怠慢⑭
まず大前提として、提供先を意図的に絞り込むとは言え、全くのデタラメの数値を出すわけにはいかない。
それでは田沼さんの目論見と変わらないし、そもそも俺がすべきなのは解決というよりも、証明だ。
この依頼を通して、構造そのものを壊さずとも、解決の糸口が掴めるということを彼女に見せつけなければならない。
俺はもう、誰かが貶められる姿を見たくない。
真っ向から規範と対立し、吊し上げられた先にあるもの。
それは、これ幸いとばかりにスケープゴートとして使い倒される道だ。
だから俺は、正攻法にこだわるのだ。
兎にも角にも、まずは新井にとっての『不幸』。
そこを明確にするべきだろう。
仕事人間だった、実の父親から受けた仕打ちか?
確かに、彼女の人生が狂い出すきっかけであることに間違いはない。
しかし、どうだろう。
新井の母親は、彼女が物心つく前に離婚していた。
実際に新井自身、顔も覚えていないと言っていたわけだ。
当人が認識していないものを『不幸の正体』とまで呼ぶのは、少し躊躇われる。
では、二人目の父親はどうか。
母親の話では、再婚後に暴力を振るうようになったとのことだが、実際それは新井自身も目の当たりにしていた。
それが彼女の男への警戒心を象ったと考えると、合点も行く。
ただ……、彼女のコンプレックスの全体像を俯瞰した時、その比重が大きいかと言えば、必ずしもそうとは言えない気もする。
鑑定値にはある程度反映する余地はあるが、中心に据えるべき要因ではない。
となると、次に挙がるのはやはり母親か。
実際、彼女の身で起こる不都合のほぼ全てが、母親発端と言っていい。
とは言え、母親の存在そのものを『不幸』として扱うのは、少し違う。
母親がどう思っているかはさておき、肝心の新井自身はそう思っていない。
そもそもの話だ。
彼女のその生い立ちから、具体的な何かを想像したくもなるが、本質はもっと漠然としたものなのかもしれない。
今一度、彼女の『幸福』へのスタンスを振り返ってみよう。
新井は見よう見まねで周囲を模倣し、『幸福』を追求していた。
その結果、手に入れた。
普通に働いて稼ぐことの充足感を。
人並みに着飾り、周囲に溶け込むことの安堵感を。
どれをとっても、彼女が生まれて初めて感じる新鮮な感覚であり、彼女自身の意志で手に入れたものだ。
ただそれは、世間一般的で言うところの、いわゆる『幸福』だ。
新井は、そんなハリボテの『幸福』を疑問に感じていたようだが、当然だろう。
そもそも、彼女は『幸福』の正体を知らないのだから。
結局のところ、新井の価値観の根本をつくっているのは、他でもない母親なのだろう。
それは、良い意味でも悪い意味でも、だ。
どれだけ新井が否定しようとも、彼女が自身の『幸福』と母親を切り離して考えることが出来ない以上、それは覆らない事実だ。
そして……。
新井の母親の娘への想いもまた、偽りではない。
赤の他人が、どれだけそれを共依存などと論評したところで、彼女たちの中ではとうの昔に本物になってしまっているのだろう。
だから新井は、無敵にはなれない。
なまじ、愛情や温もりの味を知っているからこそ、失うことにも敏感だ。
一見、彼女の性質と矛盾しているようにも思えるが、俺にはそれが良く理解できる。
数奇な境遇ゆえに。『持たざる者』ゆえに。
今、辛うじて手にしているものすら奪われてしまうことに、凄まじい恐怖を感じる。
現状に不満を抱えながらも、田沼さんの誘いを突っぱねた俺と同じだ。
手に入れたばそばから、ジリジリと切り崩されていく、焦燥感。
それこそが、彼女の『不幸』の正体であり、本質だ。
そしてそれは、今後も彼女の足枷となり得るだろう。
以上のことを踏まえ、新井 奏依を査定していく。
第一に、衝撃性。
当然のことながら、母子家庭や生活保護受給世帯ならではの不都合も、重要な判断材料だ。
一方で、彼女の『不幸』の本質である、失うことへの恐怖にフォーカスするならば、また別の視点で見る必要もあるだろう。
具体的には、男性恐怖症だ。
新井は、二人目の父親に母親が暴行される姿を見て、奪われることへの脅威を本能的に感じ、それが今の今まで尾を引いているのだろう。
ただ彼女の場合、不幸中の幸いと言うべきか、日常生活に支障をきたすほどのものではなかった。
より厳密に言えば、取り繕えるだけの余裕があった。
俺はもちろん、石橋とのやり取りを見ても、表面上は問題ないように思える。
とは言え、彼女の境遇全体を俯瞰して見れば、高得点であることに疑いはない。
諸々を考慮に入れ、9点とする。
次に、長期性。
新井が翻弄され続けた20年という時間は、誰がどう見ても長い。
ただそうは言っても、彼女の場合、現時点で終わりが見えていることも考慮するべきだ。
この先、母親が生活保護やホスト依存から抜け出すことができれば、彼女自身も少しずつ好転していく可能性が高い。
8点程度が妥当か。
そして、特異性。
良いか悪いかはさておき、彼女の『不幸』の背景を雑に羅列すると、片親・暴力・借金と、『毒親欲張り三点セット』とも言うべき、典型的な事例だ。
社会全体を見渡せば、彼女の境遇に共感を示す人間も、それなりに存在するだろう。
ただ一方で、母親との仲が良好というのが少し複雑なところだ。
そういった点も踏まえると、ややニュートラルに判断するべきか。
6点、としておこう。
次は、波及性。
これも彼女の鑑定の肝になる。
あちらの狙いが何であれ、もし嗣武と政府との繋がりがあれば、文字通り社会全体に波及していくことは避けられない。
自分の預かり知らないところで物事が決まっていくなど、全ての人間にとって『不幸』極まりない話だ。
そんな仮定も考慮すると、10点で問題ないように思える。
最後に。
再起不能性についてだが、新井は既に再起への道筋をつけつつある。
ただ敢えて言うならば、彼女の性質そのものにも、目を向ける必要があるだろう。
『自分よりもマシ』などと、思い上がった論評をするつもりはないが、彼女のその負けん気というか真っ直ぐさは、ある意味で彼女を取り巻く環境が育てた、とも言える。
身も蓋もないことを言ってしまえば、彼女だからこそ再起の芽があるのだ。
そんな彼女と、全ての人間を同列に語ってしまうのは、やはりフェアではない。
その点も配慮して、6点とする。
まとめると、
衝撃性 ………… 9点
長期性 ………… 8点
特異性 ………… 6点
波及性 ………… 10点
再起不能性 ………… 6点
合計 ………… 39点
そして。
今回については、ここからが重要だ。
田沼さんからもらったデータには、嗣武の対になる境遇エリアは『H+』となっていた。
そのため、合計値を29点に調整する必要がある。
よって、彼女の各項目から2点ずつを差し引いた数値を、今回の正式な鑑定値とする。
衝撃性 ………… 7点
長期性 ………… 6点
特異性 ………… 4点
波及性 ………… 8点
再起不能性 ………… 4点
合計 ………… 29点
これが、俺の出した最終的な結論だ。
「そっか。これがアンタから見たアタシなんだね」
新井は一頻り鑑定結果に目を通すと、意味ありげにそう呟く。
「一応、調整前の数値も併記しておいた。まぁ、この行為に何の意味があるのかは分からんが参考までに、な」
俺の言葉に、彼女は顔も上げずに『ふーん』と呟き、パラパラとページを捲る。
その表情は、どこか物言いたげだった。
「……不満か?」
「ううん。全然! ありがと。たださ……。あんまり、お母さんがどうこうって感じじゃなかったからさ。なんか、また気ィ遣わせちゃったのかなって思って」
気を遣っていない、といえば嘘になる。
確かに新井の場合、母親に照準を合わせた方が、話の流れとしては自然だ。
だが……、それでは駄目だ。
新井の本意ではない。
『鑑定』だろうが『提供』だろうが、どこまでも未来志向であるべきだ。
彼女たちが本当の意味で救われ、先に進めるきっかけを作らなければ、そもそも建前としても破綻している。
新井は、母親とともに生きることを望んだ。
であれば、母親の存在を『不幸の正体』の一言で片付けるべきではないだろう。
「……何度も言ってんだろ? これは八百長だ。数値さえ辻褄があってりゃ、ぶっちゃけ内訳はどうでもいいんだよ。何なら、端から端まで適当に書いたと言っても過言ではないな」
「ホントに? そんな風には見えないけど。それなら、ここまでご丁寧にやる必要なかったんじゃない? 何コレ? 卒論か何か?」
新井は誂うように笑いながら、ヒラヒラと鑑定結果を見せつけて言う。
どうやら彼女には、その場しのぎの戯言など通用しないようだ。
確かに新井の言う通り、何を『不幸』としたところで、詭弁次第でどうとでも埋め合わせできる。
が、そうはしたくなかった。
俺にはそれが、彼女の選択そのものを否定するような気がしてならなかった。
というより、俺は彼女に証明して欲しいのだろう。
生まれながらに課せられた足枷。
意図的に押し付けられた『敗北』。
それらをまとめて抱え込み、往生際悪く足掻き続けた先にも、彼女たちにとっての『勝利』があることを。
当然ながら、そんな気色の悪いことは言えるはずがない。
だが、新井のことだ
こうは言いつつも俺の意図など、とうの昔に気付いているのだろう。
それを承知でわざわざ聞いてくるとは、本当に底意地の悪い女だ。
「……あぁそうだな。少なくともスペイン語の課題くらいの熱量ではやったつもりだよ」
「ちょっと!? なんかそう聞くと、めっちゃ手ェ抜かれた気がすんだけど!?」
新井はすぐに手のひらを返し、頬を膨らませる。
本当に忙しい奴だ。
「もうそれはいいだろ! じゃあ、これで『提供』するけど、いいな?」
「へいへい! 分かりましたよ!」
俺はのそのそと手持ちの鞄からノートPCを取り出す。
表計算ソフトを立ち上げ、USBを読み込むと、そう何度も見たいとは思えない、膨大なデータの海が眼前に広がる。
「うげぇ! この数字の山、いつ見てもウンザリするね!」
新井は、向かいの席から身を乗り出してPCを覗き込むと、すぐにその暴力的な景色に辟易し、目を背ける。
俺はそんな彼女に構うことなく、嗣武のデータの備考欄に、粛々と提供する『不幸』を入力した。
「これであちらがどう動くか、だな」
「だね……。てか、シンには何を『提供』したの?」
「あぁ。それはだな」
新井の質問に応えようとした、その時だった。
テーブルの隅に雑に置かれた俺のスマホが、鈍い音を立てて震え出す。
「あれ? オギワラ、だよね?」
「……あぁ」
「ね、ねぇ。その番号ってさ……」
画面に表示された宛先を見て、新井は顔を青白くさせる。
新井がこうなるのも無理もない。
かくいう俺の顔面も、彼女以上に血の気が引いていることだろう。
俺は逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりと『応答』をタッチする。
「はい、荻原です……」
電話の主の話は、右から左へ素通りしていくような感覚で、ロクに頭に入って来ない。
ただ一つ確かなのは、宛先を見た瞬間に過った嫌な胸騒ぎが、カタチとなって現れてしまった、ということだけだ。
「……オ、オギワラ?」
「お袋が……、倒れたらしい」
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