覚悟

「おかしな人だとは思っていましたが、流石にここまでとは思いませんでしたよ……」


「私は至って真剣です。荻原さんもよくご存知でしょう? この国における『正義』は、では変わりません。私にはそれを成功たらしめる、プランがあります」


 彼女は俺に構うことなく、淡々とその『プラン』とやらを話し始める。


「まず現政権に対し、『推定潜在境遇ポイント』の無作為改竄を仄めかします。このデータには上層のの情報も含まれていますので、恫喝としては十分でしょう。そして、各省庁・官僚機構を占領し、この国の統治システムを麻痺させるのです。その間に、全てを書き換える」


「書き換えるって……。どういう意味、ですか?」


「そのままの意味です。全国民のスコアを書き換え、現状把握できる範囲での人々の境遇を、均等化してしまうのです。まぁ、言ってしまえば全国民に対して階層に応じた『提供』をする、ということ」


 彼女は俺の質問に、一切動じることなくそう応える。


「……そんなこと、出来るわけがない。そもそも、そのデータは定期的な更新がされてるんでしょ? だったら、あなたの匙加減で書き換えたとしても、すぐに新しい数値に更新されて、何事もなかったかのように元に戻るはずだ!」


「はい。おっしゃる通り。ですから一時的に、と言いました。もっとも、がこちら側につくのであれば、その限りではありませんが……」


 宇沢さんのこと、か。

 だが、あの日の彼の様子を見る限り、それは難しい。

 政府に少なからず嫌悪感を抱えているのは確かだが、田沼さんに対しても思うところがあるようにも見えた。

 というより、明らかにそうだろう。

 恐らく、そのことは彼女自身も十分に理解しているだろうし、それが分からないほど愚かではないはずだ。


「……黙って聞いてりゃ何なんすか、さっきから。本当に革命みたいじゃないですか」


「……否定はしません。革命、と言えるほど厳かなものではないですが、世の構造そのものを変えると捉えるならば、その通りかもしれません。要するに、一度全てをリセットし、人々の足並みを揃えるのです。それこそ、幸も不幸もないほどに」


「そんな世界……、俺には想像もつきません」


「でしょうね。ですが、そもそもこの現状、誰もが想像し得たことなのでしょうか? 『自由』と『公正』の元での競争が、素晴らしいものだと喧伝された先の世界であることを、一体どれだけの人間が認識しているでしょうか?」


 そう言われた時、俺は咄嗟に何も言えなかった。

 追い打ちを掛けるように、彼女は続ける。


「ボリシェヴィキ・レーニン主義の祖、レフ・トロツキーは言いました。『特権は、それ自体、ある場合には不可避である。繰り返すが、それは当分の間、必要悪である。しかし、これ見よがしに特権に甘えることは、悪であるというだけでなく、犯罪である』と。断っておきますが、私は別に共産主義自体に賛同しているわけではありません。ですが、現在の凝り固まった階級は、私たちが目指した理想と乖離するどころか、『自由』と『公正』という競争社会における前提条件そのものを歪めているのではないでしょうか? 富裕層優位の税制然り。末端に分断を煽る世論誘導然り」


 呆気に取られるとは、まさにこのことだ。

 まるで、彼女の発した言葉の一つ一つが、俺のを奪っていくかのような感覚だった。

 

「こういったやり方に抵抗があるのは、当然と言えば当然かもしれません……。しかし、そもそもの話です。金や権力に物を言わせて、正当性を歪め、自己責任の一言で『持たざる者』たちを切り捨ててきたのは、ではありませんか! これは復讐の類ではありません。世界をならすのです。それはまさに、『バランスを取る』ことに他なりません。そして今一度、定義し直すのです。人々にとっての『幸福』とは何なのかを」


 あまりの話の大きさに、俺の思考は既に停止しかけていた。

 そんな俺の心境とは裏腹に、彼女は核心に向けて、淡々と歩みを進める。


「荻原さん。あなたには、その計画の先頭に立って欲しいのです。この国の支配構造の被害者として。、その正当性を抑圧された一人として……」


 善悪云々は、一先ず置いておこう。

 別に、彼女の一挙手一投足を疑うわけでもないが、どうしても思うところはある。

 『理想』は、痛みを伴う。

 それは、見せた方も見せられた方も、だ。

 俺はそのことを、神取さんとの関係からも学んだ。

 事実、神取さんは俺やお袋に対して深い罪悪感を持っていた。

 もちろん、俺は彼に対して裏切られたなどとは思っていないし、ましてや恨んでいるわけでもない。

 ただ、彼もこの国のルールに則り暮らしている一人である以上、一度は俺たちと関わること自体、損はあっても得はないはずだ。

 だからこそ、彼が再び差し伸べようとしてくれるその手を、素直に握れるかどうかが分からないのだ。


 そしてそれは、彼女に対しても同じことが言える。

 田沼 茅冴を動かしているものの正体が分からない今、俺は疑問を持たずにはいられない。

 彼女の言う『本物』とは、文字通りのものなのか。

 それを確かめる意味でも、俺は彼女を試すような言葉を口走ってしまう。


「本当に……、意味が分かりません。何であなたがそんなことをする必要があるんですか? 不自然なんですよ、色々と……。言ってたじゃないですか? 俺みたいなヤツは金づるだって。『持たざる者』の端くれの一人として、言います。迷惑なんですよ。そういうしょうもない同情の目を向けられるのは……」


「同情なんかじゃ……、ありませんよ」


 田沼さんは声を震わせながらも、そう言った。


「じゃあ何なんすかっ!? 貧困ビジネスか何かですかっ!? 冗談にしても質が悪い! そうやって、出来もしない『理想』をちらつかせて、最後の最後にはなぁなぁで誤魔化されて……。いいじゃないですか。政府との癒着も出来て。だったら今まで通り、政府そいつらと宜しくやって、甘い蜜吸ってりゃいいでしょ……。それとも、何ですか!? あなたは俺のために、全てを捨てる覚悟があるとでも言うんですか!?」


「ありますよ」


 彼女は何の躊躇もなく、言い放った。


「何で、そんな……」


 予想だにしない彼女の反応に、俺は咄嗟に返す言葉を失ってしまう。


「荻原さん。私はあなたに謝らなければならないのです。荻原さんたちが生活保護の審査に落ちた原因の一端は、私にあります。もしも、あの時……。荻原さんたちが福祉に繋がることが出来ていたら、お母様もあんなことには……」


「え、えっと、それはどういう」


 俺がやっとの想いで口を開きかけた、その時だった。


 会議室一帯に、無機質な電子音が鳴り響く。




「あ……。アタシだ」




 張り詰めていた空気を溶かすように、新井は間延びした声を上げた。

 彼女は眉をハの字にして俺たちに会釈をすると、恐る恐るといった様子で電話に出る。


「はい……。へ? 何? お金? はぁっ!? これで何度目なんっ!? いい加減にしてよっ!! アタシ、お母さんの財布じゃないんだよっ!?」


 新井は感情を剥き出しに、電話越しの相手を怒鳴りつける。

 立ち聞きというのも趣味が悪いが、その内容と声のトーンから察するに、あまりポジティブな用件ではなさそうだ。


「あのさぁ……、そんなことしてると、マジで保護打ち切られるよっ!? そんで……、、いつまでなん?」


「彼女、どうされたんですかね?」


 田沼さんは俺の耳元に近付き、ひっそりと声を掛けてくる。


「……さぁ、何でしょうかね。ただまぁ……、新井にとっちゃあ抜き差しならない話だってことは確かでしょうよ」


「ほぅ……。ちなみに、彼女のことはどれほどご存知なのですか?」


「ほとんど知りませんよ。俺と同じ母子家庭ということしか……」


「そう、ですか」


 田沼さんはそう溢すと、新井が憤慨する姿を食い入るように見つめる。


「分かった……。今回はアタシが払っとくけど、もうこれで最後にしてね? 帰ったら誓約書も書いてもらうからっ! じゃあねっ!」


 新井はスマホの画面が割れんばかりに荒々しく電話を切ると、気不味そうな表情で俺たちの方に振り返る。


「ご、ごめんなさいっ! こんな大事な話してる時に……。ホント、ウチのお母さん空気読めないんだからっ! あはは……」


「いえいえ、お構いなく。それより……、お母様はですか?」


「は、はい! ま、まぁ、いつものことって言えば、いつものことなんで……」


 新井は頭を掻きながら応えると、田沼さんは『なるほど』と小さく意味深に呟く。

 すると今度は、まじまじと物色するような視線を俺の顔に浴びせてくる。

 

「あの……、何か?」


「……いえ。時に新井さん。差し支えなければで構いませんが、事情を聞いてもよろしいでしょうか?」


「えっ!? は、はい。えっと……。正直こんなこと、聞かせる話でもないっていうか……」


「やはり新井さんは少し勘違いをされていますね」


「へっ!? ナ、ナニをですか!?」


「新井さんは、もはや我が社にとって無くてはならない重要な人材。あなたがおっしゃるような『人様』などといったよそよそしい言葉はこの場合、不適切です」


 ほんの数分前のことなど、なかったかのように。

 彼女は平然と言って退けた。

 何か別の意図があることは、火を見るより明らかだ。

 それは新井ですら、理解しているとは思う。


 これから俺に降りかかるもの。

 彼女が巻き込もうとしていることに、俺は内心戦慄していた。

 だが、当の新井はと言うと、頬を緩め、どこか胸を撫で下ろすような表情だった。


「おや? 荻原さん、どうされましたか?」


 そんな、疑心暗鬼に陥る俺を、彼女は見逃さなかった。


「……別に。ただ何? ブラック企業しぐさだなって思って。アレですか? これがいわゆる『アットホームで風通しの良い職場』ってヤツですか?」


「ふふ。そういった減らず口を叩くのは、荻原さんなりの信頼の証だと受け取っておきます。それで……、いかがでしょうか? 新井さん」


「……ありがとう、ございます。ホント言うと、誰かに相談したかったことではあるんです」


 新井はそう言って静かにはにかむように笑うと、事の経緯を話し始めた。

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