理想

「うぅっ……」


 父親が会議室を出た瞬間、石橋はその場で膝をつき、泣き崩れる。

 

「イシバシッ!!」


 新井は石橋に駆け寄り、背中を擦り始めた。

 『ありがとう』と蚊の鳴くような声で、石橋は応える。


「ごめん、新井さん。もう大丈夫、だから……」


 一頻り泣き、落ち着くと、石橋は新井の手を払い除ける。

 新井は小さく『そう……』と呟き、石橋から離れた。

 そのまま石橋はゆっくりと立ち上がると、俺たちに軽く会釈をし、ふらふらと会議室を後にする。

 田沼さんは、そんな彼の姿を他人事のように色のない顔で見つめていた。

 

「……本当に、これで良かったと思いますか?」


「はい」


「即答、なんですね……」


 俺は、フリ姉や石橋に構い過ぎた。

 それは事実なのだろう。

 俺たちの役目は、ただのであり、きっかけ作りに過ぎない。

 彼女は、自分の役割を粛々とこなしただけなのだ。

 飽くまでは、だが……。


「石橋取締役は、石橋さんを拒絶しました。これは彼にとって『石橋家からの解放』と同義、と思いませんか? もう既に事態はここまで拗れていたのです。それこそ、石橋さんが生まれるよりも前から……。であれば、この辺りが落としどころとしては最適でしょう」


「……他人事だと思って、適当に言ってたりします?」


「納得、いきませんか?」


 彼女はそう言って、俺の顔を覗き込む。

 そのジトッとした視線は、『また悪いクセが出た』とでも言いたげだった。

 

「荻原さん。あなたが解せないと感じている点を当てて差し上げましょう」


 言い淀む俺を見透かしたかのように、彼女は先手を打ってくる。


「また、ですか……。好きですね、それ」

「『ショック療法にしても、行き過ぎだ。ものには限度がある』、ですか?」


 呆れながら皮肉を溢す俺に構わず、彼女は心境を見抜いて見せる。


「……よくお分かりで」


「でしょう。、荻原さんを見てきたと思ってるんですか」


「何年って……。意味分からないこと言わないで下さい。年単位であなたに見張られてたらと思うと、背筋が凍ります」


 俺がそう応えると、お得意のねっとりとした視線でマジマジと俺の顔を見つめてくる。

 その、これまでとはまた違った種類のプレッシャーに負け、俺は視線を逸らしてしまう。

 

「荻原さん。率直にお聞きします。この仕事について、どうお思いですか?」


 妙に改まった様子で、彼女は聞いてくる。


「また、ざっくりとした質問ですね……。どう、と言われても……」


 意図が読めない……。

 だが、真顔で穴が開くほどにこちらを凝視してくるあたり、俺の答え如何で今後が左右する、ということだけは何となく理解できた。

 

「では今一度、おさらい致しましょう。荻原さん。我が社の存在意義は何ですか?」


 答えに窮する俺に、彼女はさらに質問を被せてくる。


「……世の中の不幸のバランスを取ること、です」


「はい。ではまず、石橋さんの依頼を例に取ってみましょう。今回、複数の依頼が同時期に重なりましたが、我々が意図していた結果をもたらしました。ここまではよろしいですね?」


「……まぁ色々と疑問はありますが、方向性としてはそうですね」


「まさに華麗なる一族たる石橋家に、落ちぶれてもらう。そうすることで世のバランスは是正され、末端の人間が明日への活力を取り戻す。この一点において、我々の社会的意義は果たされたと言っていいでしょう。ですが、これでは根本的な解決にはならない……」


「そんなの……、今更じゃないですか? 第一、上の人間にとっては解決されたら困るんでしょ?」


「はい、その通り。末端でごちゃごちゃと足の引っ張り合いをしている限りは、彼らが矢面に立つことはありませんから。そこで荻原さんにお聞きします。そもそもとは何ですか?」


「根本的な問題、ですか……。それこそ格差、とかじゃないですかね? それもされた。まぁ石橋の件は少し特殊ですが……」


「ご名答。石橋さんの一件にしても、背後にある歪な支配構造に元凶があると言えます。階層の違いがあるとは言え、彼らも追われていたのです。一度沈んでしまえば、二度と浮上出来ないという恐怖から……。荻原さんにとっては受け入れ難いかもしれませんが、彼らもまたなのです」


「弱者、ですか……」


「はい」


 当然と言えば、当然かもしれない。

 金や権力に捻じ曲げられた正当性は、末端の人間の抗う気力すら奪ってくる。

 事実、俺とお袋は戦うことを諦めた。

 他ならぬ、自由と尊厳を犠牲にして。

 石橋の父親にしろ爺さんにしろ、自分たちより長いものに巻かれるしかなかったのだろう。

 そんな彼らのことを『持つ者』などと……、言えるはずがない。


「お上の意向に沿って運営している以上、我々が出来ることには限界があります。『鑑定』にしろ『提供』にしろ、言ってしまえば厳格な枠組みの中で執り行われる、一種の儀礼のようなもの。結局……、私たちのやっていることなど、御為ごかしでしかないのです」


「……身も蓋もないですね。それに……、それの何が悪いんですか? 自分で言ってたじゃないですか。政府とは利害が一致しているって。金儲けが目的だって言ってませんでした? ていうか……、あなたもそのとやらを作った一人でしょ?  まぁ政府の監修の元、っていう大前提があるとは思いますけど」


 俺がどこか試すように聞くと、彼女は口惜しそうに顔を俯かせる。


「おっしゃる通り、ですね……。でも、私には力が足りなかった。だからただただ彼らをするしかなかった……」

 

 彼女の事情など知るところではない。

 だが、その意味深な物言いに、俺は言い知れない疚しさに襲われた。


「ですが……、だからこそ、本質を理解する人間がを握り、根っこからひっくり返す必要があるのです。私は荻原さんに依頼を通して、今一度思い知って欲しかった……。あなた自身のを。だから私は、あなたを招き入れた」


「……チ、チサさんっ! ソレ、どういう意味ですか!?」


 彼女の唐突な言葉に、新井は分かりやすく狼狽する。

 俺は俺で、出会った時とはまた違う、彼女の醸し出す不穏な雰囲気に飲まれそうになり、平静を装うことで一杯一杯だった。


「さっきから良く分からないことを延々と……。仰々しいにも程があるでしょうが……。結局、あなたは俺にどうして欲しいんですか?」


「では結論を申し上げましょう。荻原さんには一つ、提案をしたいと思っています」


 彼女はそう言って、小さく咳を払う。


「荻原さん。私とともに、の『理想』を実現しませんか?」


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