怠慢⑤
「何でアナタが居るんすか……。
新井の先導のもと、俺たちは彼女の母親のパート先に辿り着く。
母親のシフトが終わるまで約30分程らしく、どう時間を潰すか決めあぐねていたところ、『お腹減った……』という彼女の鶴の一声により、一足先に店内へ入ることになった。
表向きはオーソドックスで小洒落たカフェのようだが、店内にはベーカリーも併設されているようで、入店するなり、芳醇で甘い香りが俺たちを出迎えた。
何でも、熟練の職人が専用の窯で一品一品丁寧に焼き上げている『本格派』らしく、そういったコンセプトからも、そこらの大型チェーンとは一線を画していることが分かる。
まさに、洒落っ気が出始めた学生どもが、己の身分や懐具合を顧みず、丁度良い背伸びを決め込むには、最適な店と言っていいだろう。
事実、この店の名を検索すると、世の承認欲求の化け物たちが内装やメニューをSNS上に晒し上げ、マウントを取り合った形跡がいくつも見られる。
いわゆる映えスポットとしても申し分ない、何よりの証左だ。
それにしても、この店。どうにも既視感がある。
しかし冷静に考えてみれば、それも当然だった。
『優雅-YUGA-』と言えば、業態こそ異なるものの、俺が働く居酒屋の系列店だ。
世間は狭いというか、何というか……。
いずれにせよ、何処にいようと労働の呪縛からは逃れられないという、社会からの無言の圧を、まざまざと感じてしまった。
そんな矢先。
通されたボックス席の向かいに座る新井が、勇み足気味に卓上の<注文ボタン>を押す。
そして、それを合図とばかりに、俺は再び度肝を抜かれることになる。
「荻原……。それはコッチのセリフだっつーの。俺はヘルプだよ、ヘルプ。ココも一応ウチの系列だしな」
キッチンの奥から足早に現れたのは、あまりにも見知った顔だった。
思わぬ展開に、俺は大いに動揺した。
だがそんな俺とは対照的に、目の前の彼は、鼻先辺りまで伸びた前髪の隙間から、大凡客に向けるソレではない気怠げな視線を浴びせてくる。
俺のバイト先、『築地・太平洋』の4つ上の先輩だ。
猫背でどこかアンニュイな雰囲気で、掴みどころがないのは事実だが、決して悪い人ではない……、と思う。
実際今日についても、急遽決まった石橋の父親との面談のために、彼に頼み込んだ結果、文句を垂れながらもシフトを代わってくれた。
だからこそ、こうしたカタチで遭遇してしまうのは、気まずいことこの上ないのだが……。
「……そういや、そうでしたね」
「てか、荻原。今日、シフト入ってなかったっけ?」
「急な予定が出来たからって、海保さんに代わってもらったんじゃないっすか……」
「そだっけ? まぁ、いっか」
彼は心底どうでも良さそうに呟くと、その虚ろな目をオーダー用紙に向ける。
しかしこうして見ると、俺にせよ海保さんにせよ、つくづく便利屋だ。
他店舗にヘルプへ向かうこと自体は珍しくないが、こうして他業態の店舗にまで駆り出されている仲間の姿を見ると、それなりに思うところはある。
同時に、『ただでさえ人手不足の中、主力の一人を奪われて店は回るのか』などと、飼いならされた社畜顔負けの思考回路を自覚し、何とも悲しい気分になってしまう。
「……つーか、もう暇なら手伝ってけよ。おやつ時だからか何なのか知らんが、今めっちゃ忙しいんだけど」
「生憎、まだその予定の方が終わってないんすよ……。つーか、さりげなく無給労働させようとしてます? 店長に言いつけますよ」
「それはマジで勘弁してくれ……。しょうもない因縁つけられてシフト減らされでもしたら、来月の支払いも危うい……」
「そ、そっすか。何か、大変っすね……」
「あぁ……。俺のスマホさ。何か知らんけど、お目当てのキャラに限って、全然出てきてくんねぇんだよ……。あーあ。店長、時給上げてくんねぇかな」
そう言って、遠い目を浮かべる人生の大先輩の前では、今まさに日給5万円の賑々しい仕事に従事している事実など、口が裂けても言えそうにない。
ここは大人しく、ガチャ運のない自分自身を呪ってもらうことにしよう。
「……まぁそんな鬼畜の所業はしないんで、ご安心下さい」
「ありがてぇ、ありがてぇ……。んで、そちらさんは?」
海保さんはそう言って、新井の方を見る。
すると、新井は気持ち背筋を伸ばし、彼を見上げる。
「あ。え、えっと! 新井 奏依です! オギワラとは、大学の友達っていうか、パートナーっていうか……。あはは!」
「ほう……、パートナーねぇ」
相も変わらず語弊全開を地で行く新井の言葉を聞くや否や、海保さんは恨めしそうな視線で俺を見下ろしてくる。
「ビ・ジ・ネ・ス、パートナーですっ! まぁ今日はちょっとした野暮用で来たんすよ。一から話すと、非っっっ常にややこしいんですが……」
「ふーん、そっか……。まぁ、いいや。了解。新井さん、だっけ? ゆっくりしてってよ。社員割で多少は安く出来ると思うからさ」
「……いいんすか? 新井の分までそんなことして」
「こうして、よく知らん店にまで駆り出されてんだ。それぐらいの特典なきゃやってられっか」
「まぁ気持ちは分からないでもないですが……。あんま派手なことやるとマジでクビになりますよ。あと何か、今日はホント、スンマセン……」
俺はそう謝りながら、ふと店の様子が気になり、辺りを見渡す。
確かに海保さんの言う通り、スタッフたちは息吐く間もない程に、絶えず動き回っている。
最寄りの川崎駅から程近い、ビジネス街のど真ん中という立地を考えれば当然か。
新井の母親の持病がどれほどのものかは知らないが、手負いの身体には少々荷が重いような気がしてしまう。
「あ、あの! カイホさん、ですよね? ウチのお母さん……、じゃなかった。えっと……、新井
新井は、何ともざっくりとした質問を投げかける。
「ん? 新井さん? あぁ。あの人、キミのお母さんなんだ。うーん、どんな感じと言われてもな。俺、ヘルプだからよく分からんし。あ……。てかその人なら、ちょっと体調悪いみたいで今休んでるよ」
「へっ!? あ、あのっ! もし出来ればなんですけど、様子を見にいったりしても……」
「え? 大丈夫だけど……。厨房横のスタッフルームに居ると思うから」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
海保さんが雑に案内すると、新井は勢いよくお辞儀し、一目散に走っていってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます