怠慢⑧
「あはは……。メンゴメンゴ! 冗談だって! オギワラくんのこと、疑ってるワケじゃないから! てかさ……、元々コッチは何されても文句言える立場じゃないしね! 全く! キミはウブでかわいいなぁ〜」
俺が反射的に漏らした声は、新井の母親の表情を凍らせた。
酔いも忘れ、慌てた様子で弁明に走る。
どこか的外れなフォローもそうだが、この期に及んで惚けた風を装うあたり、誠実さに欠けると言わざるを得ない。
そんな態度も相まって、彼女が発する一言一句が俺の神経を逆撫でするかのようだった。
「さっきからコッチの気も知らないで、好き勝手言いやがって……。何が悲しくて、ひと様の犯罪をわざわざ告発なんかしなきゃなんねーんすか! 面倒くさいっ! コッチはバイト3つ抱えてて、それどころじゃないんすよ! 新井に頼まれたとしても、100%断りますね!」
「オギワラ……」
『また始まった』と言わんばかりに、新井は俺を小さく呼びかける。
苦しそうに眉尻を下げて俺を見る、その視線の意味は『呆れ』か。
もしくは『余計な事はしてくれるなよ』と、釘でも刺しているのだろうか。
いずれにせよ俺は、新井の気持ちを代弁するつもりなど、更々ない。
だが意図しない結果とは言え、やることなすこと娘の想いに逆行するこの母親には、小言の一つもタレたくもなる。
「それに……。俺には分かるんすよ。そういう不正がどうとか、罪がどうとか……。何も知らない赤の他人が、面白半分で吊し上げていいモンじゃないって。そうやって拗れた先での苦しみも、ちょっとばかしは理解してるんでね」
「オギワラくん……」
新井の母親が何を察したのかは知るところではないが、哀れみのような視線を向けられ、一気にバツが悪くなる。
「ま、まぁ! あなた自身が良心の呵責に耐えかねているってなら話は別ですけど。ただその場合、手数料を請求したいくらいですね。最近は私人逮捕系、でしたっけ? そんなのをライフワークにしてる人もいるみたいですけどね。ただ俺はそういうの、全く興味ないんで……」
「ふふ。やっぱりキミ、面白いよね」
催促した覚えのない同情の念に戸惑い、俺は咄嗟に思いついた言葉を並べるが、新井の母親は軽くあしらうように笑ってみせる。
「それと……、返す刀でもう一つ言わせてもらいます。アンタ、本当に自分の娘から逃げられるとでも思ってるんですか?」
俺がそう言うと、新井の母親は『へっ』と気の抜けた声を漏らし、たじろぐ。
「知ってます? ソイツ、死ぬほど諦め悪いですよ? 考えても見て下さい。新井は、この絶望的な状況を覆して、シレッと大学に合格してみせた。そんでもって、ソレだけに飽き足らず、学年で数人にしか与えられない特待生の座まで勝ち取りやがった。『幸せを諦めたくない』とか何とか言って。『幸せ』の正体すらもよく分かってねぇのに……。その変態染みたストイックさと言ったら、こちらが感心するほどです」
「ちょっ!? オギワラ! 急にヘンなこと言うなしっ!」
新井は顔を真っ赤にして、俺の話を遮ろうとする。
「事実だろうが。正直、俺も最初はソイツのこと、色眼鏡で見てたところはあります。その幸せな頭で、そりゃあ大層人生エンジョイしてるんだろうなって……。でも実際は違った。上っ面で演じる幸せを重荷に感じていた。新井自身も色々と迷走してたみたいですけど、大きな原因としては別にある、と俺は思っています。何か、分かりますか?」
「…………」
俺の問いに、新井の母親は顔を伏せてしまう。
「……結局、何をしたところで、アンタの存在が頭から離れないからですよ。新井は、アンタを差し置いて幸せになることに抵抗を感じているんだ」
「カ、カナエちゃん。そう……、なの?」
新井の母親は、恐る恐る問いかける。
もちろん、これは俺の一方的な邪推だ。
だが、あながち間違っているわけでもないのだろう。
その証拠に、新井は何かを訴えかけるように目を吊り上げ、好き勝手に宣う俺を睨みつけてくる。
「……アンタはどっかで『娘だけでも』なんて考えて、自棄になってるのかもしれません。でも俺に言わせりゃ、それこそ都合の良い絵空事だ。アンタはとっくの昔に、新井の描く『幸せの絵』に組み込まれてるんですよ」
「オギワラ……。ホント、サイアク……。つーか言ってること、キモすぎ」
俺の勝手な推論に、新井はブツクサと恨み言を溢す。
それも当然か。
さも分かったかのように、他人に自分を語られれば、誰だって良い気はしない。
それが、当たらずといえども遠からずともなれば尚更だ。
「……言うな。それは俺が一番分かってる。まぁ、要するに何が言いたいのかっつーと、別に新井は義務とか哀れみで言ってるわけじゃないってことです。じゃなきゃ、わざわざパート先の休憩室にまで乗り込んでまで、お小言タレたりしないでしょ。だからそう、卑屈にならなくてもいいんじゃないっすかね? アンタさっきからずっと、独りよがりなんすよ。色々と」
「カナエちゃん……」
母親に視線を向けられた新井は、居心地悪そうに顔を伏せる。
「まぁ実の娘から、あんな風に気を遣われたら惨めだってのも、分からんでもないですけどね。でも……、それこそ今更でしょ? こうしてボロが出たんです。もう落ちぶれるとこまで落ちきって、とことんまで迷惑掛けてやりゃいいんじゃないっすかね? その方があなたに似合いますよ。知りませんけど」
「ふふ。オギワラくん、言うね。でも確かにそれは言えてるかも、ね」
彼女はそう言うと、ニコリと笑いかけてくる。
「……分かってはいたんだ。アタシみたいなのがいるせいで、他の
「分かってるなら、何で……」
「それは……、カナエちゃんと一緒、かな? イロイロと迷走してたんだよ……。まぁそんなの何の言い訳にもならないけどさ!」
迷走、か。
確かにその通りだろう。
彼女にしろ、新井自身にしろ、酷い迷走だ。
だが、そうやって個人の問題にフォーカスし、批判の目から逃れてきた人間もいる。
そういった輩が問題の本質にいるのであれば。
根本的解決を望むのであれば。
クーデターなどと物騒な手段に出ないにしても、やはり触れざるを得ない。
随分と回り道をしたような気もするが、ココからが俺の本当の仕事だ。
「もし、その『迷走』すらも、仕組まれたものだとしたら……、あなたはどうしますか」
現状、田沼さんと同じ認識の人間はどれだけいるのか。
新井の母親は、この先彼女の同志になり得るのか。
『鑑定』に必要な情報が集まってきた今、今後の『提供』も踏まえて、彼女の意思を確認しておくのも悪くない。
俺の質問に、彼女はしばらく沈黙した後、待ち合わせていたかのように抱腹する。
「……あははっ! キミ、さっきからずっと面白いこと言ってるね!」
「至って真面目に聞いてるんですがね。なぁ、新井?」
「へ!? ま、まぁ、そだね……」
「ナニナニ? カナエちゃんもグルな感じなの?」
「……そうですね。グルといえばグルです。主犯は間違いなく俺ですが。まぁ、あなたたちが落ちぶれていくのを良しとする悪い大人たちがいる、とでも考えて下さい」
俺がそう返すと、彼女は『ふーん』と呟き、悪戯な笑みを浮かべる。
「そっかぁ。なーんか、楽しそうなことしてるねぇ。まさに青春って感じ? でもそうだなぁ……、分かった! じゃあさ! もしキミが言ってる通りだとしよう! それで、その悪い大人たち? とやらをシメたら、確かに今よりはイイ暮らしが出来るようになるのかもしれない。でもね……。アタシ、今でも幸せではあるんだよ?」
「はぁ!?」
俺よりも早く、新井は前のめりで反応する。
「だってそうでしょ? アタシが居て、カナエちゃんがいる。これ以上、他に何か必要かなぁ?」
母親が得意げに言うと、新井は恥ずかしそうに顔を背ける。
俺の意図を何となくでも、汲んでくれたのはいい。
しかし、何の疑いもなくそう話す彼女を見て、田沼さんの言わんとしていたことを改めて痛感した。
だからこそ、俺は彼女にこの言葉を掛けざるを得ない。
「まさに……、その認識こそが誘導されている証拠ですね」
俺がそう言った瞬間、新井の母親はキョトンとする。
「おぉ言うねぇ! イイだろう! そういうことなら、とことんまでヤリ合おうじゃないか〜」
新井の母親はそう言うと、
「もちろん、あなたが今感じている『幸せ』を否定する気は更々ありません。大切な人と共有する、ほどほどの満足感、ほどほどの幸せ……。人生において、これほど尊いものはないのでしょう」
「だろ〜。人間、何事も求めすぎてはダメなのです!」
したり顔で、新井の母親はそう言った。
本当に、清々しいほどに模範回答だ。
彼女も彼女で飼いならされている、ということなのだろう。
「ですが、もし……。今後、そのほどほどの基準が、知らず知らずの内に引き下げられていったとしても、同じことが言えますか?」
俺の言葉に新井の母親は目を見開き、一瞬言葉を詰まらせる。
「それは……、そのままの意味、でいいのかな?」
「はい。一日三食が、二食、一食、となるように。真綿で首を締められるように、今あるものが徐々に徐々に奪われていく……。その感覚に、耐えられますか?」
「……なるほど。でもそうだなぁ。今あるものが少ないアタシには、その例えはピンと来ないかなー。ていうか、それだとむしろオギワラくんの方が誘導してるように聞こえるぞ〜!」
新井の母親は、へらへらと笑いながら応える。
確かにその通りだ。
誘導している。
しかし俺が誘導しているのは、彼女の言う幸せの持続可能性が、ある程度保証された未来だ。
無論、それは彼女たち次第であり、俺次第でもある。
だからこそ、どうにでも転ぶ危険性も孕んでいるわけだが……。
俺が問いたいのは、その辺りの覚悟だ。
そういう意味でも、現段階でこの質問が出来たのはファインプレーかもしれない。
きっと、完全に染まった状態からの軌道修正は、容易ではないはずだ。
「……それでは、こう考えて下さい。もし今日、新井がこの場へ来なかったら、あなたはどうするつもりでしたか?」
「え」
新井の母親の顔面は、みるみる内に血の気が引いていった。
核心に素手で触れてしまうような、明け透けな質問であることは百も承知である。
だがそれは、彼女たちにとって避けては通れない問いでもあるはずだ。
「簡単なことです。今のところ、新井はあなたのことを見捨てていないようですが、モノには自ずから限度があります。金の切れ目が縁の切れ目って、金言があるでしょ? 家族間であっても、例外ではないと思いますけどね。俺は」
「まぁ……。それは確かにそう、だよね……」
「あなたは現状、その先の『幸福』を共有する相手すら、失いかねない状況にいるのです。そんな全てを奪われた先で……。一人切りとなった世界で、あなたは何かを変えられますか? それで得をするのは、一体誰だと思いますか? そこまで考えると、俺がさっき言ったこともあながち的外れじゃないって分かるでしょ」
飛躍も飛躍だ。
それこそ、陰謀論の類のように聞こえてしまっても仕方ない。
だが俺は、彼女たちの抱える問題の本質について、かなり深い部分にまで触れてしまった。
だからこそ、今後の俺の暗躍を許してくれるかどうか、最低限の了解は得ておきたい。
きっと、この先。
彼女たちにも、大なり小なり飛び火することは間違いないのだろうから。
「……あなたはささやかな幸せで十分だと言いました。ですが、そのささやかな幸せすら、彼らの裁量次第。そう考えたら、ムカつきませんか?」
「そうだね。それは確かに……、ムカつくね」
新井の母親は困ったように笑って、そう答えた。
「……だから、もし。あなたがこの先の未来に、多かれ少なかれ不安を抱いているのなら、一先ず俺に預けて欲しいんです。今後のあなたの運命を。もちろん娘さんのことも」
「オ、オギワラァ!?」
新井は大きく動揺してみせる。
母親は『あらあら』と、やたらとねっとりとした視線で俺たちを見渡す。
その様子が、一端の母親しぐさのように思え、俺は妙な安心感を覚えてしまった。
「ふふ。何か、ホントに結婚の挨拶みたいだね。でも、そうだね……。キミが何をしようとしているのかは分からないけど、任せてみよう、かな。アタシのことも。カナエちゃんのことも、ね!」
そう言って、ニコリと目を細めた新井の母親は、どこか憑き物が取れたようにも見えた。
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