劣等①

「え、えっと……。山片やまがた 芙莉華ふりかと申します……。今日は……、よ、よろしくお願い致しますっ!」


 エレベーターの扉越しに、俺のは、自信なさげに自己紹介した。

 オフィスの景観は言わずもがな、田沼さんの異様さに気もそぞろといった様子で、肩下辺りまで伸びた黒髪を弄りながら、居心地悪そうに俺の顔をチラチラと物色してくる。


 山片 芙莉華。

 物心ついた頃から付き合いのある二つ年上の幼馴染で、を知る貴重な一人だ。

 小さい頃は近所のよしみとやらで、よく面倒を見てもらったものだ。

 とは言え、お互い20歳を越えた今では、会う機会もほとんどない。

 ましてや、こちらはプライベートの時間などほぼ皆無と言っていいほど、毎日社会人ばりに働いているわけだ。

 自然と、にもなる。


 しかし、だ。

 数年ぶりに見る彼女は、どうにもといった感じだ。

 ろくに化粧の施されていない顔全体を隠すように、鼻先まで伸ばされた前髪。

 ところどころ毛玉も目立つ灰色のスウェット。

 『オシャレ』で許される領域を超えるほどに色落ちの進んだデニム。

 そして、周囲を警戒するかのような、どこかよそよそしいその態度。

 この様子を見る限り、恐らく外出自体も久方ぶりなのだろう。

 

 それでも、ある意味では昔と変わらない。

 不器用というか、卑屈というか……。

 俺の記憶に残る彼女も、少し鈍臭く、お世辞にも『頼れる人』とは言えなかった。

 それは彼女自身も自覚していたようで、相当にコンプレックスに感じているフシは感じていた。


 だが所詮は、学生時代のスペックなんてものは水物。

 ただの誤差だ。

 勉強ができる。スポーツができる。

 そんなものは、学生時代という一時代の一部分を切り抜いた中で一瞬だけ光り輝く、使い捨ての光沢剤のようなものだ。

 社会に出れば、『金を稼ぐこと』にその意味の全てが集約されるのだろう。

 学生のヤツにならないためには、ココのギャップを埋める術を身につけられるか否かにかかっているのだろうと思う。


 ……まぁ、そんなことはどうでもいい。

 俺としては、不器用でもこうして誠実に生きている彼女は、そこらのよりは数倍マシに思える。

 それだけは確かだ。


「こちらこそ宜しくお願い致します。それではコチラへ」


 俺たちの関係性のことなど、まるで気に留める様子もなく、田沼さんは淡々と彼女を案内する。


「は、はい。えっと……、サトルくん」


 彼女に呼び止められる。


「は、はい」


「ううん、ごめん……。なんでもない」


 彼女はそう呟いて、田沼さんの後を追った。


「改めて、山片さん。お待ちしておりました。どうぞお掛け下さい」

「は、はい……」


 オフィスの中へ入ると、田沼さんはお得意の胡散臭い笑みで右手を差し出し、ソファーに案内する。

 芙莉華さんはそんな彼女に戸惑いを見せつつも、ゆっくりと腰を沈める。

 俺はそれに続き、田沼さんの隣りに座った。


「それでは、早速ですが……」

「は、はい。そ、そうですね……」


 田沼さんが切り出そうとすると、芙莉華さんはちらりと俺を見た。


「お二人、知り合いなんですか?」


 彼女の視線に気付いた田沼さんは、母親が初彼女を連れてきた息子に向けるような湿度の高い笑顔で、横に座る俺に聞いてくる。


「ま、まぁ、そっすね。俗に言う、幼馴染ってヤツっすかね……」

「そうですか。それはそれは」


 田沼さんはそう呟くと、芙莉華さんに向き直り、舐め回すような視線を送る。

 それに気付いた芙莉華さんはまた、気不味そうに目線を逸らす。


「あ、あのっ! ひょっとして、俺がいない方が話しやすかったりしますか?」


 これでは埒が明かない。

 そう直感した俺は、芙莉華さんに問いかける。


「ふふ。そうですね。これからに語っていただくわけですからね。やはり身内が近くにいては話し辛いこともあるでしょう。では荻原さん。悪いですが……」


 芙莉華さんの様子を察した田沼さんは、俺に退室を促す。


「は、はい。では」




「ま、待って! サトルくん! キミにも聞いて欲しいの!」


 芙莉華さんに呼び止められ、俺は振り返ることも忘れ、足を止める。

 その声は、今まで彼女からは聞いたことないような、どこか鬼気迫るものに感じ、胸がざわついた。

 俺は何も言えないままソファーに戻り、腰を下ろした。


「ふふ。それではあなたの、お聞かせいただけますか?」

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