第46話 庭園の思い出



 一歩外に出ると、途端とたんに静かな空気に満たされる。


 虫の鳴き声や木の葉の擦れる音。

 自然の音は、いつ聞いても心地よい。


「聖女、こちらだ」


 連れていかれたのは、数百種類のバラが咲き誇る庭園だった。

 レナセルト殿下に続いて入っていく。


 自分の身長を超える大きさのバラの木や、アーチに沿わされたツタ。

 それらが複雑に入り組んだ道で作られている、まるで迷宮めいきゅうのような庭だ。


「すごいですね! 迷子になりそう……」

「ここは侵入者を防ぐ役割も持っているくらい、入り組んだ迷路になっている。王宮に従事じゅうじする者でも、不用意に入れば迷う。年に数人、行方不明者も出ているしな」

「それ、大丈夫なやつですか!?」


 思っていたよりもだいぶ物騒ぶっそうな庭ではないか。

 万が一迷い込んでしまったら、二度と出られないやつだ。


 そんな場所に入ったら、絶対に迷う自信しかないのだが。

 というか、そういうことは入る前に教えておいてほしい。


 私は不安にかられ、レナセルト殿下を見上げた。


「今日は解放されていると言っただろう。今だけは正しい道以外には立ち入れないようにされているから、大丈夫だ」

「あ、そうなんだ」


 ほっと胸をなでおろす。

 規制きせいされているのなら、よっぽど大丈夫だろう。


「まあ、もし万が一迷っても、黒いバラを探せば出られる、なんて噂もあるぞ」

「黒いバラ?」

「ああ。オレも見たことはないが、庭のどこかには真っ黒なバラが咲いているらしい。見つけたら出られるってことは、案外出入り口の近くにあるのかもな」

「黒いバラ……」


 殿下がいる限りは大丈夫だと思うけれど、一応覚えておこう。




「ついたぞ」

「うわぁ! きれい!!」


 彼の案内でやってきたのは、少し小高い丘をのぼったところにある噴水だった。


 高い場所にあるおかげで、今通って来た庭がよく見える。

 ライトアップとまではいかないが、ランタンのあかりでともされていて美しい。

 幻想的げんそうてきな光景だった。


「ほら、こっちに来い」


 レナセルト殿下は少し先のガゼボのような場所を指さした。

 どうやら座れるようになっているみたいだ。


「開放されているとはいえ迷う心配があるからな。貴族たちはあまり寄り付かない。会場の休憩室よりも気が楽だろ」

「あ……」


 どうやら私を気遣ってくれたらしい。

 さりげない優しさが身に染みる。


「ありがとうございます」

「ま、見ている奴もいないし、好きに過ごすといい」


 殿下はベンチにゴロンと寝そべった。

 よく見れば毛布とか、クッションまで用意されている。


 私もベンチに腰をかけ、ぼんやりと景色を眺める。


 ざあっと風が吹く。

 仄かに甘い香りが届いた。


 バラの香りだと思うが、どこかミステリアスな香りだ。



(ん?)


 どこかで嗅いだことがある香りだった。

 どこだったか……。


(ああ、そうだ。あれはレナセルト殿下の……)


 ムルー山で寝かされていたときに嗅いだ香りだ。

 あのとき、私に貸してくれていた殿下の服と同じ香りがする。


 もしかしたら、この場所の香りだったのかもしれない。



「……レナセルト殿下は、よくここに来るんですか?」

「まあ、子供の時からな。宮の中にいるよりは息がつまらなくてすむし」


 彼はこちらを見ることなくつぶやいた。

 その声には諦めが含まれている。


 王宮内での彼は、常に一人ぼっちだと言っていた。

 話相手もおらず、嫌な視線を浴びせられ続けた、と。


 恐らくそういうとき、この場所にいたのだろう。

 香りが移るほど、長い間。


「……誰も探しには来なかったんですか?」

「誰が厄介者やっかいものの第二王子の心配なんてするんだ?」


 彼は自嘲じちょう気味にこぼした。


「むしろ姿が見えなくなって済々していただろうな。ここがオレのお気に入りと知られても、誰も近寄ってこなかったさ」

「そんな……」


 レナセルト殿下は起き上がって振り返った。

 その瞳は、暗くよどんでいる。


「それとも」


 近寄って腕を引き寄せられる。

 のぞき込むように、体が寄せられた。


「お前が、心配してくれるとでも?」

「あ……」




 私は……



「当たり前じゃないですか!!」


 腹が立って仕方がなかった。



 子供を一人にして、誰も心配しないとか、ありえない!


 だって行方不明者が出るような場所って言っていたじゃないか。

 昨日大丈夫でも、今日は別の道に入ってしまうかもしれないと思うと不安で仕方ない。


「子供じゃなくても心配するに決まっとるわっ!! 逆に心配しない人がいるのが不思議だわ!!」


 ぷりぷりと怒りをあらわにしていると、殿下はぱちぱちとまたたきを繰り返していた。


「っく」


 やがてじわじわと口角が上がっていく。


「ふ、ははは! そうだった。お前はそういうやつだったな!」

「なに笑っているんですか! だって結構物騒な場所なんでしょう!?」

「くくく、っ、いや、すまん」


 レナセルト殿下は笑いながらそっと体を離した。


「この場所だけは、何があっても間違えないさ。ここは、母上と過ごした場所だからな。小さなころ、迷わないように何度も教えてもらった。だから心配しなくていい」

「え、お母様?」


 殿下のお母様……。

 確か今はもう存命ぞんめいではないはずだ。


 母親との思い出の場所なのだろう。


「そんな場所に、私を連れてきてよかったんですか?」

「……そうだな。前までのオレなら、誰かを連れていこうとはしなかっただろう。でも、お前なら良いかと思ったんだ」


 殿下は先ほどまでの澱んだ目ではなく、温かい眼差しでこちらを見ていた。


「そ、そうでしたか」


 なんだか急激に恥ずかしくなってきてうつむく。

 そんな風に言われてしまうと、なんだか特別だと言われているようで落ち着かない。


 たぶん、レナセルト殿下自身はそんな意識はしていないのだろうけど。

 天然てんねん、おそるべし。



 私たちはそのまま、そよそよと柔らかい風の中、しばらく庭を眺めていたのだった。





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