第29話 決着

 胸に氷の岩弾を食らったドラゴンがよろめく。

 全身を駆け巡っていた魔力は、二度ほど弱々しく点滅すると色を失う。

 赤錆びた鱗と化した鱗を逆立たせて、ドラゴンは息を吸い────


「ガアアアアッ!」


 会敵時よりも殺意のこもった咆哮。

 私だけに向けていた殺意は、今やこの場にいる全員に対して発していた。


「五割を切った! ここからが正念場だ!」


 エルドラの伝達魔術が届くやいなや、ドラゴンの暴れ具合が一段と激しさを増す。

 薙ぎ払いにファイアブレスを組み合わせ、毒血を撒き散らす。

 地面を濡らした血は炎で炙られ、毒々しい紫色の煙になって周囲に充満する。


 どくん、と心臓が跳ねて、視界がちかちかと明滅を繰り返す。

 薬や毒に精通した堕腐教が入れ知恵した毒というだけあって、その威力と巡りはこれまで経験したどの毒物や薬物と比べても桁違いだ。


「市販の解毒薬でも症状を抑えきれないか」


 ドラゴンの血を完全に回避した遠藤が愚痴をこぼしながら、解毒の丸薬を歯で噛み砕く。

 それでも、彼の顔色は優れない。


「解毒の魔法でも、症状を緩和することしかできません!」


 フレイヤの悲鳴じみた叫び声が聞こえる。

 恩恵強奪を封じてもなお、あのドラゴンは毒という奥の手を隠していた。


 攻撃すれば必然的に血が、かといって冷気魔法は魔力の消費が他の属性と比べて桁違いに多いから連発は難しい。

 炎で傷口を焼けば、余計に血が気化する。

 吟遊詩人や創作に溢れる『一発逆転』なんていうものは現実にはなくて、ひたすら地道に攻略法を見つけるしかないのだ。


「支援魔法を……ッ!?」


 アリアが支援魔法を全体に掛けようとしたその瞬間、ドラゴンの上顎が一際強い光を放つ。

 その光は見覚えがあった。

 『血瞳晶』

 敵対した相手の注目ヘイトを強制的に向けさせる鉱物の光。


 マジかよ、まだ隠していたのかよ。どんだけ執念深いんだよ、このクソトカゲ……ッ!


 たしかに全て壊したはずのそれは、たった一つ、拳大ほどではあるが、ヤツの口内に残っていた。


 アリアの表情が引き攣る。

 回復の祈りを捧げていたフレイヤの顔が強張る。

 私も、思わず叫びかけた。


 そんなのアリかよ。

 どんだけ勝ちたいんだよ。

 お前は何を想定して、そんな歪な進化を遂げたんだよ。


 油断していたわけじゃない。

 ただ、心のどこかで『勝ちは遠いが揺るがない』という自信があった。

 これ以上、ヤツには奥の手がない。

 そう思い込んでいたツケが、これだった。


 傷ついていたドラゴンの傷が僅かに癒え、強力な支援魔法がその身を包む。

 私たちを出し抜いたことに対する喜びはなく、純然たる殺意のままに後ろ足に力を込める。


「…………ッ!」


 間に合え、と祈りながら盾に魔力を流す。


 ガンッ、と尾が欠けた盾を打った。

 ただでさえ、先の一撃で私を死に至らしめた攻撃を受け止めきれなかったのに、二撃目を耐えられるはずもない。

 毒血に塗れた太い尾は盾ごと私の右肩を叩き折り、迷宮の床を砕いて私を地べたに縫い付ける。


 ああ、これはまずい。

 盾役である以上、魔物の攻撃を惹きつけないといけないのに、惹きつけるための道具がなくては存在意義がなくなってしまう。


 僅かに残った生命力HPが毒で削られるなか、私が考えたことはそんなありきたりな悲嘆だった。

 左手で地面を這いながら、砕けた『血瞳晶』に手を伸ばした。

 瞳のような不気味な濃淡のあるそれを握り締めて、魔力を流す。


 これ、マジで死ぬかも。


 死にたくないな。

 うん、心の底から死にたくないな。


 じゃあ、なんでヘイトを稼ぐようなことを?

 卑屈な私が涙交じりに問いかける。


 あ〜、それは…………仲間が、頑張ってるのに一人だけ役割をこなさないのはまずいかと思って。

 もう一人の私が呆れながら答える。


 もう『リザレクト』の魔力も残ってない。ここで死んだら、正真正銘“終わり”。


 あと半分というところまでドラゴンを削って、ここまで追い詰めたんだ。

 むしろ、これぐらいの犠牲私の死亡は対価みたいなもんでしょ。


 私の生命力HPが残り三割を切る。

 頭上には後ろ足を持ち上げたドラゴン。


「────!!」


 遠くで遠藤が何かを叫んでいるようだが、毒で朦朧としている意識では聞き取ることが出来ない。


 どうせ死ぬのなら、と残りの魔力を全て使って重力魔法『星の楔』でドラゴンの顎門に鎖を絡ませる。無理やり上下に開かせて、残る最後(と思いたい)石を露出させた。


「────……」


 爆発音と冷気を感じたので、恐らくミリルが私の意図を汲んで魔法を詠唱しているのだろう。


 私の生命力、残り二割。

 ドラゴンの足が未だに私の身体を押しつぶしていないことに気がついて、視線をそこに向ける。複数の岩塊が柱のようにドラゴンの足に突き刺さって、宙で固定していた。


「────!」


 エルドラが何かを叫んでいる。

 多分、「貴様、なにをぼさっとしている!」みたいなことを言っているんだろう。

 立ち上がろうとしても身体に力が入らない。蓄積した毒が動きを阻害しているのだ。


「────!」


 私の生命力が三割まで持ち直す。

 フレイヤはまだ祈っている最中だから、これはアリアの回復か。

 せっかく持ち直しても、それを上回るほどのスピードで毒が削っていく。


 これは、どう足掻いても助からないな。

 『食いしばり』スキルでも、いずれ外れを引く。


 ────貴様には世話になっている。死なれても困るからな。懐にでもしまっていろ。


 ふと、エルドラから貰ったエリクサーの存在を思い出す。

 さすがに錬金術の中でも最高峰といわれる霊薬でも、これほど毒が進行した私を完治させるのは難しい。


 なら、するべきことはただ一つ。

 ミリルの魔法がドラゴンの顎門を貫くと同時に、エリクサーに残りの魔力を注ぎ込んで『星の楔』でエルドラに投げつける。

 私は無理でも、彼にならきっと役に立つハズだ。


 迷宮全てを揺るがすような咆哮が聞こえる。

 遅れて、エルドラの『獄焔ヘルフレイム』が私の頭上にいたドラゴンを焼く匂いと、夥しいほどの血が下にいる私へ降り注ぐ。

 容赦のない炎が砕けた鎧に守られているはずの身体をじりじりと焦がす。


 毒で死ぬか、炎で死ぬか。

 究極の二択だ。


 残りの生命力が一割を切り、9%、8%と刻み始めるのを、私はぼんやりと眺めていた。

 魔力は使い切った。スキルはもう使えない。

 並列思考はだんまりを決め込んでいる。

 打つ手なしの、チェックメイト。

 消化試合がここに幕開けってわけ。


 私にしては、なかなか良い働きぶりだったんじゃないか。

 ヒキニートで社会の落ちこぼれになった人物が成し遂げたとは思えないほど、我ながら感心してしまうほど。

 やったじゃん、私。冒険者には向いていなかったけど、任された仕事はどんな時でもきっちりこなせたやん。


 ああ、でも、そうだな。

 どうせ最期っていうし、前々からドラゴンの肉は美食家の間で有名なほどに美味しいと聞いていたから気になってはいたんだ。

 捕食でちょっとだけ味見できないかな。


 ……最期がこれか。

 はあ、我ながら呆れた。ドラゴンの血でも飲めば、魔力が少しは回復できるか?


 熱くて喉が渇いたこともあって、とにかくなにか飲み物を口に入れたかった。ぱかっと口を開ければ、バシネットやバイザーの隙間から入ったドラゴンの血がぼたぼたと口の中に入ってくる。

 不味い。血というものはとにかくまずい。

 こんなものを好んで飲む吸血鬼は味覚が狂っているに違いない。


 回復した。まあ、『リザレクト』は無理だけど。


 左手を翳して、ドラゴンの身体に触れる。

 周囲の炎ごと私はユニークスキル『焔ヲ貪ル者かと』を発動させた。


 ばくん、と円形にドラゴンの足が削れる。

 そして口の中に広がる生肉の味。

 それは想像していたよりもまずかった。味の酷さもさることながら、脳裏に見覚えのない景色が駆け巡る。






 暗い洞窟。無限に続く青空。

 むせ返る血と耳に残る慟哭。

 ああ、これはドラゴンの記憶か。


 兄弟の背中を追いかけて、届かず、それでも諦めきれずに追いかけて。

 地球にまでやってきて、ようやく力を手に入れて、それでも兄弟は遥か高みにいて……

 そこで『終の極光』と出会った。

 殺したはずの私がまだ生きていて、敗北を刻みつけたはずの遠藤たちが立ち向かう姿に『慄いた』。

 地面に引き摺り下ろして迷宮に縛りつけた私を心の底から憎悪して、片翼を切り落とした遠藤を殺してやりたいと切望した。


『弱いドラゴンよ。君に力を与えよう。復讐を果たした後、ほんの少しだけ僕に力を貸してくれるだけでいい。どうだい、いい取引になると思うんだけど』


 だから、堕腐教大司祭の導きと天啓に従った。

 破滅すると分かっていても、力を欲した。

 ────それほどまでに、完膚なき敗北を刻みつけたかった。


 たった四人を殺すために、この魔物は長い命を投げ捨てて自らの血を毒に変えたのだ。




 いやいや、それにしてもやり過ぎだって。

 オーバーキルにも程がある。もう少し手心を加えて欲しかった。


 私が心の中でそうボヤくと、漆黒の炎の中でドラゴンは呆れたように私を見下ろしていた。それから、乱杭歯を剥き出しにして、ゲラゲラと笑った。

 心の底から、愉快で堪らないといったようにひとしきり笑って、やがて炎に包まれて見えなくなったのだった。

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