第30話 ……また生還しちゃった
炎に包まれ、崩れ落ちる竜の骸。
その光景を冒険者たちは眺めていた。
誰もが満身創痍である。
呪いと化した猛毒に蝕まれた影響は未だ濃く、体力、魔力ともにすり減った状態だった。
竜討伐を成し遂げた冒険者たちがその顔に浮かべていたのは、己の偉業への誇りではなく、姿の見えない一人の冒険者を案じての事。
既に何度も味方を庇い、誰よりも毒の脅威に晒されたとあっては、いくら防御力に定評のある湯浅奏であろうとも無事では済まない。
いや、奇跡でも起こらない限り生存は絶望的だ。
その重苦しい沈黙を破ったのは、場違いな拍手だった。
────ぱち、ぱち、ぱち。
わざと間を開ける事で、賛美よりも侮辱の意図を込めているのは明白。
その事実を裏付けるかのように、暗闇から姿を現した男は嘲りの笑みを唇に貼り付けていた。
「いやぁ、流石は冒険者サマ。まさかこのボクが用意した切り札を辛くも激戦の末に討伐してしまうとは! ああ、この場に吟遊詩人が居れば英雄譚として後世に語り継がれたというのに!」
男は一歩、前に出る。
濃い紫色の法衣に【堕腐神】の聖印、人骨を盃として毒で満たした杖を片手に持っていた。
「誰だ、テメェ」
『狂犬』と恐れられたアリアの睥睨すら物ともせず、男は胸に手を当てると優雅に一礼をした。
「これはこれは、見目麗しきエルフのアリア殿。自己紹介が遅れましたね。ボクの名前は田中太郎と申します」
遠藤は剣を構える。
田中と名乗った男は、あまりにも不審だったからだ。
「その名前、偽名か?」
「ふふ、みなさん何故かそう仰るんです。不思議ですよねえ。相手の名前が本当かどうか気にしたところで、いずれその脳味噌が腐り堕ちるというのに」
エルドラが口を開く。
「貴様がこの件の黒幕、というわけだな。紅晶竜レッドドラゴンと【堕腐神】の橋渡しを行い、この異世界で新たな信徒を獲得するつもりだったんだろう。その為なら、邪魔な政府や冒険者さえも始末するつもりで」
「ふふ、ふふふふ、あなたがかの有名なエルドラというハイエルフですか。我らが神より、お噂はかねがね聞いております。命乞いをする我らが信徒を無慈悲にも殺して回ったとか」
「【叡智神】と国の命令に従ったまで。犯罪者を生かす道理はない」
エルドラは淡々と肯定した。
己の行為は何一つ間違いではなく、そうするのが正義である、と。
「はは、流石は『アウター』! このクソッタレな地球と違って、シンプルで実に分かりやすい! 強者こそが正義で、弱者こそが悪! 建前ばかりのつまらない日本からは絶対に出てこない言葉だ!」
田中は笑う。
堕腐教が振り撒いてきた災いや被害の規模を理解した上で、彼は生まれ育った日本という環境を嘲笑った。
暗闇から、続々と怪しげな集団が現れる。
仮面で顔を隠しているが、生気はなくゆらゆらと幽霊のように体が揺れていた。
堕腐教が作り上げた傀儡兵士たちだ。
「ご覧ください、ボクの軍団を! 迂闊な冒険者を引き入れ、薬漬けにして堕として作り上げました! 竜殺しの英雄を仕留め、その首を片手に政府の要人を片っ端から殺す。社会の混乱に乗じて、さらに信徒と軍団を増やす! ああ、楽しみです。夢と希望に満ち溢れた馬鹿どもが腐敗し、堕落し、屍に変わっていくのを早く見たい!」
聖印を握りしめて、田中は欲を叫ぶ。
他者への思いやりも、優しさもない。
歪んだ欲の為ならば、他者をとことん利用しても構わないと心の底から思っているのだ。
「ああ、だからこそボクは残念でならない! エルドラ、それだけの力がありながらどうして【叡智神】という建前を振り翳す愚かな奴を信仰するんですか! あなたが望めば、何もかもを破壊できるでしょう!」
田中の問いかけにエルドラは、何の迷いもなく答えた。
「我らが偉大なる神を侮辱したな、これから貴様を殺す」
「えっ」
あまりにもシンプルな殺害予告。
相手に防御する暇も与えずに、致死級の攻撃魔法が放たれた。
爆発と閃光、荒れ狂う爆風。
あまりの暴挙に田中が叫ぶ。
「し、信じられない……こんな狭い場所で爆発を伴う魔法を行使するなんて! 味方の事など気にかけていないのか!」
装備していた魔道具の効果により、一時的に結界を張り、さらに相殺できなかった分を肩代わりさせることで一命を取り留めた田中。
せっかくの軍団が、一撃で沈められた事に舌打ちを漏らした。
「────『味方の事など気にかけていない』か」
粉塵の中、エルドラはポツリと呟いた。
彼らしくもなく、少し感傷を入り交ぜた表情を浮かべる。
「一昔前の俺ならば確かにそうであったな。俺の魔法の射線上にいた奴が悪い、死ぬような奴が悪いと切り捨ててきた。だが、今は違う」
エルドラは田中の背後に視線を向け、不敵に笑う。
「異世界には、思いがけない出会いがある。想像もできないようなスキル構成を持った馬鹿がいる。馬鹿は死んでも治らないとして、もし死なない馬鹿がいるとしたら天才といえるかもしれないな」
田中はエルドラの視線を追い、振り返る。
そして、私と目が合い、震える唇で呻く。
「……あ、ありえない」
『鑑定』のスキルを使ったのだろう。
他人に覗き見られる不快感に、バイザーの下で顔を顰めた。
「『邪毒無効』『呪怨無効』?」
意識を手放した直後、これまでの経験の蓄積に伴い、新たなスキルを獲得した。
既存スキルはレベルが上がり、遂には進化。
……恐らくは、私に加護を与えた異世界の神も一枚噛んでいるのだろう。
意識を失っている間に、竜による毒は無効化され、自動回復によって持ち直した。
だからこそ、私はまだ生きている。
ゆえに、私はここにいる。
「ユアサ」
エルドラが私の名前を呼ぶ。
「俺は生憎と壊す事しかできない。だが、貴様がいれば、たとえ兵器として作られた俺でも、『壊す』以外の事ができる」
ん? 兵器? 作られた?
いきなり身の上話を匂わせないでくれるか?
今、魔力がマジで枯渇してる状態だからやりとりも難しいんだけど。
「くっ、かくなる上は!」
田中が懐からさらなる魔道具を取り出そうとした。
その瞬間、腕を矢が貫く。
「アタシを無視してベラベラ喋るとはいい度胸してるわね、目の前で怪しい動きをされて見逃すわけがないじゃない」
弓を構えたアリアが、仲間のエルフに指示を出す。
取り押さえられた田中は身を捩って暴れようとしたが、魔術師ミリルが近づくと激しく抵抗した。
「クソッ、ふざけんな! 『我らが大いなる神よ、その奇跡を────」
「『天に召します我らが大いなる神よ、異なる神の加護をこの場から退けたまえ。イレイス・ミラクル』」
神官フレイヤによって、田中の神聖魔法は不発に終わる。
悉く抵抗の手段を奪われた田中の前に、魔術師ミリルが杖を向けた。
「これは罪深き者に与える最も残酷な罰。しばし眠れ、次に目を開けた時、汝はあらゆるものを失い、永劫の時を贖罪に費やす。スリープ」
田中の目から光が失われていく。
やがて、がっくりと力が抜けて倒れ込んだ。
冒険者ギルドのルールにより、犯罪者はその場で処刑しても良いということになっている。
魔法やスキルを持つ者を確実に護送する手段が乏しい場合が多いからだ。実力が拮抗している場合だと、捕縛よりも殺害した方が二次被害が少なくなる可能性があるとして認められている。
田中は弱かった。
それなりに悪知恵を働かせ、手を回し、厄介事を引き起こしたが、致命的に弱かった。
悪事を画策し、甚大な被害をもたらした者を冒険者ギルドは決して許さない。もちろん、政府も世間も。
これから彼は、与えられたものを全て奪われた上で、終わらない贖罪だけを要求されるだろう。
連行されていく田中を眺めながら、エルドラは語る。
「邪神は堕落させるが、導きはしない。その信徒が破滅しようと、欲望を満たそうと、邪神の計画に影響がなければ関心すら向けない。道具や駒よりも下に見ているから、信徒が全滅しても見過ごす」
その眼差しは田中を憐れんでいた。
「あの人間は、心に穴があったのだろうな。そして、それを利用された。周りにいた連中も、その変化に気が付かなかった。邪神絡みではよくある事だ」
『終の極光』が残っていた軍団を移送する。
優しい彼らのことだ、一旦は病院に預けて治療できるかどうか確認してから判断するんだろう。
その費用は、もちろん冒険者側が負担する。
「俺は戦争の為に作られた兵器だった。敵を殺して、建物を破壊して、関係者を洗い出す。その為だけに調整された。その人生に一度も疑問を抱いたことはなかった。戦争で勝利することだけが、俺の存在意義だった」
エルドラがポケットから取り出したのは、何かの勲章だった。
保存の魔法がかけられているのか、色褪せや欠けもなく、金色が輝いている。
「戦争が終わった時、国に俺の居場所はなかった。この勲章と肩書きは名ばかりで、誰も俺の帰りを待ってはいなかった。寿命のない種族だからな、どれだけ時が経とうとも居場所が与えられることもないし、自分で作ることも許されなかった」
勲章をポケットにしまうと、胸元の聖印を握りしめた。
「自死すべきか悩んだ俺に、【叡智神】が神託を授けてくださった。地球へ行け、そこに新たな出会いと居場所がある、と。最初は半信半疑だったが、今なら神託に偽りはなかったと確信できる。ユアサ、貴様との出会いはまさしく奇跡だ」
なんかロマンチックな話してる……
雰囲気と流れに逆らえず、握手を交わした。
「紅晶竜レッドドラゴンを討伐できたのは、間違いなく貴様の功績によるものだ。感謝する、ユアサカナデ」
……こうして、なんかものすごくいい雰囲気で竜討伐は終わりを迎えた。
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