怠慢④
「そう、だったんだね。今まで、大変、だったね……」
新井は鼻をすすりながら、掠れた声でそう呟く。
こうなることは分かり切っていた。
新井は大変などと偉く買い被ってくれるが、それは少し言い過ぎだ。
確かに一時は、マスコミがひっきりなしに自宅に訪れ、息子の俺に取材と称して随分とデリカシーのない事を聞かれたものだが、公判が終わり、刑が確定する頃にはすっかり音沙汰がなくなっていた。
彼らにとっての価値ある『おもちゃ』としての寿命は存外に短かった、ということだろう。
それに、だ。
大変な人間なら、もっと他にいる。
「……別にそんな言うほどのモンじゃねぇよ。あと一応言っておくけどな。間違いなく冤罪だ」
「うん。それは分かるよ……。今までのオギワラの話、聞いてたら、ね」
新井は両頬に伝う涙を拭いながら、そう溢した。
「……そうか。まぁ、状況証拠が上手い具合に積み重なっちまったらしくてな。結局、誤解は解けなかったんだよ。物証がなかったことも大きいが」
「そっか……。だからハヤトさん、『もう一度戦いたい』的なこと言ってたんだね」
「そうだな……。まぁ、あの人が頑張ってくれたおかげで、『無期刑』にまで持っていけたんだ。実際、神取さんには感謝しかしてないよ。執行されちまったら、再審請求したところで、しょうがねぇしな」
「で、でもさっ! ホントは無実なんでしょ!?」
「……あぁ」
遺恨がないかと言えば、そんなことは全くない。
実際、神取さんの申し出は有り難いと思っているし、迷っていることは確かだ。
ただ……、これはそもそも俺一人の問題ではない。
「じ、じゃあさ……、お母さんって、今どんな感じなの?」
新井は俺の顔色を窺うように、恐る恐る聞いてくる。
「お袋、か」
正直なところ、お袋が今何を考えているのかは俺にも分からない。
既に服役して7年が経つ。
当初こそ、俺が面会に行くと『ご飯が意外と美味しい』だの、『イケメンの刑務官がいる』だの気丈に振る舞って見せていた。
だがココ最近は明らかに
「正直言って、よく分からん……。ただな。お袋にとっての最優先事項は、俺ってことは確かだな」
単純に心労のせいで、取り繕う余裕がなくなっただけなのかもしれない。
だがお袋の態度が変わった時期について、明確な心当たりがある。
それは俺が高校を卒業し、夜間の工場バイトを掛け持ちするようになった辺りだ。
今でこそ慣れたものだが、流石に当初としてはそれなりに堪えた記憶がある。
日に日に顔色が悪くなり、体重も分かりやすく減少していった。
お袋の前でダブルワーク云々について話した覚えはないが、見るたびに痩せこけていく俺を見て、何かを察したのだろう。
ある時、お袋からこう言われた。
『これ以上、訓が壊れていくところを見たくない』と。
元々、少し気が弱いというか、事なかれ主義なきらいはあった。
『自分が泣き寝入りして済むならそれでいい』とでも思っていたのだろう。
それを親心の一言で済ませていいのかは知らないが、これがお袋の率直な想いであることは、間違いなさそうだ。
だが……。
正直なところ、今更だとは思った。
結果的にみれば、親父が死んだあの日から、全ては壊れていたわけだ。
こうして事態が拗れに拗れ、全国に広く知れ渡ってしまった以上、いわゆる『普通』には生きられない。
言い方が適切かは分からないが、どこか人生が決まってしまったような、そんな感覚を随分と前から持っていた。
俺の返答に、新井は『そっか……』とだけ呟き、また俯いてしまう。
「……今は俺のことなんていいだろ。まずはお前の鑑定が先だ」
「……だね。えっと……、じゃあまずは、どうしよっか?」
「とりあえず、お前の母親に会いたい。いくつか確認したいことがある」
「ウチのお母さん? 分かった! つっても今パート中だから、すぐにはムズいだろうけど。さっきの電話も休憩中に掛けてきたってだけだろうし。ちょっと待ってもらうことになるけど、平気?」
「そのくらいは問題ねぇよ。そういや、どこで働いてんだよ?」
「『
新井は言うと、駅の方角へ向かって足早に歩き出した。
まさに空元気、といった彼女の後ろ姿を見ると、否が応でも罪悪感に駆られる。
どうやら俺は、彼女に余計な荷物を背負わせてしまったようだ。
そんなことを思いながら、俺は彼女の後を追った。
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