第28話 死後の世界


 どんよりと暗い空。分厚い雲。夕焼けなのか、ぺんぺん草すら生えていないそこはいつも赤く照らされている。

 息が詰まるようなプレッシャーを、空の上からも土の下からも感じる。


 私はここを、『死後の世界』と呼んでいる。

 生き物の気配がしない癖に、強烈な悪意が渦巻いているのだけは分かるのだ。


 そんな場所に、全身がぐちゃぐちゃになった私はいつものように転がっている。

 鋭い痛みの裏に鈍い痛みがあって、身体を動かそうとするたびに激痛が走る。


 死後の世界だからといって魂だけになるわけじゃないし、苦痛から解放されるわけじゃない。


 少しの辛抱だと分かっているが、この空間にいるだけで魂が砕けそうになるほどの圧力を感じる。

 ここは嫌いだ。

 何もない。何かがあったのに、もう無いのだ。何故かは分からないけれど、それだけは分かる。

 耐え難い喪失感が、ここにある。


 はやく、時間よ過ぎろ。


 そう思って、瞼を閉じた時。


「奏」


 初めて、死後の世界で名前を呼ばれた。


 重い瞼をあげて、視線を彷徨わせる。

 さながら枕元に立つ幽霊のように、その人は立っていた。


「奏……奏……、ああ、こんなに傷ついて可哀想」


 真っ白な法衣、豪華な司祭冠に顔を覆う白い布。

 辛うじて、それが女性の形をしていることだけが分かる。

 白くほっそりとした手を伸ばして、彼女は私の上体を起こす。

 それでも、私からは彼女の顔が見えない。


「ごめんなさい、私のせいでごめんなさい、でも私には奏しかいないの、だからお願い」


 啜り泣くような声で謝ったかと思えば、お願いまでしてきた。

 知り合いにこんな奴はいない。

 見ただけで分かる。レベル差というか存在の格が違う。


 初めて迷宮を攻略した日の夜に見た夢のなか、私に聖騎士の天職を与えてきた存在。

 そして、フレイヤが纏っている雰囲気に少しだけ似ていた。


「聖女、ダージリア……?」


 啜り泣いていた女性の声がピタリと止まる。


「違うの、違うの、私は『聖女』になれなかった。役立たずのゴミだったの」


 まだ生き返る気配はない。

 並列思考の声も聞こえないし、とにかくこんな至近距離で泣かれては気が滅入る。


 だから私は辛うじて動く左手を持ち上げて、その女の頬を拭う。

 せめて啜り泣くのをやめてほしいな、と思いながら。


「やべ、血がついた……」


 深く考えずにベールの上から頬を拭ったから、左手についていた血がべっとりと白い布を汚してしまった。

 抱えられた時から血が汚していたから今更か。

 神の雰囲気を纏った彼女が機嫌を損ねれば、私はきっと一瞬で魂ごと消えるだろう。

 そう危惧したが、私の予想に反して優しい声音が返ってきた。


「奏は、いつも優しいねえ」


 私の左手に自身の右手を重ねながら、彼女は確かに微笑んだ。

 その声と言葉遣いはどこかで目にした気がした────




◇ ◆ ◇ ◆



 ふっと全てが消えるような感覚のすぐ後に、全身を激痛が襲う。

 死後の世界で味わった時よりかなり鋭かった。

 と思ったら、普通に『死損騎士の鎧』に齧られているだけだった。こらこら、ご飯の時間はまだですよ。


 とりあえず謀反を起こそうとした鎧を【精神MND】で捩じ伏せて主導権を取り返す。


 『リザレクト』

 過去に一度、このドラゴンと相対した時に使った裏技チート

 魔法は発動してから、効果を発揮するまで絶妙なタイムラグがある。それを敢えて引き伸ばして、狙ったタイミングで発動させる。


 ゲーム的に言うなら、『置きリザレクト』。

 死亡状態から強制的に復活する『リザレクト』という神聖魔法を使った世界一頭が悪い活用法ゆうこうりようした結果がこれだ。


 ────耐えられないのなら、死んでしまえばいい。


 そして、死んだ後で生き返れば問題ない。

 死後の世界を見たことによる錯乱?

 そんなものは気合でどうにかしようね。


 聖女ダージリア。

 何故、異世界の聖女が私の名前を知っているのかは知らないけど、とにかく今はドラゴンに集中するしかない。


 すぐさまフレイヤが回復を飛ばしてきた。


高位治癒ハイヒール!」


 折れた骨が、外的な力によって無理やり元の位置に戻っていく。潰れた肺も、傷ついた心臓も、何事もなかったかのように“治る”。

 すぐさま立ち上がって、死にかけた衝撃で魔力を切ってしまった盾を握りなおす。


 どうやら現実時間では、死んでから数秒程度しか時間が経過していないらしい。


 それにしても、やっぱフレイヤはすごいな。

 聖女ダージリアの再来って持て囃されるだけはあるわ。


 私が体勢を立て直している間に、ドラゴンは着実に追い詰められている。


 『恩恵強奪』魔法やスキルの効果を奪う。

 初見殺しな性能をしているが、対処方法さえ分かれば所詮はドラゴン。

 三度の敗北を乗り越えた終の極光の敵ではないし、元からレベル差があるエルドラという優秀な魔術師もいるし、アリアたち『森の狩人』を攻撃できるほど素早くはない。


 毒はすぐさま治療して、味方全員に神聖魔法の『アンチドーテ』をかける。毒に対する抵抗力を高める効果がある。


「ユアサ、支援魔法をかけるよ!」


 私が立ち上がるなり、すぐさまアリアが支援魔法を飛ばしてきた。

 魔力で障壁を生み出す『プロテクション』。単純に言えば防御力を上げてくれる魔法だ。


 間髪入れずにエルドラの伝達魔術が全体に飛ぶ。


「生命力、残り七割!」


 ドラゴンの生命力HPは60000だから、その七割ってことは…………42000?

 エルドラと出会ってすぐの時は、碌にダメージすらあたえられなかったというのに、いったい遠藤たちのエルドラ、さらにいえばアリアはどれだけのスキルで攻撃力を増やしたんだか。

 それに耐えるドラゴンもドラゴンなのだけど。


 勝ち筋は見えてきた。

 あとはどれだけ私がドラゴンを相手に耐久勝負で食らいつけるかだ。


 強奪されないタイミングでスキルを発動して、盾に魔力を流す。

 その瞬間に、エルドラを狙っていたドラゴンのヘイトがこちらへ向く。

 やっぱりこのドラゴン、私に対して凄い個人的なヘイトがありますね。


 『クソトカゲ』って呼んでいたのでキレるのは当たり前か。


 あの時からフラグは建築されていたかあ……!


 振り下ろしの一撃。

 それで100%あった生命力が一瞬で3%まで削れる。


 アリアの支援魔法があったから耐えられた3%だ。

 減った97%がすぐさまフレイヤにより回復する。


 ……これは、無限ループじゃな?


 ファイアブレスを焔ヲ貪ル者かとで“捕食”して魔力を回復。

 実質的に行動を一回分、潰して体勢を整える。

 また盾に魔力を流してヘイトを稼ぎ、スキルを使いつつ耐える。フレイヤがすかさず回復。


 私がグダグダかつ人様に見せられないような戦いを繰り広げる中、エルドラたちは順調にドラゴンの攻略法を見つけ出していた。


「石は砕けても再生しない! 石を狙え!!」


 『閃光斬』を繰り出しながら、身体強化をかけて素早さが三倍になった遠藤が指示を飛ばす。

 余裕がある時にドラゴンの攻撃に合わせてパリィを狙ってくれているので、ドラゴンの生命力は減る一方だ。


岩砲弾ロックブラスト!」


 ミリルが狙いにくい位置にある胸の石を狙う。

 額はすでに砕けているが、一番大きな胸の石だけ残っていた。


 あの石さえ砕けば、恩恵強奪を封じることができる。

 そうすれば、アリアの支援魔法を恒常的に受けられる。


 ミリルの岩砲弾が、ドラゴンの胸石を掠める。

 がきんと耳障りな音を立てて、岩砲弾の方が先に砕けてしまった。


「あの胸の石の強度は推定でも防御力300! ユアサさんの半分です!」


 ミリル。なぜそこで私を引き合いに出した?

 そして、エルドラ含めた遠藤たち、なにが「なるほど」なんだ?

 どうしてアリアも「ならあのスキルを使うしか……」って不穏なことを言う?


 たしかにここにいる全員と一度は戦ったことがあるけどさ〜。


 ドラゴンの爪を盾で防ぎながら、私はCTクールタイムが終了したスキルを矢継ぎ早に発動して自分の防御力をあげる。

 『食いしばり』スキルがあるとはいえ、あれは確率で発動する。過信すればまた死ぬ可能性が高い。さすがに二度も“死後の世界”を訪れたくはない。


「防御を削るスキルなら、いくつか取得したわ。本当はこれでユアサに勝つつもりだったけど……『ピアッシング』!」


 『森の狩人』から支援魔法を受けたアリアが矢を放つ。

 風を切りながら矢は胸の石、ではなくてドラゴンの右足を撃ち抜いた。


「氷よ、戒めとなれ。フリーズ!」


 アリアが呪文を唱えると、矢を起点としてドラゴンの右足が氷に包まれる。その氷はみるみる浸食する範囲を広げ、血を噴き出していた翼の付け根にまで及んだ。


「ありがとう、アリアさん! ミリル、今だ!」


 片足を封じられたドラゴンが、この時、やっと瞳に焦りの色を浮かべた。

 それもそのはず、ミリルの掌に凝縮した魔力は尋常じゃないほどの冷気を洩らしていた。


「今度こそ、その石を打ち砕きます。氷岩弾アイスバレット


 ミリルの略式詠唱が終わったその瞬間、ドラゴンですら反応できないほど素早く氷の岩弾がその胸を貫き、さらに内部で爆発した。

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