怠慢⑨

「それにしても、オギワラくんはスゴいね! ハタチとは思えない貫禄を感じるよ! よっぽどのを潜り抜けてきたんだね!」

「……まぁそれは確かにそうかもね。つーか、もうイロイロと達観しすぎて、爺さんの域だしっ!」


 とは言え、だ。

 現状、何かが解決したわけでもない。

 言うなれば、マイナスからゼロに向けて一歩進んだ。

 それだけのことだ。

 ただ、それでも『前進は前進』とでも言いた気に、張り詰めていた場の雰囲気は次第に緩和していき、を取り戻しつつあった。

 新井に関しても、お得意の軽口を叩く余裕が復活し、俺としても喜ばしい限りである。


「あ! そう言えば、それで思い出したんだけどさ! 山形のおじいちゃん、亡くなったんだって!」

「はぁ!? マジで!? それ……、いつなん?」

「三年前。この前、地元の友達経由で聞いたんだ!」

「嘘でしょ!? つーか何で友達経由なのさ!?」

「いやーん! カナエちゃん、イジワル言わないでよ! 実家とは何年も連絡取ってないの、知ってるでしょ!?」

「そりゃ、そうだけどさ……。一応、実の親でしょ?」

「まぁね! それだけお母さんのこと、許せないってことっしょ?」


 新井の母親は飄々と言って退けた。


 なるほど。

 実家と縁が切れたのは、事実だったか。

 察するに、元々は家柄だと思ってはいたが、疎遠になってしまっていたのなら、あまり意味がない

 ……いや、待て。

 これは、ある意味でチャンスなのかも知れない。


「えっと、あの……、横からすみません。新井のお母さん。少しを聞いてもよろしいでしょうか?」

「へ? 何? ていうか、は禁止って言ったでしょ!」


 そう言って、頬をプクリと膨らませる彼女の姿は、見る限りすっかり元の調子に戻ったように思える。

 俺としても、ようやく寛解しかけた空気に水を差すほど野暮じゃない。

 ココは大人しく、彼女のご要望に応えるとしよう。

 というより、これ以上の抵抗はシンプルに面倒くさい……。


「……海葵みきさん」

「うん! よろしい! で、何かな?」


「先程の質問に戻るようで恐縮ですが、ご実家はやはり資産家なのでしょうか? い、いえ! 決して変な意味ではなく、単純な疑問でして……」


「へ? うん。まぁそう……、かもね。スッゴイ田舎なんだけどさ。一応、地元では名の通った豪農? っていうの? そんな感じかな。つっても、さくらんぼで一発当てたってだけだから、そんな大したモンじゃないよ? でも、どうして?」


「そんな芸人みたいに言わなくても……。いや。娘さんから『一度目の結婚は親同士が決めた』と伺ったので、いわゆるの出身なのかと思いまして……」


「ふふ。そっか。まぁ、そうっちゃそうなのかもね! でもアタシがこんな感じだからさ。最初の旦那と別れてからは、すっかり疎遠になっちゃってね……。向こうに言わせりゃ、『家名に泥を塗られた』ってーの? お父さんもお母さんも、すごーくお怒りだったワケですよ、はい!」


 新井の母親は何故か胸を張り、自慢げに話す。


「そう、ですか……」


「うん! つっても、アタシの方だってそれなりに怒ってるんだよ? むしろコッチが二度と顔見せるかって感じなんだけど! 実際、ソレ以外にもあったしね……」


 新井の母親はそう言うと、遠い目を浮かべた。

 これまで『の娘に相応しい振る舞いを』、などと散々に抑圧されてきたのかもしれない。

 もはや、関係修復は不可能なレベルにまで、拗れ切っているのだろう。

 であるなら、彼らに一矢報いてみるのも悪くない。

 他でもない、彼女たちの『幸福』のためにも。


「そうですか……。では一つ、を伝授したいと思います」


「れんきんじゅつ?」


「はい。今後どういった選択をするにしろ、海葵さんにはいくつか支払うべきがあるはずです。それもそれなりに高額の」


「うん……、そうだね」


「……であれば、先を見据えた金策をしておくに越したことはありません。遺留分侵害額請求いりゅうぶんしんがいがくせいきゅうと、聞いたことはありますか?」


「イリュウ、ブン? ごめん。アタシ、カナエちゃんと違ってバカだからさ! あはは……」


「遺産相続の権利のある親族が、にその権利を侵害された場合、本来受け取るべき最低限の資産に相当する金額を請求できる制度です。要するに……、既に遺言書をもとに財産分与が終わっていたとしても、海葵さんの相続分を取り戻せる、ということ」


「へ!? マジで!?」


「はい。海葵さんの場合、縁が切れたとは言いますが、それは飽くまで建前上の話。特別養子縁組等で実親との関係が解消されたわけではないので、海葵さんは正真正銘、法定相続人の一人です。もちろん、民事裁判を通して請求することになるのでご自身の意思次第ではありますが、参考までに……」


「そっかぁ……。そんな手があるんだね。アタシ、そういう法律のこととか全然知らなかったなぁ。でもさ……。アタシがそんなことしたら、ホントにもう一生実家に顔出せなくなりそうだね!」


「でしょうね。ですから、恐らくこれが事実上のになるかと思います」


 新井の母親は、俺の言葉に露骨に顔色を変えてみせる。

 やはり縁が切れたとは言え、捨て切れない何かがあるのだろう。

 彼女の中のは、俺などには想像も出来ない。

 

「時効は侵害を知った日から1年、もしくは相続開始から10年です。ただ……、諸々の事情を考えると、あまりのんびりはしていられないとは思いますが」


 俺がそう言うと、新井の母親は寸刻の間考え込む。


「アタシ、やるよ」


 何の淀みもなく。真っ直ぐな目で。

 新井の母親は言い切った。

 どうやら彼女は今この瞬間、明確に選ぶことが出来たのだろう。

 これまでの『不幸』ではなく、これから先の『幸福』を。

 

「……分かりました。幸い、その辺りの民事にも強い弁護士に一人、心当たりがあります。不正受給云々も、まとめてその弁護士に丸投げしましょう。俺から言えば、報酬の方も柔軟に対応してくれると思います。こちらは彼の弱みを握っているというか、俺自体が弱みというか、そんな感じなんで」


「弱みって……。マジで、キミ一体何者!? ホントに大学生!?」


「……まぁこちらも色々と、ということで勘弁していただきたいです」


 俺が苦し紛れにそう言うと、彼女は『ふーん』と呟きながら、生暖かい視線を送ってくる。


「……何か?」


「オギワラくんはさ! さっきの預けるとか、何とかの話もそうだけどさ! どうして、そこまでしてくれるの? やっぱりカナエちゃんのことだから?」


「ちょ!? だからお母さん! ソレどういう意味なん!?」


 母親の質問に、新井はあたふたと取り乱す。


「……別に新井がどうとかの話じゃないです。ただ、このままに抵抗の構えを見せたら、どうなるかってことに興味があるだけです。だから……、アレです。言っちまえば、あなた方は被験体みたいなもんすよ」


「オギワラ……。もっとマシな言い方ないん?」


 新井は呆れるように言うが、生憎それ以外にしっくりくる表現が見当たらない。

 これは飽くまで俺個人の動物的勘であり、エビデンスもへったくれもない唾棄すべき思い込みだ。

 何故か彼女たちの話を聞いていると、二人の行く末が、俺の今後の運命の延長線上にある気がしてならない。

 二人の境遇と一緒くたにするつもりは毛頭ないが、これが同志ゆえの、シンパシーという奴なのだろうか。

 

「……それともう一つ。二人には泣き寝入りして欲しくないんすよ。幸せを諦めたくないって、新井自身も言ってましたしね。こればっかりは感情論というか、なんと言うか……。まぁ、こうして会った縁なんで、ね」


「ねぇ、オギワラくん」


 突如、新井の母親は真顔になり、俺を静かに呼びかける。

 その尋常ならざる雰囲気から、自然と全身に力が入ってしまう。


「は、はい……。なんでしょう?」


「カナエちゃんとじゃなくてさ、アタシと付き合わない?」


「ちょっ!? お母さんっ!? いい加減にするしっ!!」


 新井はガタンと音を立て、勢いよく立ち上がる。


「だってぇ〜。この子、チョー良い男じゃん! なんか、スゴい出来る風だしさ! カナエちゃん、ホントに良い子捕まえたね!」


 新井の母親は満足そうにそう言うと、親指を立てウィンクする。


「だ、だから、そんなんじゃないってば……」


 新井は意気消沈し、ずるずると座り込む。

 茹で蛸のように顔を赤らめて俯くその姿は、傍で見ているこちらも、むず痒さで身も心も限界を迎えそうになる。


「あ、そうだ! オギワラくん!」

「今度は何でございましょうか……」

「キミの下の名前、『サトル』だよね?」

「そうですが……」

「じゃあ、これからは『サッくん』だ! どうか末永〜〜〜く、ウチの娘をヨロシクね! サッくん!」


 知らぬ間に着工が始まっていた『外堀埋め立て工事』は、息つく間もなく竣工を迎えたようだ。

 彼女のコレは、何かしらのハラスメントに該当しないのか、大いに疑問である。

 ふと新井の方を見ると、耳まで真っ赤になった顔を俯けたまま、『もうホントにやめろし……』と小さくぼやいていた。 


「……でもさ。別にヘンな意味じゃなくて……、ありがとね」


 新井の母親は妙に改まった様子で、テーブルの向こうから身を乗り出し、小さく耳打ちしてくる。


「いや、あの、ホントに状況分かってます? 未だ何一つ解決してないんですが……」

「そうじゃなくて! ウチがだったせいでさ。カナエちゃん、友達関係でもイロイロと苦労してたみたいなんだよね……。男の子に限らず、さ」

「まぁ……、その辺については多少聞いてはいますが」

「そう! だからさ。キミがスゴく仲良くしてくれてるみたいで、嬉しかったんだよね」

「別に……。特別仲良くした覚えはありませんが。それにわざわざ礼をされるほどのことでもないかと」

「キミがそう思ってたとしてもさ! やっぱり親としては安心するんだよ……。カナエちゃん、あぁ見えて結構不器用なところあるしね」


 そう言って、フッと静かに笑う彼女を見て、俺は心底安心してしまった。

 彼女に、母親としての矜持が残されていて、本当に良かったと思う。

 本音や能力は別にして、お互い取繕わなくなってしまえば、彼女たちの『関係』はいよいよ終わり、なのだろう。

 きっとそうなった後では、取り戻せるものも取り戻せまい。


「……まぁ彼女のことですから、『友達』なんか腐るほどいるでしょ? 俺はその辺の詳しい事情は知りませんが。なんせ、娘さんとは『友達』でも何でもないですから」

「ほう……。それは『友達』ではなく、『妻』だと言いたいのかな?」

「いや、だから……」


 俺の反応を見ると、彼女はクスリと満足げにほくそ笑んだ。


「……二人して何話してんのさ」


 新井はそう言って、俺と母親に訝しげな視線を送る。


「なーんでもない! さて! 宴もたけなわ、本日はこの辺でお開きにしますか! な〜に。キミたち年少者に財布を出させるほど、あたしゃ野暮じゃないよ? ココはお姉さんに任せなさい!」

「……そういうのいいから。お母さんはココの支払いの前に、家賃払ってから出直しなさい」

「カナエちゃん。そういう隙のない正論言ってると、男が逃げるよ?」

「余計なお世話だっての! てか、そもそも払えんのかさ?」

「うーん……、カナエちゃん、お願いっ!」

「マジで何なんこの人……」

 

 親子二人は和気あいあいと会話を交わすと、静かに席を立ち、会計に向かっていく。

 その二つの背中に妙な安堵感を得つつ、俺は彼女たちの後を追った。

 

 帰り際。

 会計を終えると、海保さんがカウンター越しから、俺の首根っこをグッと掴んでくる。

 すると、耳元で『これは御祝儀だ。』などと囁き、テイクアウト用のデニッシュパンを押し付けてきた。

 その瞬間、俺は何故この店を話し合いの場に選んでしまったのだろうと、深い後悔の念に駆られた。

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