第2話 『攻撃力たった2のゴミ』と言われたので引退します


 そうだ、迷宮で一山当てよう。

 テレビをつければ、このフレーズが二日に一回は聞こえる。

 冒険者転職推進法が施行されてから、日本国にはやく三万人ほどの冒険者がいるという。小遣い欲しさの主婦から苦学生、その日暮らしの中年まで幅広い世代が冒険者として活動している。

 そのなかで果たして何人が自主的に冒険者になっただろうか。


 少なくとも私こと湯浅奏は冒険者になりたくてなったわけではない。

 たまたま素質があったというだけで、周囲の人間が『これを機に独立するべきだ』とか『二十歳になって無職はまずい』と騒ぐものだから、真に受けた母が私の尻を蹴り飛ばして今に至るのだ。

 迷宮ダンジョンで一山当てる? どうぞご自由に。私は引退がしたいんだ。その為に遠藤がひたすら女の子といちゃつく横で無言を貫いたんだ。引退させろ!


 冒険者ギルドのカウンターで、私は受付の職員であるカローラと睨み合う。

 私が記入した引退届を突き返すカローラ。お互いに一歩も譲らないせいで時間だけが過ぎていく。


 そんな不毛なやり取りに水を差す者がいた。


「ふん、ここが異世界に出来たという冒険者ギルドか。なんともみずぼらしいものだな」


 嫌味ったらしい男の声に私は振り返った。


 2メートル近い長身の男がいた。漆黒の金縁ローブという、厨二病罹患者がいれば間違いなく食いつくファッションセンスだ。それだけでなく、肌がぼんやりと金色に光っている上に、金髪から長く尖った耳が覗く。


 その姿を見た受付の職員カローラが呟く。


「『ハイエルフ』じゃないの……なんで日本に?」


 カローラの呟きが伝播するように、ざわざわとどよめきが大きくなった。


 なにせ、独り言とは思えないほどの大音量で嫌味を放ったのだ。当然、近くにいた人々の耳にその声は届いている。周囲の冒険者たちがゆらりと立ち上がって、赤子なら泣き出すほどの鋭い殺気を声の主にぶつけた。

 一触即発の雰囲気だ。


 数年前ならば、『うわぁ……』という視線だけで済んだ出来事も、喧嘩っ早い異世界人とそれに適応した日本人がいるここでは喧嘩沙汰になる。それも、流血騒ぎになるだろう。


「こんな薄汚れた建築物に群がるなど、人間はいつから家畜用の豚に成り下がったのかな? ……いや、もとから家畜だったな、失敬、失敬!」


 その雰囲気を知ってか知らずか、声の主は続けてカウンターを指の先で撫ぜ、指先についた埃をふっと息を吐いて吹き飛ばしてきた……私の顔目掛けて。

 バシネットの額部分につけられた面頰バイザーがあるので彼の吐息は感じないが、そんなことをされて愉快な気分にはなるわけがない。


 私は懐からハンカチを取り出して面頬を拭き、彼にそっと『息リフレッシュ』でお馴染みの清涼菓子のパッケージを渡した。


「貴様、もしやこの俺に喧嘩を売っているのか?」


 私は無言で首を横に振る。

 生粋の日本人なので、他人と争うのは嫌い。平和が一番、みんな仲良くがモットーだ。


「ならば今すぐにそこを退け。俺はそこの受付に用がある」


 私はカローラに振り返り、引退届をすっと彼女の方へ押した。カローラは無言で引退届を押し戻した。やはりこの状況でもお互いに一歩も譲らない。


「……何を、している?」


 見かねたハイエルフの男が話しかけてきた。

 カローラがため息を吐きながら男の質問に答えた。


「見て分かりませんか? この人の引退届を棄却しているんです」


「引退? ふん、己の実力の無さを痛感したようだな。死ぬ前に引退を決意するとはなかなかの英断じゃないか」


 褒められちゃったぜ、照れちゃうなあ!


「貶されてるんですよ、カナデ様。怒ってください、そして仕事をしろ」


 名誉よりも大切なものがあるーーそう、引退だ。

 平穏なヒキニートライフに比べれば、多少の名誉損害など気にかけるだけ時間の無駄なのだよ、カローラさん。


 私は首を横に振る。ガシャンガシャンと鎧同士がぶつかって耳障りな音を立てた。


「引退したがっているなら、それを止める権利は貴様にないだろう。いいからさっさと受理して手続きを済ませろ」


 おっ!? 思わぬ所から援護射撃が!

 嫌味なハイエルフかと思いきや、なんとも話が通じる優しい紳士じゃないか。


 これを好機と捉えた私はぐいぐいと引退届をカローラに押し付ける。おらっ、受理しろ!!


「はあ、部外者は黙ってください。とにかく、ユアサ様の引退届はたとえ天変地異が起きて世界が滅亡しようとも受理できません。諦めてください!」


 なんでだよお!!!! いいじゃん、冒険者が一人減っても他の奴が加入するんだからさあ!!!!


 私がぷんすか怒っていると、体の内部を覗き見られたような不快な感触が駆け巡った。この感覚は覚えがある。

 鑑定スキルだ。


 背後に立っていたハイエルフの方を振り返る。

 彼はニヤニヤとした笑みを浮かべながら私を見下ろしていた。


「攻撃力たったの2か、ゴミめ」


 私はカローラの方に向き直り、少し強めに引退届を押し付けた。

 『攻撃力たったの2か、ゴミめ』と言われたので引退します。後のことはこの鑑定スキル持ちの優秀なハイエルフくんに任せましょう、そうしましょう。


「だーめーでーすー!! いいですか、そこのハイエルフ!」


 ハイエルフの男の発言に注目していたなか、受付の職員カローラの声がホール内に響き渡る。


「このお方は湯浅奏と申しまして、地球初の迷宮ダンジョン攻略者かつ地球初の天職ジョブ持ちなんですよ!! Sランクの冒険者パーティー『つい極光きょっこう』に所属だってしていたんですから!!」


 ざわざわとしていた冒険者ギルド内がシンと静まり返る。

 周囲から突き刺さるような視線を感じながら、私は面頬の下で見えないことをいいことに、心置きなく思いっきり顔をしかめた。


 カローラは異世界『アウター』出身だ。

 異世界は、日本と違って情報に対する考え方が違う。彼らにとって情報は発信し、有効に活用してこそ価値があると考えている。

 なので、個人情報の保護だとか隠匿というものに対してどうも意識が低い。


 カローラが私の経歴を暴露したのも、『才能ある人材を埋もれさせるのは社会の損失』『注目を浴びてこそ冒険者業』と心の底から信じている。

 だから、私がどれだけ引退したいと申し出ても納得しないし、情報を隠すことに意味を見出せないのだ。


 そもそも、私ほどやる気のない冒険者はいない。他の連中は金を稼ぐために貪欲に仕事を漁っているのだ。

 受付の仕事は実力のある冒険者を他の冒険者に紹介したり、仕事を斡旋することがメイン。よって引退したい私との相性は最悪なのだ。


 カローラの発言に、ハイエルフの男が食いつく。


「……なんだと?」


「ふふん、今更になって湯浅様の凄さに気がつきましたか。そう、湯浅様こそ日本──地球──いや、この世全てを導く存在!」


 自分の将来すら先行き不安定なのにこの世全てを導けるわけがない。目を覚ませ、カローラ。目の前にいるのはニート志願者だぞ。


「こいつが、地球初の迷宮ダンジョン攻略者……?」


 ああ、面倒だからとカローラに誤解されたままだったのを放置していたのが不味かった。

 私はたまたま、家の裏庭に誕生したばかりの迷宮ダンジョンをそうと知らずに破壊してしまっただけなんだ。皆が思い描くような『未知に支配された迷宮。危険を承知で進む勇猛果敢な若者!』ではない。

 まったくの偶然で、それがたまたま原初の迷宮として後に指定されてしまっただけなんだ。


 私は思わず遠い目をしながら、時計を見つめる。

 時刻は午後六時。これから巻き起こる騒動に巻き込まれることを考えると、ベッドに入れるのは午後十一時になるだろう。


「ふん、面白い。おい貴様、そんなに引退したければこの俺が直々に引導を渡してやろう!」


「なっ……! 冒険者間の私闘は治安上の観点から禁止されています! 警察を呼びますよ!!」


 あ〜、面倒なことになった。

 カローラちゃん、困った時に警察を呼ぶのは間違ってないけど、警察は『アウター』との条例で冒険者ギルドの中に踏み込めないんだよね。この場合は支部長を呼ぶべきだよ。

 まあ、半年で日本語をマスターしたばかりのカローラにそこまでの常識を求めるのは酷だろう。許そうじゃないか。だから引退させてほしい。


 カローラの警告に、ハイエルフの男はわざとらしく肩を竦めて反論した。


「『私闘』ではない。あくまで指導をお願いするだけだ」


 冒険者ギルドでは、生存率を高めつつ戦闘技術の向上を推進するために訓練場を建物内に内接している。

 そこでは、街中ではできないような大規模な魔術の撃ち合いや“スキル”の使用が許可されているのだ。


 ここの冒険者ギルドは、異世界にある冒険者ギルドを参考にして建築されたというので、恐らく異世界の冒険者ギルドでもそのような施設があるのだろう。


 カローラが「ギリ」と歯を噛んだ。

 ハイエルフの男が言うことに上手い反論が思いつかなかったのだろう。


「駄目ですよ、湯浅様。いくら相手が思い上がったハイエルフのいけすかない男だからってけちょんけちょんになんてしちゃ駄目なんですからねえ!!」


「ふっ、下っ端の受付は黙っていろ。さあ、場所を変えるぞ!」


 何故か私が私闘を受け入れた雰囲気を出すカローラ。

 そして何故か張り切るハイエルフの男。


 周囲で聞き耳を立てていた冒険者たちが面白おかしく騒ぎ立てる。


「うおー! あの板金鎧がついに立ち上がったぞ!!」


「マジかよ、あいつ強いのか?」


「さあ? でも『終の極光』に所属していたって言うんだから強いんだろ。ワンパンじゃね」


 興奮しながら予想する冒険者たち。悪いけど、私に期待するだけ無駄だよ。

 ────だって『攻撃力たった2のゴミ』なんだもの。


 私はため息を吐き、言葉で訂正しても受け入れられる場の流れじゃなかったので大人しくハイエルフの男の背中を追いかけた。

 面頬の下からこの騒動を引き起こすきっかけとなったカローラを恨めしく睨みつけ、その顔を見ているうちに誤解されることになったそもそものきっかけを思い出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る