怠慢⑦

「こちら、フレンチメープルトーストのトッピング、チョコバナナ・厚切りマンゴー・ストロベリークランチ・ホットキャラメルソース・抹茶アイス・アボカドチーズ・生ハム・サラミ・アンチョビ・海苔の佃煮、セットドリンクのホイップロイヤルミルクティーのホイップ地獄増しになります。では、ごゆっくりどうぞ」


 その後、俺たちは新井の母親を待つため、客席へと戻った。

 予想はしていたものの、彼女のある種の『強烈さ』には面食らってしまった。

 とは言え、彼女のその爛々とした笑顔に、どこか胡散臭さも感じている自分もいる。

 それこそ虚勢を張っているようにも思えてしまう。

 彼女が今、抱えているもの。

 単にホストの売掛や不正受給についてではなく、そこに至った背景であり、根源的なもの、それを明らかにする必要がある。

 恐らくそれこそが、新井の『不幸』の本質に繋がっていくのだろう。


 そんなことを考えていると、海保さんが『注文の品』を届けにやってくる。

 人気の定番メニューも、親の仇のように繰り出された怒涛のトッピングにより、もはや原形を留めているのかどうかすら怪しい。

 聞いているだけでこちらが胃もたれしそうになるが、読み上げる本人は至って事務的で、涼しい顔をしていた。

 配膳を終えると、の予感を察知したのか、軽口の一つも叩くことなく、さっさとキッチンの方へ引き上げていく。

 

 空腹に脳を支配された新井は、待ってましたとばかりに目を輝かせ、『かつてフレンチメープルトーストだった何か』に、無我夢中で食らいつく。

 新井の母親はそんな彼女の横顔を、聖母のような眼差しで見つめていた。


「そ・れ・でぇ〜。まずは何から話せばいいのかなぁ?」


 俺がコーヒーを一口啜ると、新井の母親は問いかけてくる。

 こちらを挑発するかのように覗き込むその姿は、どこか艶かしくもあり、やはり大学生の娘がいるとは思えない。

 をしているとは言っていたが、それも需要あってこそだろう。

 新井の母親をそういった目で見るつもりは毛頭ないが、こうした一つ一つの所作に妙な納得感を抱いてしまうのは、自然の摂理という他ない。

 

「……はい。では、まず新井さんの『ご家族』についてお聞きしたいと思います」


「あれ? カナエちゃんから聞いてない? ウチはカナエちゃんと二人暮らしだよ!」


「えぇ。それはもちろん伺っています。ですが、一口に『母子家庭』と言っても、そのによって捉え方はマチマチかと思われます。例えば……、そうですね。お住まいが持ち家であれば、それは財産とカウントされますよね?」


「うん。そうだね」


「仮に、それが親から受け継いだものだとしましょう。無論、居住用物件をおいそれと売却するわけにはいきませんが、いよいよとなった際のにはなり得る。その分、家賃の滞納が続いたら追い出されるだけの賃貸とは、精神的なゆとりが違います。要するに、単純な所得フローだけでなく、資産ストックの部分も考慮した上で、相関関係を導き出す必要があるのです」


「な、なるほどっ! 確かに!」


 回りくどい話をしている自覚はある。

 しかし、これは言ってしまえば軽いだ。

 実家とは縁が切れたと新井は言っていたが、実際のところはどうなのか。

 扶養照会を経て、こうして受給に漕ぎつけている以上、あまりこの辺りは疑う余地はないのかもしれないが、念には念を入れて、だ。

 加えて、ココから新井の母親自身のを探る狙いもある。


 幸い、彼女はある程度、腑に落ちてはいるようだ。

 彼女の様子を見る限り、このまま話を続けても良さそうか……。

 

「……更に言えば、その親が資産家だと仮定しましょう。であれば不動産の他、株式や債権、骨董品といった、より現金化しやすい財産相続の見込みも生まれるはず。そういったについても、頭に入れなければ、フェアとは言えません」


「そっかー。何言ってるかよく分かんないけど、何かスゴいね! カナエちゃん! この子、頭も良いんだね!」


 どうやら一つも刺さっていなかったらしい。

 『確かに』とは一体、何に対しての合点だったのだろうか。

 新井は新井で、母親の呼びかけに『なぁに?』と、口の周りに大量のホイップクリームを付けたアホ面をぶら下げて、応える。

 俺はこの先、彼女たちから有益な情報を引き出すことは出来るのだろうか。


 だが、コレは俺のミスだ。

 確かに、話として分かりにくかった気がする。


「で、ですから何が言いたいのかというと、そういったの部分……、つまり新井さんにとってのお祖父様やお祖母様について、お話を聞かせていただければ、と思っています。個人的な話で、大変恐縮ではありますが……」


 地雷原でもある分、慎重に話を進めるつもりだったが、結局直接的な言い方になってしまった。

 新井の母親は、俺の話に『なるほど〜』と呟くだけで、特段反応らしい反応を見せない。

 しかし、次の瞬間。

 彼女は俺の顔をまじまじと見つめ、意味深に微笑む。


「オギワラくんは悪い子だな〜」


 その瞬間、急激に新井の母親の様子が変わる。

 冗談めいた雰囲気ながら、明らかに目は笑っていない。

 どこか腹の底を探ろうとするような視線だ。

 いや……、むしろ敵意に近いものすら感じる。

 そんな母親を前に新井も何かを察したのか、自然と食事の手を止める。


「ホントは、知ってるんでしょ? 酷いなぁ。騙し討ちみたいな真似して〜」


「いや、あの……。どうして……」


 酷く動揺したせいか。

 俺は何故か、咄嗟に誤魔化すことが出来なかった。

 そんな俺を見て、新井の母親はその不敵な笑みを助長させる。

 

「カナエちゃんてさ! こう見えて、スッゴく警戒心が強い子なんだよね!  聞いてるでしょ? アタシたちの家のこと」


 俺は彼女の圧に屈するように頷く。


「やっぱり、ね……。ほら! 自分で言うのも何だけど、アタシって男運ないじゃん? そのせいで、昔からカナエちゃんにスゴい迷惑掛けてきたんだよね!」


「は、はぁ……」


「二人目の旦那もさ……。再婚までは色々助けてくれたんだけど、段々暴力とか振るうようになってね……。カナエちゃん、アタシが殴られるところとか、間近で見てきてるんだよ。だからカナエちゃん、男の人に対してスゴいトラウマがあると思うんだ……。まぁ、アタシと違ってイイ子だから、空気読んでうまく取り繕えちゃうとは思うんだけどね!」


 そう言われ、俺は反射的に新井の方を見てしまう。

 すると新井は、俺の視線から逃れるように顔を伏せる。

 

「だからさ! こうやってアタシの前に連れてくる男の子なんて、オギワラくんが初めてなんだよ? どういうつもりでココに来たのかは知らないけど、良かったじゃ〜ん! オギワラくん、信用されてるみたいで! コノコノー!」 


「そう、ですか……」


「そうそう! そんな、人生で初めてくらいに出会った信頼できる男の子にだったら、さ……。そりゃあもう、話してるんだろうな〜って考えるのは母親として……、ううん。違うな。、当然だと思うのですよ、はい! だよね? カナエちゃん」


「…………」


 新井は、母親の問いかけに言葉を詰まらせる。

 そんな娘を前に、母親は深い嘆息を吐く。

 薄氷を踏むかのような空気に、こちらが嫌な汗をかいてしまいそうになる。


「……それで、今日は何かな? カナエちゃんに頼まれて、お説教でもしに来たの? それともシンプルにお役所にタレ込む感じ?」


「いえ。決してそういうことでは……」


 俺がそう溢すと、新井の母親はフッと気の抜けたように笑う。

 

「まぁさ。カナエちゃん、正義感の強い子だからさ……。こんなちゃらんぽらんな母親のことなんて認めたくないってのはよく分かるよ。でもね……。これだけは信じて欲しいんだ。アタシは、カナエちゃんがいれば何もいらない。カナエちゃんのためなら、どんなだってするし、どんな辱めだって受ける。実際、今までもそうして来たつもりだよ。まぁ、やり方はグダグダだったかもしれないけどね!」


 母親がどこか投げやりにそう溢すと、新井は『バンッ!』と勢いよくテーブルを叩き、立ち上がる。


「じゃあ、何で、ホストに貢ぐなんて話になんのさ……。までして……」


 新井は、ワナワナと声を震わせて言う。

 そんな彼女の姿を、新井の母親はどこか息苦しそうに見ていた。

 

「あっちゃー! バレちってたか〜」


 母親はいつもの調子で額に手を当て、あざとく舌を出す。


「まぁさ! 別にお母さんだってやりたくてやってたワケじゃないんだよ?  止むに止まれぬ事情ってーの?」


「ホストのどこが『止むに止まれぬ事情』なワケ!? 自分の立場分かってんの!?」


「……カナエちゃん。これはね。アタシとカナエちゃんがになるためなんだよ?」


「……何なん、ソレ。意味分かんないしっ! 病気のことだってあるのに……。あのさ。越えちゃいけない一線越えてるってことくらいは、自覚してる?」


「うん。それは分かってるよ」


「だったらっ!」


「言ったよね? カナエちゃんのためなら、どんな汚いことだってやるって」


 新井の母親は食い気味に応える。

 それを聞いた新井は、分かりやすく狼狽える。


「担当くんが言ってくれたんだ。『一位になれたら、ミキさんのこと親に紹介する』って……」


「ちょっ!? ソレどういう事だしっ!」


 新井はテーブルから身を乗り出し、問い詰める。


「ふふ。カナエちゃんが考えてるようなことじゃないよ。ただ、何? 担当くんさ……、実家が都内のまぁまぁ大きめな総合病院らしくてさ。お父さんが有名なスゴ腕の外科医さんなんだって! ナンかお願いしたら、手術の日程とかベッドとか優先的に手配してくれるらしいよ! 何なら、治療費も多少は融通してくれるみたい! ホラ! お母さんの病気って、ガチで治そうとしたら自由診療じゃん? 生活保護でも、保険適用外だと普通に実費掛かっちゃうしね!」


「……ねぇ。その話、本当なの?」


「……お母さん、もう決めたんだ。ちゃんと病気治して、この生活から抜け出すって。もうカナエちゃんに苦労はさせないよ! 生活保護ももうオシマイ!」


 どこか自嘲気味にそう話す彼女は、既に答えの出ている問いに、何度も何度も縋りつくように、同じ回答をぶつけているようにも見えてしまった。

 ここに来てようやく腑に落ちたというか、新井の言葉に対して、より深い部分で理解が及んだような気がする。


 単純なことだ。

 持病に対する、健康面での不安。

 生活保護受給者として向けられる、侮蔑の目。

 男に対しての猜疑心。

 何より、母親としての重圧。

 それらが、正常な判断能力を鈍らせるには十分な材料だった、というだけの話だろう。


 田沼さんの言葉が今、改めて身に染みてくる。

 新井の母親もまた、別のカタチでここまでされてきたのだろう。

 そして、それはきっと……。

 新井自身にも言えることなのだろう。


 引き返せない場所まで来た母親の姿に、新井は絶句する。

 今彼女に過った感情は、呆れや怒りでないことは痛いくらいに分かる。


「だからって……、何でそんなことになるんだし……」


 新井は、絞り出すように声を漏らす。

 そんな彼女を前に、新井の母親は深く息を吐いた。


「アタシ、駄目だなぁ……。またカナエちゃんに余計な心配掛けちゃったよ。オギワラくん。キミはこんな大人になっちゃ駄目だよ! ……って、キミはそんな心配いらないか! あはは!」


 新井の母親は自虐的な笑みで、そう話す。


 痛々しい……。

 その一言だ。

 ただそう思うと同時に、目の前で自棄になる大人に対して、俺は呑気にもどこか懐かしさというか、既視感を覚えていた。


「ねぇ……。お母さん」

 

 新井は俯けた顔をゆっくりと上げ、静かに語り掛ける。

 寸刻前とは違い、随分と穏やかだった。

 その実、どこか必死に踏ん切ろうとしているようにも見える。

 

「今までごめんね。一人で辛かったよね? 誰にも相談出来なかったんだよね? お金のことも。病気のことも、さ……。全部、アタシのためだったんでしょ? だったらアタシにも原因あるからさ……。二人でやり直そ? ね? 大丈夫だって! 最近アタシ、ちょっと割りのいいバイト始めたんだよ? まぁ怪しいか怪しくないかで言ったら、だいぶ怪しいんだけど、別に身体売ったりするわけじゃないからさ! 一緒に返していこ!」


「カナエちゃん……」


 普段の調子を装い、あっけらかんと話す新井を前に、母親はより一層表情を曇らせる。

 イザコザの原因を自分に集約し、親子の間に生じた微妙な関係を修復する。

 それでいて今後の現実的な展望もあり、建設的な提案にも思える。


 ……だが、それでは駄目だ。

 きっと同じことの繰り返しになる。

 何より、それでは新井自身が潰れかねない。

 『支え合い』などと聞くと偉く崇高に感じるが、実際は彼女たちの痛みの本質から目を背け、緩やかな停滞を受け入れているだけに過ぎない。

 その先に待っているのは、『共倒れ』という未来だ。

 

 恐らく新井自身も、そのことを理解しているはずだ。

 だが、こうして不正にまで手を染め、ボロボロになりながら足掻き続ける母親を前にして、別の感情がまさった。

 それは他でもない、生活保護を受け取れずに、社会から間引かれるように堕ちていった俺のような人間へのやり切れない想い、なのだろう。

 だとしたら、俺が彼女に投げかけるべき言葉は一つしかない。


「ハァ……。ホントしょーもねぇな」


 俺がため息交じりにそう溢すと、二人の視線はじろりとこちらに向く。

 新井に関しては、まるで一足先にこの世の終わりを迎えているかのような表情だった。


「……新井。お前は今、客である以前にアシスタントだろうが。ウチの建前、忘れたのかよ? あんだけウンザリするほど言われてきたのによ。お前のは、あまりにもバランスが悪すぎる」


 本当に、酷い詭弁だ。

 ただ、それでも……。

 このまま、軌道修正出来ずにいるよりは。

 何事もなかったかのように泣き寝入りするよりは、ずっといいと思った。

 そうだ。

 これは本来、彼女たち親子二人だけで片付けるべき問題ではない。


 田沼さんは言っていた。

 本当の意味でバランスを取るためには、この歪な社会構造そのものをひっくり返す必要があるのだ、と。

 彼女がどういったビジョンを描いているのか詳しくは知らないが、それにはきっと、相応のを伴う。

 実際、彼女は全てを捨てる覚悟があると断言したわけだ。

 だからこそ、俺は新井の依頼を通して証明しなければならない。

 既存の枠組みからでも、何かを変えられるということを。

 

 俺の戯言に、新井は『あっ……』と小さく声を漏らす。

 を食らった、新井の母親に至っては、すっかりと呆けた顔になってしまった。


「そっか……。だよね! こんなの、アタシのエゴでしかないよね……」


 新井は草臥れたような笑顔でそう言った。

  

「……何を思って言ったのかはイチイチ聞かねぇよ。ただ、俺たちは一応あの会社の一員なんだ。だったら余計なことしないで、黙って上の方針に従うのが、一端の社畜ってモンだろ」


「うん……、だね!」


 新井はそう言って、小さく笑った。

 別に彼女とは、特別親しい間柄というわけでもない。

 この短くも濃密な時間の中で、くらいにまで昇華した、その程度だ。

 だがそれでも俺は、彼女はこうあって欲しいと強く思ってしまった。

 きっと、いつか彼女の口から聞いた『幸せを諦めたくない』という言葉を、今でも未練がましく信じているから、なのだろう。


「えっと……、何のこと、かな?」


 新井の母親は困ったように笑いながら、問いかけてくる。

 

「……お気になさらずに。大したことではないので。彼女の言う割のいいバイトの心構え、みたいな話です。まぁ詳しくは言いませんが、ウチ、そういう的なことをしてるんで、ね」


「……ふーん。そっか。オギワラくんも同じバイトなんだね! じゃあ、安心だ! カナエちゃんたち、スゴい仕事してるんだね!」


 苦し紛れの言い逃れだったが、新井の母親は何故か深入りしてこなかった。

 何か、察するものがあったのかもしれない。

  

「てかさっ! 世直しってことは、やっぱお姉さんのこと、にしてやろうってこと!? いやーん! オギワラくんもカナエちゃんもヒドーイ!」


 新井の母親は茶化すように、そう言った。


 こうして無意識的に道化に扮して場をおさめ、少しずつ取り返しのつかない場所にまで追いやられていった結果が、今なのだろう。

 だから『怠慢』の一言で片付けられ、彼女が抱える問題の本質には蓋をされてしまう。

 つくづく損な性分だ。

 きっと田沼さんに言わせれば、彼女のこういった振る舞いも含めた全てが、『予め用意された運命』というヤツなのだろう。

 

 とは言え、それは飽くまであちらの事情だ。

 彼女が何気なく放ったその一言は、冗談にしても俺には少し重すぎる。

 だからこそ、俺は今の今まで好き勝手に振り回してくれた彼女に対してせざるを得ない。

 

「……軽はずみにそういうこと、言わないで下さい」


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