本物

って……。藪から棒に何ですか? 例の、『実質的最大幸福社会』……でしたっけ? アレは一体どうなったんですかね?」


 彼女が突拍子もないことなど、今に始まった話ではない。

 目の前で淡々と話す彼女を見る限り、どうやら酔狂で言っているわけではなさそうだ。

 だからこそ、邪推が止まらない。

 これから彼女が提案すること。

 それは今の俺の全てを否定し、破壊する。

 そう直感してしまった。


「無論、それは私が目指すゴール。今現在もその指針に変わりはありません。もっとも……、『実質的』というよりは、、と言った方がいいのかもしれませんが」


「名実ともに、ですか……」


「はい」


 そう頷く彼女の声色からは、確かな意志を感じ取れた。

 まるで『根本から変える』という先程の宣言を裏付けるかのようで、妙な胸騒ぎを覚えてしまう。


「荻原さんの仕事においての機転、責任感。そして何より、一人の人間としての優しさには目を見張るものがあります。山片姉妹の一件にしろ、石橋さんの件にしろ、自分ではない奮闘してみせた。彼らが少しでも人生を前に進めるために。私は、荻原さんのその姿勢を高く評価しています」


「……そりゃどーも」


「ですが……、だからこそ危うさがある。あなたには、目的のためには手段を選ばないきらいがある。場合によっては『自分』というカードを切ってでも……。事実、今回石橋さんを救済するという名目で、規律を犯そうとした。いえ。もっと本質的なことを言いましょう。あなたはのです」


「追い込まれるって……。意味が分かりません。そんな大層なことをした覚えはありませんが」


 端から自分の手を汚すつもりなど、毛頭なかった。

 ただ、多少ルールを逸脱したとしても、結果として救われる人間がいるならば、やる以外の選択肢はない。

 単純にそう思っただけで、それ以上でもそれ以下でもない。


「私がお諌めしていなければ、あなたは今頃政府に糾弾されていたでしょう。ですが、無理もありません。恐らく、荻原さんはご自身のについて、考えたことがないのだと思います」


「自分の価値、ですか……」


 そもそも、俺の価値を決めるのは俺ではない。

 いつだって俺は、試される側の人間だった。

 人為的、作為的とすら思える難題を何の脈絡もなく突きつけられ、完膚なきまでに叩きのめされる。

 そして、弾かれた。

 だから、こうして他人を評価している今に、違和感すらある。

 

「一つ、例をあげましょう。これはある一人の少年の話です。彼は幼くして、不慮の事故により父親を失いました」


 言葉を詰まらせる俺に、彼女はヒントとばかりに聞いてもいないことを話し始める。


「心優しい少年は、幼いながらも父親に先立たれ悲しみにくれる母親を全面的に支えていくことを誓いました。母親もまた、そんな少年に奮い立たされ、命を懸けて彼を育てていくことを心に決めます。しかし……。無情にも、親子に再び不幸が降りかかります」


「……嫌がらせか何かですか?」


 躊躇なくを抉ろうとする彼女を前に、俺は冷静さを失いかけそうになる。

 対して彼女は、確信犯とばかりに飄々としていて、俺は羽交い締めにしてでもその口を塞ぎたい衝動を抑えるのに必死だった。


「父親が他界して数年後。母親に病気が見つかりました。病名はステージⅢの膵臓がん。不幸中の幸い、と言いますか、手術が出来るギリギリの段階で発見することが出来たので、すぐに入院する運びになりました」


「もう、やめて、下さい……」


 俺は半ば縋りつくように言葉を発するが、彼女は容赦なくを浴びせ続けてくる。


「手術は無事に成功。母親は一命を取り留めることが出来ました。しかし……、治療が自由診療に偏りすぎていたため、父親が残した遺産のほとんどを使い果たしてしまいます。無論、母親は寛解したてで働ける状況にありません。またこの時、少年は13歳。アルバイトすら出来る年齢ではありませんでした。さて……。彼らはどうしたでしょう?」


「生活、保護……」


 得体の知れない感情に身体を震わせながら、何とか声を絞り出すと、彼女は無言で頷いた。


「そう。他に頼れる宛もなかった親子は、最後の蜘蛛の糸である生活保護の申請を決めました。しかし、ここでも不幸は重なります。なんせ……」


 何か意図があることくらいは、分かる。

 だが……、もはや限界だった。

 気付いた時には、俺は彼女に掴みかかっていた。


「……さっきから何のつもりですか。いい加減にしろよっ!!」


 俺は感情任せに彼女の胸ぐらを取る。

 だが……。彼女はそんな俺を、煽るかのような虚ろな視線で見上げてくる。


「オ、オギワラァ……」


 あたふたと狼狽えながら、俺を呼びかける新井の声が薄っすらと耳奥に響いてきた。

 

「荻原さん。まさになんです。私が言いたいのは」


 俺の精一杯の恫喝にも、田沼さんは一切慄く気配を見せず、淡々と言い放つ。


「だから……、どういう意味なんですか」 


「あなたは文字通り、追い込まれたのです。社会に。時代に。境遇に。まるでそう成ることが、初めから決まっていたかのように」


「な、何を言って……」


「いつだって、反則・犯罪は追い込まれて至るものです。食うに困った先の、無銭飲食や窃盗も。資金繰りに悩んだ先の、詐欺や脱税も。全ては意図的・作為的に誘導された結果に依るもの。そして、吊るし上げられる。あなただって分かっていたはずだ。だからそれに嫌気が差し、『諦観』などと言って、を止めたのでしょ?」


「それは……」


「でも……、本心では違っていた。事実、あなたはとても優しい。破滅的なほどに……。『優しさ』は、期待の裏返しでもあります。あなたは諦観と言いながら、世の中に絶望しきれずにいる。だから、山片姉妹や石橋さんに本気で向き合った。いつか自分も救済されるために。今こうして私に掴みかかっているのも、そんな願望が根底にあるから。違いますか?」


 神取さんとのやり取りの中でも、感じていたことだ……。

 俺自身が求めていたもの。

 それは俺自身が手に入れられなかったもの。

 俺はまだ……、このロクでもない世の中に何かを期待していたのだろうか。

 他人を介して、証明したかったのだろうか。

 そんな俺の思考を見透かしたのか、彼女の表情が少し和らぐ。


「あなたの心を土足で踏み荒らすような真似をしたことは、お詫びします。ですが冷静に考えてみて下さい。。真実は時の権力者によって歪められていて、初めから結論ありきの捜査だった。それは、あなたも既に気付いているのでしょ?」


「や、やっぱり、あんた……。知ってるんですか」


「まずは私の質問に答えて下さい」


 彼女のその真っ直ぐな瞳は身も心も雁字搦めにするようで、俺は咄嗟に首を縦に振るしかなかった。


「……追い込むのは、常にルールを作る側です。治安を維持する名目で作られたはずの法律や社会規範は、いつしか勝者を守るためのものに変貌してしまいました。矢面に立たされるのは、いつだって敗者……。彼らは待っているのです。私たちがのを。まるで崩れかけた橋の下で、あんぐりと口を開けるワニのように……。だからこそ、変えなければならない」


「変えるって……、何を……」


 すると、彼女は力の抜け切った俺の手を、ゆっくりと払い退ける。

 淡々と乱れたスーツを直した後、コホンと咳払いをした。


「さて、荻原さん。改めてお聞きします。私に協力していただけませんか?」


「……具体的に、あなたは俺にどうして欲しいんですか?」


「端的に言いましょう。私はこの、人々の『推定潜在境遇ポイント』のデータを元に、この国の支配構造そのものを変えていくつもりです。荻原さんにはその協力をして欲しいと思っています」


 田沼さんはそう言いながら、ノートPCに刺されたUSBメモリを指差す。

 当の彼女は気味の悪いほどいつもの調子で話すが、俺自身あまりの話の大きさに戦慄していた。

 同時に、彼女が石橋の父親に投げかけた『宣戦布告』という言葉の真意が徐々に紐解かれていき、どこか言い知れない不安に襲われてしまう。


「あの……、それって要するに……」


「はい。言ってしまえば、クーデターですね」


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