第9話 殿を任されたので引退します


「異世界の理、我々はそれをこう名付けた。

ラビリンスLabyrinthエンパシーEmpathyandヴォルテックスVertexofアースEarth

ラビライズLabilize、日本では『迷宮との親和性及び地球との乖離力』の方が馴染みがあるかな────まあ、分かりやすく言えば経験値を積んで強くなるゲームでお馴染みの『レベルLEVEL』だね。強くなると物理法則や生き物のルールすら無視して上位の存在となるという、例のやつさ」


 死が脳裏を過ぎると、いつも【あの日】を思い出す。

 迷宮を攻略したばかりで何も知らなかった、ヒキニートの頃の思い出だ。出会ったばかりの内藤は、まだ支部長ではなくて『日本迷宮災害対策部』の名刺を片手にするような人だった。

 その時の私は『アウター』からやって来たという獣人や魚人に囲まれた事と身につけた鎧がガシャガシャ鳴る事に対して酷く居心地の悪さを覚えながら、ひたすら内藤が帰ることを願っていた。


「君はどういう経緯にせよ、迷宮を攻略して異世界の理に順応した。これより君の身柄は従来の日本国政府ではなく、我々、『冒険者ギルド日本支部』が管理する。基本的人権はなるべく尊重はするが、これまでのような生活はできないと思ってくれ

 なにせ、君はもう人間ではないのだから」


(何言ってんだ、コイツ)


 満面の笑みを浮かべる内藤を、私は面頬バイザー越しに呆れた目で見ていた。そんな馬鹿なことがあるものかとすら笑っていた。

 そして、内藤の言葉の通り、その日を境に私を取り巻く環境はガラリと変わってしまったのだ。……もちろん、私自身も。




◇ ◆ ◇ ◆



 幻獣、ドラゴン。

 危険度Sに区分され、冒険者ギルドでは推定『100レベル』に認定されている魔物だ。

 それが突如として【宵闇の塔】に飛来し、私たちを襲撃してきた。


 私は右手を伸ばしてミリルの髪を掴み、渾身の力で後ろに投げ飛ばす。左手でエルドラに『風圧』のスキルを使って吹き飛ばし、全ての耐性スキルを発動させて衝撃に備えた。

 踏ん張ってドラゴンの上空タックルに耐えて、遠藤とリヨナが攻撃を食らうのを防ぐ。

 足元の床に走った亀裂が、その威力を物語っている。

 ロングソードにも引けを取らないほどに鋭い乱杭歯が眼前に迫り、私の右腕に絡みついて閉口。


「……ッ!」


 火花を散らしながら鎧が砕け、ドラゴンの牙が私の肌へ突き刺さる。

 ダンプカーに轢かれた時よりも重い衝撃と圧力が右腕を襲う。

 牙と肌が擦れた拍子に舞い散る火花を他所目に、私は仲間達の様子を確認する。


 エルドラとミリルは慣れた様子で立ち上がり、ドラゴンと距離を取りつつ詠唱を続行していた。二人の魔術が発動するまでに最低でもまだ五秒ほど時間を要する。

 遠藤は『身体強化』を発動させて踏み込む体勢、リヨナは手にしていた袋を投げ捨てて剣と盾を構えている。フレイヤは怪我を負うことを見越して、既に神聖魔法を詠唱していた。


 このドラゴンと戦闘経験がある『終の極光』の面々はともかく、エルドラは恐らく今回が初遭遇。耐性属性などを把握しているかどうかが課題だが……あー、そういや『鑑定』スキルがあるから大丈夫か。

 リヨナは大丈夫だな。うん。あの子は、地球に所属する冒険者のなかでも中堅程度には強い。無茶な特攻は仕掛けないだろう。


 そんな事を考えていると、ぶち、と皮膚が破れる感覚。

 耐性スキルをフル稼働させたというのに、それでもドラゴンの牙は私の【耐久VIT】を貫いて来たのだ。血が噴き出し、ただでさえ赤い鱗をより深く紅に染め上げる。

 さらにドラゴンは頭を振り回し、激しく暴れ回る。咥えられた私は当然ぐらぐらと視界が何度も二転三転する。どうやらこのまま私の右腕を食いちぎるつもりらしい。


 ドラゴンの弱点である喉に一枚だけ生えた逆鱗に剣を当てようと尾の攻撃を掻い潜る遠藤。牽制を避けながら叫ぶ。


「湯浅さん、頑張って耐えて!」


 言うのは簡単だけど、実際にやるのは難しいんだよね。

 あ、今生命力HPが七割切った。


「ああああっ、湯浅殿、私も!」


 爪の振り下ろしを避けつつ、ドラゴンの攻撃を捌くリヨナ。

 毅然とした声を張り上げる姿は貴族を彷彿とさせる。ありがとうね、私のことを心配して加勢してくれて。

 遠藤もミリルもフレイヤもエルドラも、私が攻撃されても顔色一つ変えないから感覚が麻痺していたよ。


 頭を振り回したドラゴンは、私を宙に放ると顎門から炎をほとばしらせる。

 あれはファイアブレスの体勢に入っているな。以前は耐えきれずに死んでしまったが、今なら(非常に不本意だが)エルドラのおかげで取得した『豪炎耐性』がある。


 私が空中で体勢を整え、ファイアブレスに備えたその瞬間。


 ドラゴンの口から熱線と化した吐息が吐き出される。魔物にとっては羽虫を吐き飛ばすような威力でも、とてつもないレベル差とステータスの暴力を掛け合わせたそれは人を死に至らしめる。


 熱よりも先に、衝撃が私を襲った。

 凄まじい威力に吹き飛ばされながら迷宮の床を転がり、壁にぶつかった頃にようやく止まる。

 激痛が走る右腕を見れば、元々噛みつきで防具が破損し、さらに怪我を負っていたこともあって、ついに千切れてしまったらしい。ファイアブレスがトドメとなって、肘から数センチ先を残して完全に炭化してしまった。

 ぶつけた拍子に炭化が崩れた断面からぼたぼたと大量の血が流れる。それを神聖魔法と回復魔術で出血量を最小限に留めた。

 【精神MND】値の高さゆえに叫ばずに済んでいるが、常人ならば発狂ものだ。激痛に呻き声をあげそうになるが堪える。


「ちっ」


 舌打ちを一つ。

 生命力HPは残り一割。私の神聖魔法で生命力は回復できても、この腕欠損じょうたいいじょうを治療するのは難しい。

 頼みのフレイヤは……まだ時間がかかりそうだな。


 さて、ドラゴンが襲って来てから僅か十秒にも満たない攻防ですっかり私は瀕死。どれほど楽観的に見積もっても勝てる可能性は見当たらないが、はてさてどうなるか。


「相変わらず硬いなあ、まるで湯浅さんみたいだ!」


 満面の笑みを浮かべながらドラゴンを斬りつけ、二つ名の由来でもある『閃光斬』の乱撃を身体強化でブーストした身体能力ステータスで鱗に傷をつけていく。

 傷一つつけられなかった半年前に比べれば、遥かに成長しているだろう。それでも、まだドラゴンを仕留めるには威力が足りない。


 最悪、エルドラだけ抱えて逃げるのもアリか?

 追放されたとはいえ、かつての仲間を見捨てるのも気分が悪いが、ここで全滅する方が遥かに面倒な事になるし……。

 判断は魔術師たちの攻撃を確認してからでも遅くはないかな。


 呪文の詠唱を終えたのは、エルドラが先だった。杖を掲げ、魔力を解き放つ。


「────煉獄火焔ヘルフレイム!」


 ドラゴンを中心として魔法陣が浮かび上がる。

 先ほどのファイアブレスに負けず劣らず、漆黒の灼熱がドラゴンの身体を呑み込んだ。

 肉の焼ける匂いが鼻をつき、ドラゴンはたまらず苦悶の咆哮をあげる。


 あの感じは、【魔耐性MGD】を下げるデバフ魔術と獄焔を組み合わせた魔術だな。思考系のスキルを習得しているとああいう即席魔術を生み出せるのが強いのだ。


 エルドラから二秒ほど遅れて、ミリルも詠唱を完了する。


豪雷招来、天雲掌握ライトニング!」


 ミリルが叫ぶと同時に、それまで晴天の晴れ模様だった空は、たちまちのうちに雷雲立ち込める。そして、一切の予兆なく青白い雷光がドラゴンを貫いた。

 〈雲海〉の二つ名に恥じない、天候を自在に操る魔術。

 元になった天乃雷という雷雨を発生させる魔術から、雨を取り除いて雷だけを発生させたのだ。


 二度も立て続けに強力な魔術を食らったドラゴンがたたらを踏む。牙を噛み締めた口からは黒い煙がぶすぶすと立ち上がり、爬虫類独特の感情のない瞳が睨め付けるように私たちを見下ろす。


「神の奇跡をここに、セイクリッドヒール」


 ドラゴンが怯んだ隙にフレイヤが祈りを完了させる。

 じわりと肌が暖かく湿ったものに包まれる感覚がして、皮膚組織の一つ一つが増えていくように腕が生える。ちょっとグロい光景だ。

 回復を受けた私は、手甲ガントレットを失って剥き出しになった頼りない腕を交差させながら考える。


(この火力なら、ドラゴンを撃破できるか? いや、無理だろうな)


 蘇るのは辛酸を舐めさせられた半年前の邂逅、私たちの猛攻むなしく山間部にあった集落一つを容易く蹂躙したドラゴンとの戦闘。

 ただでさえ硬い鱗に、削っても時間経過で回復する生命力。高い攻撃力にずばぬけた移動速度。

 遠藤や内藤支部長に唆され、『もしかして私、冒険者としてやっていけるかも?』と期待を持ったところで絶望に叩き落としたトラウマ製造機である。


 今は辛うじて体勢を立て直しつつ持ち堪えているが、崩れるのも時間の問題だ。

 その事にエルドラはいち早く気付いたようで、視界の端で彼が顔を歪める。


「あ〜、嫌になっちゃうね。こんなに強くなったのに、まだ足元にも及ばないなんて!」


 遠藤は文句を垂れながらもドラゴンの爪撃を最低限の動きで避けながら、逆鱗を狙って風刃を放つ。不可視の斬撃であるにも関わらず、ドラゴンは機敏に攻撃を察知して逆鱗を前足に生えた太い爪で受け止め、反撃とばかりにまたもファイアブレスを放つ。

 絶えず上空から雷撃が降り注いでいるというのに、ドラゴンは平然と遠藤の攻撃に対応している。【魔耐性】が低下しているのにも関わらず、だ。


「厄介だな。あのドラゴン、豪雷耐性を取得した可能性がある。これは勝てないな」


 早々にエルドラがこの戦いに見切りをつけた。

 ミリルも高威力の魔術を詠唱していたが、その表情はかなり険しい。


「撤退するしかないっしょ。湯浅さん、いつもの殿しんがり、頼んでもいいかな?」


 あ〜、この流れ物凄く久しぶり。

 初期の頃は運悪く高レベル帯の魔物に遭遇しては、殿を任されたものでしたわ。もう嫌になっちゃう。

 まあ、私に拒否権なんてないんですけどね。


 Sランクの冒険者パーティー『終の極光』。

 彼らの喪失は『アウター』に対する地球の有利な状況を損ねる事になる。

 エルドラは状況を理解して、早くもドラゴンの鑑定結果を頭に焼き付けているようだ。仕事が早いね。己の役割をよく理解してるじゃん。

 そうなると、この場で彼らが撤退できるだけの時間を稼ぎつつ、かつ、死んでも問題ない人員がドラゴンを足止めするべき。



 そうだね、硬さなら定評のある私だね。

 よっしゃ、殿を任されたので死亡します!

 ……あ〜、明るく言ってみたけど何一つ状況は楽しくないんだよなあ。




「な、ならば私も残るぞ!」


 リヨナが震える声で宣言する。しかし、身につけた武器防具はドラゴンの攻撃の余波ですっかりボロボロだ。

 遠藤は当然ながらリヨナの申し出を却下する。


「ダメだ。リヨナが残っても足手纏いになる」


「そ、そんな……! 共に戦った仲間を見殺しにするような真似は……!!」


「大丈夫だ。湯浅さんを信じろ。あの人は“殿のプロフェッショナル”だぞ」


「!!」


 ドヤ顔で言い放つ遠藤。真顔で息を飲む面々。


 あの〜、なんだろう。勝手に殿のプロ認定してもらうの辞めてもらっていいですか?

 って言えたらとっくに引退してるんだよなあ〜!!


 遠藤の発言に何故か皆が満場一致で賛成する。

 嫌なものですね、勝手に信頼されるというのは。


「ならばせめて支援魔術はかけてやる。感謝しろよ。生きて再会できたら、褒美をくれてやる」


 エルドラさんはどうして上から目線なんでしょうかね〜?

 いや、まあ支援魔術はありがたいから文句は言わないでおこう。

 そうして、ミリルの魔術を合図に、絶望的な撤退戦が幕を開けた。

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