第42話 沙々霧涼子は寂しがる
凶暴な爪が振り下ろされる。犬の魔獣。先程のよりは小さい、中型。
それでも当たればただでは済まない。回避する。ただし後退はしない。
振り下ろされる爪の下を潜り抜けるように、斜めに、滑り込むように。
そして懐に入り込み、腹部に右手を当てる。
「
『ギャウン!』という声を上げて、魔獣の体が浮き上がる。
それを追い掛けるように、跳ぶ。前方に宙返りしながら右足を振り上げて――
「
振り下ろした踵が、魔獣の頭部に命中する。手応えでわかる。間違いなく今ので絶命した。
……それ自体はいいのだけれど、駄目だわ。今のはまずいわね。
力加減を間違えたわ。やり過ぎて何が問題というわけでもないけれど……己を制御できていないというのは問題ね。
心が乱れているわ。理由は明確。先の――何と言ったか、合体魔力感知。
こと魔法に関しては、私は何も出来ない。何も力になれない。不甲斐ない。悔しい。……寂しい。
どうにもならないのは分かっているけれど、それでももどかしい。
私も――あの中に入りたい。でも入れない。
……駄目。落ち着きなさい、涼子。呼吸を整えて、集中。
…………よし。
そうこうしているうちに魔獣の体が溶けるように消滅していったわ。
絶命した魔獣は、肉体を維持できなくなる。これは魔法で倒しても徒手で倒しても変わらない。
「相変わらずお見事ですね」
「中型の魔獣を素手で倒すって、今更ながらとんでもないよねー」
「そうかしら」
確かに生身の人間では手も足も出ないのでしょうけれど……でも私には魔法による身体強化があるもの。
魔法少女なのだから別にこれくらい普通なのではないかしら?
「私以外にも近接型で魔獣退治をしている人はいるのでしょう?」
「いますけど、普通は武器を使いますよ」
「素手で倒しちゃうのはあんたくらいよ」
ええ……? そんなはずは、ないでしょう……?
「例えば空手を嗜んでいる子なら空手の技術で戦うでしょう?」
「そうだけど普通は何かしら付けてるからね。魔力で作ったグローブとか。そうじゃなくても拳自体を魔力で強化してたり」
「本当に生身の素手で戦ってるのって、始めて見ましたよ」
「……そ、そう、なのね」
確かに近接戦闘に関しては同年代の女子に負けることはそうそう無いとは自負してきたけれど。
……そう、なのね。……私は普通ではなかったのね。
いえ、まあ分かっていたことではあるのだけれど。
私は――他の子たちとは住む世界が違い過ぎる。少なくとも、この二人――由利子とみちるとは。
先程の会話。
「ちょっとかわいそう」「魔獣退治は慈悲の心で」
なるほど、確かに魔獣というのは可哀相な存在ね。それは認識できる。でもそれだけ。
私は――魔獣とは慈悲の心で戦ってはいない。だからと言って正義だのなんだのですらない。
魔獣は倒さなければならない。だから倒す。だから戦う。そこに感情は関与していない。必要なことをしているだけ。
こういったことに関しては、あの子たちとは根本的に価値観が違うらしい。
……そんな私が、本当に、あの子たちと友達でいていいのだろうか。
「おーい、リョーコ?」
「どうしたんですか? どこか痛めましたか?」
……いけないわ。熟考し過ぎてしまったようね。
「なんでもないわ。次に行きましょう」
友達でいていいのかどうか、それは分からない。でも確かなことは一つ。
私は、あの子たちと友達でいたい。
それなら、やることは決まっている。
己を御する。完璧に律する。
決して、感情に支配されてはならない。感情のままに力を振るってはならない。
もう決して、あんな――あんな失態を、繰り返してはならない。
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「いや~、探せばいるもんなんだね~」
緊張感が無いのはいかがなものかと思うのだけれど……全く、同感ね。
今までにこの山で魔獣退治をした時にはこれほど頻繁には魔獣と遭遇しなかったわ。
今日は最初の大型の群れ以降にも、二時間ほどで中型が三体、小型には五体も遭遇している。
最近になって急激に増えたというわけでもないのでしょうから、今までは見落としていたということなのでしょうね。
「そろそろ終わりにして、また明日にしましょうか」
「そだねー」
「はい。……あ、待ってください。もう1体――えっ、これは……!」
あと一体なら倒してしまいましょう――と思ったところで、何かしら。
みちるの様子がおかしいわね。何があったのかしら。
「た、大変です! 出ました……! アレです!」
「アレ!? アレが出たの!?」
「待って。アレとは何なのかしら?」
アレとだけ言われても何のことだかわからないわ。
「アレって言ったらアレよ! まずいわね……あたしたちじゃどうにもならない……」
「ほ、報告だけして撤退しますか?」
「そうするしか……ない、かな……」
結局アレというのが何のことなのかわからないのだけれど。
「アレというのは魔獣のことでいいのかしら?」
「そうよ。アレの魔獣が出たらしいのよ」
「間違いないです! これは……アレです!」
何故かしら。質問に答えてもらっている気が全くしないわ。
「それは私たちでは倒すことはできないのかしら?」
「無理よ。絶対無理」
「だってアレ……飛ぶんですよ!?」
空を飛ぶ魔獣なら先刻倒したばかりのような気がするのだけれど。
「それで結局アレというのは何の魔獣なのかしら?」
「アレって言ったらGよ! Gの魔獣が出たの!」
G……、Gとは。大型よりも危険なのかしら。
だとすると
「アレは……特殊なのよ。普通は昆虫サイズの生物だと
「アレは……生き残っちゃうんです。それで、そのまま魔獣に……」
とりあえず昆虫サイズということだけは分かったわ。ようやく前進ね。
「強靭な生命力がそうさせているのか……真相は分からないけど、とにかくアレは例外的な存在なのよ」
「想像しただけで鳥肌が立ちます……。あの黒光りする羽と、触覚が……」
黒光りする羽と、触覚……? ああ、ひょっとして。
「アレというのはつまり、ゴキ――」
「ストォ――――――ップ!」
…………。
「いきなり、どうしたというの」
「どうしたもこうしたも、アレの名前を出しちゃダメでしょ!?」
「名前を出しちゃうと、アレが来ちゃいますぅ~……」
凄まじい剣幕で怒られてしまったわ。
みちるに至っては涙目になっているわね。……何故。
「別にゴキブ――」
「あ゛――――――――ッ!」
「……ごめんなさい」
「気を付けてよ、もう……」
また、怒られてしまったわ。
でも実際、何をそんなにも恐れているのか、さっぱり分からないわ。
「倒してしまえばいいのではないかしら?」
「そんな簡単に倒せるなら苦労しないわよ!?」
「顔目掛けて飛んできたりするんですよ!? 死んじゃいます!」
「ええ……」
死にはしないと思うのだけれど。
とりあえず二人が過剰に恐れているということだけは分かったわ。
「心配しなくても、ゴキブリくらいいつも……あ。」
しまったわ。でも二人とも騒ぎ出さないし、何とも無かった――わけではなさそうね。
由利子まで涙目になってしまったわ。どうしましょう。
「あっぎゃあああああああああああああああああ!!!!!」
「ななななななんで言っちゃうんですかあああああああ!???」
「ちょっと、落ち着い――」
「ねぇなんで!? なんでなのリョーコ!? なんで言っちゃうの!?」
「あああああ気付かれましたああああああこっち来ちゃいますうううううう」
「ほらリョーコのせいであああああ!!!」
……二人が大声で騒いでいるせいではないのかしら。
「そそそそそそうだみちる! 結界! 結界張って閉じ込めちゃおう!」
「そ、そうでしたその手がありました! …………えいっ!」
さすがみちるだわ。恐慌状態に陥っていても見事なお手並みね。
辺りが結界の空間に包まれていくわ。
「これで、あいつは結界の中から出て来られないわね」
「ええ、私たちもね」
「…………」
「…………」
「ちょっとみちるぅー!?」
「あああああごめんなさいいいいいい!」
慌てて張り直そうとしているみたいだけれど……駄目ね。集中できていないわ。
先程は出来ていたというのに、限界を超えてしまったのかしら。
仕方ないわね。どうも私のせいでこうなってしまったようなのだし、どうにかしましょう。
……確かに接近してくる気配があるわね。大きさは……15センチほどかしら。
ゴキブリにしては大きいけれど、魔獣としては今まで見た中でも最小ね。
……どうしてこれをそんなにも怖がっているのかしら。
少しばかり大きいけれど、踏み付けるだけでも倒せるのではないかしら?
普通のゴキブリなら姉さんだってそうして踏み潰していたのだけれど。
「あ、あ、あ、もうすぐそこまで……急いでみちるぅ!」
「ま、待ってください、座標指定が、うまくいかなくて……」
もう間に合わないわね。来るわ。
――ガサッ、ガサガサッ
茂みを掻き分けるように現れたのは――なるほど、ゴキブリね。
「ひぃぃええええええ」
「あひぃぃぃぃぃぃぃ」
あの二人はもう駄目ね。泣きながら抱き合っているわ。でもまあ、問題無いでしょう。
こちらを認識するなり飛び掛かってきたソレを――上段から振り下ろす回し蹴りではたき落とす。
追い打ちの地雷震――は体液が飛び散りそうで嫌ね。普通に踏み付けましょう。
――グシャッ
……ふう、よし。
これであの子たちも安心できるわね。
「二人とも、終わったわよ」
「ほ、ほんとに……? ほんとに終わった……?」
「あああ、奇跡です……
二人とも、大袈裟ね。でも悪い気はしないわ。
さて、二人ともまだ震えが治まっていないようだし、手を貸してあげようかしら。
――ザザッ
……一歩踏み出したら二歩下がられたわ。何故。
よくわからないけれど、開いた距離を詰めなくては――
――ザッザッ――ザザザッ
二歩踏み出したら三歩下がられたわ……。
踏み出すたびに……、距離が……、開いていくわ……。
「ねえ、二人とも」
「ひぃっ!」
「あひゃあっ!」
手を伸ばしたら、悲鳴を上げられたわ。何故。
あと二人とも、どうして私の右足ばかり見て――ああ、なるほど。
右足。ゴキブリの魔獣を踏み潰した右足。なるほど、合点がいったわ。
つまりゴキブリに触れてしまった私は、今やゴキブリと同じ。
二人から忌避される存在になってしまったということね。
「ち、違うのよ、リョーコ」
「そ、そうです。違うんです涼子さん」
……はて。何が違うというのかしら?
よくわからないけれど、一つだけ分かったことがあるわ。
……姉さん。
どうやら私たちは、この子たちとは住んでいる世界が違うみたいです。
ゴキブリを踏み潰すなんて……普通のことだと思っていました……。
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