、別のビルへと突き刺した。遠心力を利用した空中飛行とも呼ぶべき曲芸だ。


 白銀の髪をたなびかせ、人間離れした彼女は自由奔放に空を翔ける。器用に腰部から生やした黒色の結晶体を操作してビルの間を脅威的な速度で翔け巡っていった。


 みるみる内に小さくなっていく朱燈の背中を見て、千景は再び盛大にため息をこぼした。フォローよろ、なんて言われるのは一体何度目だろうか。いつだってあのお転婆の言いなりの自分、そしてそれに嫌々ながらも従ってしまう自分に思わず笑いが込み上げてくる。


 戦場なのに、ああも自由でいられる朱燈が羨ましい。そしてそんな彼女に付き従う自分は最高にいいバディをしている。そう感じた。


 それはそれとして投げやりな気もするが。

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