人間嫌いは青春に嫉妬する

 俺は今日も耳に分厚いヘッドフォンを下げ、夜の街を彷徨う......何かが待っている気がすると願いながら......


 人が嫌いだ。またその人というものが奏でる音が心底嫌いでいた。だから高校でも自ら一人を選んだ。選んでやった。


 決まった席につき、ブックカバーの滑らかな皮の質感を確かめ本を開き、片耳にワイヤレスのイアフォンを通し、自分の世界に没頭する。本と音楽がこの汚い世界を切り取ってくれた。


 著者は掟上透子という。性別は公表されており女性。作風は現代社会に生きる人間へのアンチテーゼとなっていて、そのギャップと感情移入することが出来る作品に心を奪われ、今もデビュー作からずっと追い続けている。


 曲のタイトルは「雨」

 

 多くの人間が未来や希望を謳う中、彼の曲は感傷的であり、風刺的。


 寂しげな肩を引き寄せて、励ますのではなく、海が広がった崖の上で「お前ならどう生きる?」と背中を押してくる。そんな曲が好きだった。


 学校という場所には見えないルールがある。また弱肉強食を思わせるヒエラルキーもあって、見合わないやつから蹴落とされ、屍の転がった地に墜とされる。


 人が自慢気に語りだすと

「それな」 とか「わかるー」 とかの同調。教師は受験だの就職だのなんだの自分の実績のための言葉をつらつら並べて満足。俺は将来なんて考えてすらいないから特に希望があるわけでもなく、県内の普通の大学を第一志望にしている。俺もこいつらと一緒だった。


 夜は静かだ。音も少なく、涼しい風が心地いいし、何にせよ何も考えずにすむ。喧騒のない路地をヘッドフォンから流れる曲を物語に、道をぶらつくのが俺の密かな楽しみだった。

 

 古臭い暖簾を押して双璧をなしている本棚を眺めながら、索引のア行を探す。掟上透子を見つけ、未読のものを探していると不意に、手をひらひらと金魚のように泳ぐ手が視界に入った。


「また掟上作品かい、君も物好きだね」 と落ち着く声が微かに聞こえる。ヘッドフォンを外し、肩にかけ、決まりきった質問に応じる。


「まあ好きなので」


「飽きないのかい」


「好きなものに飽きることはないですね」


「そういうもんかい 」


「そういうもんです」


 華奢な体に線の細い丸メガネ。やけに似合う白いシャツに紺色のエプロンを着たこの人は、ここ古本屋【あーけいっく】の店長の御崎さんで、ダウナーな声と縛られていない大人な雰囲気が楽で、良くここを訪れていた。


そろそろ時計が10を指す、何も買わず立ち去ろうとしたところ御崎さんが


「ときに少年よ、先入観というのはなぜ生まれると思う?」ニヤついた顔で背中に投げかける。


「......急になんスカ」 呆気にとられた顔で振り返る。


「いや大学で哲学をとっていたこともあってふと気になってね。君にも聞いてみたいんだ。」


「なんで俺って感じですけど。そのものについてもっと探求したり、知ろうとせずして起こる勘違いみたいなものなんじゃないすかね」 と当たり障りのない言葉を口にすると


「よくわかってるじゃないか、まあ私の考えは【人間は差分でしかものをはかれない】からだと思うんだよ」 得意げでもなく淡々と語りだす。


「差分?」 慣れ親しみのない言葉に違和感を覚え、聞き返す。


「そう差分。例えば世界で一番でかい男がいたとしよう、ただ彼は自分より小さい人間がいなければ自分が一番だと認識できない。その他全員が彼は人より小さいと証明されているから、彼は世界で一番なんだろう。自分と相手の二極。そこに存在しうるもの全ては自分のもの全てと比べて生きてしまう。だから偏見というのが生まれてしまうんだ。」 そう御崎さんは言った。


「客観的に見ないと目の前にある情報を見落とす。まずは周りを見て会話して、知るんだ。嫌いになるのはそこからでも遅くない。寧ろ何かを嫌いになりたいなら好きな人と同じくらいそれを知ってから嫌うべきだと思うよ」


「それを今話したのは何か理由が?」


「いや、特に。君と話したくてつい引き止めちゃったよ」 と柄にもなく舌を出す。


「じゃあ遅いんで行きますね」と楽しそうな御崎さんをあとにした。


 帰りの道、少し大きな橋を渡りながら、おれはさっき話していたその言葉の意味を咀嚼する。


「【人間は差分でしかものをはかれない】か......」と口にしながら橋の下の河川敷を覗くと、真っ二つになった満月と、おかしな一人の女性がいた。

 




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