怠慢⑬

「珍しいね。アンタが呼び出すなんて。しかも、とか! 何? アンタ、気に入ったの?」

 

 二階堂さんに聞き込みをしたあの日から、一週間が経った。

 『あと1ヶ月ほどでお別れ』とは言っていたが、彼女はその後すぐに有給消化期間に移り、事実上の退職となった。

 彼女が派遣社員だからか、仕事柄なのかは知らないが、事前に告知らしい告知もなく、ある日忽然と姿を消したようなカタチで、何とも後味が悪い。

 とは言え、彼女の実質的な最終出社日。

 終業後、俺の耳元に近付き『神取って人、結構イケボじゃん』とだけ呟いて、帰路についていたのを見ている。

 今思えば、アレが彼女なりの挨拶代わりだったのか。

 何はともあれ、彼女のあの様子を見る限り、いずれはつもりなのだろう。

 その下準備を確認出来ただけでも、俺は安心した。


 兎にも角にも、ここまでの進捗を含めて、新井に報告することにした。

 と言っても、当然のことながら、俺と新井の間に何か共通の溜まり場のようなものがあるわけでもない。

 強いて言えば、あの寂れた気味の悪いオフィスなのだが、生憎田沼さんからは『諸事情により、当面の間使用禁止』とのお触れが出ている。

 だからこうして、致し方なく『優雅-YUGA-』に呼び出す羽目になったのだが……。

 

「……それはどちらかっつーと、お前の方じゃないのか?」

「へっ!? だ、だって、ココ普通においしいじゃん!」


 新井は例のごとく、トッピングの合わせ技で、既存のスイーツの概念を盛大に打ち壊そうとしている。

 彼女のその一連の所業により、アイデンティティクライシスを起こした『フレンチメープルトースト』は、見るも無残な姿に成り果てていた。

 そんな、『時代の風雲児』の名をほしいままにする彼女の味覚はさておき、俺は彼女に通告すべきことがいくつかある。


「……まぁ美味いけどな。今日はアレだ。ってところだな」

「進捗? そ、そっか……。で、何か分かったの?」


 気のせいか。

 あの日以来、新井はどこか俺に対してよそよそしい。

 俺の身を案じてのことなのだろうが、どうにも上の空というか、彼女らしくないと思えてしまう。


「……残念ながら、フェルベンのことまではまだ分からん」


「そう……」


「ただな。お前の母親の件も含めて、単なる『悪質ホストによる搾取』で片付けていい問題ではなさそうだ、ってことは分かったな」


「へ? それって……、つまりはどういうこと?」


「……まぁ要するに、だ。フェルベンがどうこうって話じゃなくて、嗣武そのものが政府と繋がっている可能性があるってことだ」


「はっ!? ね、ねぇソレって、もしかしてさ……。その、シンって奴がアンタのお母さんの事件の真犯人とかだったりする、のかな?」


 新井はおずおずとした様子で問いかけてくる。


「……そこまでは言わん。もちろん、その可能性も捨て切れないが、断言は出来ない。何分、判断材料が嗣武の被害者の一人から聞いた、バイアスの掛かった証言だけだからな。まずはそこの繋がりをハッキリと洗い出す必要がある」


「そっか……。じゃあ、これからもっと調べるんだね」


「いや。現状、その時間はないな。第一、今はお前の依頼を遂行している最中だろ? ソッチを疎かにするのは、本末転倒だ」


「い、いや、別にそれはいいって! アタシらのために、アンタが何か犠牲にする必要ないっしょ!? 別に煽るわけじゃないけどさ……」


「犠牲? 何の話だ? そんなことするつもりは毛頭ねぇよ。何ならお前らを利用しようとしてるくらいだ」


「……り、利用?」


「まぁ端的に言えば、少し順序と手法を変える。まずは何も言わずにを見てくれ」


 俺はそう言いながら、新井にA4サイズのレジュメ数枚を手渡す。


「へ? 何コレ?」


「お前の鑑定結果だ」


「はっ!? もう!? つかアタシ、まだ心の準備出来てないんだけど! てか大丈夫!? チサさんみたいに政府に目付けられない!?」


 新井は酷く狼狽しているようだった。

 二階堂さんが言っていたように、嗣武の不可解な行動には注視が必要だろう。

 とは言え、それ自体は新井自身に関係のない話だ。

 この件云々を、新井の『不幸』と絡めて考えるのはフェアではない。

 それに、だ。

 俺とて、この胡散臭い会社で、ただ悪戯に時間を浪費してきたわけではない。

 二兎を追って、双方を手篭めにするくらいの知恵はある。


「……落ち着け。俺だって、無駄に政府を刺激するような真似はしねぇよ。コレには理由がある」


「理由? どういうこと?」


「お前、今言ったよな? 『政府に目を付けられないか』って」


「言ったけど……」


「ここで少し現状を整理する。今、俺たちはどういう状況だ?」


「……正直、あんまウカウカはしてられないよね。今まで以上に警戒されてるだろうし」


「そうだ。喧嘩を売った張本人の田沼さんは当然として、俺や新井にも監視の目は及んでいると考えるのが妥当だ。少なくとも、鑑定士としての登録が済んでいる俺に関して言えば、ほぼ確実だな」


「だ、だよね。そう考えると怖いな……」


「だが安心しろ。監視を強化しているとは言え、は民間企業同志のイザコザだ。余程のことがない限り、直接的には干渉出来ないはずだ。ヤツらの急所は、俺たちとの癒着が表沙汰になることだからな。……まぁだからこそ、俺はそれを逆手に取る」


「へ?」


 俺の言葉に、新井は気の抜けた炭酸飲料のような声を漏らす。


「まず仮定として、政府と嗣武との間に何かしらの繋がりがあったとする。その上で、嗣武に『提供』したとしよう。するとどうだ? 政府は、嗣武が矢面に立つような事態は、何としても避けようとすると思わないか?」


 俺がそこまで言うと、新井は『あっ』と小さく呟き、ハッとした表情を浮かべる。

 

「そっか! じゃあ、まずはを掛けて、相手の出方を窺うってわけか!」


「あぁ。本来、提供先を意図的に絞り込んで、鑑定値を操作するのはご法度だ。だが、田沼さんの仕事を見る限り、先に鑑定結果を証拠として提出したような形跡はないし、俺にもそんな指示はなかった。だから言っちまえば、建前を保つための努力目標みたいなもんだろ。もちろん、それを知る手段はあるんだろうが、政府だって暇じゃない。余程あちらさんの都合の悪いケースでもない限り、ヤツらがわざわざ出張って来るとは考えにくい」


「でももし……、その対象がシンだったら、話は別ってことか!」


「そうだ! 嗣武がクロなら、ヤツらは死に物狂いで抵抗してくるだろう。その時だ! 政府が守ろうとしているか、見極める。何もないならないで、悪徳ホストに一矢報いるだけで終わる。これこそ無駄のないムーブってヤツだろ?」


「なるほど……。でも、確かにそうやっておびき出すしかないのかもね。まさかお母さんに潜入捜査頼むわけにも行かないし……」


「相手はホストだからな。その辺りの線引きは、ちゃんとしてるだろ。お前の母親が何か聞いたところで、適当にはぐらかされて終わりだ。もちろん、嗣武がそれを怪しんで何かしらの報告をする可能性もなくはないが、所詮は吐いて捨てるほどいる金づるの一人だ。わざわざそんなヤツの行動を、逐一気に留めるとは思えん。政府を釣る餌としては弱すぎんだよ、お前の母親は」



「だぁ〜れが、吐いて捨てるほどいる金づるだってぇ〜」



 瞬間、背後から甲高く冷たい声が響き渡り、背筋が凍る。

 振り返るまでもなく、どんな表情をしているか想像出来てしまう。


「ちょっ!? びっくりした! お母さん急に話しかけてくんなしっ!」

「カナエちゃん、無茶言わないでよ〜。アタシ今パート中だよ? ご注文の品をお持ちしたんだから、お客様にお声掛けするのは当然でしょ? はい! サッくん! こちら、アメリカンコーヒーになります!」


 新井の母親はどこか薄ら寒い笑顔で、俺の前にコーヒを差し出す。


「……ありがとうございます」

「ホ〜ント、感謝してよ〜。サッくんだけ、特別なんだからね〜」


 新井の母親はそう言うと、得意げに胸を張る。

 そんな、コーヒーの配膳一つでやたらと恩を着せてくる彼女に、俺は何も言わずに小さく会釈をした。


「それより、サッくん! に対して、金づるとかエサとか言っちゃダメでしょ! アタシだから良かったものの、そんなこと言ってたら、その内カナエちゃんに嫌われちゃうよ!?」


「い、いや、あの、決して本当にそう思っているというわけではなく、話の流れ上致し方なくというか……。比喩とは言え、少し言葉が過ぎました。申し訳ありません……」


「ふふ。分かってるって。それにさ、実際その通りだしぃ? 別に反省してないとかじゃないんだけどさ……。過去は過去として、そろそろ前に進まないとね。これ以上、カナエちゃんにカッコ悪い姿見せるわけにもいかないからさ!」


 新井の母親は、俺の耳元に近付き、そっと囁いてくる。

 

 あの後、彼女はすぐに役所に事の次第を報告したらしい。

 案の定、刑事告訴を宣告されたようだが、その後の神取さんの仲介もあり、現状大事には至っていないようだ。

 今後の焦点は、過大支給分の返還の目処になるようだが、肝心な売掛の残債の交渉や遺留分の調停については準備段階らしく、まだまだ解決には程遠い状況だ。

 ただ、彼女のこの様子を見ると、何故か特段心配はないように思えてしまう。

 新井自身も言っていたが、結局のところ、彼女たち次第ということなのだろう。 


「お母さん、マジで話の邪魔……。とっとと仕事に戻った戻った!」

「はいはい。それは大変失礼いたしまし、た! じゃあね、二人とも!」


 新井がシッシッと手を振ると、母親は余裕の笑みでキッチンの方へ捌けていった。

 

「……でさ、オギワラ。一個、聞いていい?」


 母親の背中を確認すると、新井は俺に向き直り、随分と深刻そうな顔で聞いてくる。


「……何だ?」


「シンを提供先に絞り込むってことはさ。もう、そいつのポイントも確認したってことだよね?」


「そうなるな」


「だ、だよね……。でもさ。あのデータ持ってるのってチサさん、だよね? ちゃんと渡してくれたんだ」


「あぁ。にな」


「そっか……」


 新井の言いたいことは理解できる。

 正直、痛いところを突かれたとは思う。


 田沼さんは、『新井の依頼を通して俺を手に入れる』などと言っていたが、同時にこうも言っていた。

 『今度こそ、手を出さない』と。

 事実、彼女は宣言通り、俺が『にデータを渡してくれ』と言うと、俺の意図を知ってか知らずか、黙ってUSBを渡してきた。

 その時点で察してしまった。


 彼女は、俺が失敗すると確信している。


 恐らくそれは、手法の如何ではない。

 言うなれば彼女は、勝敗の行方が決まりきっている出来レースを眉一つ動かかさずに見守っている。

 そんなイメージだ。

 思えば、彼女は初めから言っていたわけだ。

 『この依頼を通して、不自由さを感じろ』と。

 

 別に思い上がるつもりはない。

 しかし、あぁは言いつつも、彼女が何としても俺を味方に引き入れようというのであれば、何かしらの妨害があってもおかしくはない。

 USBの件など、その最たる例だろう。

 それをせずに捨て置いたというのは、無視すべきでない事実だ。

 

「オギワラはさ……。この先、どうなると思う?」


 新井は心許なげな顔で、随分とざっくりとした質問を投げかけてくる。


「どうなるって……、何がだよ?」

「全部。アンタの思い通りにいくかも含めて」


 彼女の懸念通り、実際この計画には穴がある。

 真っ先に浮かぶリスク……。

 それは、政府が嗣武を切り捨て、俺たちの挑発に乗ってこないことだ。

 無論、これは政府と嗣武が繋がっているという前提での話になるが、その場合、俺の欲しい情報にまで辿り着けない可能性が高い。

 

「うまくいくかどうかで言えば……、五分五分ってところだな」


「……低くない?」


「そもそも前提が曖昧だ。なんせ田沼さんのおかげで、向こうは疑心暗鬼だろうからな。情報統制が強まることはあっても、緩むことはねぇだろうな。今後は、おいそれと新しい情報が得られるとは考えない方がいい」


「そっか……。だよね」


 新井にはあぁ言ったものの、今後の勝機を上げる方法がないでもない。

 例えば、だ。

 もし、宇沢さんに何らかのカタチで協力を取り付けることが出来れば、話は変わってくる。

 彼は以前、こう宣言していた。

 『次にまた何かあれば、田沼さんも全力で潰しにかかる』と。

 政府との間にどんな因縁があるのかは知らないが、少なくとも良くは思っていないことは明白だ。

 また、その口ぶりから察するに、政府からはある程度の権限を与えられていると推測も出来る。

 それこそ、いざとなれば政権そのものを転覆させられるほどに。

 事実、反乱分子の手に渡れば、致命傷になりかねない物品の管理を一任されているわけだ。

 

 そして……。

 コレについては、完全に俺の憶測だ。

 宇沢さんは、現政権の何かしらの弱みを握り、今のポジションを脅し取った可能性がある。

 彼がどれだけのやり手なのかは知らないが、官僚などという超縦社会で、これほど一足飛びに出世出来るものなのかと考えると、甚だ疑問だ。

 ただ『優秀』の一言で片付けられない、があるように思える。

 そう考えると、政府としても、いつ彼に寝首を搔かれるか、戦々恐々としているのかもしれない。

 言い換えれば、彼はその時を虎視眈々と狙っている、とも言える。

 田沼さんとは、また別のやり方で……。

 だからこそ彼は、今後俺たちにとってのキーマンになり得る存在と言えるだろう。


 ……とは言え、だ。

 今のところ、彼が味方する確たる理由はないし、何処まで言っても仮定の話に過ぎない。

 新井は今後どうなるかなどと聞いてきたが、むしろこちらが聞きたいくらいだ。

 現状、何かを判断するにはあまりにも情報が少なすぎる。


「オギワラ? どしたの?」


 考え込んでいると、新井は心配そうに俺の顔を覗き込む。

 

「い、いや、なんでもない……」


 懸念すべき点は、他にもある。

 現状、新井の身元について、どれだけ精査されているのかも気になるところだ。

 これを機に俺たちへの監視が強化されれば、当然彼女の親子関係も洗い出されることになるだろう。

 そうなれば新井だけでなく、彼女の母親も危険に晒されかねない。

 俺がどう動くかに依らず、フェルベンがどうとか、嗣武がどうとかの話では、無くなりつつあるのかもしれない。

 もはや時間の問題だ。

 新井も言っていた通り、あまりウカウカはしていられないだろう。


 ただ、それでも俺は……。

 

「……まぁ結果的に、だ! たとえ俺が今、政府や田沼さんの掌の上で踊っていたとしても、コッチにはこのUSBっつぅ伝家の宝刀があんだ。刺激したくないのは、向こうも同じだろ。あとな……。もう一つ言っておく。少なくとも、お前のことに関しては、俺は一切心配していない!」

 

「はぁ? 何さ? いきなり」


「優しい優しい新井さんは、一体俺の何を心配してくれてるのかは知らん。ただな……。何度も言うが、お前らしくないんだよ。そういうの。お前の頭には、定期的にヒヨるギミックでも付いてんのか? キャラ、ブレ過ぎなんだよ。さっきからよ」


「べ、別に、アタシはそんな強い人間じゃないし……」


 知っている。

 それでいて人一倍、諦めが悪いことも。

 言ったそばから自覚する。

 これは新井の思う『自分らしさ』などではなく、俺自身がと願う、彼女の姿の押し付けだ。

 図太く見えても、どこか脆く、繊細で壊れやすい。

 常に虚勢を張っているとまでは言わないが、彼女がただ明るくおちゃらけただけの人間でないことは、百も承知だ。

 その上で、だ。

 今を変えたいという気持ちも、『自分らしさ』の範疇なのだとすれば、それは必ずしも彼女の本質の証明にはならないと思ってしまう。

 そう詭弁を弄したくもなるほど、俺は彼女に……。


「……お前なら大丈夫だ。心配すんなって。目の前の見てみろ。ヒトがまぁまぁ込み入った話してるってのに、しっかり食事楽しもうとしてんじゃねぇか。一体、どんなメンタルしてんだよ」


「ナニさ、その言い方! ヒトを食い意地張った人間みたいに! あとコレ、普通においしいんだからね!」


「そうだ。ソレソレ。お前はそんくらい太々しい方が安心する。つーか、いつまでもその感じでやられんと、コッチの調子が狂うんだわ。早くいつもの呑気な間抜け面見せてくれよ。ま、まぁ、そのなんだ? お前のそういうトコ……、嫌いじゃねぇよ」


 いつぞやの仕返しとばかりに、俺は言い放つ。

 その小っ恥ずかしい言葉の数々に、新井は耳まで顔を赤くさせる。

 そんな彼女を見ていると、俺の方まで顔を伏せたくなってしまう。


「……何か言えよ」

 

「……へ? は、はぁぁぁぁ!? さりげに何言ってんだし! てか、ほぼ悪口じゃん!」


 俺が返答を催促すると、彼女は思い出したかのように苦情を垂れてくる。


「でも、そっか……。分かった! そういうことなら、もう気にしない! アンタの好きにすりゃいいじゃん! まぁ何かあっても、アタシが骨拾ってやるから安心しな!」

 

 新井はそう言ってほくそ笑むと、俺が出した鑑定結果を読み始めた。

 そんな彼女を見て、心底安堵したのは言うまでもない。

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