入社

「いかがでしたか? 弊社がご用意したは、お気に召しましたか?」


 神戸との密会の後、新井を通して一度オフィスに来るよう、田沼さんから指示された。

 こちらとしては一つや二つ、言いたいこともある。

 だが当の彼女は、こちらの事情など一切預かり知らぬとばかりに、を撒き散らしながら、悪戯を成功させた少女のような笑みで俺を見てくる。


「まぁお気に召したかどうかで言えば、お気に召しませんでしたね……。ていうか、『お気に召す不幸』って何すか……」


「確かに荻原さんがそう思うのも、無理はないですね。言うなれば、これは私自身に生じた不幸を、私自身が鑑定して提供したものに過ぎませんから。荻原さんは、利益享受者ではないのです」


「何だか、もの凄い居直りに聞こえるんですが……。つーか、100%新井とグルだったろっ!?」


「はて? グルというのは?」


 田沼さんはわざとらしく首を傾げ、キョトンとした顔をする。


「……飽くまでしらばっくれるつもりですか? 何か信じる信じないみたいな話だったんで、俺としてはもっとこう……、超常現象的な何かを想像していたんですが」


「手段などは、どうでもいいんです。あなた自身、この不幸から何を学んだか。それこそが重要なのです!」


 田沼さんは、開き直りとも取れる一言を躊躇なく放った。

 変幻自在にゴールポストを動かす彼女には、怒りや呆れより疲れが先行する。


「……まぁ、学びがあったかで言えばありましたね。些細過ぎて、明日くらいには忘れてそうですが」


「ふふ」


 俺の言葉に、田沼さんは満足そうに微笑んだ。


「今回の件に限っていえば、荻原さんをにさせること、そして弊社の社会的意義を示すことが目的です。そもそも、不幸を提供するプロセスは、弊社の企業秘密。入社の決まっていない外部の人間に対して、おいそれとそのロジックを公開するわけにはいきません」


「身も蓋ない……」


 もはや完全に彼女のペースだ。

 現状、彼女から何かを引き出すことは期待できそうもない。


「では、こうしましょう! 弊社は基本的に完全歩合制ですが、荻原さんにつきましては最初の3ヶ月限定にはなりますが、日給5万円以上を保証いたしましょう! そこから先は荻原さん次第、ということで」


 流石に聞き逃すことは出来なかった。

 俺は露骨に顔色を変えてしまったのか、彼女はその人を食ったような笑みに拍車を掛ける。


「それは……、本当ですか?」


「えぇ。本当です。このご時世、決して悪い条件ではないと思いますが。まぁいわゆる『闇バイト』と呼ばれるものと比べるのであれば、その限りではないですがね」


 これが闇バイトに該当しないのかどうかは甚だ疑問だが、確かに悪い話ではない。

 金に釣られたと言われればそれまでだが、俺の気持ちは完全にぐらついていた。


「そして更に、荻原さんに朗報です! この仕事はあらゆるの想いを聞く仕事でもある、ということ。この意味、分かりますか?」


「いや……、文字通りの意味じゃないんですか?」


「ふふ。甘いですね。類は友を呼ぶ、という言葉通り、あなたに近い境遇の人間と多く接するわけです。色々とあなたの欲しいが掴める……、かもしれませんよ」


 彼女にそう言われた瞬間、心臓の奥をきゅっと力強く掴まれたような感覚に陥った。


「……何ですか? 手掛かりって。意味不明です」


「それこそ、文字通りの意味ですよ。生きる羅針盤、とでも言いますか? あなたがあなたらしく生きる上での、と申しました」


 田沼さんは首を横に傾け、優しい笑みを浮かべる。

 全てを計算づくでシラを切っているのか。

 もしくは、天然で俺をかき乱しているだけなのか。

 本当に分からない。


「……あぁ! もうっ! 分かりましたよ! やりゃ良いんでしょ、やりゃあ! ただまぁこちらとしても、他のバイトがあるので、そう頻繁には入れませんよ!?」


「えぇもちろん。承知しております。弊社は完全シフト制・ダブルワーク可。業界の働き方改革を先導するリーディングカンパニーでもあります。ですので、その辺りはどこぞの居酒屋とは違いますから、ご安心下さい」


「それは有り難い限りです……。業界がニッチ過ぎて、他のどの企業を先導してるのかは分かりませんが。あと、ナチュラルに俺のバイト先ディスるのやめてあげて下さい……」


 別に今のバイト先にそこまで不満があるわけではない。

 ……が、『新人がばっくれた』等々、イレギュラーがあった時に何かと俺を駆出そうとするのはやめていただきたい。

 だからまぁ、要するに……。

 彼女の指摘は少なからず、当たってはいる。


「……それで、具体的にいつ頃から入ればよろしいんでしょうか?」

「ふふ。実はですね。荻原さんにとって、記念すべき一人目のお客様のアポイントが、今日既に入っているんですよ」

「ちょっと待って下さい! いきなりですか!? 研修とかは……」

「弊社では、オンザジョブトレーニング、OJTを基本としています。まさに習うより慣れろ、です!」


 出たよ、ブラック企業の常套句……。

 まぁこの状況下でしっかりとした教育体制を求める方が酷か。


 そんなことを考えていた矢先、エントランスの方から、チンとエレベーターの到着を告げる音が聞こえる。


「お! 噂をすれば!」


 田沼さんはそう言って、一目散にエントランスの方へ走っていく。

 俺はため息を吐きつつ、彼女の後を追った。

 



「あれ? サトル……、くん?」


 エレベーターの扉の向こうに居た人物を見て、俺の思考は止まる。


芙莉華ふりか、さん……」

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